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The cape of an island このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter


THE CAPE OF AN ISLAND

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自薦エントリ : ジャイアンの歌に耐える方法

2011年-08月-01日

「中国嫁の差別性」によせて

※追記:フォロー記事書きました

中国嫁」の落穂ひろい(一年ぶり二度目)

http://d.hatena.ne.jp/islecape/20110810/yome

こちらのほうがいくぶんすっきりしています。文章量、はんぶん。


冒頭補記(2011.8.3 16:23)

こんにちは。この記事を書いて2日後のislecapeです。

そもそもこの記事では、回りくどくも「中国嫁」が「差別とは思わない」と言っているので、「中国嫁が差別とかなに考えてんだ」というような感想は送っていただかなくても結構です。ああ……タイトルが悪いんですね。"「中国嫁の差別」(という非難)によせて"とすればよかったんですね……(なんかこのパターンは前もあったような)

冒頭補記その2(2011.8.6 19:40)

こんにちは。この記事を書いて5日後のislecapeです。

この記事がいつのまにか「中国嫁」の検索でかなり上位になってしまって、まったく申し訳なく思います(なにも「中国嫁」に言及しなくても論を展開することはできたでしょうに。もしろん、それなしでこんな記事は書かなかったのですが)。少なくともAmazonの書籍販売ページそのものより上位だったりするのはどうにかならないものかと(一時的とは思いますが)。はたして査読なし初稿といえるこの文章をどの程度の方が読まれ(ようと試み)たか、読み進めるのも大変苦痛かとは思いますが、可能であればコメント欄の応対を最後まで読んでいただくと、僕のもともとの問題意識がどこにあったかが多少は明確になっていると思うので、そこまでお付き合いいただけると幸いです。


長い前置き

Twitterは、公開から六か月でアメリカ議会図書館アーカイブされているそうです。

あなたのつぶやきが永久保存される意味 - Newsweek日本語版

http://www.newsweekjapan.jp/stories/us/2010/04/post-1202.php

日本語ツイートもそうなのか ちょっとあやふやなところはありますが、Twitterの個々のツイートのステータスURLは国別を意識しているふうでもないので、たぶんすべての(Twitterを公開設定で使っている)利用者のログがアーカイブされるのだろうと思われます*1。「人はなぜ日記を晒すのか」どころではありません。Twitterにつぶやく人ほど自分の生活と自身の世界観を、全世界とこの先の未来にさらけ出していると言えます。一瞬で消え去る「現実世界」でのふるまいと違い、「電子的な仮想世界」のふるまいはログとして半永久的に残ります。「仮想世界」などと呼び習わされているため誤解もあるかもしれませんが、Webでの「ふるまい」は「情報・記録」として「現実世界」に還元されうる ある意味でたちの悪いものです。

かなり長い前置き

ちょっと昔の本を読むと、「この書籍には現代となっては不適切な語句・表現が見られますが、作品の時代性を鑑み……」といった断り書きがよくありますが、我々のつぶやきもおそらく、未来に見返されたとき「不適切」とみなされることはあるでしょう。将来ゴキブリが知的種族になって、今の我々のあまりにも残虐な殺虫器具を用いたふるまいに対し訴訟を起こすとか。

いきなり話が変な方向に飛びすぎた感がありますので戻しますが、「現代となっては不適切な……」といった類の断り書きのない最近の本を読んで首をかしげることだってあります。たとえば「母親が仕事に家を空けることは、寂しい思いをする子供にとってとても不幸なことです」というようなフレーズは まだ根強く聞かれるように思いますが、「では父親が家を空けることはいいのか」「母親が働かないでは経済的に支障をきたす社会状況になっているのではないか」「そもそも子供の不幸とはどういうことか」といったツッコミがありえます。現代社会では こうしたツッコミのほうが優勢になっていると僕自身は考えていますし、それは社会的に正しいことだと思っているのですが、今のところはまだ こうした「子供の不幸」言論に対し、「全くその通り」と思う人と「なに寝言いってるんだ」と思う人がいるように思われます。そして、そう思う度合いも様々です。「まったくその通りで母親が仕事に出るべきではない、母親の就業を規制すべきだ」とまでいう人もいれば、「母親が仕事に出るのは、まあ望ましくない」という人もいれば、「女性が仕事に出ていけないということはない」という人もいれば、「母親はすべからく仕事に出るべきで、子供が不幸などと考えるべきではない」という人もいるでしょう。僕はこれは「過渡期ゆえの衝突」であろうと思います。

社会は母親も働ける方向に向かって進んでいますが、まだ十分ではありません。体制が追いついていないのです。あるいは、父親を妊娠させるような医学が発達した社会になれば「母が子を育てるべき」論も無意味になるでしょう。いっそのこと、人間から性がなくなれば、母親という概念がなくなれば、生殖システムが外付けになれば……。未来がどうなるかはまったくわかりませんが、ある面では「過渡期の衝突」にこそ未来を決定づける意味があります。その衝突が、どこに梯子をかけるかという決定の要因にもなります。

刑罰としての死刑に対して、社会はまだ態度を決めかねていますが、それと違って断頭台で首と胴体を切断する、ギロチンなる処刑方法に対しての社会の意見はほぼ一致しています。ましてやそれを見せものにするというようなことは、まったく考えられなくなりました(Wikipediaによると1939年まで)。ギロチンは被処刑者が苦しまずに済む人道的な装置として登場したと聞きます。当初は「よいもの」と受け入れられたのでしょう*2。しかし「他に、よりましな処刑方法があるのでは……」という社会の要請に押され、けっきょく刑罰のメインストリームからは姿を消すことになりました。もちろんそれでいいのだろうと思います。おそらく今後「やっぱり首を切断する処刑のほうがいいかな」としてギロチンの再導入を社会が決定することは、よほどのことがないかぎりないでしょう。

そして、日本でもようやく「死刑」そのものが検討課題にあげられてきました。僕は、死刑は文明が退化しないかぎり将来的には消え去る刑罰と考えていますが、それでもそうなるにはまだ時間がかかるでしょう。フランスギロチンを処刑方法に取り入れたのが1792年、最後の死刑執行が1977年なので、180年くらいかかってます。「世も末」と嘆息することの多い我々は、もちろん末法の世を生きているわけではありません。このそれなりに長い歴史で、世界の破滅を見るとすれば ずいぶんな幸運……ではないですが、なかなかない機会を得たということになります。このさき人類の歴史は、まだ数百年は続くと思われます*3。時代が下れば世の中がよりよくなると単純に考えるとして、我々はもっともすぐれた時代を生きているわけではありません。そもそも我々自身、過去・未来と比較して最も見識に優れた市民というわけではなく、前例の(それほど)ないさまざまな状況を手探りで進み、次の世代の踏み台になる「過渡期」の産物でしかないのですから。

やっと本題(これがいちばん長い)

f:id:islecape:20110731214644j:image

「中国嫁日記」という、エッセー4コマ漫画メインコンテンツにしたブログがあります(と、ここで書くまでもなく有名ですが)。書いているのは井上純弌という人で、もとはテーブルトークRPGという、やたら自由度の高い人生ゲームみたいなものの業界で知られている人です。僕はTRPG経験者ではありませんが、たまたま関連書籍を読んで名前を知り、あと父と同じ名前なので(まったく関係ないファクターですが)それによっても頭に残りました。「中国嫁日記」自体は、ソーシャルメディア上のレコメンドでRSSフィードに(何度も)流れてくることもあり、ほぼすべて目を通しています。

父と同名と書きましたが、この人を中心に騒ぎが起きているとき聞こえてくるこの人の女性に関する発言がどうも父にかなり似ている感じがしていて、僕はその点でこの人に好感を抱いていません*4。ありていにいうと、いかにもおっさんくさいなあ、と思います。僕の父は極左にかなり近い人間でしたが、こと女性観に関しては旧態然とした考えの持ち主でした。もちろん「女性が大学に進学する必要がない」とか「管理職になる必要はない」とかいった考えがあったわけではなく、女性について語るときに意味もなく容姿について言及したり、一人の女性の短所を女性全体に帰す、というような意味で。*5

中国嫁日記」は書籍化も決まり、大きなメディアにも取り上げられることもあり、知名度もかなり上昇したのでしょう。また、本人もTwitterなどのソーシャルメディアを使いこなしているため、本来なら、井上純弌という人とはすれ違うこともないであろう人とニアミスを起こして周囲を巻き込んで大騒ぎしているのを時おり見かけます。

