4月28日(金)

朝まで生テレビはスッキリしない。政治家は際どい質問に対しては急に歯切れが悪くなる。「なんですか?」はないだろう。聞こえてないのか?「護憲的改憲」ってなんだ?そういえば、昔、「違憲合法」ってのがあったなぁ。ま、おもしろから最後まで見てしまいますが。

音速の貴公子

アイルトン・セナが死んだのは高校1年の時だった。サンマリノGP(エンツォ・エ・ディーノ・フェラーリ・サーキット)のタンブレロコーナーで散ったのだ。僕は決勝の日は、ニュースを見ないようにしているのだが、その日に限ってなぜだかニュースを見た。すると、「セナ重体」と!それで、その日のレースは内容そっちのけで、セナ情報ばかりだった。そして、放送途中にセナ死亡のニュースが流れた。実況の三宅さんも、解説の今宮さんも泣いていた(僕は寝てましたが)。
なぜセナが凄いのかということは分からない。簡単に言うと『速い』のだ。その証拠に、予選1位(ポールポジション)を60回以上獲得している。これはダントツの記録である。レース全体では、アラン・プロストのほうが速かったりするが、一発の早さではセナなのだ。
1988年、マクラーレン・ホンダが16戦中15勝した年、セナは初のワールドチャンピオンに輝いた。決めた場所は、鈴鹿サーキット。ホンダの地元である。結局、セナはホンダエンジン時代が速かった。セナ+ホンダは最強コンビに思えた。翌89年も同じく、鈴鹿でチャンピオンが決まった。今回は、シケインでチームメイトのプロストと接触し、その後レースに復帰するが失格となり、プロストがチャンピオンとなった。90年、プロストはフェラーリに移った。そしてまたも、チャンピオンは鈴鹿で決まった。セナとプロストは、レース開始後の1コーナーでいきなり接触し、2台ともリタイア。またも後味悪い結果となった(セナがチャンピオン)。91年、苦しみながらもセナ&ホンダは勝った。ギリギリの勝利だった。そして、92年、ホンダが撤退を決めた年、着実に力を付けてきたウィリアムズ・ルノー&ナイジェル・マンセルに開幕5連勝を決められ、あっさりとチャンピオンも決められた。しかし、セナのベストレースとも言えるのが、マンセルの開幕からの連勝をストップさせたモナコGPだと思う。モナコで勝つことは他の5つのGPに勝つことに等しいと言われる。かつて、貧しい家の生まれだったグラハム・ヒル(デーモン・ヒルの父)は、モナコで通算5(6?)度の勝利をあげ、社交界に迎えられた。(ちなみにイギリスでは、F1ドライバーにはサーの称号が与えられる)今までモナコで勝ってないマンセルにとって、悲願の勝利だったはずである。しかし、レース終盤に、マンセルは原因不明のタイヤトラブルでピットイン、レースに戻るとセナが先行していた。そこからマンセルは猛追するが、如何せん、モナコはパッシングポイントが少ない。1コーナーでも無理、続くカジノコーナー、ミラボー、ステーションヘアピンでも無理。かつてセナが神を見たといわれるポルティエ・コーナーでもマンセルは仕掛けるが無理。唯一のポイントとも言えるトンネルを出た後のヌーベル・シケインでもセナは抑えた。まさに、神業だった。ちなみにモナコGPは、一回のレース中に6000回もシフトチェンジをするらしい。
考えてみると、マンセルも不運ばかりである。86年、チャンピオンをほぼ手中にしながら、オーストラリアGPで突然のタイヤ・バースト!87年も鈴鹿でクラッシュ。91年も鈴鹿で・・・。92年こそはチャンピオンになったが、味気ないシーズンだった。やはり、セナやマンセルやプロストがいた時代がおもしろかった。これは単に懐古してるんじゃない。現に、シューマッハハッキネンには、カリスマ性を見いだすことができない。残念である。

天才とは急逝するのか?ジム・クラークアルベルト・アスカリ、ヨッヘン・リント、ロニー・ピーターソン、ジル・ビルヌーヴ、そしてアイルトン・セナ。桜は散るから美しいのか、美しいから散るのか?