鑑賞『短歌研究新人賞』(2014年・第57回) 受賞作・次席・候補作

では、気になった作品、残る受賞作・次席・候補作を一気に。いずれも初出はTwitterでのツイートです。


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まずはいきなり受賞作から。

■ フィルターまで火照たる煙草 素直とは素直になれぬことでしかなく
  コンビニの自動ドアにも気づかれず光として入りたくもなる
  傘を盗まれても性善説信ず父親のような雨に打たれて
   (石井僚一)
どうしようもなく 質量を持つ個体であること 連作三十首は全体的に破調の印象 それもまた内面の具象化か




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次席。(すこし加筆しました)

■ 骨なしのチキンに骨が残っててそれを混入事象と呼ぶ日
  補充したメダカがそこに初めからいた顔をして泳ぎはじめる
  まさに膣そのもの、という件名が一瞬見えてNortonが消す
  20代女性の胴の2ヶ月で10kg減の輪切りの画像
  ダウニーの匂いを嗅ぎすぎたときの頭痛に備えバファリンも買う
   (岡野大嗣)
システムに弾かれるもの、融けてゆくもの どちらもその生身でもって 1と0の間で(一瞬)微かに揺れつづける主体がみえる そして次第に 傷んでいくその生身への感覚 八方塞がりなんだ 三首目のせめぎ合い、二重三重の、乾いた戦いなんだ




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候補作。

■ 午後ずっと猫がふざけて引きずった魚のまなこが見上げる世界
  いつまでも僕はあなたに話していたい海にまで至るようなことばで
   (ユキノ進)
臭いがふんふん届く歌 猫と魚のそれはそのまま 生身の人間による、残酷な遊びのある世界に繋がる 生臭く、


■ なめらかにくぼんだ石の箸置きが指にやさしい飲み会だった
  ヒッチハイクのコツの話を思い出し事務所の外の道を見ている
   (山本まとも)
膜越し、透明な隔たり コツの話は反芻のみで おそらく体験に変わることはないんだろう 旅の想像と職場の窓 陸の船のような


■ 二回着て二回洗へばぼんやりとわがものになる夏服である
  切り開くそばから白い紙パックぼくに中身を移したあとの
   (山階基)
ぼんやりと、という速度 『ぼく』という器 紙パックの白さに意識を飛ばされる 『ぼく』を切り開いたときにあるだろう、肉の赤みに


■ 泣いているある時点から悲しみを維持しようとする力まざまざ
  打ち出され釘に転がる銀玉の特にあっさり消えたものへの
   (工藤吉生)
泣いているのも 打ち出したのも 自身のようで自身以外の制御し難いなにか大きなもの 『仙台に雪が降る』のタイトルが示すもの


■ 美しい田舎 どんどんブスになる私 墓石屋の望遠鏡
  巨大なる会いたさのことを東京と思うあたしはわたしと暮らす
(北山あさひ)
一首目、瞳孔の開閉のさせかたが凄い こんなふうに並べて何ひとつ台無しになっていないところも 墓石屋の望遠鏡!




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以上、気になった作品へのぽつぽつとした文章でした。おつきあいいただきありがとうございます。次席の岡野大嗣さんの連作は凄みがありました。『まさに膣そのもの、という件名が一瞬見えてNortonが消す』のせめぎ合いとか。この出口のなさ、いったい誰が何と闘っているのかと。『一瞬見えて』の部分にある痺れと、かすかな揺れ。震度0の。

個人的にガツン、とか おおお、とかきたのは北山あさひさん山階基さんストウヒカリさんです。ストウさん、予選通過で二首だけなのだけど、これもっと読んでみたいなあ。

次にこの場を使うのは何になるかしら。そういえば毎月の『未来』歌稿とか、そういう置き場にしてもいいんじゃないかしら、ともおもいつつ。とことこと考え中です。それでは。

鑑賞『短歌研究新人賞』(2014年・第57回) 最終選考通過

続いて最終選考通過作より。

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■ 縄張りを示す残紙を卓上に置きおにぎりを温めにいく
  勝敗が生死を分ける席にいる、違った、ゆっくり分かれる席だ
   (若狭愛)
残紙、という言葉に過酷な業界事情がみえてくる その確保した席にすわり おにぎりを食べて 延命する ゆっくりと敗れていく


■ 夕暮れの向こうに君をんっ、んっ、とみている夏のアセロラソーダ
  昼の風にことばはゆれているんかなあ 南の窓にみえる夏草
   (古賀大介)
擬音語に喉がみえる 二首目とても好き のんびりと、けれどはっきりと 想うことだまのこと


■ エクセルの五万行目にメッセージ残し会社を去らむと思えば
  税務署の横に「やすらぎの園」があり税務署に似た外壁である
   (井月巻)
エクセルで描く深海 やすらぎの園もまた、逃れられない、景観・まちづくりの一環として自治体とか国のほうを向いている