直近に見たのはこれでした。

中国嫁日記」の差別性が自覚できない奴は差別主義者!…(゚Д゚)ハァ?

http://togetter.com/li/166146

僕自身としては、「嫁」は あまりいい言葉ではないと思っています。タクシーの運転手を「駕籠かき」「雲助」と読んで訴えられた芸人がいたそうですが、「嫁」と呼ばれた人たちが歴史に置かれてきた立場に思いをいたすとどうでしょうかね。タクシー運転手の中には「いやあ、私は雲助でいいですよ」という人もいるかもしれません。「嫁」は「雲助」よりは日常使われていますし、「嫁でいいですよ」という女性は もちろんいるでしょう。が、その女性の存在をもって「嫁」という言葉が免罪となるわけではありません。そもそもある特定の状況にある女性を「嫁」なる属性に帰してしまうことはしないほうがいいと思います。むしろこうした属性を表す言葉が出てきたときは、その属性でもって呼ばれる個人を尊重するよう努めるべきでしょう(その結果本人が「嫁」でよいというなら、もうそれはそれで)。そういう意味では「中国嫁」は、いきなり「中国」で「嫁」なので、難易度が高いタイトルだなあ、とは思います。そうした「日常」を離れれば、漫画のタイトルとしては成功しているとも言えるでしょう。

で、内容のほうですが、これに関しては「読んでないけど」と批判する人もいるので、そこはさっぴいて考える必要があると思います(タイトルのセンスは全体を表現しているかもしれませんが、タイトルがこうだから中身もこうだろうというのは、批判としては大雑把すぎるので)。以下、一応読んでいる僕としてはどう考えているかを書きます。井上さんは最初あのブログを本人に内緒で描いてたそうです。物書きとしては当たり前すぎる行動ですが、文化ギャップなどをテーマにして誇張した面白おかしい描き方は、本人は愛情表現のつもりでも通じなかったかもしれません(「ダメと言われたらやめるかも」というようなことを初期に書いていました。)。これが実は「よかれと思って」「嫌がるとは思わなかった」だったとしたら、セクハラと同じ構図になってしまいますよ*6。また、現実がどうかはともかく漫画は井上さんが創造主なので配偶者の人*7は(漫画の中で)いいように遊ばれているという側面があり、女性をあまりにも「子供扱い」しているようにも見え、男性と女性の関係としては気にかからなくもありません。もちろんそれは成人し平等な婚姻関係にある男女の関係性に依拠する事柄なので、他者が口をはさむ問題ではありません。井上さんの配偶者が「嫁」と呼ばれることに抵抗を感じているかどうかは、我々には知る由もありません(今はそうでなくても、もしかしたら将来ラディカルフェミニストの闘士になったりするかもしれませんけど)。しかし、そこからブログTwitterによって公にされた「関係性」は、本人が望むと望まざるとにかかわらず「中国嫁」というキャッチーなフレーズとともに流通してとどまることはないでしょう。そうした状況を前に、それが善なる影響をもたらすか、それとも逆か、またその影響の如何はどの程度か、作品の芸術的観点(漫画としての娯楽性なども含む)はいったん脇に置いて十分検討し、個々で判断し、それに近似した状況に直面した時の行為材料にでもする事柄のように思います。まあ僕だったら「中国嫁」なんていうタイトルはやめておきますね……

しかしそれにしても、前述のTogetterの ものの役に立たなさはどうしたことでしょうか。「これが差別なんて、なにを考えているのか」という自身の感覚の披瀝や、「こういう人は他人を差別するために機先を制して自分が差別と言っているだけ」という主張に熱心な人が多いのですが、それは「この作品が差別であるというレッテルが張られてしまうことを恐れて」のことかとは思いますけれども、かえってその大合唱が見る人を引かせ、あるいは目くらましになってしまうこともあるように思います。だいたい未来にむけて記録すべき思考の痕跡とも思えません。「当時」の大衆の程度を知る材料にはなりますかね。

僕個人の考えとして「中国嫁日記」が社会に害悪をもたらす差別的作品とまで言えるかどうかを述べると、(作者のもつ「現代日本社会の比較的男性主義的な感覚」をあらかじめ予断として持って鑑賞しても)ことさらを超えて差別的であるとまでは感じられませんでした。今の夫婦のだいたいなんてこんなものだろうかね、といったような。エッセイ漫画ということもありますが、実際に存在する彼らが政治的に正しい理想的な夫婦である必要はないのです*8。公に出版されたものの責任という点に関しては、留保付きでまあいいんじゃないの、くらい。というわけで、いわゆる「ふつう」の作品と言えるのではないでしょうか。要するに「社会正義に思いをいたすための読み方は想定していない作品」(していたらごめんなさい)であり、その限りにおいて、様々な知見を動員した結果「この作品も(他にあまたある作品と同様に)差別性をにおわせる」という留保がついたとして、この作品を鑑賞することそれ自体がただちに差別への過大な加担になるとは考えられません(ただし、「ふつうの多数派による、ごくふつうの行動」が往々にして少数者に対する圧迫になったりすることを考えると程度問題ではあります)。

もし万が一、「中国嫁日記」が実は後世からすれば(我々には知る由もない理由で持って)とんでもない差別性を帯びた作品であり、これを鑑賞できるということは鑑賞者の差別性の暴露に他ならない、とかいうようなことになったとしたら、そしてそれが合理的であると納得しうるものなら、お墓の下か、あるいは千の風になった状態で反省するしかないでしょう。そして一方で、そうした価値観の転換は「この書籍には現代となっては不適切な語句・表現が見られますが……」といった注釈がつけられる後世ではなく、我々が耄碌した程度のころに訪れるかもしれません。ギロチンを当たり前の処刑方法としか思えない我々が、あるいは死刑制度そのものを受け入れている我々が、ある日いきなり誤っていると指弾されるのです。

「そう指摘しようという人からすれば、なにをしても差別と言われるのではないか」という人もいると思いますが、それはまったく本当にその通りで、「どうしても差別をしたくない、差別していることを指摘されたくない」というのであれば、もう死ぬしかないのではないかと思います*9。我々は日常において差別したり、生得的な特権にあぐらをかいたりしていることに気づきません。「(とくに無自覚に)差別してしまうこと」を恐れるのではなく、それに気づいたときに「そういうものだからしかたない」で済ませてしまうことを恐れるべきです*10。「差別を指摘する人は、自分を高い位置においてそうする」という人も多いのですが、差別を指摘する人がどうなのか、ということは重大ではありません。「差別的・特権的」と言われることを恥じるのではなく、他ならぬ自分自身が「差別的・特権的であることから目をそむけ、耳をふさぐこと」を恥じるべきです。


すでに答えは書いていますが、僕は「中国嫁」はただちに差別とは思いません。「書籍として出版するなら改題すべき」とも思えず(すでに「中国嫁日記」として広まった知名度をそろばんにかけての経済合理性もあわせて)。

しかし、

彼とその周辺の政治性は、「しなづま日記」を忌避し、しかし「中国出身配偶者日記」にはせず「中国嫁日記」で良しとする感覚であり*11、僕個人には違和感があるので、その点言うだけは言っておきます。


また、もうひとつ言及しておくとすれば、

最初は50Pカラーマンガを予定していたのですが、デザイナーの、よつばスタジオ里見サンの「50Pもカラーマンガ読むと、読者疲れますよ」という、もっともな意見で白黒マンガになったのです

というのですが、

つまり、いま我々が生きているのは、「50Pのカラー漫画を読んで(脳が)疲れる読者には配慮するけれども、"嫁"という言葉に引っかかって(精神が)疲れる読者のことは顧慮しない社会」ということです。それを例えば、「それは、気にする人の数の多寡のためだろう」で済ませてしまうことには大きな危険があると思います。

我々は、この社会のバイアスに慣らされてしまっているのですから。


誰かが我々の差別性を指摘することは、「世界の終わりを見る可能性」よりはよほど遭遇する可能性のある、ちょうどよい機会ととらえるべきでしょう。


人類は、しばらくの間、様々な相違に目をふれないことになれているならば、速かに、このような相違を想像することもできなくなるのである。

J.S.Mill『自由論』三章*12

何かを見て批判するのは自由なんですがね、批判の程度というものがね、というお話でした。


今日はここまで。


実際のところ、「中国嫁日記」ぜんぜん関係ないような気がするのは気のせいです。(マンガで夫婦二組を書きたかっただけちゃうか)



