そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

「過剰な批判は逆効果」ということについて

人工知能学会の表紙は女性蔑視? - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/607736

上記の記事については、たまたま比較的早い段階で目にし、その後の展開(と炎上)が予想されたので、主張を絞りつつ2ツイート()ぶん言及し、それで終わらせるつもりでいた*1 *2

その後、RSSなどで入ってくる反応やその後の展開をちょいちょい流し見るに、僕の立場からするといくつか気になる意見もあったが、それに対しても少なからぬ人々が異論・反論を主張していたため、僕自身はそのままフェードアウトしてもよいだろう、と思っていた。過去の経験から人を苛つかせる能力にはそれなりに長けているようなので、ここでわざわざ油を注ぎにいくこともないだろうと。


その折、以下の記事を見た。

あの程度で「性奴隷を作りたがってる」とか言ってるんじゃねーよ
http://anond.hatelabo.jp/20131228190610

この記事は、批判に対しては一定の理解を示しつつ、反応を受けての人工知能学会のコメントを穏当なものと評価し、一方で批判者の主張の先鋭と激烈さに対して疑念を呈している。

マイノリティがマジョリティ側の不用意な発言に悪罵や嘲笑を向けるのは自滅的行動だ。そうして発言者を炎上させれば、マイノリティは怖い存在になり、いわば「弱者という強者」だと誤解される。そうなれば先に論じた断絶は進むし、あるいは在特会のような気持ち悪い連中がでてくるかもしれない。いずれにせよ、マイノリティの地位は決して向上しない。

特定秘密保護法にせよ都条例にせよ反原発にせよ、人権を振りかざした絶叫デモを行ったところで、それは彼らの孤立を深める結果にしかならない。

マジョリティを説得するためには、もうすこしやり方を洗練させる必要があるのではないか。

これはマジョリティの(とくに、自分は"ふつうである"と考える人間によくある)発想である。上記は「はてな匿名ダイアリー」の記事であるため発言者のバックボーンは不明だが、僕と同じように(本件に関しては)マジョリティの立場にある、ないしそれを志向している人によるものではないかと思う。僕ともいくつか考えの重なる部分がある(まあ、こういう分析は往々にして外れる。もし「こうしたほうがマジョリティの受けがいいのに」というマイノリティなら、申し訳ないんですけど、その主張はやめたほうがいい)。


そこで今回は、自らをして安泰な場所に憩わせ、またその自らの安寧のために他者を不安定な場所に押しやってしまうことにも気づかず、さらにはそれに抗議する声を自分の権利の侵害と感じ、不快を覚えてしまうような思考を抱いてしまいがちなマジョリティとしての我々」が考えるべき事柄として、以下、永江良一訳によるジョン・スチュアート・ミル自由について*3第2章 思想と言論の自由について より、CC BY-SA 2.0 JPの条件で引用する。(※ブログでの利用にあたり、改行および一部文字列の太字強調をislecapeが行った)

一般に度を越した議論と言われるもの、つまり、侮辱や皮肉、個人攻撃、およびその同類のものに関しては、双方に等しくこういう武器の禁止が提案されていれば、この武器への弾劾はもっと同意されるに値するでしょう。

しかし、有力な意見にたいしてだけ、こうした武器の使用を制限するのが求められるのであって、有力ではない意見にたいしては、一般的な非難も受けずに使用されるばかりか、この武器を使う人が頼もしい熱意と正当な義憤を賞賛されることだってありうるのです。

けれど、そうした武器の使用が引き起こす災厄はどんなものであれ、比較的無防備な人にたいして使われるときに、もっとも甚大なものになります。それに、どんな意見でもこんなやり方で主張することから引き出された不公平な利点がなんであれ、ほとんど一般に受け入れられた意見だけに有利にはたらくのです。

