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そこにいるか - The cape of an island


THE CAPE OF AN ISLAND

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自薦エントリ : ジャイアンの歌に耐える方法


2018年-09月-05日

O・ヘンリー「千ドル」の結末について、同作者「運命の衝撃」と絡めて

小学生高学年くらいから少し背伸びをして洋楽を聞き始めるようになった。歌詞カードの対訳を頼りに原文を眺めていくうちに「ここはこう訳したほうがよいのではないか、解釈がまちがっているのではないか」と生意気なことも考えるようになる。

その関心と努力が持続すれば、英語を究め何らかの専門家になっていたかもしれない。あいにく飽きっぽく根気もないので、そうはならなかった。英語の成績にもたいして貢献しなかった(英文和訳に関してだけは、割合ほめられた記憶もあるが)。

長編小説を読み込んで訳すだけの技術や意欲はないが、複数の訳を見ながら、また原文を参照しながら、英文がどのような日本語に変化しているか見比べるのは面白い。囲碁や将棋のアマチュアがプロの打ち筋を追いかけるようなもので、趣味と言っていいだろう。

「ここはこう訳したい」という思いから生まれた成果物も多少はあるが、著作権の問題から公開できないものも多い(とくに歌詞は)。そういうわけで、公開してもさしさわりのない、亡くなって100年くらい経つ作家の短編小説をほんのささやかに投稿しているブログがある。

https://islecape.exblog.jp/

サキとO・ヘンリーしかない。フォークナーとシャーウッド・アンダーソンあたりを足してもいいかな、でもちょっと陰鬱かなあとか思いつつ。なおアクセス解析を見ると、もっとも人気があるのは圧倒的にサキの「開いた窓」である(https://islecape.exblog.jp/9426729/)。


そんななか、O・ヘンリーの「千ドル」の結末について、疑問を抱く人が調べまわっている形跡をみつけた。「今でしょ!」のフレーズで有名な林修講師が、テレビでこの短編に好意的に触れたこともあるようだ。2年ぶりの記事でまたしても前置きが長くなったが、少し思うところがあるので書くことにする。



※これから書くことは、O・ヘンリーの以下2短編の既読が前提である。

1000ドル https://islecape.exblog.jp/9704671/

運命の衝撃 https://islecape.exblog.jp/30004179/



「1000ドル」も「運命の衝撃」も、裕福な“おじ”から好きなだけの小遣いを与えられていた主人公が、収入のあてを失い将来の見通しが立たない状態に陥ったところから始まる。登場時は、お金がないわりに両者とも泰然としたものである。

しかし結末は異なり、「1000ドル」の主人公ジリアンは、自分が継承できることになった5万ドル(3億円)を、特に親しいというほどでもない知人の女性に譲り去っていく。一方、「運命の衝撃」の主人公ヴァランスは、勘当を許されて300万ドル(200億円)かあるいはそれ以上の富の継承者に復帰できる(させられる)ことを知り、ショックで気絶するというオチだ。


まず「1000ドル」を具体的に見ていこう。ジリアンは使途を報告する義務のある遺産1000ドルを受け取る。一生遊んで暮らせる額ではない(600万円ほど)。ちょっと頭を働かせることすら好まない彼は「使途の報告」すら重荷に感じ、おじの庇護を受けていたミス・ヘイデンに1000ドルをそっくりそのまま譲ることにする。

ところがそれを弁護士に報告しにいくと、1000ドルの使い方次第では追加の遺産5万ドルを継承できると告げられる。もちろん5万ドルあれば、利子収入だけで何不自由なく暮らせる。追加遺産の条件は:よいことに使えば自分に5万ドル/ろくでもないことに使っていれば何もなし(5万ドルはミス・ヘイデンに渡る)。

頼るものをなくし、とくに資産もないとおぼしきミス・ヘイデンに1000ドルを贈ることは善行の部類に入るだろう。ジリアンは報告書を読まれる前に取り返し、「競馬で浪費した」と弁護士に告げて気楽な調子で去っていく。追加遺産はミス・ヘイデンのものになるはずだ。

