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そこにいるか - The cape of an island

THE CAPE OF AN ISLAND

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自薦エントリ : ジャイアンの歌に耐える方法


2016年-08月-18日

『シン・ゴジラ』の勧奨。とくにネタバレはない。

比較的早い時期*1に都内シネマコンプレックスで映画『シン・ゴジラ』を2回鑑賞*2

75点+α。様々な意味で「日本映画らしい日本映画」と感じた。


ひとことで言うと「劇場でやってるうちに見に行ったほうがいいよぉ」*3というだけのことなので、以下は3000字の蛇足である。

映画『2001年宇宙の旅』について、監督のスタンリー・キューブリックは「劇場で見ていないのであれば、この映画について論評してほしくない」というような趣旨の発言をしたという*4

僕自身、劇場で2時間じっと座って映画を見るという行為にあまり価値を見出さず、いけしゃあしゃあと「ストーリーさえわかればいいや」などと言ってしまう側に立ちがちであるのだが、その映画監督の主張は理解できる――ページを開いたときに目に入る活字の密度に思いをいたさない詩人や、読点や句点や改行のタイミングに無頓着な小説家や、コマの一つひとつに心を砕かない漫画家がいるだろうか――もちろん映画館とてすべて均一な環境というわけではないが、転送量を抑えたネット配信や、手元のワンセグテレビで鑑賞するのとでは、やはりわけが違う。

『シン・ゴジラ』に関しても、「どうせいつかテレビでやるのだから、そのとき見よう」というくらいの関心があるのなら、僕としては自分の普段の言動を(島本和彦に倣って広く作った)棚に上げ、「映画は劇場で見ろおおおぉぉぉ」と馬乗りになって2、3発殴る勢いになりそう。

つまり『“シン・ゴジラ”という体験』を勧めるということになるのだろう。

程度の差こそあれ、日本の文化に囲まれて育ち、日本の風習を体得して平穏に暮らしてきたような“我々”にいい塩梅の娯楽になっているゆえに(これはネガポジ両面の意味がある)。


あるハリウッド映画が「アメリカ人が作った面白い大作映画」だったとしても、それは「アメリカ人が作った“我々のため”の面白い映画」ではなく、「アメリカ人が作った“我々にとっても”面白い映画」でしかない。それが『ラスト・サムライ』や『硫黄島からの手紙』のような日本が舞台のものであっても、本質は他人の玩具だ(『SFソードキル』はどうかって? あれは「アメリカ人が作った【“我々のごく一部”にとって面白い】映画」であって、どう考えても「【みんなが面白い】映画」ではないよね)*5

それに比べれば『シン・ゴジラ』は――「面白い」かどうかはとりあえずおいて――前述のとおりまぎれもなく「日本人が作った日本人向けの大作映画」だ。今の国内快進撃を見て東宝が「これはいける」と喜び勇んで他の国に配給したらドメスティックすぎて受けず大コケしないか若干不安になるくらい。


ストーリーについては、“日本”というものに対するリアリティの重視は感じたが、そこには当然、娯楽作としての誇張や、そして若干の美化が入る。展開も、ご都合主義といえばご都合主義きわまりなく(もっとも、ご都合主義のない脚本などというものは見たことがない。初代の「ゴジラ」も然り)、ゴジラが主導する物語中盤までは緊張感があるが、それ以降、人間側が主導権を握ったターンは拍子抜けするくらい予定調和的ではある(これはまあパニック映画の宿痾だ)。

戦争、天変地異、そしてもちろん核といったイメージを内包する「ゴジラ」という知名度の高い特撮キャラクターを使って、東日本大震災以後に制作された「日本ってこういう感じです」みたいな自己紹介プロモーション映画、といった側面があり(もちろんハリウッド映画はハリウッド映画で「アメリカってこういう感じです」的な部分は多分にある)、そこで語られる「この国はまだやれる」「この国は危機を経験してよりよく変われる」的なメッセージは、他国の作品でも見られる娯楽作としてはなんということもない主張であり、テーマがテーマだけに「日本はまだやれる(と思って戦争を始めて失敗する)」「日本は(原発の)危機を経験してよりよく変われる(というようなことはまるでなかった)」と、現実とのギャップを感じるきらいもあるとは思う。最終作戦前の主人公の演説なんかは、若干鼻白むところもあった。

