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The cape of an island このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter


THE CAPE OF AN ISLAND

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自薦エントリ : ジャイアンの歌に耐える方法

2011年-12月-10日

「人生とはこういうものでしょう」

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冬は好きだが、寒さを覚えて古傷が疼く季節でもある。

その疼痛を増幅させるような話を聞いた。「歩道を走る自転車歩行者の事故」が目立つといって、警察が「自転車は原則として車道を走る」よう指導を徹底する方針らしい。あらかじめ断っておくと、僕は「自転車が歩道を走ってなにが悪い」と主張するものではない*1。むしろ小学生の時分から車道を走る自転車乗りであった。

それで事故にあってしまう。

小学生のころ。眼科で初めてコンタクトレンズを処方された帰り道、自転車で帰宅する途中だった。進行方向に合わせて左車線を走行し、車道と歩道が明確に分離していない(ガードレールのない)狭い道路に駐車されていた軽トラックを避けて通りすぎようとしたとき、軽トラックのドアが突然開き、非常に悪い偶然で左足膝上に裂傷を負った。さらに、右側に吹き飛ばされたにも関わらず(左利きのため)とっさに頭をかばって出たのが左手だったので、折れた(おかげで、コンタクトレンズを買ったばかりだというのにそのあと眼鏡生活に逆戻りした)。


なにごとも経験とは言うが、あまりいい思い出ではない。跳ね飛ばされたあと恐る恐る傷口を見ると、血はたいして出ていなかったが「これは迷路ですかそれとも脳味噌ですか」みたいな風貌の皮下組織が露出していて、気が遠くなった。「救急隊員に抱きかかえられるなどという醜態は見せられない」と強がって立ち上がるも、人の手を借り足を引きずって数歩、ストレッチャーに倒れこむのがやっと。僕はもともと危機察知能力が低く、いろいろ痛い目を見ているが、これが今のところ肉体的には一番の大ダメージであった。全治一ヶ月。

事故のあとの交渉ごとは僕ではなく、保護者である父があたった。路上駐車でもあり、周囲を確認せずにドアを開けたのでは、職業運転手としてかなり不注意である(軽トラックを大きく避けなかった僕の落ち度もあるのだろうが)。しかも業務中であった。「いくらでもせしめられるぞ、弁護士の友達もたくさんいるから」と、父は言った。しかしなにしろ喧嘩っ早く、見た目がやくざみたいな人である(僕自身、幼稚園のころは暴力団員かと思っていたくらいなので)。脳裏に浮かんだのは、同じ年頃の子供がいるとか聞いた気弱そうな運転手の人が家族とともに路頭に迷う姿だった。「いいよ、お金なんか、いらないから……」と言うしかなかった。

それからどうなったかのか、どうやら保険会社と父との交渉になったようだ。5年ほどあと、父の遺稿を整理していたとき、保険会社の担当者にあてた手紙の草稿の断片が混じっているのを見つけた。それを見るに、入院治療費は当然として、家族が看護にあたったことによる逸失利益の弁償と、いくらか慰謝料名目のお金が提示されているようだった(払われたのか払われてないのか、その慰謝料、僕もらってませんけど)。


そして傷は癒えた。折れた左手もちゃんと動くようになった(絵はそれなりに描けます。字は下手ですが、それはもとからです)。脚の傷のほうは皮膚組織を大きく傷つける深い裂傷ということもあり(もしかしたら医者の施術の問題もあったかもしれないが)かなり醜い傷跡として残ったものの、「男の子だから」かなり軽く見られたらしかった。半ズボンは履かなくなった。僕が身を呈してかばった(?)トラックの運転手が今どうしているかは知らない。

この一件は平静になり、僕の傷が以後なにがしかの問題として「表面化」することはなかった。事故によって僕が自転車恐怖症になるということもなく、その後、10代なかばくらいまでは自転車東京中を走りまわったりしていた。最近は乗っていないが、それは、日本は自転車に乗るための環境が整っていないと感じ、「リスクを取れない」と、多少分別がついたからで、肉体的な問題ではない。

