「GNH」幸福度を追求するブータンの高い経済成長率

昨年の国王訪日もあり、ブータンは高い関心を呼んでいます。ただし、GNHという指標が決して経済成長を否定しているわけではない点は留意すべきでしょう。WEDGEオリジナルページ→ http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1734 

 東日本大震災が起こって丸1年。東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響も続き、被災地の人々の生活再建はなかなか進んでいない。大震災は多くの国民にも精神的な打撃を与えた。日本人の多くが「幸せとは何か」を問い直したに違いない。

 幸せとは何か――。つまり「国民の幸福度」をどうやって測るかは、経済学にとって難しいテーマだ。経済成長こそが幸せの基盤だと考え、多くの先進国や新興国GDP国内総生産)を国家運営の指標として使ってきた。ところが、それに伴って生じた環境問題や資源不足、社会不安などが世界を覆うに及んで、成長だけを追い求めることへの疑問を生じさせた。そこに日本人の価値観を大きく揺さぶる震災が加わったのである。

 「成長を追い求めなくても、幸せな社会は実現できるはずだ」

 最近の日本では、そんな声が多く聞かれるようになった。国会議員や学者の中にも、「もう成長しなくていい」と公言する人もいる。パイが大きくならなくても、分配を公平にすれば皆が豊かになる、というのは本当なのだろうか。

 成長に代わる指標が語られる時にしばしば例に引かれるのが、ヒマラヤの小国ブータンが追い求める指標だ。GNH(Gross National Happiness 国民総幸福度)。1970年代からGDPではなく、このGNHを最大化することを国の政策目標としてきた。昨年11月にワンチュク国王夫妻が国賓として日本を訪れた際にも、このGNHが話題になった。

 GDPに代わる指標としてのGNHと聞くと、ブータンが経済成長に背を向けているように思われるかもしれない。GNHが日本に紹介される時も、そう説明されることが少なくない。だが現実は違うのだ。

 ブータンは九州ほどの国土に70万人の人々が暮らす小国だ。ところが、南側に隣接するのは大国インド。食糧の多くをインドからの輸入に頼る一方で、水力で発電した電力の大半を輸出する。経済的なインドへの依存度は極めて大きい。

 そのインドが猛烈な勢いで成長しているのだ。何も考えずに国の門戸を開けば、一気に経済成長の渦に巻き込まれてしまう。それではブータンの伝統も文化も、昔からの生活も一瞬にして消えてしまうだろう。

 GNHは成長を否定するのではなく、成長を抑えることで歪みの発生を小さくし、成長を持続させることを狙っているとみていい。実際にブータンGDPは2009年に6.7%、10年には8.3%、11年も8.1%と成長を続けている。

 「失業率を低く抑え、良好なGDP成長率を保つことはとても重要だ」

 GNHの考え方に基づいた政策を立案しているブータン政府のカルマ・ツェテームGNH委員会長官も経済成長の必要性を認める。「だが、経済発展と同等に社会的、文化的発展も重視しているのが我々が少し違うところだ」とも語る。

 つまり、成長と引き換えに文化や社会が培った伝統を反故にすることはしない、というのだ。そして「GNHに着目した開発とGDPに着目した開発の違いは、クオリティ・オブ・ライフに対する考え方だ」と強調する。

 クオリティ・オブ・ライフ。生活の質である。日本の高度経済成長が、世界一美しいと言われた田園風景を破壊し、伝統や文化を失わせ、家族の団欒までも奪い去った生活の質を犠牲にした成長だったと、言外に言われた気がした。ブータンはその?失敗の轍?は踏まないという意思を感じた。

GNHの本質は国民ニーズの吸い上げ

 GNHがブータンの成長をスピード調整するための手法だとして、すでに成長を成し遂げ、成長が止まってしまった日本には何の役にも立たないかというと、決してそうではない。むしろ、ブータンが、クオリティ・オブ・ライフをどう高めるかに知恵を絞っていることに、学ぶべき点がある。

 東日本大震災からの復興に向けて、政府は補正予算を組み、多額の資金を投じて被災地の再建に取り組んでいる。単なる「復旧」ではなく「復興」を目指すとして、地元も参画した復興プランの立案などが行われている。

 その多額の投資によって再興された新しい町に住む人々の生活の質が、大きく向上することを期待したい。多額の資金が集中的に投資されれば、結果として経済は成長する。東北復興を日本全体の経済再成長の原動力にすることは十分に可能だろう。

                              ◆WEDGE2012年3月号より