追記:

(ちなみに僕のPC感覚は、イラストの「ダーリンが外国人」コンビのほうで夫に薄いグリーン、妻に濃いピンクのシャツを無自覚に着せ、記事投稿の際に「あ、失敗した」と思ったものの、このように弁解の追記を書いて、修正まではしない、といった具合です。それからついでに言うと、このイラストにはもともと別の意味あいをもたせるつもりでした。僕が好感を抱かなかった井上さんのツイート https://twitter.com/#!/KEUMAYA/status/14529968444809217 の理由のひとつとして、「自分の意見を述べる夫、黙って聞く妻」という、NHKニュース9かよ、というような構図がありますが*13、この語学オタクの夫と漫画家の妻も冷静に見ると構図は同じであり、ではそこでこれらをどのように評価するべきか、という項を入れようとしたのですが、話がずれる上に長くなりすぎていつまでたっても書き終わらないので削りました)


追記その2:

読み返したら、「Twitterのつぶやきはアメリカ図書館アーカイブされる」という「前置き」に対応する文章が本論にありませんでした。井上さんが映画版の宇宙戦艦ヤマトを見た時に「しょせん女」的なことを言って、それを批判するTogetterがまとめられたとき「冗談で言ったことで差別者にされてしまった。不快にさせてお詫びします」みたいなことをコメントに書かれていたのですが、それに関して対応する段落を作るつもりでした。ただ問題のTogetterを見失ったので宙ぶらりんに。あとはまあ、要するに我々は記録をこうやって残しているわけですが、脊髄反射的に怒ってもしょうがないよ、21世紀人が瞬間湯沸かし器だったことを後世に伝える論量にはなるかもしれないけど。というようなことをどこかの段落に入れるつもりでした、ってことで……)

*1:他にも ログを公に保存する機能としては「インターネットアーカイブ」や「Web魚拓」などがありますが、インターネットアーカイブに保存されるWebサイトは限られているし、Web魚拓は「記録しよう」という利用者の意志が介在しなればなにもしません。網羅的かつ直接的にログを収集するシステムとして、TwitterGoogle以上でしょう

*2:実際に「よい」かどうかはともかく、そう感じられた。

*3:数百年経てば人類の「次」が来る、来ないようであれば もうそんな文明に先はないだろう、といった感じの意味で。

*4:たとえば このツイート https://twitter.com/#!/KEUMAYA/status/14529968444809217 は、僕がこの人に賛同しがたい面をあますことなく表現しているような感じがあります。

*5:追記:なんでこんなことを書いたかというと、「この記事の筆者にはそういうバイアスがかかってますよ」という通告のつもりでした。

*6:……痛っ、そういえば僕も妹を面白おかしくして書いてました。

*7:PC的表現

*8:ただししつこく前述したように著者の井上さんは かなーり女性に対する感覚やふるまいが危うい感じがあります。むしろ嫁日記のほうが抑え気味で、Twitterのほうが以下略

*9:死んだら死んだで、「あいつはどうしようもない差別主義者で……」と言われでも反省も弁解も釈明もできませんけど。いやまあさっき墓の下か千の風になって反省とか書きましたけど。

*10:しかし、僕は先日、典型的なアメリカ軍ばんざい映画シリーズ完結編 http://d.hatena.ne.jp/islecape/20110729/tf を見てきたところですが、この映画シリーズは米軍からレンタルで兵器を借り受けているそうなので、客観的には(僕のチケット代は銃弾一発分にもならないでしょうが)単に日本の納税者であるというだけよりもうちょっとアメリカ軍に加担していると見なされることでしょう。アメリカ軍に復讐心を抱く人に狙われたら、いったい僕はどうすればいいんでしょうね?

*11:「中国出身配偶者日記」は売れないだろうなあ……

*12:岩波文庫、塩尻公明・木村健康訳、1998年9月25日第43刷149-150頁

*13:シチュエーションが厳密には違うと http://d.hatena.ne.jp/islecape/20110801/yome#c1312497604 コメントで指摘されたのですが、僕の認識による大雑把な括りかたでした。

NN 2011/08/03 12:35 僕自身としては、「おっさん」は あまりいい言葉ではないと思っています。タクシーの運転手を「駕籠かき」「雲助」と読んで訴えられた芸人がいたそうですが、「おっさん」と呼ばれた人たちが歴史に置かれてきた立場に思いをいたすとどうでしょうかね。タクシー運転手の中には「いやあ、私は雲助でいいですよ」という人もいるかもしれません。「おっさん」は「雲助」よりは日常使われていますし、「オッサンでいいですよ」という男性は もちろんいるでしょう。が、その男性の存在をもって「おっさんくさい」という言葉が免罪となるわけではありません。そもそもある特定の状況にある男性を「おっさん」なる属性に帰してしまうことはしないほうがいいと思います。

NN 2011/08/03 12:49 「差別を指摘する人は、自分を高い位置においてそうする」という人も多いのですが、差別を指摘する人がどうなのか、ということは重大ではありません。「差別的・特権的」と言われることを恥じるのではなく、他ならぬ自分自身が「差別的・特権的であることから目をそむけ、耳をふさぐこと」を恥じるべきです。

ご自身で上記のように発言なされていますが、免罪されない罪を負い、恥じ入るべき状態の貴方は、
どのように行動なされるのでしょうか。差別を行った人の規範となる行動とは、いかなるものなのでしょうか。
返事をお待ちしております。

passerbypasserby 2011/08/03 14:07 > 井上さんが創造主なので

井上さんは人間ですよ。

お 2011/08/03 14:16 自分たちがいつか「差別者」になるかもしれない、という可能性について心の隅に留めておくことはよいことだと思います。
が、そうした思慮にいちいち行動が支配されることは好みません。
あなた自身も述べているように、「差別」認定の可能性から誰も逃れられないこの社会においては、あえて無思慮を受け入れるのでなければ、あとは死ぬ(沈黙する)しかないのです。

togetterを挙げて「大衆の無思慮さ」をあげつらっていらっしゃいますが、皆いちいち神経質になっていられないというだけのことです。
世間はたしかに思慮に欠けたところはありますが、あなたが一方的にバカにできるほど、あなたと世間のあいだに思慮の差が開いているわけでもありません。

coldcupcoldcup 2011/08/03 14:22 >ただ問題のTogetterを見失ったので
これか
http://togetter.com/li/80354
これ
http://togetter.com/li/80361(削除済)
だと思います

IslecapeIslecape 2011/08/03 16:43 11:52にコメント投稿いただいた「a」で始まるハンドルの方へ。

まあ、そうですね。お考えはいちおうわかりますし、嫌われるとしても仕方ないと思います。というか、なんかこんな記事ばっかり注目されて「これだからはてな(はてな民/はてなサヨク)は……」なんて、はてなに対する悪感情の礎になっちゃってるかもしれないので、書いておいていうのもなんですが、僕ももう穴を掘って埋まってやりすごしたいですね。

ただ、別にいつもこんな記事ばっかり書いているわけではないのです。こういうの書くと、なぜかどこからともなく人がやってくるだけで……

IslecapeIslecape 2011/08/03 16:50 12:35のNさんへ

えへへ、これは一本取られました……というところもあるのですが、記事を書いてる時に僕自身「おっさん」はどうかなあ、とは思いました。

思ったのですが、けっきょく「まあ"嫁"もいいってことにしているんだから、"おっさん"もよかろう。だいたい"おっさん"に該当する層はそんなに抑圧されてないよね、社会的には強者だし。だいたい僕ももうそろそろ"おっさん"の部類だし、自己卑下の一形態ってことで」というようなことを考えて、投稿しました。

「"嫁"と"おっさん"は全然違うよ!」と考える方もおられるでしょうけど、僕としてはそういうふうに判断してしまいましたね。そのあたりは批判も受けているので、僕自身の内省材料にします。

IslecapeIslecape 2011/08/03 17:14 12:49のNさんへ

なにしろ思い越せば恥ずかしきことの数々、ただ後悔と反省の日々を過ごしております。恥じ入っております。

ということで、こういう文章を書いては(投稿していないものもずいぶんあります)「どのあたりを反省しなければならないのだろうか」というようなことをわりと考えています。

