ギリシャ危機がこのまま長引いても ユーロ解体があり得ない3つの理由

月刊『エルネオス』連載──⑥ 2011年10月号 
硬派経済ジャーナリスト
磯山友幸の≪生きてる経済解読≫

編集部のご好意で以下に再掲させていただきます。
オリジナル→ http://www.elneos.co.jp/


日常生活にも国境はない
 欧州連合(EU)域内の信用不安が大きなニュースになっている。ギリシャ財政赤字が続き、同国債の償還資金が手当できなくなるデフォルト(債務不履行)が起きると懸念されているのだ。仮にギリシャ国債がデフォルトすると、国債保有するEU域内の金融機関に飛び火し、リーマン・ショックのような金融危機が再び発生するというわけだ。日本の新聞ではギリシャのユーロ圏からの離脱もあり得るという論調も目立つ。EUが分裂の危機にあるというのだ。

 こうした信用不安に対して、欧米日の中央銀行は九月十五日、協調してドル資金を供給し、民間銀行のドル調達を支援する体制を強化することを決めた。欧州中央銀行(ECB)、英国のイングランド銀行スイス国立銀行、米連邦準備理事会(FRB)、日本銀行が枠組みに加わり、年末越えのドル資金を無制限に供給するという。リーマン・ショックによる金融危機で、世界の短期金融市場からドル資金が消え、金融機関や企業が決済資金繰りに窮したことから、欧州発の金融危機を未然に防ぐ狙いがある。

 その翌日には、ユーロ圏の財務相会合が開かれ、ギリシャへの追加融資を決め、ギリシャ国債のデフォルト回避に全力を注ぐ姿勢を示した。EUとの約束で、ギリシャ財政支出の圧縮や増税によって財政赤字を削減しなければならない。もっとも、増税にはギリシャ国民の反発が強く、なかなか実行に移せないのが実態で、ギリシャ危機が簡単に収束する気配はない。では、いずれユーロは解体に向かうのであろうか。

 私はその可能性はないと思う。まず、第一にユーロ圏の経済統合が進み、実質的に一つの経済圏になっていることだ。通貨統合で共通通貨ユーロを使っているうえ、シェンゲン条約によって人の移動も自由になっている。
 ユーロ圏をレンタカーを借りて走ってみれば分かる。高速道路をドイツからフランスに向けて走っても、もはや国境を通過したことすら気が付かない場合が多い。かつては高速道路にも国境検問所がありパスポートをチェックしていたが、今は国境を示す標識が立っているにすぎない。高速道路で群馬県から長野県に入る時のようなものだ。国境を越えてスーパーに買い物に行ったり、レストランに行くのが日常の風景になった。

ソ連末期のルーブルと同じ
 経済的な統合の進み具合は、ユーロ圏でお釣りにもらうユーロ硬貨を見れば一目瞭然だ。ユーロは紙幣の図版は同一だが、硬貨の図案はもともと発行した国ごとに異なる。ドイツなら鷲の紋章、オーストリアならモーツァルト、イタリアならコロッセオといった具合だ。

 二〇〇二年にユーロ通貨が通用し始めた頃は、自国内に流通する貨幣は自国の貨幣だったが、年を経るごとにどんどん混じっていった。今ならドイツ国内を一週間も旅行すれば、ユーロ圏五、六カ国の貨幣が財布に溜まっていくはずだ。逆にギリシャクレタ島などの観光地でギリシャのユーロ貨幣を手に入れるのは難しい。ドイツ人旅行者が多いこともあり、鷲の紋章の硬貨がかなり目につく。
 いったん一体化した経済を分離するのは大変なことだ。夕張市が事実上財政破綻したから夕張だけ日本経済から隔離しろといっているようなものなのだ。

 二点目は、ユーロからの離脱を望むギリシャ国民がいないことだ。誰も弱い通貨を望む国民はいない。購買力がどんどん落ちていく弱い通貨で賃金を受け取るのも、資産を持ち続けるのも、国民にとってはたまったものではない。だから、万が一、ギリシャ政府がユーロからの離脱を決めたとしても、誰も手持ちのユーロを新ドラクマ(ユーロ前のギリシャの通貨単位)には替えないだろう。

 政府が支払う給与が新ドラクマになったとしたら、国民はすぐさまユーロに両替えに走り、たんす預金はすべてユーロということになるだろう。店は軒並み「ユーロ・ショップ」に変わるにちがいない。ソビエト連邦末期の、国民がルーブルではなくドルを求め、ルーブルで買えるものはないがドルなら何でも買えるといった、ルーブル経済とドル経済が並存するような事態になるわけだ。社会主義国のような強力な統制を課すことができない限り、国民にユーロを放棄させることは無理だろう。

六十年かけて築いた信念
 ニュースでは、ドイツなど他のユーロ圏諸国の国民がギリシャ救済に反対しているとされる。実際、「何で俺らが、あの働かないギリシャ人を助けなければいけないのだ」と怒っているドイツ人は多くいる。

 さっさと公務員を退職して年金で悠々自適の豊かな生活を送っているギリシャ人を、休暇で訪れたギリシャの地でじかに目にするドイツ人が少なくないからだ。

 だが、ドイツはギリシャをユーロ圏から蹴り出すことで得をするかといえば、まったく逆だ。EU圏の拡大の恩恵を最も蒙ったのはドイツ経済だ。EU域内への輸出が大幅に増加したうえ、EUに加盟した東欧諸国などの安い人件費でコストダウンに成功、EU域外への輸出採算も大きく改善した。ユーロ安によって輸出産業を中心に大いに潤っているのだ。だから、そう簡単にはドイツはギリシャを見捨てることができないのである。これが三つ目の理由だ。

 EUの統合の歴史は長い。第二次世界大戦終結後から構想され、一九五二年に欧州石炭鉄鋼共同体が設立されたのが基点となる。六十年近いプロセスを踏んでいるのだ。通貨だけでなく、さまざまな規制や制度の統合も一歩一歩進んでいる。日本のメディアは政治統合などできるはずがないとみてきたが、欧州憲法や大統領も生まれている。欧州の地を二度と大戦争の舞台にしないという強い信念から生まれ、育てられているのだ。EUやユーロを人為的に再分割することは、戦争や革命でも起きない限り、もはや無理だとみるべきだろう。