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2011-06-24

IFRS、「米国は判断先送り」は本当か。嘘の材料を使って日本は先送りを決めた?

| 22:19

30日に開かれる企業会計審議会では冒頭、国際会計基準IFRSの全上場企業への導入先送りが決められるそうです。何の議論もなしにです。一部の企業人がまとめた“血判状まがい”が、ここまで政治的に効果を発揮するとは思いませんでした。反IFRS派の人たちはロビイストとしては猛烈に優秀です。

彼らに乗せられた自見金融担当大臣はIFRS先送りの自身の判断が日本の製造業を救ったと上機嫌で話しているそうです。

反IFRSの彼らに、私の書いている記事は「悪あがき」と評されているようです。何と言われようとグローバル競争の中で日本企業が真の競争力を身に付け、日本経済が復活することを願って、事実を追いかけ、発信していきたいと思います。20年以上この問題を見続けてきた記者の責任だと思っています。

日本経済新聞の6月21日付けは「IFRSへの統一を表明していた米SECが、事実上判断を先送り」と書いていましたが、ちょっと話が違うのではないかと思い、米国在住のジャーナリストに聞いてみました。彼はSECに直接取材しています。彼によると、

米国、管轄でいうならSECは、先送りとは一言も言っていない。スタッフレベルで、ロードマップ策定のうえで守るべき国益を語っただけ。SECのシャピロ委員長もコメントを避けた」

という話です。

彼は加えて、「金融庁経団連は嘘の情報を使って、日本の先送りを決めたわけです。金融庁の判断結果はおいておいて、嘘の材料を使って政策を決めるのは政策決定のデュープロセスに反します」という厳しい指摘を送ってきました。

金融庁幹部は遅まきながら米国へ出張するようです。是非とも米国で真実を見極めてきて欲しいものです。SECから本音を聞き出せる日ごろの人間関係があるかどうかが問われますが。。

FACTAの7月号にも前月号に続いてIFRS話を書いています。題して「なんちゃって血判状の腰砕け」。http://facta.co.jp/article/201107008.html 近いうちにブログへの転載を編集部からお許し願おうかと思っています。

2011-06-22

国際会計基準IFRS先送り、「政治決断」で失われる国益

| 11:25

霞が関に役人は優秀で、自分自身が正しいと思う政策を持っているいるが、本当に実行できるかとなると立場は弱い。とくに、政治家と上司に「指示」された場合、それに従わざるをえない。というか、それが役人の出世の道だ。

今、金融庁で起きていることは、まさしくこれだ。金融庁の現場は、経済がグローバル化する中で日本が存在感を維持し、日本の主張を少しでも通せるように、会計基準の国際化、IFRSの基準づくりでの発言権の拡大に務めてきた。

ところがここへきて、反IFRS派が「上司」である金融庁長官に要望書なるものを提出、会計に明るくない自見金融大臣を篭絡してIFRS先送りを決めようとしている。大臣が記者会見で配った資料まで反対派の頭目が作るという一種異様なまでの動きだ。

国民で広く議論が必要だと言いながら、議論をせず、政治家や役人、大手メディアに圧力をかけて、議論を封殺するのは「政策テロ」に他ならない。

要望書に名前を書いた企業が、いかに誑かされて署名したかは、今週発売のFACTA7月号の連載の中で「なんちゃって血判状の腰砕け」として詳しく書いた。 http://facta.co.jp/article/201107008.html

また、ここへきての急な動きをとりあえず「現代ビジネス」にまとめておきましたので、ご一読いただければと思います。現代ビジネスのページ(無料)→ http://gendai.ismedia.jp/articles/-/9505

編集部のご厚意でこの以下(ブログの「経済ニュースの裏側」)にも貼り付けておきます。

日本企業は「国際競争」から脱落する 自見金融相が主導する「国際会計基準IFRS」導入先送りへの懸念 これまでの方針を「政治主導」で一転

| 11:22

講談社「現代ビジネス」で6月22日朝にアップされた原稿を編集部のご厚意で以下に再掲します。


 20年以上にわたって繰り広げられてきた会計基準の国際化論議。経済のグローバル化に伴って、ビジネスのルールである会計基準を国際的に統一していくという流れの中で、日本では、国際会計基準IFRSを上場企業に義務付けることで決着するかに思われた。ところが、一部の反対派が政治力を駆使して一気に巻き返し、再び先送りの気配が濃厚に。国力が弱まっている今、「会計鎖国」に踏み切れば、日本は一気に没落することになりかねない。

 金融庁は6月末に企業会計審議会を開き、IFRSの日本企業への適用を先送りする方針を固めた。2009年に開いた同じ審議会で、2012年までに日本の上場企業にIFRS利用を義務付けるかどうか決定、2015年か16年から適用を開始するというスケジュールを決めていた。この日程を2〜3年先送りする、というものだ。

東日本大震災を先送りの理由にしているが、実際は違う。2015年をメドにIFRSの導入を準備している多くの企業にとっては寝耳に水。混乱は必至の情勢だ。


「IFRSっていうのは小泉・竹中だろう?」

 IFRS導入に向けて準備を進めてきたはずの金融庁が一転、方針を変えた背景には、"政治主導"の政策転換があった。

「IFRS導入は白紙撤回だ」

 自見庄三郎・金融担当大臣が金融庁の幹部に突然、そんな指示を出したのは6月のはじめだった。実は5月25日付けで大手企業が名を連ねた「我が国のIFRS対応に関する要望」が三国谷勝範・金融庁長官あてに出されていた。

 要望事項は、IFRSの扱いについての早急な議論の開始することと、結論が出るまで時間がかかる場合には準備期間を十分にとること、の二点。ところが、別紙としてIFRS導入を白紙撤回することなどを求める一部企業人の意見などが付けられており、真の狙いが反IFRSにあることは明らかだった。この要望書を持って、自見氏のところに陳情が来たことは自見氏自身も認めている。

 陳情した人物が自見氏にIFRSについてどんな説明をし、その結果として自見氏が「白紙撤回」を指示したのかは分からない。だが、その後、自見氏が会った金融関係者に発した質問を聞けば、大臣としての理解の浅さが分かる。

 自見氏は何と聞いたか。

「IFRSっていうのは小泉・竹中だろう?」

 尋ねられた人物は耳を疑ったという。

 自見氏が所属する国民新党郵政民営化を推し進めた小泉純一郎首相竹中平蔵総務相による、いわゆる「小泉・竹中改革」を全面否定し続けてきた。陳情した人物はIFRSは小泉竹中改革の一環だという説明をすることで、自見氏に反IFRSへと舵を切らせたのだろうか。