「反省しているというよりほかの人の攻撃になってない?」というツッコミも多く寄せられているのですが、これでもずいぶんマシになっているように自分では思っているので、来年の夏はもうすこし穏当な記事が書けるようになるかなと希望しています。


「免罪されない罪」の件ですが、とりあえず自分の行為の何が「差別」かを追求してみることではないしょうか。こういうふうに自分の考えを開陳して「いや君それはちょっとおかしい」というふうに言われる機会を持つとか。


あとは……例えば、Nさんがある集団への何らかの差別行為を行っているとして、その対象集団のうちの少数が「いやまあいいですよ、これくらい」と言ったとしても、Nさんの差別行為が免罪されることはないですね、という話はしました。

それに加えて、(たとえ話ですよ)差別行為を行うNさんの隣に立っている僕がまったく別の件で差別行為を行っていて、それを指摘されても全然反省するそぶりも見せない差別主義者だったからといって、じゃあNさんの差別行為が免罪されるかといえば、そんなことはない、というふうにも思います。つまり、Nさんも僕もどっちにも問題がある事実は変わらないってことですね。

僕は、誰かの差別性を指摘したからといって、自分の差別意識の負債ががそのぶん軽くなるとは思いません。誰か自分に対して「差別だ」といってきた時に「いや、あっちのほうが差別だ」と大声で返せばチャラになるわけではない、ということです。どちらもおなじように差別である可能性はあります。

とりあえず我々がWebでできることといえば、そういう前提で相手と話すことでしょうか。

IslecapeIslecape 2011/08/03 17:17 passerbyさんへ

漫画内では、作者は神のようにふるまえますから、ということを言いたかったのですが。

エッセー漫画なので、100%虚構ではないでしょうが、脚色はされていると思います。そのさじ加減は作者次第だと思います。

IslecapeIslecape 2011/08/03 17:34 「お」さんへ

「皆いちいち神経質になっていられないというだけ」であれば、記事中で挙げたTogetterには、もっと穏やかなコメントが並んでもいいのになあという感じはあります。「嫁が差別的」というような個人的感覚をつぶやいた人に(たとえその人が「嫁の差別性に気づかないなんて〜」といったからといって)「なんだこの差別主義者は」という反応を返さなくても、と。

そもそも僕のエントリは、ちょっと形を変えれば件のTogetterそのものに対する返答にできるものです(つまり「"中国嫁"の差別性に気づかないなんて」という意見に対し「うーん"中国嫁"はさほど差別的ではないと思いますけどねー」という)。


それをしなかったのは、僕より先に駆け付けた人たちのやってることを見て、こうした場合Web上にログを残すならどうすべきかを考えた結果です。「状況で立場を変えるのか」と言われれば、まあ、そうですね。個人的な感覚としてはどちらを相手にするにしても同じ立ち位置でいるつもりなので、僕自身としては矛盾は感じません。

というわけで、ああした表現は(やや問題があるとは思いつつ)この記事がだれを「敵視」しているか、ということの表明でもあるので外せませんでした(僕も世間とたいした思慮の差はないので)。うまいやり方ではもちろんありませんけれども。そのあたりは僕の側に限界があるのです。他にもっとスマートなやり方ができる人がいればそれにならいたいですね。

IslecapeIslecape 2011/08/03 19:30 coldcupさんへ

わざわざ恐れ入ります。たぶんそれですね。

http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/80361
はてなブックマークのエントリーページはありました。しかし本体がないとなるともう言及もできませんし、これ以上はどうしようもないですね。

Googleのリアルタイム検索もなくなってしまったので、ちょっと探し物に難儀してます。

IslecapeIslecape 2011/08/03 22:21 rag_enさんのエントリ

http://d.hatena.ne.jp/rag_en/20110803/p1

で、言及をいただいたのですが、コメント欄がなかったのでWeb拍手からメッセージを送りました。可視化されていないので、同じものをここに残します。(読みづらいので改行して整形します。スペースでも入れればよかったかな……)

>>

こんにちは。islecapeです。コメント欄がなかったのでここで。


前回の件、今回の件ときてようやく違和感を覚えたのですが、「差別」というレッテルに対する忌避感がものすごくあるのかな、と思った次第です。まるで「差別者である」と指摘されたが最後、生きていけないというような。つまり「悪」属性ですね。

ただ現状「"嫁"という差別語を使ったな! 差別主義者め!」と言われたからといって、社会的に抹殺されることもないでしょうし、そこまでかなあと僕などは思ってしまうのです。この感覚の違いが、僕と批判者の間で祖語をきたしているような。そのあたり、僕があまりにもものを知らず配慮が欠けているのか、考えてみなければならないかと思います(まだ僕は「それは考えすぎじゃないのかなあ」という思いを払拭できずにいる)。


あと後世の話は「どんな未来になるか、人間がどんな思考様式をもつに至るかは想像できない」ということを述べただけで、1984みたいな社会になるとは僕も別に思ってません。説明不足ではあるのですが、ただでさえ注釈の多い記事なので……(どこに注釈をするかしないかもまた問題になってくるという)。

僕も現代の書籍に散見される「過去においては不適切な…」のくだりはべつに必要ないと思っています(もしかして、あの記事からそれを感じ取ることは難しいでしょうかね)。未来に「弱者」という存在がいなくなり、誰もが対等に渡り合える時代が来れば表現の規制とか、そうしたことも顧慮しなくてよくなるのではないかと。


しかしまあ対等に渡り合うとはどういうことかからまず考えなくてはなりませんが。

<<

こってぃこってぃ 2011/08/04 07:57 言葉狩りって事かな。凄いくだらないと思う。
全然差別的な意味でも何でも無いし。勝手にそう思い込んでるだけだよ。
言葉の意味なんて時代で変わっていくよ。

私は嫁でいいです。大好きな人の嫁で。
「うちの嫁っこがね〜」と言われるのが大好きです。愛情感じます。
別に差別じゃないしね。

ほんと、言葉狩りする人たちって変なの。

ななしななし 2011/08/04 09:29 とりあえず
「すべからく」の使い方間違ってます。ハイ、

IslecapeIslecape 2011/08/04 19:09 こってぃさんへ

おっしゃるように言葉の意味も、言葉の使われる状況も変わっていくもので、かつて「嫁」と呼ばれ、家制度のもとで忍従を強いられてたというような人は歴史の彼方に消え去り、いまや「嫁」というカテゴリーに押し込められて差別的な待遇を受けている人――「嫁」と「蔑まれ」屈辱感を受けるというような人は、ほとんどいないでしょう(どこかの旧家で、姑に「本当に出来の悪い嫁」とか嫌味を言われてる人は いるかも知れませんけども……)。「嫁」という字を見て、ときにそうした事柄に思いを馳せ、では今の男女両性間ははたしてどれほどマシになっているのか、それともまだ十分でないのか、そして今はまだ結婚制度から排除されているような人たちのことはどうか、などと考えるよすがにでもすればよいだろうという程度ですね。僕としては。


「言葉狩り」についてはもうずいぶん言われているのですが、僕がこうしてWebの片隅で適当に書いたことによって誰かが萎縮するとも思っていないので、自分ではそこまで危惧していません。いっこ前のコメントで言及しましたが、「差別者である」という指弾することにより、それが「悪」のレッテルとして働くから慎重であるべきだ、という意見はあって、そういうことは確かにあるのかもしれませんが、この記事の反応を見る限り、この社会が「嫁」に対する「差別性」の指摘に対して動揺するとか、そう指摘された(レッテルを貼られた)ものを「悪」とみなすだろうかといえば、そこまでではないように思います。

そもそも僕がしたのは、【「嫁」に対する「差別性の指摘」】ではなく【「嫁」に対する「差別性の検討」】で、しかもその結果「差別ではない」と結論づけてこのありさまですから(言い方が回りくどいとか、井上さんに失礼とかそういう理由で怒っている人もいて、それはもちろんそうですけども)、もしかして、「嫁」に対して違和感を感じ、それを表明することを許さない「思想狩り」があると疑ってもいいレベルではないでしょうかね、思想表現の自由の観点からは。

