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2011-10-07

超党派議員43人が参加--「日の丸、君が代、靖国神社だけではない『保守』の本質」を田中康夫に聞く 「消費税、放射能、公務員」で政治家は分かれる

| 21:16

政策的にみると、民主党の中はバラバラで、自民党も一本にはまとまっていません。政党と政策がねじれを起こした状態が続いているわけです。そんな中で、政策で一致できる議員政党の枠を超えて集まろうという動きがいくつも出ています。その一つに「日本を根っこから変える保守の会」というのがあります。8月末の発足時に新聞は「反増税連合」と書きましたが、今一つ分からない。ましてメンバーを見て、エッ保守なの?と思う議員さんが名前を連ねているのです。そこで、会長代行の田中康夫・新党日本代表に「保守」の真相を聞きました。

以下、現代ビジネスに掲載された記事を編集部のご厚意で再掲します。

オリジナルページでは関係する資料やリンクも見ることができます。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/21785


 「日本を根っこから変える保守の会」という超党派議員連盟が発足、42人近いメンバーが集まった。会長は自民党塩崎恭久氏(元官房長官)で、幹事長に松野頼久氏(民主党国対副委員長)、副会長に浅尾慶一郎氏(みんなの党政調会長)や下地幹郎氏(国民新党幹事長)などが就いた。安易な増税に頼らず、経済成長や行政改革を優先することや、公務員制度改革や地方分権の推進、安全保障の観点を入れたエネルギー政策などを共通項に党派を超えて集まった。どちらかというと保守とは無縁と見られてきた政治家が多く集まっている。党派の壁を超えて終結したキーワードがなぜ「保守」なのか。会長代行に就任した田中康夫・新党日本代表に聞いた。

形骸化する保守のスローガン

 ---田中康夫さんや塩崎恭久さんが集まって「保守」というと意外感があるように思います。なぜ保守なのですか。

田中: 日の丸、君が代、靖国神社を「旧来型保守の3つのアイコン」と私は呼んでいます。

 日本ではこの3つを声高に唱えるのが保守であるかのように思われてきました。しかしこれは、9条護憲、絶対平和、公平平等と叫びさえすれば革新だと思い込んできた人たちと同様、形骸化したスローガン=御題目となってはいないでしょうか?

 「保守」とは本来、愛する家族や親しき集落に根差した哲学というか理念を抱いて、それぞれの地域で真っ当に働き・学び・暮らす人々に勇気と希望を与える、絶え間なき変革に向けての行動を指すのだと思います。イデオロギーに縛られた空理空論が保守ではないのです。

 一方で革新も、大衆運動と言いながら実際には、選ばれし労働貴族が集う組合という組織に立脚した既得権益集団となりがちでした。

 その集大成が、ケーススタディ通りに物事が展開すると信じて疑わぬ松下政経塾と、同じく運動方針通りに物事を運ばせようとする連合が合体した野田佳彦内閣ではないかという気がしています。

 ---保守主義が形骸化している、と。

田中: 人間主義と行為主義という考え方があります。人間主義というのは銀行の査定のようなものです。どんな職業の、どういう役職で、年収はいくらでという項目が判断基準になる。人間の中身よりも外側の「ブランド」で判断しようとする。警察が検問するときに左ハンドル車でネクタイ締めている人は停めないのに、長髪の若者が運転するワゴン車はトランクまで開けてしまうのと同じですね。でも、銀行の査定では「安心」だったはずの人間が悪さをしていたり、事なかれで世の中を変革できなかったりするものです。

 もう1つの行為主義とは、良い意味での是々非々です。交通事故の現場を黙って通り過ぎる人々が居る一方で、仮に普段は素行の悪いチンピラ予備軍であろうと、救急車を呼び、人工呼吸をしたなら、それは素直に評価すべき、と捉える考え方です。御題目だけの保守や革新は人間主義と同じで、形骸化、教条主義化していくのです。

