2007-03-08 そんな餌に完璧に釣られる僕はクマー
■クマー
テスト期間が終わったので、久々にクイズマジックアカデミーをやりにゲーセンに行きました。
リエル、マロン、シャロン、セリオス、カイル、サンダーススキーです。ちなみにQMA4での使用キャラはシャロン。QMA2,3の時はルキア使いでした。
今日は猛者集うドラゴン組から早々降りさせてもらって、フェニックス組でひたすら魔法石を稼いでました。当然決勝戦は4位狙い。と、まぁ調子こいてたら最下位を連続で取ってしまい、、、平均9位まで急降下。9位ってドラゴン組での平均順位より低いですからね。。。笑えねぇ。
久しぶりにハンゲームで麻雀をやりました。しばらく来ないうちに3になってたんですね。BGMがなかなか良いと思います。1勝3敗でした。つまらないところで不注意な牌を切っていたらダメですね。ポイント自体はプラマイゼロくらいだったんですが、反省です。
■株式投資の話
今日の成果は
クオール134000→137000
T&G76500→75400
合計で+1900でした。日経平均17000円回復祭りもあって、割と手を出しやすい相場だったのでは。T&Gで高値掴み狼狽売りしてしまったのが痛い。外資の大人は怖い。
明日はSQなわけですが、さてさてどうなる。。。
■話が飛び飛びですね
話があっちへ行ったりこっちに来たりなので、少し一つに的を絞って語ってみようかと思います。
エクリチュールというのは単に格好をつけたくて用いた横文字です。正確な意味ではないですが、私が意味するところのそれは、日本語では文字媒体、電子媒体といった感じでしょうか。例を挙げるならば、雑誌、小説、漫画、アニメ、ゲーム、絵画、掲示板、メール、チャットなどですね。
これらが何故現代においてここまで流行しているのか。まずはこのオタク・腐女子文化の爆発的流行の理由から考える必要があります。
ここで論じるべきキーワードは、「孤立」と「逃避」、そして「幸福」。この三つの言葉だと思います。
現代人、特に日本人は精神的に一人一人が孤立しています。社会集団の中でうまく溶け込むことのできる人間ですら、しばしばふと精神的孤独を自覚せざるを得ないのは、やはり多くの日本人が精神の拠り所、精神共同体を持っていないからでしょう。
日本人は明治維新以降、欧米で生み出されたあらゆる思想を驚くべき速さで吸収し、急速な発展を遂げました。それは間違いなく大成功でした。領土が小さく、これといった天然資源も取れない山がちな国家が世界二位の大国になったこと、ぶっちゃけ奇跡でしょう。ニートが株をやって種30万から3年で億万長者になるようなもんだと思います。
ところがどうしたことかこの勝ち組ニートの日本人、どこか自信無さげ。幸せじゃなさそう。
なぜなら、早食いは体に悪いとはよく言ったもので、最近になって食あたりを起こしてしまったからです。
個人主義の誤解です。
信じるものを否定して、その上一人ひとりをばらばらにしてしまったら、皆が孤立するに決まってるじゃないですか。
誰が日本人に誤解を導いたのか…はわかりませんが。人間には神であれ何であれ信じるものが必要なんですよ。そりゃ堂々と自分こそが神だと自信を持てる人間もいます。でもそんな人間ばかりじゃない。欧米の個人主義が成り立つのは、Godの存在が前提条件なのではないのでしょうか。Godを信じることで、自分の可能性を前向きに信じることができる。だって彼らはGodの光に照らされているから。そういうところから自己を進んでアピールする精神が育まれるのではないかと思います。
神が人為的にタブーになった国日本、そこに住む日本人は信仰を持っていることが稀有です。つまり私らは神を見ることができないんです。
じゃあどうするか。問題にぶつかったとき、どうするか。
仕方ない、自分を見つめるしかない。
ああ、考えれば考えるほど自分はダメだ。
こうなる。
人間なんて矛盾に満ちていて不完全極まりないものですよね。完璧に信じることができるのって完璧なものだけじゃないですか。裏切られることのなさそうなものだけです。
で、結局最後に行き着くのが、「ダメな自分を受け入れろ」的考え。
つまり日本人は考えれば考えるほど自信を失っていく傾向にある、こう論じられるのではないでしょうか。
‐精神的孤独は社会的孤独を生む傾向があるのではないでしょうか‐
日本人の多くは内心おどおどしながら生きています。
では、そういう日本人が、素振りや仕草がおどおどしている人間を見たとき、どう思うでしょうか。
キモい、かっこ悪い。そう思いませんか。
自分が隠している内面の不安、その醜さを具体的に表現されている様子、それを他人を通して直接目の当たりにするわけですから、プラスの感情など出てくるはずもないでしょう。自覚症状としては気付かないかもしれませんが、この心理の働きは大学デビューした人間や成金がオタクや貧乏人を徹底的に避けることが多い、そういうものと同じようなものだと思います。
だから排除する。不安を態度に示してしまう彼らは排除される。
排除されると人間関係が希薄になる。孤独がはっきりしたものになってしまう。
だから彼らはエクリチュールの世界に自らを没入させ、自分達を排除した社会、そいつを彼らの世界から遠ざけ、目を塞ごうとする。逆に排除しようと試みる。
彼らは逃避するのです。何のために。彼らの幸福のためにです。
日本は村社会だとよく言われます。異質なものを受け付けない、同質化社会。
皆中流。
お前何勘違いしてんの。無駄だよ、そんなことしても。お前よりかはマシだ。
同質なのに、皆内心孤独。
そしていつの間にか生まれた、下を見て笑う文化。自虐ネタの流行。
こいつはありえねぇよ。バカだなぁ。
そう思って笑う。現代人は何と心が貧しく、余裕が無いのかと思います。
こんな笑いで幸せになれるのか。なれるわけがない。
そして、もちろん、そうやって笑われる対象になる人間も幸せになれない。
だから笑う側の人間もエクリチュールに触れなければ、幸福になれないのだと思います。笑われる側の彼らが消極的解決方法としてエクリチュールを選ぶのに対し、いわば彼らは積極的に触れる必要があるのではないでしょうか。自分ではなかなか気付かないのだから。
エクリチュールは他者の言葉を通じて、自分のペースで自己の内部と対話することを可能にします。誰にも言えないが、誰もが抱える問題。エクリチュールに触れることで日本人はそれに共感することができ、しばしば解決に導いてくれます。ようやく孤独から解放されるための糸口を見出せるのです。
そして笑われる側の人間は、逃避を目的にしてはいけないと思います。エクリチュールは、現代社会において孤立した個人が自信を取り戻すための道具として利用されるべきであって、住み家ではないのだから。決して遮断するためにあるのではなく、、、というよりも遮断しようとも現実は手遅れになったころに容赦なく襲い掛かるものですから。
一次的には逃避の場所、二次的にはまた戦う日のためのエクリチュール。
俺だけじゃないんだ。と。
どうせ逃避したって、本質的には絶対諦められない。
‐幸福に近づくための治療薬としてのエクリチュール‐
現代人の人間関係においてエクリチュールの果たすべき役割とは、現実逃避の道具となることで日本人の精神的孤立を加速させることではなく、一時的な現実逃避を許すことで日本人の抱える精神的孤独の受け皿となり、日本人を後押しすることだと、私は思います。
そういう意味で、日本のアキバに代表される現代視覚的文化はこれからもさらに繁栄していくことが望ましい。そう思うのです。
いやはや、カオスな文章だなぁ。
