今こそ国のグランドデザインを

 東日本大震災から10日余りが過ぎた3月22日、枝野幸男官房長官は記者会見で、震災復興に向けた施策を統括的に担当する「復興庁」の設置に取り組む姿勢を示した。1923年の関東大震災の際に「帝都復興院」を設けて復興計画の原案を作成した例にならったもので、自民党石原伸晃幹事長や公明党井上義久幹事長などから設置を求める声が上がっていたものだ。みんなの党も25日に、与野党党首や自治体の首長、民間人を議員とする「東日本復興院」を仙台に置く構想を発表した。
 枝野氏は会見で、「復興に対して、まとまった機能を果たしていく組織は、当然考えていかなければならない」と述べたが、その後の具体的な動きは鈍い。というのも半月以上たっても死者数すら確定できない未曾有の大惨事に加えて、福島第1原子力発電所の事故が一向に収束に向かわず、官邸は被災者救援・原発対応に忙殺されていることから、「復興にまで頭が回らない」というのが実態なのだ。
被災者救援は最重要だが
 事実、震災後に「復興案の早期策定」を求めて元議員がある官房副長官に電話したところ、「重要性は分かりますが、今はその余裕がありません」という反応だったという。菅直人首相に「シンクタンク」と位置づけられていたはずの国家戦略室は、ほとんどが被災者救援対策に駆り出され、中長期的な戦略を策定する「頭脳」が政権内に存在しない状態が続いていると言っても過言ではない。
 緊急時となって平時の業務を事実上見合わせている官僚たちも内閣官房内閣府には多数いるが、業務の変更などを的確に指示できる幹部がいないことから動くに動けないというのが実情だ。民主党が掲げた「政治主導」も、主導するはずの大臣や副大臣大臣政務官が緊急対応で手一杯となれば、まったく機能しない。
 復興庁が設立に向けて動き出したにしても、厄介な問題がある。ひと口に「復興庁」「復興院」と言っても、発言する人の立場によって思いが異なることだ。
 岩手県達増拓也知事は真っ先に「東北復興院」の必要性を訴えたひとりだが、「県や市町村のキャパシティーを超える事態に直面している」という窮状を救うために「国」が乗り出して欲しい、という意見だった。救援活動が各省庁バラバラに動くのではなく、一本化された「国の機関」が行なうことは重要だが、要は、目先の救援を担う組織の整備が求められているわけだ。
今こそ「国のかたち」を見直せ
 だが、関東大震災後の帝都復興院の役割は違う。最大の成果は未来を見据えた都市計画を打ち出したことだと言えよう。満鉄総裁や内務大臣、東京市長などを歴任した後藤新平が総裁となり、「大風呂敷」と揶揄されながらも、復興に向けた大プランをぶち上げた。内容は大規模な区画整理や公園・幹線道路の整備だった。自動車が普及していない当時にあって、幅員80メートルの道路計画などを打ち出した。当時の国家予算の1年分に当たる13億円という復興予算案を出したが、財界などからの強い反対にあって、大幅に計画を縮小。それでも5億7500万円をつぎ込んだ。現在の国家予算にひき直せば、40兆円−50兆円というところだろう。当時、批判された公園や道路は、その後の東京の骨格となり、経済成長の受け皿になったのは多くの学者の指摘するところだ。
 もちろん、生活の早急な復旧や被災者救援が大切なことは言うまでもない。しかしながら、無計画に旧に復するのでは、その後の発展が見込めないことも事実だろう。今こそ、日本の復活に向けたグランドデザインを描くことが重要だと考える。
 今回の震災では幸い首都の崩壊は免れた。だが、福島の原発事故は収束のメドすら立たず、半径30キロ圏にわたって事実上、人が居住できない状態が続いている。また、首都圏も深刻な電力不足が今後も続く見通しで、電力の安定供給のメドも立っていない。もはや東北を中心とする被災地域の復興だけではなく、日本全体の「国のかたち」の抜本的な見直しが必要になっているのだ。
原発」も国民全体で議論を
 間違いなくエネルギー政策の全面的な見直しが不可欠になるだろう。日本はいつの間にか原子炉を55(休止中を含む)も持つ原発大国になった。この間、原子力を巡る国民的な議論が行なわれてきたとは言いがたい。マスメディアでも原発問題はタブー視され、極端な反対論と積極的な賛成論以外の議論が抜け落ちていた。それが証拠に、原子力放射線に対する国民の知識は私自身を含めて驚くほど少ない。学校教育でも原発が積極的に取り上げられることは少なかった。
 原発に賛成か反対かではなく、このままではどこの自治体の住民も新設を認めないだろう。稼働している原発の休止を求める声が上がる可能性も否定できない。しかし、その一方で電源の3割を原発に頼ってきた事実がある。
 シュレーダー政権で原発すべての停止方針を打ち出したドイツは参考になる。10年なり15年後までにすべての原発を段階的に停止することをまず決め、その間に国民的な議論を真剣に行なう。代替エネルギーの確保だけでなく、原発の要不要についても、もう一度議論することが求められる。