まあお互い「狩り」というレベルではないと思うんですけどね。

IslecapeIslecape 2011/08/04 19:28 ななしさんへ

「母親はすべからく仕事に出るべきで」←ここですよね。

これはまちがってないと思います。ここでは「すべての母親が仕事に出るべき」と書きたかったのではなく、「経済合理性があり、両性の平等の観点もあり、そもそも母親属性なる幻想などは必要ないので、女性は結婚し出産したあとも働かねばならない」というような主張の戯画的表現なので……まあ、わからないですかね、一文一文何を意図して書いたか注釈いちいちつけないと……


というふうに考えているんですけど、どうでしょうか……。「間違っている」というご指摘だけでははかりかねる部分があって、ご面倒でしょうが「ここがこれこれこのように間違っている」と指摘していただけると幸いです。

turimotonaokiturimotonaoki 2011/08/05 07:40 このブログ記事は4〜5回読み直したが何を言いたいのか分からない。
恐らく記事を書いた本人も何を言いたいのかはっきり整理出来ていないから文章が大変冗長になっている。
一言でまとめると『最近はつまらない事でも記録されるようになってきており、現在中国嫁日記という作品が許容されているこの社会状況も記録される。しかし世の中の基準とは移ろい易い為、将来基準が移ろいだ社会で今の社会の記録が発掘された場合、この作品を許容していた事が差別的であると見做されるのではないか』という事を言いたいのだろうか。


>回りくどくも「中国嫁」が「差別とは思わない」と言っているので、「中国嫁が差別とかなに考えてんだ」というような感想は送っていただかなくても結構です

とわざわざ断りを入れているが、それでもこの記事は『中国嫁日記は差別的だ』と言いたい様に見える。


>将来ゴキブリが知的種族になって
>父親を妊娠させるような医学が発達した社会になれば

将来社会が変化したらどうするかという事を言いたいのだろうが、こんな空想科学の域に入った突飛過ぎる例え話にはついていけない。なんだそりゃの一言。


>もし万が一、「中国嫁日記」が実は後世からすれば(我々には知る由もない)とんでもない差別性を帯びた作品であって、これを鑑賞できるということは鑑賞者の差別性の暴露に他ならなかい、とかいうようなことになったとしたら

有り得ない仮定は考えるだけ無意味。


>僕自身としては、「嫁」は あまりいい言葉ではないと思っています。
>「50Pのカラー漫画を読んで(脳が)疲れる読者には配慮するけれども、"嫁"という言葉に引っかかって(精神が)疲れる読者のことは顧慮しない社会」
>そもそもある特定の状況にある女性を「嫁」なる属性に帰してしまうことはしないほうがいいと思います。むしろこうした属性を表す言葉が出てきたときは、その属性でもって呼ばれる個人を尊重するよう努めるべきでしょう

『嫁』という単語を『雲助』の様に差別的だと据えているが、理由も書かれていないからこの意見には全然同意出来ない。何故『嫁』が駄目で『配偶者』なら問題無いのかも分からない。これは単なる言葉狩りだ。


>僕が好感を抱かなかった井上さんのツイート https://twitter.com/#!/KEUMAYA/status/14529968444809217 の理由のひとつとして、「自分の意見を述べる夫、黙って聞く妻」という、NHKニュース9かよ、というような構図がありますが

このツイートの内容は「妻の問いに対し自分の意見を述べる夫、答えに窮して黙ってしまった妻」という説明が正しく、NHKニュース9の構図とは似つかない。この説明は的外れを通り越して捏造だ。


>差別性の暴露に他ならなかい
>「前置き」に対応する本論にありませんでした
>コメントに書かかれていたのですが

誤字が3箇所有る。

islecapeislecape 2011/08/05 09:39 turimotonaokiさんへ

ご指摘の箇所は修正しました。ありがとうございます。しかしほかも見たら三箇所どころではありませんでした……(それ以前から細々修正していたのですが)


>このブログ記事は4〜5回読み直したが何を言いたいのか分からない。

これは要するに、僕とturimotonaokiさんの考え方が、同じ言語話者とはいえあまりにも違うゆえで、僕が「これくらいは書かないでも理解されるだろう、これ以上注釈が増えると余計面倒くさくなるし」と甘く考えて説明を省いたことに原因があると思います。ただでさえ回りくどい文章なのに。もし僕と100%同じ考えの人なら「ああそうね」で終わるのでしょうが、もちろんそんな人はいるわけないので、こうして齟齬が生じるわけです。

この記事が言いたかったことは、一言でまとめると「もっと内省しよう」で、まあもうちょっと長くてもいいなら「みんなもっと落ち着こう、世の中いろんな考えがあるんだし」ということです。

僕は自分がどういう考えの持ち主であるかをなるべく書くようにしていますが、このダイアリーすべての記事に目を通していただいたとしても、僕の思考様式すべてが分析できるとは思えませんし、ましてこの記事だけでそれを推し量ってもらうことは不可能でしょう。「ゴキブリの知性化が〜」というのは、「あ、コイツはかなりトンデモなことを言うつもりだな」ということを、父親に対する言及は「そうか、これは父性的なものへの反発をしているつもりもあるのだな」(それと、父への愛情はあるので、「好感は抱いてはない」けれど「嫌い」ではないということを言外に匂わせるつもりで……これもわかりませんね)ということを、なるべく簡単に、読む人にあらかじめ刷り込んでおこうという意図によるものでした。

しかしご指摘の通り肝心の「嫁」になんで引っかかるのかということについては、入れてませんでした。「僕が面倒くさいこと考える人間だということはもう表現したので、まあたいがい察してもらえるだろう」とか思って。

前のコメントでも書きましたが、僕としてはかつて「嫁」と呼ばれ抑圧された人々がいて、そうした人々の辛さや悲しみも、その人たちの死によって「なかったこと」にされた現代において、「中国嫁日記」というタイトルを見て「ああ、こんな時代なんだなあ、でも、"嫁"ってこんなふうに使ってもいいものなんだろうか。そういや"ナントカは俺の嫁"なんて言ってる人もいるけど、うーん」くらいの引っかかりでした。その流れで「"中国嫁"に違和感を表明している人がいる」→「言葉狩りだ!と怒る人たちが大挙」→「あー、いやでもそれくらい主張したっていいじゃないですか別に法規制というわけでもないんだし、言葉狩りなんてそんな大げさな。まあ僕もどっちかといえば"中国嫁"はどうかと思っちゃったりする側の人間ですけどこれは差別と排撃するほどのことはないと思っていますのでここはひとつ落ち着いて話せばわか」→「問答無用!」→「きゃー!」ということでしょう。「いい言葉ではないと思っている」は、そのまま読めば「差別的と思っている」と認識されるかもしれませんが、そこまでではありません。

(さらにいちおう念のために付け加えておきますが、「問答無用」のくだりを入れたからといって、今回の件を5・15事件になぞらえ、あとあと来る2・26事件を示唆しているとかいうようなことはありません。単に面白おかしく書こうとしているだけです。僕は、こういう書き方を面白いと感じるような人に向けて文章を書いているので、そうでない人には愉快ではないかもしれませんが、これを面白いと感じるか否かの感覚の違いが齟齬の原因ということなのだろうなと思います)。


>『嫁』という単語を『雲助』の様に差別的だと据えているが、理由も書かれていないからこの意見には全然同意出来ない。

「雲助」と並べることで、僕が「嫁は雲助と同程度に不適切」と考えていると受け取られたのは、これも意図したわけでなく並列が不注意でした。

その上で、これは「嫁」の差別性に同意するしないの問題ではなく、個々人で認識の違いがあるということの共通認識の問題だと思います。そういう違いがあることを理解した上で、意見の違うもの同士どう折り合いをつけていくかが必要なのであって、そのためには相手を批判することよりもまず十分な内省から始めたほうがいいだろうなという批判(みたいなもの)でした。

「中国嫁? うーん…… まあいいんじゃないかな、これくらいは」と言いつつ「しかしまあ"嫁"に引っかかる人のことは顧慮しない社会であること」と嘆くポーズをとったりするあたりが気に食わない人がいるとも思うのですが、「世の中そういうのもいる」という諦念とともに広い心で受け入れてくださると、きっと世の中平和になるんじゃないかと思われます(もちろん批判は自由です)。僕も別に実力(これは罵倒や脅迫も含む)で人の意見を変えようとは思っていません。