 ---教条主義を離れて考えた場合の、田中さん方が言う「保守」とは何なのでしょうか。

田中: 僕が考えている保守は、エドマンド・バークなんです。議連を立ち上げる際にも配った文章に書きました。日本では、「フランス革命などクソ食らえ」と言ったその一点において、保守主義の父だエドマンド・バークは崇められていますが、彼の真意は違うのです。


 革命の先にはギロチンで次々と粛清する行き過ぎが起き、今度はその反動でナポレオン3世が出て来てしまう。バークは、国民がバスチーユに集まって革命を起こすような事態にならない社会、国民が義憤を感じて革命という装置を使わざるを得ない段階に至らずとも、絶え間なく世の中をより良く変革していく気概と決断こそが「保守」だと見抜いていたのです。人々の革命への要求を先取りするような、その結果、人々が革命など必要としなくなるような「賢明な政治」こそ「真の保守」だと。

 民主主義という政治体制が消去法で選ばれているのではなく、相対的に見てより可能性があると思うのなら、政治体制をよりよく変えていくことが必要です。革命などに頼らずとも希望を持てる社会を作ることが大事だと思うのです。

福島に最終処分場を

 ---変革することが保守だというわけですね。

田中: 私は、真の保守というのはむしろ真の革新ではないかとさえ思います。今、多くの人が、関東大震災から戦争まで至る状況と今の状況が酷似していると指摘しています。政治が機能を果たさないと真空地帯が生まれ、ポピュリズムが台頭して来ます。その前に、フェアでオープンで、シンプルで、ロジカルな社会(公正で透明で簡素で理に叶った社会)を目指す、そうした覚悟を持った政治家が結集すべきだと考えました。

 ---メンバー(リンク)はいろいろなタイプの政治家が混在しているようにも見えますが。

田中: 消費税放射能公務員の3つの問題に対する立ち位置によって、今後、議員を分類できるのではないかと思っています。

 そのマトリックス議員が再集結すべきです。残念ながら現在の自民党民主党も、メインストリームの執行部は「古い方程式」から抜け出せない増税論者です。が、一方で、以前から私も予算委員会等で繰り返し述べているように、古今東西、増税で景気浮揚した国家は何処にも存在しないのです。平安前期の貞観地震以来の大災害に直面した日本は今こそ、智慧を使って「財源」を産み出すべきです。

 真の財政再建とは、消費減退、景気低迷、税収減少の"負の連鎖"で財政も悪化させる増税では無く、急がば回れ、論より証拠、大胆な経済政策で景気浮揚と消費拡大、税収増加を齎し、結果として財政規律も好転させる「新しい方程式」の導入が必要なのです。民主党にも自民党にも他の政党にも、そうした考えの持ち主が沢山います。謂わば、すべての政党伏流水として流れているのではないでしょうか。その伏流水が1つにまとまれば、今の閉塞状態から政治は抜け出せる。

 ---放射能とはエネルギー政策ですね。

田中: と同時に「新しい方程式」による産業再生です。東京電力福島第一原子力発電所の周辺は半永久的に住める環境でない。そのことを政府は正直に伝えた上で、高レベル放射性廃棄物の最終処分場を設け、専門家をそこに集めれば、逆に原子力技術の世界的な拠点が生まれます。


 映画「100,000年後の安全」で紹介されたフィンランドの永久地層処分場「オンカロ」を遙かに超える、世界に通用するソフトパワーになります。同時に、フクシマでしか処理できない態勢になれば、それは安全保障上のハードパワーにもなります。

 ---公務員制度改革や地方分権も柱ですね。

田中: 明治以来の47都道府県を順列組み合わせのように9とか11にするという話は、いかにも役人的発想。屋上屋を重ねて、官僚や役人の権限と組織が肥大化するだけです。だから、伊那谷や木曽谷が東海州でなく北関東州という机上の空論になる。地勢圏、交通圏、経済圏、歴史圏、文化圏といった観点に立って、47都道府県を解体して、道州制を敷く覚悟が政治家に必要です。