■ 大学ではみんなみたいな歌を聴きみんなみたいな人になりたい
  タンクローリーにシチューを詰め込んできみの家まで国道でゆく
  つつじの蜜吸いに夜な夜な出窓から羽ばたいてゆくノートパソコン
   (工藤玲音)
なれてない、そのなれてなさ 少女のまま妖怪へ 好き


■ 朝からの雨受けとめる水たまりおまえも踏めば小さく叫ぶ
  決心がゆらぐのは朝 蝉ならば生きてはいない十日目の朝
   (文月郁葉)
一首目、雨を受けとめる水たまり、が興味深い 水たまりも元は雨と呼ばれ その集まり 心に溜まるもの、自身は何がしか変わっていき さらに迎え続ける 逼迫感だろうか 悲鳴はどこへ届くだろう 二首目、なにがあってからの十日目だろう 蝉との比較 恋愛だろうか 掲載作全体にかおる、じんわりと 迫りくるもの 二句目の朝と結句の朝の、微妙な温度のちがいとか 好きです


■ 何だっけ映画に出てくる動物の名前 何だっけ動物の種類 何だっけ動物って
  わたしが世を去るとき町に現れる男がいまベルホヤンスク駅の改札を抜ける
   (フラワーしげる
アクセルの踏みかた、以前と変わりましたか スピード配分の変化 以前は上句にここまで定型の収まりはなかった憶えがあります それゆえ今作の、下句での疾走感がたまらない 改札をすべり抜ける男の残像がたなびく駅構内 『男』より『わたし』よりも鮮やかなベルホヤンスク駅の存在


■ 野菜ジュース満ちて光れる朝々を渡れネクタイを白き帆として
  ここからは見えない角度で延々とテレビどこかで燃えている山
   (辻聡之)
その帆の白 しかし揺れて汚れそうでもあり 仕事との折合いのつかなさみたいなものを感じる 暗示のような野菜ジュース


■ 猫が首を鏡の中に突っ込んで抜けなくなっているのを助けた
  甲羅だけ異様に長い亀が顔をこちらに向けて「リムジン」と言う
   (鵜飼信光
顔をこちらに向けて! 助けた、助けられた、愛とやさしみの分母に ユーモアの分子が乗っかっている おとな ですね


■ 病院と質が同じになっている自分のからだ(びょういんのからだ)
  あのからだが存在しない雪は降り雪降り積もり雪消えてゆき
   (やすまる)
病のひとに手を預けていることを このように詠むことで 厳しい状態であることが伝わってくる 雪にみる たましいの


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フラワーしげるさんの感想、先述のTwitterのものに少し書き足しました。たまらんよね。たまらん。

鑑賞『短歌研究新人賞』(2014年・第57回) 佳作

続いて佳作より。

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■ ポッキーの持つ部分だけ食べている屈折してる君のやさしさ
   (柳本々々)
そして指チョコレートまみれ はう。。 (しかも本人は屈折じゃないのかも 水に刺した棒の棒は曲がってないみたいに) お名前はなんと読むのかしら もともとさん? (因に今は『どう どう』と打った)


■ 『回』の字の内部の口の内部にも口の気配が、雪の手触り
   (森本頌)
結句、見えないけれど感じる《回の内部の口の内部》的なものなのか(つまり手のひらをかざすさま)、それとも対比(わさっと触れるほど)なのか わからない、ままでいい 回のくだりで既に勝利と思う


■ さくらばな降りしきるままさよふけて 眠りとは闇をかさねること
   (望月遊馬)
薄膜の感覚 ひかりと闇の両極が、その重なっていく薄膜への意識によって同化する 見えなくなっていく、闇のなかのひかりのなかの闇、のなかの、


■ 通勤の電車のかしこい猫のごとどのひざのうえにも鞄あり
  冷蔵庫のなかに伸ばす手いにしえの木の実を拾う手と重なりぬ
   (鍋島恵子)
猫ならいいのに。。 二首目とても好き 庫内のあかるさ、枝葉のくらがり 生活はつづくよ


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短歌の新人賞に詩人の名を見つけると お、ってなりますね。今年は望月遊馬さん、あと同じく佳作に阿ト理恵さん。共に詩人としてすでに商業誌の新人賞をとってらっしゃる。(望月さん現代詩手帖、阿トさん詩学) 根っこは同じですからね。盛りつけかたが違うだけ。それだけの、そのような、岐路を経た今です。

鑑賞『短歌研究新人賞』(2014年・第57回) 予選通過

こちらに何かを書くのは久しぶり。ここは短歌を始めたころに参加した『題詠blog2009』の自作と鑑賞記事の置き場でした。
現在Twitterのほうで、今年の短歌研究新人賞の応募作のなかからグッときたり気になったりした歌の感想をぽつぽつ流しているところ。ここにまとめていきます。予選通過作から。