「"差別認定"が脅迫に当たる」、「皮肉はいいのかよ」という意見については、検討課題にしています。

と 2011/08/05 15:35 >しかしご指摘の通り肝心の「嫁」になんで引っかかるのかということについては、入れてませんでした。

その点は以下のブログで議論されていました。井上さんもtweetされていた文章ですので、読んでみてはいかがでしょうか。
http://anond.hatelabo.jp/20110804093547

それから、もうすこし自分の考えを明確に記述する訓練をなさった方がよろしいかと。上の文章でも、
「・・・「差別的と思っている」と認識されるかもしれませんが、そこまでではありません。」で終わる段落がありますが、
長い文章の割に結局islecapeさんが嫁という言葉をどう考えているのかさっぱり分かりません。差別的ではないなら、
問題はないではないか、と思ってしまいますが、上の文章から言ってislecapeさんが問題なしと思っておられるとは
考えにくい。こういう文章は、読者を混乱させる非常に読みにくい文章の典型例です。

自分の思考をそのままなぞっても、他人に読ませられる文章にはなりません。

islecapeislecape 2011/08/05 22:32 「と」さんへ

>それから、もうすこし自分の考えを明確に記述する訓練をなさった方がよろしいかと。

>自分の思考をそのままなぞっても、他人に読ませられる文章にはなりません。

まったくおっしゃるとおりです。自分の感情のまま ただ一方的に意見を述べるだけで説得になるということはありませんし、Webで主張をするということに もっと自覚的であらねばと思います。

>差別的ではないなら、問題はないではないか、と思ってしまいますが、上の文章から言ってislecapeさんが問題なしと思っておられるとは考えにくい。

「差別か、そうではないか」と問われると、「黒」か「白」かの二分法になってしまいがちで答えづらいのです。実際は様々な濃度の「灰」があり、その「灰」のうちどのレベルを閾値とするかが問題で、「これは薄い灰色じゃないかな。まあ"認容しがたい差別"の閾値は超えてないとは思う。ただ、少なくとも真っ白ではないので、自分ではそのことを忘れないようにしよう」というようなニュアンスです。閾値以下の灰色を「問題ないから、"白"ってことでいいや」とは言えませんでした。


匿名ダイアリーの記事についてですが、ごく「一般的・常識的」とみなされる意見ではないかと考えます。しかしその「一般的・常識的」なものが何を隠蔽しているのか、あるいは何かを抑圧しているのではないかというのがそもそもの問題意識なので、ああした意見は他に任せ、この記事のようなスタンスで書きました(「語源はこうで、字義的にはこうで、それが自然」「しかし、使われ方はどうだったか、いまはどうか? 自然というのは誰にとっての"自然"か? 違和感を覚える側が少ないならまったく良心の呵責なく使ってもいいのだろうか?」というような)。

が、ご指摘のように残念ながら僕は論理的に文章を書くという能力が極めて低く、けっきょく騒ぎを引き起こしただけで 誰かが幸福にはなっているとも思えず、少なからず人の時間を浪費させたようでもあり、まったく申し訳なく思う次第で、そもそも考えはじめのきっかけは「中国嫁」であるのですが、記事が耳目を引く事で(以前に"Cat Shit One"のCGアニメに言及したのと同じようなパターンで)作品を不当に攻撃してしまっていることを考え合わせるに、個別具体例としての作品名は慎重に外し、もっと一般化したうえで論を展開していくべきだったかとも反省します(おそらくその場合であればここまで人目につくこともなかったでしょう)。

言葉言葉 2011/08/06 00:35 差別という言葉に固執しすぎてはいませんか?
こうこうこういう言葉は差別で、このような夫婦のあり方は差別的だという。
ではどのような表現は差別的ではなくなるのかということにはまったく触れてもいません。
ただご自分が感じる違和感を差別という言葉を用いて自らの正当性を主張しているだけのように感じます。
物事の上辺だけを論じてもあなたの中の違和感はなくなりませんよ

IslecapeIslecape 2011/08/06 14:39 言葉さんへ

>差別という言葉に固執しすぎてはいませんか?

とのことで そうした指摘はいただいており、ちょっと考えているのですが、「差別」という言葉に対する感じ方の違いがあるのではないかと感じています。

僕はこの記事で「世の中には、ふだんは意識されないネガティブな意味を含む言葉がごまんとあり、"嫁"という言葉もその例にもれず、ある種の差別性は感じられる。しかしだからといってそれを完全に排除すべきかと問われれば、そこまでとは言えない(でも将来においてはわからない……僕がこうしてこの「差別」を許容範囲として認容したことは将来非難されるかもしれない)」というスタンスを示しました。

この態度が「差別認定」であり、「何かに対して安易に"差別"とすることは、現代においてそれが"悪"であると決めつけることと同義であり、避けるべきだ」と考える人からは反論をいただいています。

「差別」という語に対する感じ方の違いに原因があるように思います。例えばこの記事の反応の中には「差別という人こそ差別をしている」という人がいて、僕も「他者を差別と決めつけて自分と違う感覚の持ち主を排除しようという差別者である」というふうに思われているようです。この場合、僕がその人と同じ感覚であれば「自分が周囲から"悪"と認定された」と感じることになるのでしょう(もしそういう感覚の持ち主なら、こういう記事は書かないでしょうけれども)。

しかし僕はそういうふうには感じていません。「あの立場からはそのように見えるのか。であるとすれば、どのように表現すれば合意できるのだろうか? どこに共通理解の最低限のラインがあるのだろうか?」。確かに「差別」という言葉に敏感な層を顧慮すれば、誰かを「差別的」と評することは避けなければならないかもしれません。ただ、僕はまだ「"差別"という語を安易に使うべきではない」という指摘について(「"嫁"を使うべきでない」という以上に)納得のいく理由を発見できておらず、そうした考え方に共鳴できていません。もちろん、そういう考え方があるということは、おぼろげながらようやく認識できました。「"嫁"は差別」といっても、「ふーん?」という感覚がほとんどであり、この社会は「"嫁"という語を使うものを社会的に抹殺しよう」というような状況ではなく、また将来そうなるとどうしても感じられないというところに、僕の思考・感性の限界があったのです。この記事の前提は、「差別(嫁)という語を使ってほしくない」。そういう意見を社会の大勢でないと無視してもいいのだろうか、という問題意識です。

しかし、ならば「嫁」に対し違和感を感じる人は、はたしてどのように表現すべきなのでしょうか。単に「違和感がある」だけにとどめるべきで、「差別性を感じる」と表現することが、まったく許されないのか……。そして「差別」という語を使おうというものは、ではどのように言葉を尽くすべきなのか。あらゆる立場のものが、どのように内省し、どのようにふるまうべきか、それを考えるべきかというのが、この記事の意図するところなのだと思います(そもそも「差別である」と「差別的である」、また「差別性を含む」などと言いわけるとき、文脈によっては微妙な違いが出てくると思うのですが、おそらく「差別」を使うべきでないというお考えであろう言葉さんは、この違いをどうお感じになるでしょうか? あるいはどれにも違いはなく、等しく だめ?)。


なお、もしかすると誤解があるかもしれませんが、僕はヘイトスピーチなどを含めたあらゆる表現規制には原理的に反対しています。(cf. http://d.hatena.ne.jp/islecape/20110111/p1 )

たとえそれが「しなづま日記」という題名の書籍であろうと規制すべきとは思っていません。そして、そうした場合において「自分の違和感を訴えること」や、あるいは「誰かの違和感の指摘に耳を傾けること」は、重箱の隅をつつくような程度でも足りないだろうと考えています(そうした状況では多数者の数の論理が少数者を覆い隠してしまい、対立の表面化さえ見えなくしてしまうであろうから)。

僕の立場では、差別であろうとなかろうと その表現は無制限に流通するので「どのような表現が差別ではなくなるのか」ということを興味にしていません。「どのような表現でも差別になりうる。ではその状況でどうすべきか」です。たとえば「しなづま日記」はやめたがよかろうと「中国嫁日記」になったそうなのですが、それでも違和感を感じる人はどうしても出てくる。そのとき「でも、"しなづま日記"よりは、ましでしょう?」と言ってはいけないのだろうと思います。

「中国嫁日記」という題名を、検討の結果 僕は「妥当」と判断しました。「僕が作者ならつけない」と書きましたが、僕が井上さんの周囲の人ならもちろん「しなづま日記」は全力で止め(そして決してそのことを口外しないようにアドバイスするでしょう)、「中国嫁日記」には、「覚えやすいし、見る人の興味を誘うタイトルですね」なんてことを言うでしょうね(ただし「"いい"タイトルですね」とは言わない)。そして、「"中国嫁日記"はこれこれこのような理由で妥当と考えるが、どうでしょうか」と答え、そしてさらなる批判があるなら待ちます。その結果が将来の「この題名は現在では不適当な表現になっていますが、当時の時代性を鑑み〜」であったとすれば、それは「嫁」と認容した我々(今ここで「妥当」といった僕自身も含め)の限界であったということになります。心の底からそうなるとは思えない。しかし、もしかしたらそうなるかもしれない……と考えておくことは必要なのです。くどいようですが、「しなづま日記」をやめたわけですから。

通りすがり通りすがり 2011/08/12 12:47 びっくりするくらいくだらない方ですね。あなたは。

IslecapeIslecape 2011/08/12 12:50 通りすがりさんへ

しゃっくりが止まったんでしょうか?