国際的なルールづくりの場から脱落する

 金融庁長官への要望書には新日本製鉄やトヨタ自動車、キヤノンなど名だたる企業の役員が名前を連ねている。前文には「企業・団体としての要望」と断り書きがしてあるが、実際にサインしているのは副社長や執行役員、顧問など。どうみても会社の総意として出した要望書ではない。

 この要望書を取りまとめたのは佐藤行弘氏。三菱電機の財務担当役員を務め、現在は常任顧問という肩書きだ。なぜ、佐藤氏がそこまで反IFRSで凝り固まっているかは不明だが、「IFRSを日本に導入したら大変なことになる」と言って、政治家や幹部官僚、メディアを陳情して歩いている。経済産業省平塚敦之・企業会計室長と共に、反IFRSの急先鋒となってきた。

 平塚氏らは経産省出身者がいるシンクタンクの東京財団を使って反IFRSのキャンペーンを展開。東京財団の上席研究員である岩井克人・元東京大学教授らに「IFRSに異議あり」という本まで出版させた。本の帯には「強制適用に断固反対する」と記されている。

 同書では、会計基準のあり方は国益や企業の利益に直結する問題だとしている。一方で、IFRSを決めているIASB(国際会計基準審議会)にプレッシャーをかけつつ、IFRSの内容を日本に有利なように導いていくべきだとしている。いずれも正論だ。だが、そのための結論がなぜ反IFRSなのか。

 20年にわたる会計基準の国際的な統一のプロセスで、日本は大きな議論を経ながらも、連結中心の決算への移行や、保有株式などへの時価会計の導入、含み損を抱えた資産の損失処理をする減損会計の整備なども行った。日本の会計基準は国際基準とほぼ遜色ないところまできており、IFRS導入のメドが立ちつつあった。

 一方で、IFRSを作るIASBには当初から理事1人を送り込み、理事を選ぶ評議員会には2人の日本人がいる。日本の経済力がつるべ落としとなる中でそれだけのポストを確保できたのは、IFRS推進派の人たちの努力によるものだ。

 現在、理事や評議員のポストは韓国シンガポール中国ブラジルなどの成長著しい国々が虎視眈々と狙っており、どちらかというと日本は防戦に晒されている。「ここでIFRS導入を先送りすれば、確実に日本はこうしたポストを失う」と評議員の1人で評議員会副議長にも選ばれている藤沼亜起・元日本公認会計士協会会長は力を落とす。

 IASBの動向をチェックする政府監督者の集まりである「モニタリングボード」には、米SEC(証券取引委員会)やEC(欧州委員会)と並んで日本の金融庁も選ばれ、三国谷長官も出席している。

 つまり、IFRSの作成に当たって、日本が自分たちの主張を最も通しやすいポストを得ているのだ。IFRSに背を向けても日本の意見は聞いてくれる、という反対派の主張は、国際的なルール作りの場で繰り広げられるヘゲモニー争いの凄まじさを知らない傍観者の論理だろう。


巨額な買収に日本企業が乗り遅れる

 IFRS反対派は、企業が選択適用できるのだからそれで十分だと主張する。確かに、事業や株主構成がグローバル化している企業は、政府の方針がどうあれIFRSへ移行していくことになるだろう。

 その際、不利益を蒙るのは投資家だ。日本の同じ市場に上場する企業でありながら、情報開示の基準がバラバラでは、企業間の比較ができなくなる。株主や投資家に一つのモノサシで情報を提供できない市場は、資本市場としては質が低いということになる。

 それでなくとも東京市場は世界のマーケットから大きく劣後しつつある。「なんでここまできてIFRS先送りなのか、まったく理解できない」と市場の質に責任を負う立場である斉藤惇・東京証券取引所社長は呆れる。

 では、本当に日本基準に固執することが日本の国益にかなうのか。

 一例を挙げよう。企業が他の企業を買収した際、買収した価格と企業の資産価値との差を「のれん代」と称する。長年、こののれん代の会計処理方法については議論があるのだが、現在のIFRSでは、のれん代は償却しなくてよいことになっている。つまり、毎期の決算の費用としてマイナスは生じないのだ。これに対して日本基準の場合、のれん代は毎期償却しなければならない。経費が膨らみ、決算を圧迫するわけだ。

 これはどちらが会計基準として正しいか、という論理ではない。例えば国際市場で巨額の買収合戦が起きたとしよう。IFRSを採用している欧州企業や中国企業は経費負担を気にせず、巨額の買収を行うことができる。一方、日本企業はのれん代の償却負担を気にして巨額買収を躊躇せざるを得なくなる可能性がある。つまり、ルールが違うために、企業行動が制約されるのだ。これはグローバルに競争しようとしている企業にとっては死活問題だ。

 こうした問題が現実になっている。武田薬品工業スイス医薬品会社を1兆円超で買収したが、武田が日本基準を続けた場合、巨額ののれん代の償却が発生する。おそらく武田としてはIFRSを任意適用する他ないだろう。


再びグローバル化に背を向けるのか

 グローバルに展開している企業はともかく、中堅企業にまでIFRSを義務付ける必要は無い、というのも反対派の主張だ。果たしてそうか。

 巷間、日本国債のデフォルトリスクなどが語られている。増税路線に舵を切りたい財務省などが過度に煽っている面もあるが、日本市場での金利上昇や資金不足を指摘する声がある。仮にそうなれば、企業金融の環境も大激変である。

 リーマンショック後に短期市場から資金が枯渇した際、大企業は我れ先に資金確保に走った。現実にはマーケットで資金が取れずに冷や汗をかいたのは中堅企業である。日本全体で金融逼迫が起きた場合、中堅企業がアジアなど海外での資金調達に依存せざるをえなくなる可能性もある。その時に世界に通用する会計基準で情報開示していなかったとしたらどうなるか。

 国内市場が収縮を続ける中で、これからますます、企業の頼みの綱は海外になっていく。国際的に通用するIFRSの採用は導入時には企業のコストになるかもしれないが、リスクヘッジの効果は十分にあるだろう。

 IFRS推進派と言われる人たちはグローバル化の中で日々戦いながら日本の国益を守ろうとしてきた人たちが多い。彼らは今、激しい虚脱感に襲われている。一部の反対派の煽動に乗った政治家のツルの一声で、これまで積み重ねてきた努力が水泡に帰してしまう、というわけだ。