マニフェスト選挙は終わった

 ---民主党脱官僚依存を掲げて政権交代しましたが、公務員制度改革は後退しています。

田中: 私はフェアでオープンで、シンプルで、ロジカルな社会を目指すべきだと主張しています。フェアでオープンは政策の透明性を高めるということです。また制度はシンプルであるべきです。霞が関を中心とする裁量行政や控除方式に象徴される複雑な税制が、族議員業界団体を生み、役人の天下りを温存してきました。もっとシンプルであるべきです。ロジカルというのは理に適った政策を行うということです。

 ---政治が機能していないという批判は国民の間に根強いですね。

田中: 司馬遼太郎は「国のかたち」と言いましたが、かたちではなく「あり方」が問われているのだと思います。日本人はすぐに形ばかり言います。

 最近は小選挙区はダメだと言う。国家の事を考えないで盆踊りばかり行っている議員が増えたと。でも、国会議員というのは、盆踊りに行きながら一方で国家を語れなければいけない。盆踊りは地域の文化や歴史に立脚しているのですから。

 政治は、形をどうするかではなく、政治家の哲学だったり覚悟、姿勢が大事になのです。まさに行為主義です。選挙制度が変われば政策本位の政治に変わると小選挙区制導入時に叫んでいたマスメディアも学者も、健忘症なんですね。立派な机を買ってくれたら勉強ができるようになるよ、と言ってる劣等生のようなものです。ミカン箱で勉強していた、街灯の下で本を読んでた、戦後の先達を馬鹿にする話です。

 ---国会議員に求められるものも変わったということですか。

 マニフェスト選挙は終わったと思います。100個よりも200個のマニフェストを羅列している政党の方が優れていたか? この2年間が証明しています。次の総選挙でも政党マニフェストを作るでしょうが、最早、国民の側が信用していない。夫婦や親子や恋人でも100%意見が一致することは有り得ません。国民が政治家を選ぶのも同じです。マニフェストに記されていなかった想定外の102番目が起こるかも知れない。

 記されていた87番目の変形が起こるかも知れない。そうした未曾有の際にも、如何に直感力と洞察力、構築力と決断力、行動力と統率力を発揮出来る人物かどうか、それを見極めるのが選挙なのです。

 次の総選挙は、政党よりも個人を選ぶ、本来の選挙のあり方に戻るのでしょう。マニュアル型の政治家が見限られる総選挙になると思います。

 その意味でも「日本を根っこから変える保守の会」の存在と活動が意味を持ってくると考えています。

絶え間なく変革していくのが保守

 ---会長の塩崎議員は日本にはまっとうな資本主義が必要だと仰っています。

 「社会的公正」と「経済的自由」を同時に達成し、混迷するニッポンに躍動感=ダイナミズムを取り戻し、パステルカラーに彩られた一億総中流社会を共創する意志が必要です。それが、公平や平等でなく公正な社会です。「政権交代」から2年間、松下政経塾と連合の出身者が手を携える民主党の迷走は、机上の空論を振り翳したノーメンクラツーラ=赤い特権階級が牛耳った社会主義計画経済の破綻を想い起こさせます。

 経済は歴史現象だから二度と同じ事は起きないし、科学も自然現象だから二度と同じ事は起きない。にもかかわらず両者とも方程式どおりになると信じている人たちです。実は、それは市場主義経済の信奉者にも少なくないのです。

 人間は無謬性でなく可謬性である。その認識に立って、「科学を信じて・技術を疑わず」の社会から「科学を用いて・技術を超える」社会を目指して、人びとの心の機微に根差して、絶え間なく変革していくのが「保守」なのです。

(関連リンク)

塩崎恭久氏との対談(BS11田中康夫のにっぽんサイコー!」)

http://www.nippon-dream.com/?p=5378

「日本を根っこから変える保守の会」設立総会映像

http://www.nippon-dream.com/?p=5191

「『ノーサイド』なんぞクソ食らえ」(「日刊ゲンダイ」連載「にっぽん改国」)

http://www.nippon-dream.com/?p=5247