通りすがり通りすがり 2011/08/15 19:30 「ネガティブな意味を含む言葉」をネガティブさをあえてほじくり出さなければいいのでは?

差別を教えなければ差別は消えていくのでは?

IslecapeIslecape 2011/08/16 00:00 15日の通りすがりさんへ

「あえてほじくり出さなければいい」についてですが、まず「嫁」と呼ばれる性別ではない僕の立場からそういうことは言えません。それをまず前提として。


そもそも僕は――とりあえず「嫁」についての話をしますが――「あえてほじくり出」して、「誰かが不利益を被る」というふうに考えていません。「"嫁"という語には全時代の女性に対する抑圧の残滓が感じられる……ような気がしないこともない」と、このような考え方をすることを「面倒くさい」「疲れる」といった理由で忌避する人もいますが、面倒くさかろうが疲れようが、思考すること、およびそれを表現することが自由である以上そうする人は出てきますし、自由な表現が認められているこの社会で生きるにおいて そうした問いかけに対し「面倒くさい」「疲れる」といえばそれで済むと考えるのはいくぶん無責任であると言えないでしょうか。面倒くさくても考えなければ、すぐに問題意識のあったことさえ忘れてしまいます。実は消極的に「教えない」ということをしているとも言えるでしょう。少しだけ字面も似てますね。「考えない」と。(「耳を塞ぐ自由」もあると思われますが、耳を塞がないですむ静かな環境に身をおくことを望むのは難しいような気がします)

さて、はたして「嫁」と呼ばれる人たちが(それほどには)抑圧されていない(であろう)現代のこの社会状況にあって、「嫁」という言葉が含む(とされる)ネガティブなイメージを「教えなく」することによって、人々の意識をしてネガティブなイメージを抱かせないようにするということは可能でしょうか?

「嫁」という語に対する日本語話者の「印象」だけ考えれば、そういうこともありうるかもしれません。なにしろ今でさえ大して気にしている人もいないようですし、日本語を使うすべての人が細心の注意を払えば、おそらくそうなる蓋然性は高いでしょう。

しかしそのようにして「嫁」という語のもつネガティブなイメージを、「教育しない」ということでもって消しさろうとすることは、翻って社会の利益にかなうことでしょうか。そうではないと考えています。それはつまり「考えない」ということと同じで、「考えない」ということは、問題に対処する能力を失わせ、「嫁」でない別の何かにおいて失敗を導くだけのような気がします。

また、「嫁」という言葉に(あるとされる)ネガティブなイメージを知らない女性が、どこかでそのようなことを聞き及び、「自分は絶対に"嫁"などと呼ばれたくない」と考えることがあったとして、そこにどれほどの問題があるでしょうか?(まさか"変な考えに洗脳された"などとは言いますまい)むしろ、ある条件において「嫁と呼ばれたくない」と考える傾向にあるその女性が、そうした情報にアクセスできない("差別のニュアンス"の可能性のあることを教えないで、隠蔽する)としたら、それもそのほうが問題があると思います。

「ことさら"嫁"という語のネガティブなイメージを言うのは、"嫁"という語を普通に使っている女性を愚弄して失礼だ」という意見もありますが、それは違います。ラディカルな立場が「"嫁"という語を使う女性は、男性中心社会の欺瞞に気づかない愚か者だ」とまで言えば、「嫁」がそれほど忌避されずに使われているこの社会においては若干失礼にもなるでしょうけれども(それだって別に禁止するほどではないでしょう)、「この語には、こうしたネガティブなイメージを表象すると解すこともできる。今の社会状況、過去の社会状況に当てはめてみると、こんなふうに捉え直すこともできる」という指摘をするだけで「失礼」であり、忌避すべきというのでは学問はできません(「僕」という一人称にもいろいろ歴史があるようですが、僕はずっと「僕」で通しています。「嫁」についても過去の状況を理解した上でなお使うという人がいてもおかしくはないでしょう。もし「嫁」という語を学んだ女性が誰も「嫁」と呼ばれたがらなくなるとすれば、「嫁」は使われるべきではないことばだったのだなあ、ということであり、そうでないならば「嫁」は多くの女性について「許容できることば」なわけですから、ネガティブな意味合いを含んでいようといまいと、けっきょくその「意見の相違であるとか対立」をわざわざ隠す必要などないのです)。


そもそも問題の本質は、「語の持つネガティブさ」そのものにはありません。この記事では「自明のこと」として書いていないのですが、ここで本当に問題なのは「嫁」と呼ばれるような立場の人びとが、社会的に不公正な取り扱いを受けていた(もしくは、いまも受けている)かどうかです。いまだ経済活動が男性主体となる資本主義社会である現代において、女性が(例えば、自らも仕事を持っているにも関わらず、家事や育児の面で)男性より負担が重いというような状況はまだあるらしく、それは、かつて支配的だった「家制度」における「嫁」という存在の役割性が、いまだわれわれのジェンダー意識を縛り、その意識を婚姻関係における男女のうち女性の方に反映させているから……というような想像をすることができますし、それは決して「考えすぎ」とまでは言えないと思います。

唯一の有効な方策は、「"嫁"に含まれると類推される"差別性"とやらは、このさいなかったことにして、みんなで仲良くしよう、疲れるし」ということではなく、「嫁」と呼ばれる立場に置かれる人が、その立場において「まったく不公平な取り扱いを受けていない」と感じられるような社会を作ることでしょう。いまは「わりとそうなりつつある予感のある社会」といったところでしょうか。今のこうした社会において、例えば男性が自分の配偶者を「嫁」と呼ぶことに「男の優位性のアピール」を感じ取ってしまう、と言われたとき、「や、それは考えすぎだよ……そんなことまで考えてないよ……」と言いたくなることはあると思いますが、なにしろ社会が社会ですので、そうした誤解によるコミュニケーションの失敗は起こりえます(繰り返しになりますが「嫁」という言葉を問題視する人は明らかに少数派であり、実生活上で摩擦はほとんど生じません。それゆえに、何かのきっかけで摩擦が生じたとき、「うわ、面倒くさい」「なぜ自分がこんないわれのない非難を」と、「嫁」を普通に使う側が思ってしまいがちなところに問題の一端があるとも思います)。「俺はつい慣用で"嫁"という言葉を使ってしまうけれども、ちゃんと家事は50%分担でやってるし、母親の役割は完全できないにしても育休を取ってできるかぎりのことはしてるつもりだよ」というエクスキューズを入れるなら、「うちの嫁」と呼ぼうが「うちの奥さん」と呼ぼうがそこまで非難されることにはならないでしょう。「いちいちそんなこと言うなんて、そんな面倒な」などと考えるうちは、まだ「多数派」の優位性の上にあぐらをかいているというふうに見られることもあるのではないでしょうか。たとえそれが不合理に思われるとしても、「自分と意見の違う立場」からの異議申し立てはあるのです(むしろ、「少数派」は自分と違う立場からの「異議申し立て――申し立てというよりは、多数派からの強制の形を取ることが多い」をしょっちゅう受けているわけで、「嫁」に違和感を「覚えない」多数派が、自分のその世界観に文句を言われたとして、それは「常に多数派」である人にとっては驚きの体験かもしれませんが、実際はみなが経験してもいいようなことだと思います)。