事故のとき、もし後ろから車が走っていたら轢かれていただろうが、そうはならなかったわけだし、世の中にはもっとひどい目にあう人もいるため、「"この程度"で済んだ」といえばいえる。のだが、それでも僕の人生は変わった。

そもそも入院生活は退屈で、運動もできずストレスが溜まった。長い入院生活により、すっかり病院嫌いになった(それにより将来なんらかの病気の発見を遅らせることはあるかもしれない)。男の子にときどき見られるような「看護婦」への憧れというものを持ったことはなかったが、むしろかえって苦手になった。点滴の針を間違ったところに注射されたりもして、それで死ぬところだったし(←誇張)。

おまけに一ヶ月も学校を休んでいたので、すっかり落ちこぼれた(←もとから)。

しかしなにより、脚の傷が、文字通り僕の足を引っ張っていると意識してしまうことが、たびたびある。

僕は1時間程度の距離であれば、電車が空いていても座席に座ることはないし、それで疲れるということもないのだが、立っているとき、左脚の傷がとつぜん意識に上り「つらい。座りたい」と思ってしまうことがある(ただし我慢して立ってはいられる)。また、数時間歩くことも苦にはならないのだが、左脚が歩き方を忘れたようなイメージを覚え、気づくとすり足のように足をひきずっていることがある(階段を登っている最中に突如「階段を登る方法」を忘れそうになることもあるのだが、これが過去の怪我のせいかはわからない。ただ、そのときに傷はかなり意識している)。

こうして過去の事故について思い出すとき、左脚の傷が激しく自己主張を始め、まるで自分のものではないような感覚になる(痛みではなく、なんともいえない違和感がある)。もうちょっと具体的に怪我の状況を描けなくもないのだが、どうも気が散っていけない。

そういうわけで、路上駐車されている自動車を見ると不安になる。警察が「自転車は車道を走るよう指導を徹底する」というのを聞くと、「自転車歩行者」の問題で自転車を優先しては歩行者にしわ寄せがあることは理解しつつも、僕と同じ目にあう人がどれほどか増えるのではないかと心配になる。


あの事故から何度もの冬が過ぎた。

このさき何十年もこの傷の疼きを抱えて生きていくのだなあということを思うにつけ、タイムマシンに乗って「お金なんか、いらないよ」などとかわいらしいことを言ってしまう過去の自分をひっぱたいて黙らせ、父と一緒になってこの心理的負担に対する賠償をせしめておくべきだったか、いまから申し立てても面倒だろうしなあ、とか考えてしまうので人間というのはじつに変わるものである。

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こんな感じ。*2


保険会社の人が、自転車が壊れたならそれも弁償の対象になるが、といってきたことに、父はこう書いている。

自転車の損害は軽微でした。ご懸念には及びません。自転車が破損して、彼が無事であれば何の苦労もなかったわけですが、人生とはこういうものでしょう。

そう、人生とはこういうものなのです。


おわり

*1:最初書いていたのは:『僕は「自転車は歩道を走ってはいけない」と主張するものではない』 ……違うよ、『僕は「自転車が歩道を走ってなにが悪い」と主張するものではない』だよ……。書き換えました。

*2おがきちかエビアンワンダー 2 (IDコミックス ZERO-SUMコミックス)』(一迅社、28ページ #9「正義の翼」)。※ただし引用した写真の画像は少年画報社版(平成15年1月1日初版30ページ)から。

2011年-10月-17日

Apple信者(だった)

なぜ労働者階級は文字入りの服を着ずにはいられないのだろう。これには滑稽などころか、いじらしくなる心理的な理由がある。〈スポーツ・イラストレイテッド*1、〈ゲータレイド〉*2と書いてある服を着ることで、彼らはいわゆる成功している企業と自分とを結びつけ、さしあたり、いくらか重要な人物となった気分を味わう。(〜略〜)文字入りの服が必要なのは労働者階級ばかりではない。〈ニューヨーク・レヴュー・オブ・ブックス〉*3というロゴをつけたり、モーツァルトハイドンベートーベンの肖像を刷り込んだTシャツや手さげ袋をよく見かけるが、これは「わたしは難しい本を読みます」とか、「わたしは教養がある」と世間に向かって宣言しているのだ。同様に、中流階級の好きな、大学紋章入りの金ボタン付きブレザーを着れば、インディアナやルイジアナ州立大学のような、有名ブランド校との一体感が味わえる。

