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アドファイブ日記

2017-02-21

「点の読み」と「線の読み」〜脳とAIの機能的交差点〜

(本記事のタイトルと一見離れた出だしの文章ですが、論旨はあとで結びつくので、よろしければ長文お付き合いください)

今年に入って正月から将棋にハマり直している。大学時代に趣味でネット将棋をたくさんしたり定跡書や詰将棋をそれなりにこなしたこともあって、僕は町道場三段くらいの腕前なのだがそのレベルでもう十年以上止まっている。たまに思い出したように将棋熱が再燃しては将棋練習に取り組んでみるも、その度ごとにそれ以上の上達がなくて熱が冷める、ということを断続的に繰り返してきた。で、今回もそんな繰り返しの一つかなと思いつつの将棋マイブームだ。

将棋はいまプロ棋士よりもコンピュータ将棋ソフトのほうが強いというのが暗黙の了解になっていて、いわゆる「AIが人間を超えてしまった分野」の好例とも言える。僕は学生時代にコンピュータ将棋ソフトを趣味で開発してコンピュータ将棋選手権にでたりしてたこともあって、コンピュータ将棋の中身についてそこそこ知識をもっているのだが、将棋AIの強さを端的に表現するなら、ずばり「点の読み」に強い。

ここで「点の読み」というのは、その都度その都度の局面で「毎回ゼロベースで思考する」といったニュアンスだ。例えば、ある場面で「相手の王に詰みがあるかどうか」とか、「一気に優勢に立つうまい手順があるかどうか」とか、そうしたその局面でゼロベースで考えても答えが出せるような課題設定をしてそれを解くという思考の仕方のことだ。

それに対して、AIが行わない人間特有の「線の読み」というものがある。それは例えば、「一手前の自分が狙った手に対応する手を相手が指してきたので、狙いを封じられていて次の狙いをもう一度繰り出す必要のある局面かもしれない」とか、「先手がずっとリスクを取り(=先に損失を出し)ながら攻めて後手がそれを受け止める展開が続いていたのに、その損失を取り戻すことがないまま突然先手が攻めの手を止めてしまった、ということは先手の攻めが失敗に終わった局面なのかもしれない」とか、そういう思考の仕方のことだ。

「線の読み」で特に面白いのは、それが「点の読み」に対するある種のメタ思考になっているところだ。上で述べた「線の読み」の例はいずれも、「〜という(表面的な)現象が起きてるから、(局面の詳細を精査せずとも)〜という局面かもしれないな」という風に、具体的な局面の詳細を読むことなしに(つまり、「点の読み」をすることなしに)、メタ思考のパターンを適用している。これが「線の読み」の特徴だ。

そうした「線の読み」に見られるメタ思考は、「点の読み」の思考と比べて「正しい保証がない」。「〜という局面かもしれない」という蓋然性の認識、つまり仮説を立てているだけだ。そういう思考の仕方は難しい言葉でアブダクションと言われていると思うが、このアブダクションの能力こそが人間がAIよりも圧倒的に少ない計算力で「そこそこ」の品質の思考を遂行できる強みを支えている。

で、将棋のプロ棋士の強さはその「点の読み」の強さと「線の読み」の強さの総合力で構成されていると思う。それで、最近(というか今日)、僕自身の棋力がずっとアマ三段止まりでいるのは僕が将棋の勉強も実戦も「点の読み」ばかりを重視しているからだということに気づいた。

僕の将棋の勉強の仕方というのは、将棋AIを趣味で作っていたバイアスに影響されてか、専ら「詰将棋を解く」「ある定跡で有利不利を決定的に左右する場面を暗記する」「ある局面で正解となる次の一手を考える」というものばかりで、「ここまでこっちが攻めてきたのに急に手の流れが変わるんだな」とか「この定跡はここまでは先手が誘導してここからは後手に選択肢があるんだけどそれ以降は先手が応じて悪くならない流れなんだな」とか「よくわからないけどこういう手をこっちが指しちゃったってことはもうこっちの王様は守っても守りきれない形なんだな」とかそういう具体的な内容を精査することなしに表面的なパターンだけを見て状況を推測する訓練はほとんどしてこなかった。