 このまま「平成の開国」は掛け声倒れに終わり、再びグローバル化に背を向けた鎖国へと戻っていくのか。IFRS問題は単に会計基準という専門分野の問題に留まらず、日本の行く末を左右する大きな試金石である。

2011-06-18

「幸せとは何か」ブータン王国レポート(中)

| 12:08

お待たせ致しました。講談社ウェブ「現代ビジネス」にブータン・レポートの続編がアップされました。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/8616

編集部のご厚意で、以下に掲載させていただきます。是非ご一読ください。


 「幸せとは何か」を探るブータン王国の旅を続けよう。

 ブータンの時間はゆっくりと流れている。飛行機はスケジュールに従って到着するが、空港から先はブータン時間。分刻みに予定をこなすことなど、あり得ない。

 鉄道のないこの国では移動手段は自動車か徒歩。モータリゼーションが進みつつあるとはいえ、まだまだ徒歩も重要な移動手段で、車が走る山道を荷物を持って歩いている人も多く見かける。外国人観光客はガイドとドライバーを雇うルールになっているので移動に困ることはないが、所要時間はなかなか読めない。

 町と町の間の移動は予想以上に時間がかかる。多くの町は谷間に位置し、高い山々に隔てられているからだ。例えば今回の旅では西部のハという町から空港のあるパロまで移動したが、地図上の直線距離で15キロほどのところに3時間近くかかる。

 というのも標高2700メートルのハからつづら折の山道を3800メートルのチェレ・ラ峠まで登り、そこから2300メートルのパロまで下らなければならないのだ。実際の走行距離は60キロほどだろうか。未舗装でガードレールはなく、もちろん外灯もない道をぶっ飛ばす。ドライバーの腕を信じる以外に術はない。

 ことほどさように、隣の町まで移動するだけで自動車で3〜4時間はかかるというのがブータンの日常なのだ。中部や東部に行けば、いまだに道が無く、自動車が入っていけない村々も多い。今回の取材でインタビューした長官はちょうど地方巡察の出張から帰ったところだという話だったが、1ヵ月近くオフィスを空けていたそうだ。

 そんなブータン時間を感じさせるのがお祭りである。チベット系密教をブータンに伝えた聖人グル・リンポチェの布教の様子を再現する法要「ツェチュ」が行われるが、私が訪問した時にはちょうど、最大級のツェチュがパロで開かれていた。

 女性はキラ、男性はゴと呼ばれる民族衣装の正装を身につけ、町の中心にあるゾン(城)に集まってくる。ゾンは寺院と政庁が同居している。女性が着るキラは織物で作られており、非常に高価。観光客の土産用にも売られているが、帯一本が数万円もする。1人当たりGDPが5000ドルに過ぎないブータンの人々にとって、お祭りの日に身に付ける正装は「財産」でもある。

 ひと昔前の日本で、和服や帯が"財産"として代々受け継がれていたのと似たところがある。貨幣経済が十分に浸透していない中で、富の保存手段として発達してきたのだろう。インドなどでは富の保存手段は圧倒的に貴金属である。装飾品として金の腕輪やネックレスを身に着けるケースが多いが、ブータンの女性は圧倒的に織物のようだ。仏教国でもあり稲作文化でもあるブータンは、日本との文化的な共通点が多々ある。

 話をお祭りに戻そう。ゾンの広場では朝から夕方まで様々な奉納舞踊が行われる。もちろん演目のスケジュールもだいたいの時間も決まっているが、パロの人々は三々五々集まっては、また家へと帰っていく。何キロも先から正装を身に付け、歩いてやって来ては、また歩いて帰っていく。広場の片隅で家族が敷物を広げてお弁当を食べている光景も目にする。とにかくゆったりと時間が流れていくのだ。

 チベット仏教特有のラッパやカネの音が、澄み渡る青空にゆっくりと吸い込まれていく。赤いお面を被った道化役の仕草に、時おり笑い声が上がる。メリハリの利いた話の筋立てや、山場の設定に慣れた私たちには時に平板にも感じられるが、時がゆったりと流れる感覚に馴染んでくると、いかにも心地よい。そんなツェチュのお祭りは5日間にわたって続く。

持続可能な成長を求めて

 何百年も前からつい数十年前まで、ブータンの人々は外の世界から隔絶されて暮らしてきた。長い間、ツェチュが最大の娯楽だったに違いない。そんなブータンに、猛烈な勢いで「現代」が押し寄せている。

 1999年に地上波テレビ放送が始まったが、同時にインターネットも解禁された。有線の通信インフラはまだまだ乏しいが、都市部を中心にWiFiが急速に普及しつつある。携帯電話は都市部の住民がほとんど持つようになってきた。通信インフラの普及は、情報や娯楽を急速に変えていくだろう。

 首都ティンプーの街中を歩いても、外食産業はあまり発達していない。ブータン人は総じて粗食だ。トウガラシを油で炒めてチーズをからめた「エマ・ダツィ」がブータンの代表的な料理だが、これを炊いた赤米と一緒に食べる。トウガラシを香辛料としてではなく、野菜として食べるわけだ。日本人からしても、なかなか美味しいが、数十秒後に襲ってくる猛烈な辛さはヒー・ヒーどころの騒ぎではない。その後は胃腸が悲鳴を上げる。

 そんな伝統的な粗食に満足しているブータンの人々がマクドナルドケンタッキーフライドチキンといった西洋流の外食に惹かれる日は、遠からずやってくる。

 ブータン政府が、目標としてGNH(Gross National Happiness=国民総幸福度)を掲げる背景には、一気に国を開いた場合、ブータンアイデンティティ、つまり自国の文化や伝統が一気に壊れてしまうに違いないという危機感がある。彼らがGNP(国民総生産)などで測る「成長」を否定しているわけでは決してない。持続可能な成長を続けるために、国を開くスピードをどう調整するか。

 その調整弁を一気に開けば成長は加速するが、一方で伝統は破壊される。一方で調整弁を固く閉め「鎖国」してしまえば、成長は止まり、世界から取り残されることになりかねない。その弁を調節するための表示メーターがGNHなのだ。

 問題は国民の「満足度」がどんなスピードで変化するかだろう。閉ざされた世界の中で、国民に伝統的な暮らしや食文化で満足だと感じさせるのは容易い。だが、空港の整備で外国からブータンを訪れる人が増え、インターネットの普及で情報が流入する中で、これまでの価値観をどう守り続けていくのか。