「運命の衝撃」のヴァランスは、結婚したい相手がおじの気に入らず、話がこじれて勘当されてしまう。無一文であてもなく公園に行き、浮浪者・アイドから話しかけられるが、彼は過去に勘当された自分の面識のない従兄弟だった。しかもヴァランスの代わりに遺産継承人としてアイドが復帰する話が進んでいた。

にもかかわらず、莫大な相続を前にアイドは正体不明の恐怖で怯えきっていた。金を受け取る前に馬車に轢かれるかもしれないし、石にあたって死ぬかもしれない、そう思うと何もかも恐いというのだ。ヴァランスは自分が失った大金の受取人を下心なくいろいろ親切に世話し、なだめる。

そうして翌日弁護士のもとにいくと、アイドの財産継承は取り消しと告げられるのである。するとどうだろう、アイドはたちまち元気を取り戻し、捨てぜりふを吐いて悠々去っていく。ヴァランスは許されて元の立場に戻れると聞かされ、その場で気絶する。


表層的に見比べると、「運命の衝撃」については「色々あったけどなんとかなった、よかったよかった」で納得できなくもないが、「1000ドル」の結末に至るジリアンのふるまいは少し理解が困難だろう。

「運命の衝撃」のもうひとりの主人公ともいえる浮浪者・アイドのことを考えてみよう。ヴァランスの代わりに300万ドルを手に入れることになっている男だが、何不自由ない暮らしが約束されているはずなのに恐怖で震えている。ところが、相続が「なかったこと」になるやたちまち元気を取り戻し、それまでの頼りなげな姿が一変、不遜な態度で胸を張って去っていくのである(アイドが恐れていたのは「300万ドルの約束が反故になること」ではなく、あくまで「300万ドルを手に入れる前に自分の身になにか起こること」だったというのも指摘しておきたい)。

ジリアンは、前半はヴァランスと同じ切符を持って登場し、最後の最後にアイドとなって退場するキャラクターなのである。そしてヴァランスは、アイドやジリアンの境地に至る寸前に、莫大なお金に追いつかれ捕われてしまうキャラクターだ。

ジリアンがミス・ヘイデンに1000ドル送った別れ際に、唐突に愛の告白めいたこともしているが、「ミス・ヘイデンにお金が渡るなら、その娘と結婚すれば万事めでたく収まる」といったような読みかたを牽制するための作劇上の都合なのではないかと感じた。ジリアンは、将来がなにも見通せない無一文として、資産家となったミス・ヘイデンから安易に救済される可能性のないまま退場しなければならなかったのだ。

彼がその後に大成できたかどうかについては、やや心許ない。オールド・ブライソンのアドバイス通り牧羊場に行っただろうか。ニューヨークで遊び呆け、面倒くさがりで、根性もあまりなさそうな男なのである。とはいえ最初の1000ドルの押しつけが善行というよりただの投げやりだったのに比べ、そのあとの瞬時の決断はとっさの判断としても上出来の部類に入りそうだ。比較的あかるく希望的な結末を描くことの多いO・ヘンリーからすると、口笛を吹きながら陽気に去っていくジリアンの姿は、将来の幸福を予見させる結末のつもりだったのではないだろうか。

これは発展し続ける20世紀初頭のニューヨーク、アメリカが生み出した物語である。都市化が進み、開拓時代の(白人たちの)ロマンが理想化されていく過程にある時代だ。与えられたもので何不自由なく暮らしていくことは、「ただ単に生きているだけ」であり、自分の力で自由に生きること、それこそが「本当に生きていること」である――という価値観が多分にあるであろう。自らの力で運命を切り開く自信とともに。

それはアメリカの台頭とともに陰りゆくイギリスで生を受け、その零落していく国家に殉じて死んでいったサキならおよそ書かないような楽天的な結末であり、おそらく今の日本でもあまり理解されないのではないかという気はする。そして一方、先述の林修講師のように人生に悩んだ末に自分の道を見つけた人(Wikipedia情報)には好もしく思える物語でもあるのではないか、とも。

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