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アドファイブ日記

2016-07-27

「カンデル神経科学」を読み始めた

最近煮詰まってるのと、もうすぐ38歳の誕生日ということで、自分へのプレゼントとして買って読み始めました。

脳科学は元々興味あったし、知人(いしたー(@sonicair)さん | Twitter)が神経科学を学ぶぜっていうツイートをしてたりしたのがキッカケ。
パラパラと3時間くらい読んでみたのだけど、かなり面白い。例えばどういう話があるかの例はこの記事とか。

神経科学って分子生物学細胞生物学遺伝子生物学といった生物のミクロなメカニズムを解明する分野と認知心理学実験心理学人工知能(計算論的神経科学)といった神経システムの機能的な仕組みを解明しようとする分野とが一体となって発展している学問で、それぞれかなりのことが既に分かってもいるしまだまだ謎な部分も多くあるという、非常にエキサイティングな分野。

僕のモチベーションは当然ながら、脳や神経系統に備わっている「高度な情報処理の仕組み」を人工知能アルゴリズムとして工学的に転用することでビジネスとして儲けたいというものなのだが、そういう動機でこの本を読もうとすると割と門前払いな感じになるようだ。というのも、いわゆるニューロンの活動一つとっても電気的なメカニズムと「化学的な」メカニズムが渾然一体となって作動しており、ニューラルネットワークとして単純な計算モデルに置き換えられた世界とは違って実際のニューロンはそれが神経系統のどの部位を占めているかやどんな回路を担っているかによってニューロンという素子のレベルで既にかなりの多様性があり、素子ひとつとっても単純化できなかったりする。またそうした情報信号の伝達に関わるメカニズムに加えて、生理代謝を担う仕組みも密接にくっついていて、信号伝達と生理代謝が不可分だったりもする*1

もちろんそうした神経メカニズムの中には、「計算論的に見たら」捨ててしまっても大丈夫な部分もあるかもしれないが、何が必要で何が不要かをどうやって見分けたらいいかという手がかりもイマイチつかみどころがなく、とても難しい。そうした背景もあって、計算論的神経科学という分野はまだまだ発展途上にあるのだろうけど。

このような教科書を僕が読むことは、現時点ではあまり自分に実益をもたらすとは思えない。単なる教養として「あー面白かった」で終わりそうな気もする。でも、すごく面白いし、ほそぼそと読み進めようと思う。

ただ、この本をパラ読みした段階で一つ良いことがあった。それは、近年の(第三次)人工知能ブームのキーテクノロジとされているディープラーニングについて、それが期待されているほどのポテンシャルを持ってないじゃないかと冷静に思えてくることだ。神経科学の深遠さを想像するに、ディープラーニングの汎用人工知能への寄与としてのポテンシャルはそれほど大きくないように思えた。ディープラーニングはどちらかというと人工知能というより機械学習という枠組みに限定した基盤技術として発展するように思う*2。もちろんそれだけでも産業インパクトは少なからずあるだろうけど。

で、冷静によーく現在の「ビジネスサイドから人工知能技術に期待されていること」を精査してみれば、ディープラーニンググーグルフェイスブックといったもともとのビジネス規模やデータ規模が莫大であるような領域においてある程度の漸進的イノベーションを起こしうる技術というだけで、「大半の期待」は「古典的なAIの要素技術」で十分に応えうるものなのではないかと感じる。IBMのWatsonというシステムは商用システムとして成功する期待感があるが、Watsonの中身は古典的なAI最先端AIハイブリッド構成であると聞く。

現在の人工知能ブームはそれが空虚なものでは決して無いことは確かだ。かつての「クラウドコンピューティング」というパラダイムシフトが大いに期待感をもって迎えられ、実際に社会に浸透したように人工知能というのはITの使われ方における着実なパラダイムシフトだと思う。それは、ディープラーニングという技術的ブレークスルーがもたらしうるインパクトよりも遥かに大きな市場機会であると思われる。

そういうディープラーニングの射程距離(の限界)に逆説的に確信を持ちえそうであることが、僕にとってこの深淵な神経科学という体系をかじり始めることの一つの意義になりそうな気がした。

人工知能、先端も古典も50歩100歩。むしろ産業側のニーズとしてIT市場の確実なパラダイムシフトとして人工知能が必須技術となったIT産業。

ゆえに古典も先端もなく目の前の課題をとにかく解いていけば自分は(少なくとも市場サイドとしての)時代には遅れを取らずに済むのではないか、と。そう思いながらこの本を教養として読み進めようと思うんだよな。

*1グリア細胞の存在とか

*2:なぜなら、その背景に「身体」が無いから