これについては、僕にもどうかと思うような過去がある。

Apple Computer社(当時)が90年代後半まで使っていた6色林檎ロゴを、僕はあまり好きではなかった。あのうるさい配色のせいだ。Macintoshを買うとリンゴのロゴシールが付いてくるのだが、まるで使いどころがなかった(5、6シートくらいを使わずにしまいこんでいる)。

そこで、子供だった僕はこんなものを作って悦に入った。

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単色の自作Appleロゴ入りアイテムである。Appleのあのよくわからないカラーリングは美意識に合わない。しかしそのうえでAppleユーザーであるというアイデンティティを満足させるにはどうすればいいかと考えたすえのことだ。材料は参考書などについてくる赤いプラスチックフィルムである*5

冷静に考えると僕が持っていたAppleに対する思い入れにはたいして理由がなかった。いや、それどころか主体的なものでさえなかった。かつてAppleは「弁護士/医師の25%がMacintoshを使っています」とかいう、Macintoshを窓から放り捨てたくなるほどにどうしようもなく恥ずかしい宣伝文句のポスターを専門店に掲げさせていたことがあった(と、かすかに記憶している)のだが、出版業界は「25%」どころではなく「99%」と言ってよかったはずだ。泡沫出版業者の息子である僕がMacintosh働かされた遊んでいられたのは、親の業務上やむを得ず導入された機材が、たまたまそれだった、ということにすぎない(イタリア映画の『自転車泥棒』のようなものを想像するとよい)。

そんな僕でさえ、Macユーザーであることがアイデンティティになってしまうのである(自分で購入した「信徒」の思い入れがどれほどか、想像するまでもない)。

スティーブ・ジョブズが復帰する前後のAppleは破綻寸前とも言われ、かつてあったとされる輝きはまったく消えうせていた。「Appleは倒れたままなのか?」といった具合だ*6 *7。そのゆえに、小学校のころ僕がMacユーザーであることは嘲笑の的であった*8 *9 *10

そのような迫害の記憶が僕をしてAppleロゴアイテムを作らせてしまったのではないかと思う。滅びゆく者に対する陶酔というか、それとともに殉じる自分を演出するというか*11

とはいうものの――


作ったときは そこそこ見られると思っていたのだが、

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やはり今こうして見ると安っぽい。

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すごく安っぽい。


ちょうど1年前の記事*12で「CRTiMac(G3)壊れたー」ということを書いた。1年間いろいろ調べてみたもののお手上げ。これは内部基盤の問題で もはや移植手術しかないと思われるのだが、さすがにそのためにもうひとつ(適当な中古の)同型機を買うつもりにはなれないので、リサイクルに出すことにした。

それで惜別のつもりでうっかり2000枚くらい写真を撮ってしまったのだが、

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6色リンゴの時代に比べてはるかに美しい。僕のプラ板工作とは比べものにならない。あのリンゴマークが、光を演出する玄妙な意匠になっていると感じる。

スティーブ・ジョブズiMac初代機(上の写真はデザインを継承したモデルチェンジ機)について「背面デザインさえがWindowsPCの正面より美しい」というようなことを言ったらしい。いまのiMacのデザインは面白みに欠けるというか「単なるディスプレイじゃん……」としか思えないのだが、それはともかくこのようにしてAppleが2000年代以降さらにブランド力を高めていったことは周知の通りで、いまや時価総額世界1位をうかがう企業にまでなった。