 現在、ブータンには西部のパロに空港が1つあるだけだが、現在、中部と東部にも空港を建設中だ。パロと西部、中部を結ぶ国内線が就航する予定で、数日がかりだった東部への移動が劇的に容易になる。だがこれは、国民の価値観を一変させかねない都市化を加速させることにつながるのは言うまでもない。大きな変化を迎えようとしているブータン王国はどんな形で「幸福」を追い求めていくことになるのか注目したい。

2011-06-11

震災に乗じる「IFRS反対派」

| 21:10

 金融庁がようやく重い腰を上げる。2012年に上場企業に使用を義務付けるかどうか判断することになっている国際会計基準IFRSの扱いについて、6月末に企業会計審議会を開催することを決めた。昨年後半から経済産業省や一部の企業人を中心にIFRSの強制適用に反対する動きが加速しているが、一方で大半の上場企業は強制適用を前提に準備作業に入っている。この混乱を招いた一因は、金融庁が決断を先延ばしし、議論すらしてこなかった点にある。

 IFRS反対派の動きを中心にまとめたFACTA今月号掲載の拙文を、編集部のご厚意の下に再掲します。FACTAオンラインでも読むことができます。 http://facta.co.jp/


FACTA 2011年6月号 連載[監査役 最後の一線 第2回] by 磯山友幸(経済ジャーナリスト

上場企業の決算とは何のために行うのか。東日本大震災が起きて、またしても「会計基準」のあり方が問い直されている。

日本は長年にわたり、国際会計基準(IFRS)を導入すべきかどうか、議論を繰り返してきた。ようやく2010年3月期決算から、希望する企業が自主的にIFRSを使う「任意適用」が認められ、12年をメドに全上場企業に強制適用するかどうかの方針が決められる段取りになっている。強制適用となれば15年にも実施されることから、世の書店などではIFRS本が所狭しと並べられ、経営者や経理担当者が準備に追われている。

今年に入って金融庁は、来年の方針決定に向けた準備作業に動き始めていた。そんな矢先、東日本大震災が起きたのである。

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案の定というべきか。IFRS反対派の間から、震災を理由にした導入延期論が噴出している。田中弘・神奈川大学教授は、週刊エコノミスト誌に「復興努力を最優先にIFRS導入を先送りせよ」と題する一文を発表。一部の製造業幹部などが同調している。田中教授は根っからの時価会計反対論者で、その主張は長年、首尾一貫している。欧米が主導する会計基準を早急に受け入れる必要などない、というのが基本的な姿勢で、震災を機に持論を展開しているに過ぎない。

同調している企業人の多くも「IFRSを導入すると、決算数値に大きな影響を受ける」として震災前から反対してきた人が中心だ。「会計基準の変更は企業に負担をかけるので、震災後のこの時期に導入すべきではない」というのは一見、理にかなった主張だが、大多数の企業がそれを求めているという話ではない。

「企業の負担が大きい」というのを理由に反対を煽ってきたのは、実は経済産業省の担当部局だ。同省が設置した研究会である企業財務委員会が反対勢力の牙城になってきた。

委員長の佐藤行弘・三菱電機常任顧問は、議員会館霞が関の幹部官僚、大手マスコミを回ってIFRS導入反対を説いてきた。「欧米が主導するIFRSの受け入れは国益を損なう」という説明に、国会議員や官僚、学者の中には導入反対論に与する人も出ている。

その端的な例が、昨年末にシンクタンクの東京財団が発表した「日本のIFRS対応に関する提言」だ。岩井克人・国際基督教大学客員教授が名を連ねた提言は過激だ。

「IFRSの強制適用は不要」だと断定し、来年をメドに判断することになっている強制適用の決定スケジュールを「直ちに白紙に戻すべき」だと主張している。岩井氏は『ヴェニスの商人資本論』や『貨幣論』など、資本主義の本質を巧みな比喩で浮かびあがらせる著作で知られた東京大学経済学部の元教授で、小林秀雄賞受賞の『会社はこれからどうなるのか』などで企業論も論じたが、会計基準についてはほとんど発言してこなかった。提言をまとめた研究会を担当した同財団の政策プロデューサーの佐藤孝弘氏は経産省出身の元官僚。このため役所との“連携”を指摘する声が上がっている。

東京財団の提言では「会計基準は国家戦略の一つだ」とし、「各国が会計基準設定の主導権をめぐって争い、基準の内容を少しでも自国に有利なものとすべくしのぎを削っている」と指摘している。この認識は正しいだろう。ところが、結論は「白紙に戻してもう一度、本質を徹底的に議論せよ」という薄っぺらな“攘夷論”に終わっている。

住友商事の特別顧問で、IFRS財団の評議員を務める島崎憲明氏は「日本の主張をIFRSに反映させるためにも、日本はIFRSを導入するという方針を明確に示すことが大事だ」と言う。使うかどうかも分からない国の主張をまともに聞くはずがない、というわけだ。

会計基準が「正しいか否か」は議論のあるところだ。商取引などの実態を正確に帳簿上に表すことができるかどうか、会計基準は常に見直され、進化を続けている。その場合、AとBという基準のいずれがより正しく実態を示すかが論点であって、Aという基準をBに変えた場合、損失が大きくなるからAのままでよい、という主張は通らない。

だが、現実には「影響が大きいのでIFRSには反対」という大企業が少なくない。経産省が反対姿勢を取ってきた背後にも、こうした大企業の動きがある。一般にはグローバル企業と目されている大手電機メーカーや自動車会社、鉄鋼会社などにも、「影響が大きい」からとIFRS導入に難色を示しているところがある。世界の投資家の目を怖れてか、さすがに表立ってIFRSに異を唱えるようなことはしないが、反対論を側面支援している。

なかには、東日本大震災で抱えた多額の損失を表面化させないために、IFRS導入の延期や時価会計・減損会計の停止を求める動きもある。

そこで問い直されることになるのが、上場企業の決算とは何のためにあるのか、という根源的な問題だ。一義的には株主や投資家に「会社の実態を正確に知らせる」ことだろう。だが、開示された情報の利用者には株主だけでなく、債権者や取引先、従業員なども含まれるのは明らかだ。

それだけではない。企業経営者にしても、会社の実態が正確に把握できなければ、正しい経営判断などできようはずはない。経営環境が厳しい時ほど経営者は実態をより良く見せたいという欲求にかられるものだ。伝統的な粉飾決算が起きてきたのも、経営環境が激変した際が多かった。より良く見せたい心理からIFRSを忌避するのは経営者にとって自殺行為ではないか。

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会計基準にはもう一つ実利的な意味がある。投資家から資金調達する際に“使える”かどうかだ。東日本大震災を機に、国際的に通用するIFRSでの情報開示の重要性が増すと考えるべきではないだろうか。

