「導かれた」と感じた聖句を、毎年勝手に「今年の聖句」としています。
「今年の抱負」のクリスチャン版のようなものでしょうか。
年末に振り返るのが楽しみだったりもします。
今年はこの聖句を心に刻み、意識して歩もうと思います。
(マタイの福音書 16章 24−25節)
それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。
信じた頃に心に残った聖句。
ちょっと覚悟を要求されているようにも感じます。
十字架は負わされるものであって、どちらかというとイヤなもの。
しかし、それを背負い神に従うことに希望があるという示唆は、励みとなりました。
厳しさを感じる箇所ですが、どんな境遇でも最後はここに立ち返れば間違いないかなと思う。