それに、人によっては「“日本人向け”ではなく“日本人オタク向け”だろう」というかもしれない。確かに撒き餌が多いとは思える*6。オマージュといえば聞こえはいいが、大はしゃぎであれやこれやちりばめた、そもそもが「オリジナル“ゴジラ”の二次創作」である映画を「邦画史上に残る大傑作」などと褒めちぎるのはいきすぎと思うむきもあるだろう。

しかしこうした他人の毀誉褒貶などさておくがいい(ここで言ったの僕だけど)、あれやこれやの予備知識なしに物語と映像を普通に追いかけて、十分に2時間ほどの浪費の元は取れる作品だと思う*7


1954年の初代「ゴジラ」は、敗戦からまだ10年で復興には程遠く、世界で初めて原爆を落とされた国となり、漁船水爆実験で大変な目に遭い…というような時代の作品だ。しかしこれを我々がいま見ても、当時の鑑賞者と同じような感情を抱くことはないだろう。

時代時代ごとに「当事者性」というものがあって、例えば「かつてゴジラがおそ松くんのイヤミのシェーをしたことがある」という話を聞いた。よっぽど流行っていたのだろう、「シェー」が。

それほど流行していたのだから、当時そのゴジラを見た子供も、きっと「シェー」のポーズを取ったことがあるに違いないわけで、「自分もゴジラもシェーをした、という他の世代は決して得ることのない共感の記憶」があるということになる。しかし、いきなり引き合いに出しておいて、そのような思い出を持った人たちに対して申し訳ないとは思いつつ率直に言わせてもらえば、だからなんだという気はする。


その流れでいくと今回の『シン・ゴジラ』は、初代が作られた社会状況にも匹敵するような例の出来事の当事者性でもって我々に鑑賞を促すものであった*8。あのとき東京にいたような千万の我々は、先の見えない状況で何を考えただろうか? 東京生まれ東京育ちの僕自身は、この映画の中盤、最大のクライマックスシーン*9を見て「わかっているのか都民よ、福島ではなく東京がこうなるべきだったのだ」という呵責を感じた。そのように責め苛むゴジラは、(モチーフが巨大なだけに)やはり大きなスクリーンに投影されていたからこそという気がする。

僕にとっては「ストーリーを追いかけた」「シナリオを咀嚼した」「自宅なら近所迷惑になるくらいの音で聴いた」「お金のかかった解像度の高いVFXを眺めた」などというのではなく、久しぶりに“映画を鑑賞した”という感じだ(また1954年版の「ゴジラ」がどういうものであったかという実感的な理解もいくらか深まったと思う)。

だからこそ、そこの僕みたいな人に向けて「我々にとって同時代性のある“映画”を見に行く機会が、まだしばらくはあるよ」、ということを言っているのである。劇場での鑑賞を勧奨すると*10








さて、各論のネタバレ回避のためにワンクッション置こう

(※劇場公開が終わったら「劇場で見よう」というあたりを改稿して、自身の心の健康のために以降追記するかも、というつもり。2016年8月18日、「凍土壁は失敗の見解」という報道*11のあった本日はここまで)。


選挙でなく特撮に釣られ街に出る

7月31日。東京都知事選挙の投票日だったが、これほど「投票に行きたくない…」と思った選挙もなく、一日寝ていようかとさえ思っていた。

しかしSNSやネットニュースのヘッドラインで得た情報から「そういえばゴジラの新作が公開されていたんだっけ。庵野秀明で…。よしじゃあ、ちょっと行ってみるか。終わったらついでに投票も済まそう」といった感じで、のろのろと起き上がったのである。

歩いて5分の距離にシネコンがなかったら、有権者となって初めて選挙権を放棄していたかもしれない。

シン・ゴジラ鑑賞前の知識

ゴジラ

日本で最も有名な怪獣。世界的に見ても、もしかすると先駆者の「キングコング」に比肩するのではないだろうか?というイメージ。放射能と関係があるらしい。放射能のある光線も吐くらしい。ZOIDSのゴジュラスは間違いなくこれのパクリ。