震災からの復興に向けて、日本全体では巨額の資本が新たに必要になった。政府支出だけでも数十兆円にのぼることは明らかだ。この突然生まれた資金需要が、企業の資金調達環境を今後、激変させる可能性が高まっている。カネ余りが続き、いつでも低利で潤沢な資金が借りられると思っていたら間違いなのだ。

上場企業といってもグローバル展開していない中堅企業の当社にIFRSが必要なのだろうか」という声をしばしば耳にする。だが、リーマン・ショック直後、短期金融市場から資金が瞬間蒸発した際、資金を調達できたのは一部の大企業だけだった。中堅・中小企業が思うように資金を取れないという事態は、いつ起きても不思議ではない。そうなれば、中小企業でもアジア市場など海外でファイナンスをする必要性が出てくるかもしれない。その際、日本基準に従った決算書だけで外国人投資家に信用してもらえるだろうか。

東日本大震災後に企業経営者が取るべきスタンスは、危機を口実に実態を覆い隠し、安易な道へと流れていくことではないはずだ。企業経営にとって会計基準とはどうあるべきか、真摯に考えてみる時だろう。

2011-06-08

「幸せとは何か」ブータン王国レポート(上)

| 09:12

 3月に訪ねた“幸せの王国”ブータンの探訪記です。グローバル化と成長を善としてきた経済ジャーナリストの目から見た王国の素顔の一端をお届けします。講談社「現代ビジネス」に6月8日掲載されたものの再掲です。ご一読ください。

 現代ビジネスはこちら→ http://bit.ly/l3kDBJ


 「幸せとは何か」は、経済学いや社会科学全体の永遠の命題に違いない。日本も、高度経済成長やバブルの形成と崩壊を経て、国民にとって幸せをもたらす国家とは何か、あるいは政策とは何かが問われてきた。そして、東日本大震災に直面して、人々の間にも「幸せとは何か」をより深く考える機運が生じている。

 幸せの尺度を探し出すことは容易ではない。これまで多くの国で、経済成長こそが幸せだと信じられ、成長の尺度であるGDP(国内総生産)やGNP(国民総生産)を政策の目標として使ってきた。そんな中で、1970年代からGNPでは測れない幸福の指標としてGNH(Gross National Happiness=国民総幸福度)を掲げてきた国にブータン王国がある。

 私は、3月11日の朝、成田を飛び立ち、そのブータン王国に向かった。GNHを信奉するというよりも、経済を専門分野としてきたジャーナリストとして、むしろ懐疑心を抱いての取材旅行だった。東日本巨大地震津波に襲われた時は既に機上にいて、まったく経験していない。通信網が不安定な中で日本の情報を気にしながらのブータン旅行だったが、「幸せとは何か」を探訪する旅が、大震災と重なったことに運命を感じる。

航空機を3機しか持たないブータンのドゥク・エアー

 翌日の早朝、バンコク空港を飛び立ったブータンの航空会社「ドゥク・エア(雷龍航空)」は、ブータンバングラデシュに挟まれたインド東部のグワーハーティーに立ち寄った後、ブータン西部のパロに向かった。山間にある同国唯一の空港に向けて谷筋にそって旋回しながら高度を下げていく。

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 有視界飛行のパロ空港は世界でも屈指の離着陸が難しい空港だという。ドゥク・エアは元は国営企業で、現在民営化の途上にある。保有する航空機は3機のみで、お祭りのあるハイシーズンはかなり前から満席となる。実は、この外界との接点が限られていることが、ブータンを未だに秘境たり得ている大きな要因だ。

 2009年の海外からの旅行目的の入国者数は、ビザ無しで入国できるインド人を除いて2万3480人。ここ5年、急ピッチで増えてきた。2000年から2004年は5000~9000人だったが、2005年に1万3626人、2007年に2万1094人と増加。リーマンショックによる世界的な旅行者減の影響を受ける前の2008年は2万7636人に達していた。ちなみに最も多いのは米国人で2009年全体の20%、次いで日本人の13%、英国人8%となっている。

 観光客数で見る限り、2005年以降は明らかに「開国政策」を取っており、インタビューした観光局の幹部によれば、今後も観光客を増加させる方針だと言う。外界とのパイプが急速に太くなる中で、どうやってブータンらしさを保ち、ブータン流の「幸せ」を守り続けていこうとしているのだろうか。

 ブータンの人口は約70万人。日本で言えば政令指定都市になる規模で、熊本市岡山市と同規模。東京で言えば練馬区ぐらいだ。国土面積は日本の九州とほぼ同じ。山々に隔てられた深い谷にある町や村に分散して暮らしており、今でも全人口の70%前後が自給的農業で生活しているとされる。つまり、自給自足が中心で生活の一部にしか貨幣経済が浸透していないという。

急速に進む都市化とバブルの臭い

 「つい4~5年前までは誰の車かほとんど分かったんだが」と首都ティンプーで会った政府の官僚は言った。ブータンにも急速にモータリゼーションの波が押し寄せている。とは言っても、ティンプーにはまだ信号機は存在しない。町の中心の交差点の中央に手振りで交通整理する警察官のボックスがあるぐらいだ。日曜の夜には“渋滞"も起きるが、せいぜい十数台の車列ができる程度だ。

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 だが、数年前に国内銀行による自動車ローンが解禁され、自動車の保有台数がうなぎ登りに増えている、という。

 首都ティンプーの人口は推計で8万人とされるが、実際には10万人近くに増えているのではないかと言われる。仕事を求めて地方から首都に出てくる人が急速に増加。都市化が進んでいるのだ。その証拠にティンプー市内は建設ラッシュだ。

 「1階部分を建てる自己資金があれば、銀行は6~7階建てができる金額を貸してくれる。部屋を借りたい人はいくらでもいるので、返済は問題なくできる」とレストラン経営者は語る。実際、こうした不動産ローンが急拡大しているといい、日本人からすればバブルの臭いすら感じるのだ。

 日曜日。ティンプーの中心にある王政百周年記念市場に行ってみた。主食のコメやブータン人が日ごろ大量に食べるトウガラシや乾燥チーズのほか、フルーツや野菜などが豊富に並ぶが、穀物や野菜、果物などの多くがインドからの輸入品であるという。主食のコメもかつては自給自足だったというが、山間地の畑では収穫量には限りがある。食糧のかなりをインドに依存する状態になっているのだ。