論客が犯すこの種の最悪の違反行為は、反対意見を信じる人に、恥ずべき不道徳な人間だという汚名を着せることです。なにか人気のない意見をもつ人は、この種の誹謗に特に曝されることになります。なぜなら、こういう人たちは一般に少数で影響力がなく、彼ら以外のだれも、彼らが正当に扱われるか知ることに関心がないからです。

しかし、この武器は、事の本質から、広まっている意見に攻撃を加える人に与えられていません。彼らは、身の安全を確保してその武器を使うことができないばかりか、できたにせよ、自分の主義主張に報復を受けることにしかならないでしょう。一般に、広く受け入れられている意見と相容れない意見は、考え抜いた温和な言葉づかいや、不必要に気分を害することを細心の注意を払って避けることによってしか、聞いてもらえないのです。こういう注意からほんの少しはずれただけでも、地歩を失わずにすむことはほとんどありません

いっぽう広く受け入れられた意見の側では計りようのないほどの悪罵を浴びせ、反対意見を明言したり、あるいは反対意見を明言している人の意見を聴くのを、まったくもって人々に思いとどまらせているのです。だから、真実と正義の利益のためには、この罵倒する言い回しの使用を抑制することが、他の何ものにもまして重要なのです。それで、例えば、どちらか選ばなければならないのなら、宗教への罵倒攻撃よりも、不信心への罵倒攻撃を阻止するほうがずっと必要なのです。*4

いわゆるオタク的サブカルチャーの描く女性像としてはおとなしい印象のあのイラストは、漫画リテラシーの高いこの国において、まあ、広範に受け入れられるものと思う。もちろん厳密に考えると、あの種のイラストはどうしても「女性性」に対する一種の偏見を内包してしまうものであるが、だいたいの人は日常生活を送るうえで、そこまで考えない(つまりは、それを未来の社会と知性のあり方を考えるべき学究の徒が無自覚であったように見える、という批判である)。


ところでこの絵なんかどうだろう。


なにやらマイク片手にはてな」名物メタブタワー *5のことを解説しており、バスガイドのようなものを想定しているのではないかと思われる。

男女雇用機会均等法以降、多くはないものの男性バスガイドは存在するというのに、これを描いた人間は「バスガイドは女」という固定観念に凝り固まって女性バスガイドを描いているではないか! 観光ガイドは若い娘であるべき、などと言いたいのではないか? まったく、なんということだ!!


いやいや、そういうわけではないのですよ。


なぜそう言い切れるのかって?


僕が描いた絵だからである。

たまたま描き慣れている自分のキャラクターのコスチュームを、以前から「なんかバスガイドみたい」と思っていたので、マイクを持たせそれっぽくして、ふと思いついた「はてな」ネタをこしらえた。1年前のことだ。


まったく「そういうつもり」ではなかった。

はてな村*6いろんなとこに塔立っててマジ観光の目玉wwwww」とかそんなつもりだ。


しかし、このイラストが「バスガイドというものは女性だよね」という社会的な偏見の追認であり、そしてそうした無批判状況に対する抗議や告発、違和感の表明を行っていないことは認める。そういう文脈で見られることは、もちろんありうる。

描いた人間の側でも、そういう捉え方はできると思う。*7


まさか「こんなの、なんでもないじゃないですか、バスガイドが女の人で何が悪いんです? これが変だと言い募るなんて、あの人たち頭おかしいよ、ね、そうでしょう?」などというようなことはない。



ちなみに……"彼女"はインド系の多国籍企業が作った、脳だけ電子脳の日系女性型有機体アンドロイドで、全個体が「エイミ*8」という名前を持ち、そのかわりひとりひとり名字が違う(この設定を考えたとき、まだ『月面兎兵器ミーナ』はなかった…)。そして開発企業の意図ではなくミサカネットワークのようなものを密かに有しており、それがのちに人類、機械知性、そして地球の運命に大きな影響を与えることとなるのである――!(この設定を考えたとき、まだ『とある魔術の禁書目録』は以下略)