そのため、僕が将棋を指すときの思考の仕方は、せっかく人間に生まれて頭脳を授かったにもかかわらずコンピュータのように効率の悪いゼロベースの「点の読み」を毎回繰り返すやり方になってしまっているのだな、と。

ここでおそらくさらに重要な点は、「点の読み」と「線の読み」が両方できると強さが足し算ではなく掛け算で向上しそうな点だ。両者は相互補完的なだけでなく相乗効果があるのだ。

例えば、ある局面で「点の読み」をした結果「こっちの王様はこれこれこういう手順で詰む寸前なので危ない」ということが分かり、それを「相手のここまでの手の流れはこちらの攻めを受け止める手ばかりの守り一方だった」という表面的なパターンと総合して「線の読み」を適用した結果、「相手はこちらの攻めを受け止める間に戦力を温存し駒を貯めて*1、一瞬の反撃を狙っている」という流れを認識することができ、さらにその状況を踏まえて「じゃあなるべく相手の戦力が増えないちょうどいい加減でこちらは攻めて、反撃がこないように攻め続けるには次にどういう手を指せば良いか」を「点の読み」を使って思考して次の一手を決める、といったことが可能になるだろう。

プロ棋士はそういう「点」と「線」を相互に繰り返すことで、今や1秒間に数百万手を探索する将棋AIを相手に簡単には負けない戦いを行えているのだろう。

「線の読み」のところで述べたアブダクション自体は、人工知能にもそれを可能しようと研究している人たちはいる*2。しかし、仮にアブダクション相当のことがAIの要素技術として可能になったとしても、人間のように「点の思考」と「線の思考」を相互に補完させてそこから思考の相乗効果を引き出すためには、アブダクションアルゴリズムと探索や機械学習アルゴリズムを都度相互補完させる形で駆動させて思考の品質を向上させるようなもう一段上の統合技術を別途研究し実現する必要がある。そして、それは現在のAIの研究レベルからしたらもう数ステップぶんのブレークスルーを要する険しい道だと思われる。

ここまでの本記事の論旨でご明察のとおり、今のAIのブームは主に「点の読み」、言い換えると「点の思考」においてAIがかなりの場面で人間を超える水準に来てしまったことに起因している。そして今のAIは「線の読み」ができない。

この場所こそが人間の思考とAIの思考の交差点であり、人間の思考能力がもうかなり暫くの間AIに対して優位性を発揮できる点だ。繰り返すとそれは、「線の思考」と「点と線を相互補完させ相乗効果を引き出す思考」の2つである。


そして、ここでもう一つ僕にとって気づくことがあった。それは僕の最近の将棋マイブームについて述べた「点の思考を過度に重視する姿勢」は、僕のビジネスの姿勢にも現れちゃっているということだ。僕が起業して約5年の間にお金を稼いだそのやり方は専ら都度都度のコンサルティングと受託開発という「点の思考」の瞬発力の強みに寄っている。もちろん僕なりに長期的な戦略をもって何かを継続し積み上げるような方法を試してはみたものの、その5年の間にうまくいっていないのは戦略を立案してそれに取り組む際に「点の思考」のみを使って来たからではないだろうか、と。

会社経営において、「点の思考」、「線の思考」、「点と線の補完的・相乗的な思考」、それらをスパイラルに繰り返して行くような思考プロセスをマスターすることは、

  • 「プロダクトアウト」と「マーケットイン」のいずれが効果的なのか?
  • 「自分のやりたいこと」と「社会が求めること」が相反するときにどう折り合いをつけるのか?

といったトレードオフになりがちな課題に対する実践的応用力を培うことに等しいのではないか?

そういうことを思ったのだった。

長くなりましたが、ここまで読んでいただいてありがとうございます。

ではまた。

*1将棋は取った駒をあとで使えるルールなので、攻めを受け止めて守っている間に戦力が増えて行くという事態は普通によく起きる

*2:例えば元東工大教授の佐藤泰介先生(僕の修士課程の時の指導教官)がいらっしゃいます。