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 では、その輸入代金はどうやって賄っているのか。ブータンの輸入額は5億3300万ドル。これに対して輸出額は5億1300万ドルである。統計上、貿易赤字は2000万ドルに過ぎない。山国のブータンがいったい何を輸出しているのだろうか。

水力発電の電気をインドに輸出

 実は、電力である。山と深い谷という地形を生かしたダム建設により水力で発電した電気をインドに輸出しているのだ。ブータンの総発電量は14億8000万キロワット時。これに対してブータン国内での使用量は1億8400万キロワット時に過ぎない。発電した電力のほとんどを輸出に回しているのである。

 輸出入を見ても隣国インドとの経済的なつながりの深さが分かる。ブータンGDPは3億5260万ドル。世界で169番目である。だが、ここ数年のインド経済の拡大の恩恵をブータン経済も受けていると見ていいだろう。建設ブームや消費バブルインドからの流入する資金によるところが大きい。GDP成長率は2008年に2・7%、2009年に5・7%、2010年は6・8%に達した。実はブータンは隠れた高成長国だったのだ。

 GDPの内訳は電力ガス水道が全体の20%、農業が18%、建設が12%、運輸倉庫通信が10%で、製造業はまだ8%で、ホテル外食は1%に過ぎない。観光業という括りはないが、おそらく6%程度ではないか、と言われる。ブータンが生活の糧を安定的に得続けるには、電力輸出と観光業の拡大を避けて通れないということになる。

 国民1人当たりGDPが5000ドルと世界145位のブータンは今後どこへ向い、何に「幸せ」を求めていくのか。次回は続きをレポートする。

2011-06-07

なぜ震災後も円高傾向が続くのか 阪神大震災後にも起きた資金還流

| 19:39

 6月6日、ロンドン市場で為替相場が1ドル=79円台を付けた。震災直後に一気に円高に振れた為替相場は、介入などもあっていったんは円安方向に戻るかに見えたが、ここへ来て再びジワジワと円高になっている。マスコミは80円台割れにも大騒ぎしなくなった。未曾有の国難に直面して3カ月近く、対応は後手後手になっているというのに、なぜ円高なのか。ビジネス情報月刊誌「エルネオス」6月号(=6月1日発売)に掲載した拙文を以下に再掲します。ご一読を。

URLhttp://www.elneos.co.jp/

市場が信じたレパトリ説

 東日本大震災為替相場も大きく揺れている。大地震津波が襲った三月十一日に東京市場為替相場は一法疊一円八九銭だったが、翌週になると急激に円が買われ、一時、海外市場で七六円二五銭の史上最高値を付けた。十六年前に付けた最高値である七九円七五銭を一気に更新したのだ。

 為替経済力の反映だといわれる。大震災によって日本経済が大打撃を被ったら、為替は円安に動いてもよさそうなものだ。ところが最高値を付けた。これはいったいどうしてだろうか。

 三月十六日から十七日にかけて、為替は八〇円台から一気に四円も円高に動いたが、これは投機家によるマネーゲームだったとの見方が広まっている。個人投資家が多く参加しているFX(外国為替証拠金取引)の場合、損失額が一定以上になった場合、強制的に反対売買されて損失が確定される仕組みになっている。投機家たちは短期間に円を買い上げることで、そうした強制反対売買を誘い、結果的に巨額の利益を上げたというのだ。もちろん、これには反論もあって、強制的な損切りルールがあったからこそ円高が止まったという主張もある。

 だが、なぜ円を売り浴びせるのではなく、円買いだったのか。

 最高値を付ける過程で、市場で流れた解説は「レパトリエーション(Repatriation)」だった。為替市場ではしばしば使われる用語で、「レパトリ」と短縮されることもある。海外に投資している日本の資産が国内に還流することを指す言葉だ。

 つまり、東日本大震災が起きて被災した企業や個人が資金が必要になり、海外に投資していた資金を取り戻すのではないかというわけである。もちろん震災直後の三月の段階で海外の資産を売って日本に持ち帰る動きが出ていたわけではないので、あくまで、そういう動きが広まるのではないかという市場の思惑が働いたというわけだ。

 多くの市場関係者がレパトリ説を信じたのにはわけがある。円は十六年ぶりの高値と書いたが、十六年前に何が起きたか。一九九五年の一月に阪神淡路大震災が起き、神戸を中心に大きな被害が出た。円高が猛烈に進み、最高値を付けたのはその三カ月後だったのだ。今回も同じことが起きるのではないかというのが市場関係者の狡彰境瓩世辰拭

 では、現実はどうなるのだろうか。企業にせよ個人にせよ、震災復興に向けて資金が必要になるのは間違いないだろう。個人が預金を取り崩す場合、それが外貨預金だったり、海外株に投資している投資信託だったりするにちがいない。一千二百兆円といわれる個人の金融資産のうち海外投資に回っている割合は、阪神淡路大震災の頃に比べて格段に高まっている。震災復興が動き出せば徐々にレパトリが起きる可能性は十分にあるとみるべきだろう。

 もっとも、今回の大震災では復興が大きく出遅れている。被災地域が阪神淡路の時とは比べものにならないほど広範囲に及んでいること。津波による被害が大きく、インフラが根こそぎ壊滅しているケースが多いこと。被災者に高齢者が多く、生活再建が進んでいないこと、などが原因だ。十六年前に比べて復興が動き出すタイミングは大きく後ろへずれ込むだろう。

 いずれにせよ、復興が動き出せば、海外からの資金還流が起きることになるだろう。また、復興によって日本の将来に期待が持てるということになれば、海外の投資家が日本に投資する。米国の著名投資家ウォーレン・バフェットが震災直後に日本に投資すると発言したのが典型例だろう。こうした日本への投資の動きも、海外から国内への資金の流れとなるわけで、円高要因だ。

円とドルの通貨発行量説

 十六年前と大きく違っていることがもう一つある。それは国の財政が弱っていることだ。この十六年、国は大量の国債発行を続け、借金大国となった。現在の公債発行残高は六百三十七兆円。阪神淡路の頃は二百二十五兆円にすぎなかった。今回の大震災の復興費用に加え、東京電力福島第一原子力発電所の事故被害の補償費用など、国の支出は巨額になる。当面は国債で調達することになるが、国債増発は金利上昇に結びつく可能性が高い。

 日本の金利上昇も、いうまでもなく円高要因である。海外に比べて金利が高くなれば、投資資金が日本に入って来る。日本企業が金利が低い海外で資金調達し、日本に資金を持ち込めば、レパトリと同様の効果がある。