自分で考えておいてなんだが、このキャラクターが批判される面はほかにいくらでもあるような気がする。初めて描いたのは中学生2年生くらいの頃でした。



最後にもうひとつ。

数学物理学を除く分野では、反対論者と活発に議論したときに必要になるのと同じ思考の過程を他人から強制されるか、自ら経ていないかぎり、知識と呼ぶに値する意見を確立することはできない。このため、反対論がない場合、それを作りだすことが不可欠なのだが、きわめて困難でもあるので、そうした反対論を自ら提起する人があらわれたとき、その機会を無視するのは愚かを通り越した最悪の行為ではないだろうか。主流の意見に異議を唱える人がいるか、法律や世論の力で押さえつけられなければそうする人がいるのであれば、そうした人に感謝し、心を開いて反対意見を聞くようにすべきではないだろうか。そして、自分たちの確信を確かなもの、活き活きとしたものにすることを重視するのであれば、自分たちではるかに苦労して行わなければならない作業を行ってくれる人がいることを喜ぼうではないか。

ミルはこうも言っている。

「しばらく多様性を見慣れなくなれば、人類はたちまち多様性を理解できなくなるでしょう」(前掲の永江訳 第3章

我々は、自身に向けられた抗議や違和感の表明を、攻撃としてではなく、自らと自らの社会に与えられた将来の再検討の機会と捉えるべきであると、そう繰り返し主張しておきたい。

自らの幅を狭めることのないように。





そして加えて、だれかのふるまいによって、そのものと同一視されたくないから考えを改める――などということのないように。

いったいそれでは、"自分の考え"というものはどこにあるのか?

*1:後出しではあるが、あのイラストは女性が描いたように思えたので、「だとすると"私女性だけど別に気にならない"とかいう人と相まって粗雑な議論になりそうだ」というのと、「絶対これ"自分はSF的にもっと優れた読みができる"自慢になるぞ…」ということは思った。が、本筋ではないので省いた。もちろん女性が描いたから、また(一部の)女性が認めるからといって批判が無化するわけではないし、あとSF読みというのは往々にしてそういうところがありますですよね?

*2:2つ目のコメントで「ではなく」と、「という」とが比較的近接で連続しているのが無念である…

*3:On Liberty/日本では一般に『自由論』として知られる

*4:※引用者による補記(12/29更新):そういえば、 http://b.hatena.ne.jp/haruhiwai18/20131229#bookmark-175326106 で指摘されるまで頭から抜け落ちていたが、知的な妻を周囲が引くほどに崇拝し、その妻あってこそと『自由論』や『女性の解放』(原題は『女性の隷属』)を書いたミルであれば、彼が主張した(しかし最初は冷笑された)女性参政権が普通に実現し、女性の社会進出もある程度は進んだいまこのときでも、どのようにふるまうかは明白であろう。

*5:※「メタブ」というのがなんなのかわからない人へ。「メタブ」とは「メタブックマーク」の略で、ソーシャルブックマークサービス国内最大手の「はてなブックマーク」において、任意のページをブックマークした上に、さらにブックマークを重ねるという伝統行事です。メタブしながら100字のコメントで他者をDISりあい、文字数が足りずに屋上屋を架していった結果として、何層ものブックマークが積み重なった「メタブタワー」が誕生するという寸法です。

*6:イラストでははてな市になってるが

*7:ある意味、その1枚の絵に込められなかった別の視点や物語を、批判的な他者から提供され、それも含めて、そのものがより"完璧"に近づくということだってある。

*8:Electro Intelligence/Man-machine Interface "電子知性および機械用対人間インターフェイス(=人間の身体性)"、というようなつもりだが、英語として通じるかわからぬ。

*9:日経BP社二〇一一年九月五日 第一版第一刷発行99〜100頁

*10:この部分だけ書籍の引用なのは、このエントリがもともとは、多忙のために中断していた、ミルの自由論に関する別の下書き記事のうちのひとつを流用しているためなのじゃよ…