「嫁」という言葉は この先も「ふつう」に使われていくでしょう。かつて「嫁」と呼ばれていた人たちが不当に処遇されていたらしい過去のある時代に比べれば、今の男女間の非対称性は相当程度小さくなっているでしょうし、この先はさらにそうなってゆくであろうとも思われます。女性で「"嫁"でいいよ」という人もいるわけですが、そうした人はもちろん「嫁」と呼ばれつつひどい取り扱いを受けてはいないのでしょう。そうした状況にあっては、誰かを「嫁」と呼ぶことに対し、ネガティブな感情を強く抱くことはありません。「嫁」について考えることはやめ、そうして時は過ぎ、さあ、「嫁」から差別を想起させる印象は消えました。これで万事めでたしめでたし……待ってください、歴史が消え去るわけではないのです。「嫁」という言葉が、過去にどのような文脈で使われてきたかという事実は引き続き残ります。


「差別を教えなければ」。それで、その言葉に対する「ネガティブなニュアンス」を感じること「は」(より少)なくなる可能性もあるでしょう。ただ、そこに問題があります。それはつまり「"嫁"という語に対しネガティブさを感じていた人々の過去」を忘れ去るということであり、「嫁」という語を完全に漂白してまでやらなければならないこととは思えないのです。

うさぎうさぎ 2011/08/23 10:26 私もこの中国嫁日記を読むたびに何かもやもやするものを感じていました。

この漫画自体はかわいらしく、ほのぼのとしたものにも感じられるのですが、
そこに私も何か違和感を感じていたのです。
つまり「おっさんくさい」と表現なさっていますが、
同時に「お宅くさい」ところがその違和感の元になっています。

つまり、生身の女性に対する共感のなさですね。
たとえば、「強姦」の表現などに健全な感性を持つ女性ならば、嫌悪感をもって当たり前なのに、「それを規制していない日本で強姦が少ないのはなぜか」などという理屈で伴侶の女性をねじふせ、自分がその場を制したかのように感じるところなどです。

日本で、「強姦が少ない」理由については、表現の規制以外にもたくさんの要因を考えるべきですし、この人の理屈はあまりにも単純なものに思えます。
日本語での表現能力がまだ十分でない相手は、そこでいろいろな「反発」や「不快感」を飲み込んだことでしょう。それを思うと心が痛まないのだろうかと思うのです。

嫁という言葉を無自覚に使うこと、「しなづま」という言葉を持ち出すところにも、
何かそういう相手に対する「かわいがる」けれど、自分とは別の背景を持つ人間として、女性としての相手に対しては、「共感」してはいない、その必要性も感じていないとような傲慢なおっさんくささを感じてしまうのです。

IslecapeIslecape 2011/08/23 19:55 うさぎさんへ

おっしゃるように、「他国と比べると、日本では実際の性暴力が少ない」から「他国と比べ、日本で自由に流通している性暴力表現は性暴力傾向に影響を及ぼしていないと思われる」という論理は、「日本の性犯罪が性暴力娯楽表現によって増加している」という(現在のところデータで確認できない)意見そのものに対しては(把握されている被害件数が実際通りだという前提の上で)反論になるでしょうが、そもそもそうした表現が社会に流通するのが好ましいか、仮に性暴力そのものに影響がないとしても女性の性的役割に対する偏見をもたらしているのではないかなどについて検討するにはまた別の問題ですし、「このような表現を見たい」「このような表現は見たくない」といった好みの対立の解消にも役に立ちません。

おそらくそのような対立は解消しないでしょうし、現実は「一度ルールを決めたら、それでその決定は二度と覆らない」というようなことはなく、社会全体で対立するもの同士がにらみあいながら、お互いひっくりかえらないようつりあいをとっていくしかないだろうと思います。そうであればなによりコミュニケーションが重要となるわけですが、切り取ったある一面を見せた結果それ以上進まなくなった会話を、それでもってあたかも一つの勝利を得たかのように喧伝してしまうというのは、たとえ実際そういう会話があったにしろ疑問に感じます(家庭内で女性をひとり黙らせたことでもって、社会で性表現が許容されることにはなりませんし、はるかに年下の妻に対したそのシチュエーションが周囲からどう見られるのかを十分に検討しているかどうか疑問)。次のような想像をするとまた「失礼な」とは言われそうですが、「自らの属する(性表現をほかより優先する)社会ないしサークルへの受け」を、「妻の体面」よりも優先させているようにも見えます。これはまあ僕も妹の無知をバカにしてよくやることなので壮大なブーメランなのですが。

そういうわけで、井上さんは漫画家で、キャラクターとして登場する周囲の人物が誇張・戯画化され描かれている傾向は多分にあるはずで、本来の人格と切り離された一種の「表象」としての「中国嫁」イメージを使いWeb漫画を描くなりTwitterでの言及なりを行うことについて、そんな調子で大丈夫なのかなあ、と、遠巻きにしながら思っていました。とはいえ、親切ごかして書いた感じで杞憂といったらなんですが、どこかの都知事みたいに「しな」を押し通さないあたり、「大変な事態」は起きないだろうと思います。むしろこの社会は総体として井上さんとそう外れたものではないのでしょう(だいたい都知事が無事なくらいですから)。逆にいえば、そうした社会であるがゆえに「嫁は本当にいいのか」という意見がごく少数でも必要なのかと思います。


さらにそこで、うさぎさんの

>「お宅くさい」ところがその違和感の元になっています。

というところが(もうこの記事を見ている人もいないと思いますが)ひやひやしたので勝手に少し補足します。

うさぎさんが「お宅くさい」と表現される違和感(生身の女性に対する共感のなさ)というのは、いちおう男性である僕から見ると「オタク」層にかぎらず男性ホモソーシャル http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%A2%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB 全般に見られるような感じがあります。

この記事では批判対象が拡散するために言及しなかったのですけれども、「萌え」とか「俺の嫁」などといって(まさに生身の女性を疎外し)異性を一方的対象として語る「オタク」的な感性が、オタク層が有する「自分の心象を(コンテキストも無視して)ありとあらゆる場所で語る傾向」のゆえに「目立ち、忌避感を抱かれる」ということはあるようで(つまり、「オタク男性」集団のミソジニーは、他の「男性」集団のそれと比べて可視化されている)、ここからは若干印象論になりますが、そうした「風当り」に対し――「オタク男性」のソーシャルが発露するミソジニーは、かえって生身の女性に対する性暴力そのものや経済的差別ではなく、女性蔑視的な発言やマンガやゲームの性暴力表現鑑賞(ないし創作)「程度」に「とどまる(傾向がある)」ため――「実際に女性を抑圧している他の"非オタク"男性集団に比べて非難が不当に過重なのではないか」といった感情を抱き、いざ批判されたときに強く反発するというようなことがあるようです(もちろん他の誰が女性を抑圧していようと、自分がそうであると言われたとき「自分よりあっちの方が……」というのはもちろん間違いでしょう)。

「オタクは生身の女性を相手にしない」(これは一種の都市伝説ですが)。では、他の男性ソーシャルはどうかといえば、生身の女性を相手にしながら「その女性性」を利用し、しかし相手の人格は蔑ろにするということもあります。男性集団は、そもそもの特性としてそうした志向を持つというような見方もあるようで、僕が「おっさんくさい」と書いたのは、(くだんの書籍は「オタク夫と中国人妻」といったキャッチフレーズで推されているものの)「オタク」の問題というよりは、(「男性オタクソーシャル」も含むけれども、もっと広く)男性主義的ホモソーシャル全般――さらにいえばこの社会が全体として認容している男性主義的な空気――が無自覚のままにしている問題なのではなかろうか、と思ったゆえでした。男性はみなおっさんになるが、みんなオタクというわけではない、ということで。

しかしそのように慎重に書いたにもかかわらず、「オタク文脈」からの正当性を言ってくる人はどうしてもいるため、これはもう宿業なのかなあというようなことを思わずにはいられません。まあ、「鳴かずば撃たれまい」というのではかえって問題が見えなくなるので、これでよいのでしょう。わりあい巧妙に隠れた「男性ホモソーシャル」と、隠れることができず目について批判的視点に晒され(しかし何度でもよみがえる)「オタク男性ホモソーシャル」、どちらが自己を克服できるようになるか(あるいはどちらもならないか)というのは注視していくところなのかと思います。

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