 レパトリのような資金の流れではなく、相対的な通貨の発行量で為替水準は決まるという説もある。二〇〇八年のリーマン・ショック後、金融危機経済の底割れを回避する狙いで米国財務省は大量の資金を供給する量的緩和策を実施している。「QE1」「QE2」と呼ばれる政策で、要は大量のドル札を刷りまくっている状態が続いている。量が増えれば価値が下がるのは当然で、長期的なドル安傾向が続いている。

 日本でも、大震災の復興財源を賄うために国債を発行し日銀が引き受けるべきだという主張がある。国債日銀が引き受けるということは紙幣の増刷になるわけで、米国と同様の量的緩和になるわけだが、日本銀行はこれに消極的だ。これも円高要因である。日米で相対的に通貨量が少なくなっている円が強くなるのは当然という理屈だ。

 レパトリ説にせよ、通貨発行量説にせよ、今の状況が続けば、ジワジワと円高傾向が続くことになりそうだ。

 菅直人内閣は、もはや効果がないといわれている政府日銀による為替介入を実施、円高阻止を掲げている。「円高は日本経済にマイナス」という前提を信じて疑わない様子だが、本当に円高はマイナスなのか。次号ではこの点を考えてみたい。

2011-06-02

大震災で問われる「幸せとは何か」 OECD幸福指数19位は日本が大きく変わるチャンスだ

| 10:25

 大震災で人々の価値観が大きく変わった。これは阪神淡路大震災の時も見られた現象で、その後、日本がデフレ金融危機に陥るひとつの要因になった、と私は考えている。人々のマインドの変化、つまり景気の「気」の変化である。 

 今回の大震災でも国民のマインドの変化、価値観の変化が、日本経済の先行きに大きな変化をもたらすに違いないと思う。だからこそ、かねてから指摘しているように、国の将来ビジョンやグランドデザインが必要なのだ。

 価値観を測る尺度は難しい。今、世界で「幸福」の尺度を求める動きが広がっている。5月にOECDが発表した幸福指数もその1つだ。日本は34カ国中19位だったが、これを「どうせ日本は」と捉えるのか、これをバネに日本を変えていこうと思うのかで、その意味合いは大きく違ってくる。

 以下、講談社「現代ビジネス」に掲載した拙文を掲載する。なお現代ビジネスのWEBにはOECDの指標結果を加工したランキングなども掲載しています。 

 http://bit.ly/lU2o9j


磯山友幸「経済ニュースの裏側」 現代ビジネス 20110601公開

 幸せとは何か---。国民の幸福度をどうやって測るのかは、経済学にとって悩ましいテーマだ。長い間、経済成長することこそが幸せだと考え、GNP(国民総生産)やGDP(国内総生産)を指標として使い続けてきた。だが、こうした成長一辺倒の考え方が、環境問題や資源不足、社会問題などを引き起こすに及んで、GNPに代わる指標を求める動きが強まっている。

 経済成長の旗振り役とも言える国際機関、OECD(経済協力開発機構)も、国民の生活の豊かさを測る新しい指標の開発に取り組んできた。日本でも民主党政権が発足し、菅直人首相が施政方針演説で「最小不幸社会」というコンセプトを打ち出したが、これも幸福とは何かを追求しようというOECDなどの世界的な動きと連動したものと言える。

「安全」第一位だったが

 加盟34カ国を対象に、「住宅」「収入」「仕事」「コミュニティ「教育」「環境」「ガバナンス」「健康」「生活満足度」「安全」「ワークライフバランス」の11項目を指数化したものだ。OECDとしてはそれぞれの指標での国際比較をすることが主眼で、総合ランキングすることに重点が置かれているわけではない。とはいえ、日本はいったい総合何位なのかは気になるところだろう。

 そこで、11項目の指数を単純平均してランキングすると、右の表のような順位になる。34カ国中トップはオーストラリア。これにカナダスウェーデンと続く。日本は19位だ。ほとんどの西洋先進国の後塵を拝し、日本より下位のG8はイタリア(24位)のみ。

多分に西洋的な幸福感が反映されているとはいえ、残念な結果ではないだろうか。

 「ウサギ小屋」という揶揄は聞かれなくなったが、「住宅」指数の順位は23位と真ん中より下。「ワークライフバランス」に至っては32位と、下にはメキシコトルコしかいない状態で、相変わらずの「働き蜂」「会社人間」ぶりだと見なされている。「環境」や「健康」「生活満足度」の指数でも順位は真ん中より下だった。また、政府の透明性や説明責任を果たしているかといった「ガバナンス」でも順位は低かった。

 一方で、日本の評価が高かったのは「安全」で34か国中1位。「教育」カナダフィンランド韓国の道立1位に次ぐ4位だった。また、「収入」指数も8番目である。

 今回の「よりよい暮らし指標」は、一般的に使われているGDPなどの順位とは大きく異なる。GDPはどれだけ多くのモノやサービスを生み出したかを表す。GDPの総額が大きい順に並べたのが右の表だ。

 もちろん、日本のGDPの総額順位はOECD加盟国では米国に次いで2位である。落ちぶれたと言っても大きな富を生み出している日本だが、国民がそれで幸せか、ということになると、順位が大きく後退してしまう、というわけだ。

 また、GDPを人口で割った国民1人当たりGDPでみると16位。「よりよい暮らし指標」の順位はさらに下の19位だから、国民1人が生み出した富の量では測れない「幸せ」指標で他の国々に負けていることになる。

 トップのオーストラリアはなぜ幸せなのか。11分野でみると「健康」「ガバナンス」がトップで、「住宅」も2位。「仕事」や「コミュニティ」「生活満足度」も高かった。真ん中以下の順位だった指数は「ワークライフバランス」だけだ。

 2位のカナダはどうか。「住宅」と「教育」がトップで「生活満足度」が2位、「健康」「安全」も順位が高かった。すべての項目が真ん中以上の順位になっている。

8時間働き、8時間余暇を楽しみ、8時間寝る

 他国との比較を見ると、必ずしも納得できない結果も散見される。だからと言って、こんな指標は無意味だと切り捨てることはないだろう。

 東日本大震災以降、被災地以外に住む人々の間からも「価値観が変わった」という声を多く聞く。これから日本が国家として追い求めていく「国民の幸せ」とは何なのか。今回の「よりよい暮らし指標」による“国際的な視点”を生かして、これからの日本の幸福を追求していくべきだろう。