 政府のあり方についても見直しが必要だろう。道州制に向けた、中央政府と地方政府の役割を考え直す良い機会と捉えるべきだ。東京に過度に一極集中している首都機能の見直しは、真っ先に行なわれなければならない。
 今回の地震放射能問題、電力供給の不安定化で、外国大使館や外資系企業は、軒並み東京退避の動きを見せた。大阪など日本の他都市に移すだけではなく、香港など海外に拠点の機能を移した会社もある。
 電力の安定供給にメドがつかない限り、こうした会社などは長期にわたって東京に戻ってくることはないだろう。きちんとしたマスタープランに基づいて首都機能を分散していかねば、企業の“自主退避”が加速し、東京だけでなく日本全体が沈没しかねない。大阪や名古屋、福岡といった既存大都市への分散を促すような政策的な取り組みが不可欠になる。
 この際、国会や霞が関の機能を、南東北に移転してはどうか。首都機能移転で最終候補に残った土地でもあり、今回の被災地にも近い。エネルギー効率が高く二酸化炭素を出さない「スマートシティ」、安全性の高い「防災都市」のモデル都市として、新都を建設すれば、有効需要や雇用が生まれ、被災地の経済復興にも大きく役立つだろう。
 その他にも、成田・羽田に集中している国際航空路のハブ空港機能を、北海道や九州にも設けるなど、分散型国土の形成に向けた施策は数多くある。そうしたアイデアを広く集め、政策としてまとめていくための、「日本復興院」の機能を早急に立ち上げることが必要だ。震災復旧という目先急がねばならない「復興」と、日本の「国のかたち」を作り直すためのグランドデザインを描く中長期的な「復興」を同時に進めなければならない。
財源は日銀ではなく国民から
 復興プランを作るに当たって、当然のことながら財源も考えておかなければならない。帝都復興院の当初プランが国家の年間予算規模、実行した予算が5割だったことを考えると、今回の復興と国づくりにかけるべき総費用は100兆円、国が手当てすべき財源は50兆円だ。
 ではどうやって50兆円を調達するか。すでに20兆円の国債を発行して日銀が引き受けるべし、という議論も多くの識者から出されている。だが、日銀引受は市場が吸収できなくなった場合のラストリゾートとして温存しておくべきで、軽々に発動すべきではない。
 まずは、相続税の対象から除外できる無利子国債の発行はどうか。高齢者層に滞留する預金などの資産を「復興国債」に回し、次世代に繰り越すことで、今必要な資金をひねり出すことができるのではないか。無利子に加えて災害復興寄付金付として額面以上で売り出すことも可能かもしれない。国民の善意に期待して資金を集める方策をまずは考えるべきだろう。
 1200兆円を超える個人金融資産の規模からすれば、50兆円を政府が調達することは難しくない。ただ、その際に不可欠なのが、資金の使い道を明確に示した「ビジョン」であることは論を俟たない。そのためにも、資金の出し手が期待を抱き続けるような、中長期の国家復興計画を早急に示す必要がある。
日本の「見切り売り」を許すな
 それは日本国内の資金の出し手に限らない問題だ。既に日本国債や日本の株式を保有する外国人投資家に、日本を「見切り売り」させないためにも、日本の復活シナリオを早急に描き出す必要がある。米国のクリントン国務長官は「日本はより強い国になる」と発言している。米国政府要人のこうした発言は、日本の市場を安定させ、過大な不安心理による市場崩壊を防ぐことにつながっている。
 東京では、電力の供給不安による消費の減退などが明らかで、統計上のGDP国内総生産)成長率が大きく落ちることは避けられない見通しだ。経済悪化を示す数字が次々と明らかになったとして、マーケットに不安感が広がらないようにするためにも、明確な将来ビジョンを示すことが不可欠だろう。政府が目先の対応で手一杯なら、野党や民間などが叡智を結集して、日本復興計画を早急に策定すべきだ。

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