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■ 虹じゃないところで虹をほめている わたしは妙な医院を見つけた
   (伊舎堂仁)
そうだ、たいていの足の位置は虹ではないところだ 一字空けは視線の動きだろうか 瞳孔の絞り それとも虹が何らかのメタファか 気になる一首


■ 延々と伸びゆくテールランプから零れるように左折がしたい
   (牛隆佑)
左折「を」ではなく左折「が」 零れるように、からはアンバランスな濁点をあえて付けるほどの強い意思/願望 興味深いのは話者視点ではないところ 零れるさまを 見届けられたいこころ


■ いもうとは愛語りをりストローの頸椎惨憺とよぢれつつ
   (沖月仄生)
ストローの頸椎 よじるんじゃなくてよじれるんだ 残酷さがぴったりでよいなあ


■ おろしがねにはりついたまま干涸びた生姜の繊維 まだ生きていた
   (しおみまき)
辛かったのだ とうに 涸れたとおもっていたものが 口にふくむ その繊維をつまみあげた指先 痛みがみえる とおいとおもっていたもの


■ 致死量のおやすみを聴く 隕石が飛来する日は今夜がいいな
   (ストウヒカリ)
混じりっけなしの、大量のおやすみだろう まっすぐな そのように受けとったときの極まりに憶えがある 嗚呼、今日限りでいい、って感じるよね


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ストウさんの好きだなあー。


 

鑑賞『023:蜂』

TB1〜124のなかからのピックアップです。甘みにも痛みにもなるお題ですね。


■ へいきさ、と言ってあなたは蜂蜜の瓶に沈んだ匙を摘まんだ
   (梳田碧)
わーーーー! へいきなんだ。きっと「あなた」はためらいなく色んなことに飛び込んでいくひとなんだ。ここには「あなた」の言動だけで、主体の動きや心情は具体的になにも描かれていませんが、なんかもうわかっちゃいますよね。主体はそのように匙を摘めないひとで、転じて物事や人に対し、いやここでは他ならぬ「あなた」に対し何らかを躊躇しているひとで。飛び込める「あなた」と飛び込めない主体の対比を蜂蜜で描ききっています。蜂蜜ってところが象徴的。やはりこのお歌は恋愛として詠みたいです。「あなた」や君などの二人称は短歌を甘くしすぎるとも言われますが、すこし距離をだして例えば『弟』とか『友』で詠んだとしたら、蜂蜜をはさむ二人の関係性がここまで活きないとおもうので、「あなた」がいいな。いいなあー、とても好きです。

鑑賞『022:でたらめ』

ハロー、せかい、満開の桜に、すこしずつ葉が混じってきました。さてさて、TB1〜120のなかからのピックアップです。


■ でたらめに立つ電波塔 敵を持ちドンキホーテは幸福だつた
   (尾崎弘子)
三句以降の核心にハッとします。敵だとか、正義の反対は悪だとか、そのような幸福・わかりやすさ。明確な標的(と自身が定めたもの)があると、生きやすいですからね、人は。なので「でたらめに立つ電波塔」、なにかこう、ひとりひとり、人があっちでもこっちでも、途方にくれながら拠り所のない怒りや苛立ち・存在証明・求める気持ちを発信している状景が浮かびます。朗読すると、ひびきの統一感が口のなかに気持ちいいです。


■ でたらめに口ずさむ歌 ドーナツのドを鈍感な恋人のドと
   (五十嵐きよみ)
嗚呼。替え歌にするしか、それを口にする術なんてないですよね。軽快なリズムで、おどけたりして。歌ってる主体のそばに、現に恋人さんいそうだなあ。ちょっとだけ聞こえるような距離なんだけど、鈍感な恋人は鈍感だから真意は気づかないの。(妄想ちう)泣きたくなるよね、ときどき。がんばろうよね、おんなのこ。

春荒れの日に

ハロー、せかい。風のつよい日です。かたつむりペースでお歌を鑑賞中、現在「020:幻」にさしかかったところ。
鑑賞しているとなんとなく気づくことがあります。このへんからは地震後に投稿されたものかも、って。もちろん、はっきりスパっと区別できてるわけではないんだけどね。(トラックバック元の日付までは確認していません) それでも、3月11日の出来事が、詠み手の意識を変えるには充分すぎる衝撃であったことは、きっと。確か。


「今までやっていたことがこの大地震を境にできなくなるのだとしたら、それは元から間違っていたことだ」と、誰かが言いました。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。意識を説いたものだとも言えるし、その意識自体が震災にあったんだとも言えるから。正直に言えば私は、地震から今のいままでほとんどまったく歌を詠むことができなくなっていました。なだれ込んでくる現実に、歌の言葉がまったく追いついてこなかったのでした。


短歌研究5月号の巻頭に、岡井隆先生の新作『三月十一日以後に思つたこと』十五首が掲載されています。『機会詠』という覚悟を想います、言葉は、やってくるものである以上に、探しに行かなければならないものでした。私のほうから言葉へと、向かわなければ。とおくても。こわくても。
くるしいね。
歩く。歩きます。