 安全や教育など評価の高い項目に磨きをかけ、一方で順位の低かった「ワークライフバランス」のあり方などを真剣に考えてみてはどうか。

 「8時間働き、8時間余暇を楽しみ、8時間寝る。これが国民が考えるワークライフバランスです」とブータン王国政府高官は言う。「労働時間を増やせば収入は増えるかもしれないが、ストレスは増し、楽しみは減る。それで幸せですか」。そうも問いかける。

 1970年代からGNPに代わる幸福の指標としてGNH(Gross National Happiness=国民総幸福度) を掲げてきたブータン。一方で、経済的なつながりが深い隣国インドの急成長で、経済発展の波が押し寄せている。

 ブータン流の幸せとは何なのか。経済発展の中でそれは維持できるものなのか。次回は、3月に訪ねたブータン取材のレポートをお届けする。

2011-06-01

あなたにも及ぶ東電株急落の影響 資産株があっけなく消える悲劇

| 10:32

ビジネス情報月刊誌「エルネオス」連載──(5月号=5月1日発売)

http://www.elneos.co.jp/

硬派経済ジャーナリスト磯山友幸の≪生きてる経済解読≫

編集部のご好意で毎月発売日である1日にブログでも公開することになりました。


原発事故の連帯責任?

 東日本大震災に伴う東京電力福島第一原子力発電所の事故は収束の兆しが見えない。そんな中で、東京電力の株価は震災直後から大幅に下落を続けた。震災当日の三月十一日に二千百二十一円だった株価は、週明けの十四日から急落を続け、四月六日には一時二百九十二円の最安値を付けた。

 原発事故に対する東電の対応の鈍さにしびれを切らす国民感情からすれば、東電株が大きく売り込まれるのも「当然のこと」というのが率直なところだろう。東電株に投資している株主が損失を被るのも、東電の甘い経営をチェックできなかった株主としては致し方ないということかもしれない。

 だが、現実には東電の経営とは何ら関係がない普通の国民までが原発事故で連帯責任を負わされると聞いたら、耳を疑うにちがいない。だが、東電株の下落はそういう実態を伴っている。

 どういう意味か。東電の株主構成は極めて異質だ。昨年九月末時点での、信託銀行名義を除いた実質的な株主でいくと、最大が第一生命保険で、これに日本生命保険が続く。保険契約者から預かった資金の運用先として東電株を大量に保有してきたのだ。保有株数は第一生命が五千五百万株、日本生命が五千二百八十万株である。震災当日の株価と四月六日の二百九十二円で比較すると、両社ともに保有株の価値が一千億円も目減りしたことになる。三番目の株主東京都。四千二百六十七万株を保有しているから七百八十億円の価値が消えたことになる。このほか、大株主には三井住友銀行やみずほコーポレート銀行などが並ぶ。発行済み株式の三分の一を超す三六・三%を金融機関が保有している。

 このように自治体や、公的な性格の強い金融機関が大量に株式を保有しているのは「安全性の高い資産株」という位置づけが長年されてきたからだ。もちろん東京電力は民間の上場企業だが、電力供給では地域独占を許されており、「暗黙の政府保証がある」(投資ファンドの責任者)と考えられてきたからだ。つまり、「東電が潰れることはあり得ない」と思われてきたのである。個人で株式を保有している人の多くも、短期間で売買する目的ではなく、代々「資産株」として保有し続けてきた人が少なくない。

 そうしてでき上がった特殊な株主構成によって、株価が大幅に下落したり、会社破綻によって株式が紙屑になった場合、かなり幅広く国民に影響が及ぶことになる。保険会社が株価下落で損失を出せば、最終的には保険契約者にしわ寄せが行くし、東京都が損失を被れば、住民の財産が目減りすることになる。また、年金基金などが電力株などで運用するケースは多く、年金の運用利回りが大幅に下がる可能性もある。東電株など持っていないので関係ないと思っていたあなたにも間接的な影響が及ぶ可能性は小さくないのだ。

 ましてや、個人で資産形成のために東電株を保有してきた人たちの影響は直接的だ。端的な例が東電の社員。従業員持株会名義で二千二百十七万株持っており、四百億円以上が吹き飛んだ計算になる。会社の存亡すら分からない中で、これまで蓄えてきたものの一部が大きく毀損してしまってはやりきれない。

 これまで電力株は配当を目当てに投資されることが多かった。二千円の株価で年間六十円の配当が支払われると、利回りは三%。現在の定期預金金利〇・〇三%程度と比べても百倍近い。保険会社にせよ銀行にせよ、大量に株式を保有した背景には、この配当利回りの高さがあった。

 だが、今回の大震災で、利回り百倍の背景に大きなリスクがひそんでいたことが図らずも明らかになってしまった。原発でひとたび事故が起きた時の損失の大きさは百倍では済まないということをまざまざと思い知らされる結果になったのだ。

東電国有化と既存株主

 東電の株価が社会的に大きな影響を及ぼすだけに、東電という株式会社を今後どうするのかという議論をも大きく左右することになるだろう。東電は、原発事故の早急な押さえ込みや、原発事故に伴う被害の補償を行う義務を負い続ける一方で、電力供給を独占しており、日々、電力を発電して供給し続ける機能を担っている。この機能を止めることができないのは明らかだ。だが、数兆円にも及ぶとされる原発事故の被害補償を行えば、株式会社として経営がもたないこともはっきりしている。電力供給を続けながら、企業体としてどうしていくのか。簡単には結論が出ないだろう。

 国が株主の損失を直接補償することは難しいが、国が東電を増資などによって支え続ければ、結果的に株主は損失を免れることになる。一方で、事故直後から有識者の間で語られているように、東電を国有化するとなると、既存の株主は救われない。

 菅首相原発事故の被害救済について「一義的には東電の責任だが、国が最終的に補償する」と述べている。だが、単純に東電を国有化すれば、国民の税金を使って東電を救済する格好となる。原発事故をめぐる東電の対応について批判が強い中で、それでは国民の理解を得られない。

 東電の行方が見えない中で、株価も神経質な動きを続けている。震災一カ月後となる四月十一日には株価を五百円台に戻す場面もあった。値動きの荒い展開に、個人のデートレイダーなどの格好の投機対象となっているとの見方もある。

 明らかなことは、東電株がもはや資産株とは呼べない存在になったことだろう。福島第一原発の事故のレベルが旧ソ連チェルノブイリ原発の事故と同じ「レベル7」に引き上げられ、他の電力会社が持つ原発の安全性にも不安が広がっている。そんな中で電力株全体が、表面的な配当利回りの高さだけでは到底買えない株式になっている。

連載第2回6月号は近日公開します。