初代ゴジラは(テレビで)見たことがある。ノベライズも読んだ。相当ヒットしたらしいとは聞いたが、自分で見ても「ふーん」くらいの感想しかなかったような気がする。そのあとモスラとかキングギドラといった別の怪獣が登場し、あげくの果てにはメカゴジラなるものも出てきてしょっちゅうプロレスをしていたらしいという認識でいるが、それらは一作たりとも鑑賞したことはない。ハム太郎と併映とかそんな話を聞いたことがある。子供映画の範疇なのだろうか。

エメリッヒ版も(テレビで)見た。騒がれたことは知識として知っているが、ゴジラに対する思い入れがないので特になんとも思わなかった(ゼノグラシア的な)。

特撮

これまたよく知らない。円谷英二は神様といわれているくらいなのだから第一人者なのだろう。平成ガメラシリーズは(テレビで)3部作見た。1・2はともかく3作目が大失速した印象。「プルガサリ」という北朝鮮の特撮映画を(これもテレビで)見たこともある。

要するに、怪獣映画を映画館で見たことがない。

総監督・庵野秀明

エヴァンゲリオンで有名な監督。ただし僕はエヴァンゲリオン直撃世代より下で本放送は見ていない(再放送で見た。映画は見てない)。『風の谷のナウシカ』の巨神兵がドーンのシーンを描いたアニメーターらしい。『ふしぎの海のナディア』の監督だったような気もする。宮駿に気に入られている(自分の映画の主演にしたくらいだし)ようだが、本人は富野由悠季好きなのではないだろうかという気がする。安野モヨコと結婚したとか聞いた。あと島本和彦がライバル視している。

監督/特技監督・樋口真嗣

実写版の『進撃の巨人』を監督した人で、CGとか特殊効果に長じている人ということはちらっと聞いた。ようするに円谷英二ポジションか。

長谷川博己

すみません、存じ上げませんでした。

竹野内豊

GTOになった人?(いま調べたら『ヤンキー母校に帰る』の主演ということなので、これと混同したようだ)

石原さとみ

第一生命の「堂々人生」という保険商品のCM「第一でナイト」の2代目(初代が田中麗奈)だったと思う。

野村萬斎

鑑賞前に唯一聞いたネタバレ。最初一瞬、和泉元彌と勘違いしたが、さすがに僕も野村萬斎と和泉元彌の違いはわかる。



以降ネタバレとツッコミ(予定)

この記事のあと他の人のレビューを数十本くらい読んだが、書こうと思っていたような感想を先に書かれているので、やっぱり先んじて書いておけばよかったかなあ、というようなことは思った。



*1:投稿日は8/18だが、内容を忘れないよう8/3くらいからネタバレ込みで書き殴り、そのあたりは投稿時に削った。

*2:1回め:IMAX、2回め:2Dレイトショー

*3:期間が短く すでに終了したIMAX上映も、もう一度やるという話だ。

*4:テレビ放映向けに自ら再編集を行ったとも聞く。

*5:ちなみに僕『ラストサムライ』も『硫黄島からの手紙』も見てませんのであしからず。『SFソードキル』は見たよ。

*6:そういえばノーチラス号だのロンギヌスの槍だの、なにかというと先行者の固有名詞剽窃するような側面が、オタクにはかなりあるのではないだろうか?

*7:もちろん映画には個々人の好みがある。ゴジラはあくまでも「怪獣パニック映画」なので、「小津安二郎以外は映画と認めない」とか「イラン映画の静謐さこそが映画の真髄である」みたいな人には向くまい。

*8:鑑賞者がそう感じたのであって、製作者がそのつもりであったかどうかは知らない。

*9:このシーンは舞台といいモチーフといい監督の過去作品の焼き直しとも聞くが、それを置いてもうまくフィットしていた。

*10:…別にわざわざシャレ言わなくてもいいとは思うけど、話オチないし…

*11:知ってた

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