いっぽう、iPod――iPhone――iPad――と、Appleが着々と地歩を固めていくのとは反対に(ありがちな話だが)僕はAppleMacintosh)から離れていった。父の死によって、もともと先のなかった出版事務所は「出版業」を廃業し、Macintoshというコンピューターを必要としなくなった。また当のAppleが旧来のOSを切り捨てて新しくUNIXベースのOS Xをリリースする過程で、業務に必要な数十万円単位のソフトウェアや特殊なハードウェア資産はほぼ価値ゼロになった。先の写真のiMacは、ハードウェアはともかくそれらの旧OSソフトウェアをかろうじて使えたが、そのiMacも2010年についに動かなくなったわけで。

僕はWindowsPCを買った。大学生活の都合もあって。

どんなに使えないOSかと思ったら、そうでもなかった。

そして現在に至る。いまやWindows7出荷分の1億分の1は我が家にある。宗教を持たない僕にとって、Appleは偶像(のひとつ)だった。親の代から形式的な信仰を受け継ぎかけながら、このように、ちょっとしたタイミングによってそうはならなかった。

そのおかげで、Appleのプロダクトに対して我ながらほどよい距離感が保てていると思う。iPhoneだかiPadだかの発売でアップルストアに行列ができているのを、いろんな意味でにやにやしながら見ている。いま僕はApple製品を何ひとつ使っていないが、「あんなもの、絶対に使わない」というような憎悪・嫌悪があるわけではない。Windowsを使っていて、いらっとすることはいまだに結構ある。細かい所で気の利かないところがある。タイミングによっては、またApple製品を買うにやぶさかではない。

新型MacBookAirの13インチはわりと真剣に検討した。が、Windows陣営がいかにもな後追い規格「ウルトラブック」を始めるようなので、たぶん買わないだろう。そもそもWindowsを使いはじめたことでソフトウェアハードウェア資産Windowsに偏ってきため*13今後も惰性でWindowsPCを購入する蓋然性が高い。とはいうもののiPod touchのカメラ機能がもう少しましになれば、それは買うかもしれない(iPhoneはべつにいいです)。iPod touchを買ったなら、そのコントロールのために再廉価機種のMac miniくらい買うかもしれない。そこでまたMacOS用のユーティリティソフトを買い増していって、さらに何かきっかけがあれば、またApple製コンピューターを本格的に使い出すかもしれない(CELSYS社のIllustStudio相当のペイントソフトのMacOS対応版が出たなら、かなりありうる)。「世界一価値のある企業が生み出す最高の製品を使うコミュニティの一員」とか思うこともなしに。

僕にとってApple製品は「無条件のもの」ではなく、選択肢になった。それが正常な状態なのだ。なにしろLinuxだけでは心もとない。

最近ではAppleが「覇権」になっている面もあるものの――「選択肢」が残っていてよかったと思う。

まさかセガに代わってMicrosoftプレイステーションの対抗馬になるなんて思いもしなかったし。(←まだセガ信者か)

*1アメリカのスポーツ専門週刊誌

*2アメリカのスポーツ専用清涼飲料

*3ニューヨーク書籍批評、月刊誌

*4:板坂元・訳、1997年11月20日 初版1刷72〜74頁

*5:ただしこの写真のファイルケースを作ったのは2000年代に入ってからかもしれない。

*6:このキャッチコピーセガだが。

*7:そしてセガは倒れたままだったが。

*8:先に書いた通り、Macユーザーであることは僕の選択ではないため、そのような言い草はもちろん誤りなのだが。

*9:そして、僕の反応といえば、ちょうどここで引用されている http://d.hatena.ne.jp/xavita/20110114#p1 山岡のごとし。

*10:また、当時はパーソナルコンピューターの世帯別普及率は30%はいかなかったくらいだったので、クラス30人の29人がWindowsで僕の家だけMac、というようなシチュエーションではない。

*11:当時は公式でもAppleグッズもいろいろあった。キャップとかTシャツとか、ボールペンとかメモパッドとか、時計とかマグカップとか。ただし、例の6色カラーなのでお世辞にもおしゃれとは言えなかった。ただ高いだけだ。

*12:この記事は10月16日に投稿する予定だった。

*13:かつてとは違い「数十万円」ではなく「十数万円」程度だが。

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