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2012-11-28

古川元久・前国家戦略担当相が語った本音 「私が『原発ゼロ』を決めたのは"変節"でも"ポピュリズム"でもない」

| 19:04

 原発TPPなど国論を二分するテーマが選挙戦の争点になるかと思われましたが、どうもそうではありません。多くの国会議員がこうした難題に本音を語らなくなったからです。再び永田町に帰ってくるためには、有権者の嫌がる事は言わない方が得策というムードです。政府が「脱原発」の方向性を決めるのにも紆余曲折がありました。その中心にいたのが古川元久・国家戦略相(当時)です。役回りとはいえ、古川氏は多くの国民の前で自分自身の本音を語らざるを得なくなったのです。少し古くなりましたが11月14日にアップされた現代ビジネスの原稿を編集部のご厚意で再掲します。

オリジナル → http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34042 


 政府は9月に決めた「革新的エネルギー・環境戦略」で、「2030年代に原発稼働ゼロを可能にするよう、あらゆる政策資源を投入する」ことを決めた。事実上の「原発ゼロ」宣言に、経済界原発立地自治体は猛烈に反発。日米原子力協定を結ぶ米国からも強い懸念の声が内閣に寄せられたという。

 戦略をまとめる過程で主に議論を続けてきたのは、細野豪志環境相原子力行政担当相、枝野幸男経済産業相原子力損害賠償支援機構担当相、古川元久・国家戦略担当相、仙谷由人民主党政策調査会長代行の4人。当初、脱原発派の枝野氏に対して、仙谷、細野、古川の3氏は原発容認派と見られていた。

 ところが会議の中盤から古川氏が最も「脱原発」を主張するように変わったという。原発の存続と再稼働を画策していた経産官僚などからは「変節した」と指弾される古川氏。いったい、脱原発を目指す方針に転向した背景には何があったのか---。


いつか必ずそうならざるを得ない現実

 「私が革新的エネルギー・環境戦略で最終的に『原発ゼロ』を目指すことにした最大の理由は、使用済み核燃料の問題です。原発を動かした場合に、出てくる"ゴミ"をどう処理するかは決まっていません。そんな中で原発を動かし続ければ、いつかゴミの一時的な置き場すらなくなって、原発は動かせなくなる。この使用済み核燃料の処理の問題を考えれば、原発ゼロは選択肢の問題ではなく、いつか必ずそうならざるを得ない現実なのです」

 もちろん、古川氏がそう考えるに至ったきっかけは東日本大震災に伴う東京電力福島第一原発の事故だったという。

 「福島第一原発の事故でパンドラの箱が開いてしまったのです。これまでは使用済み燃料は再処理されて利用されるので、"ゴミではなく資源"とされてきました。いつかは最終処分せざるをえないとしても、それはずっと先の話として、最終処分場も決まらないまま、この問題に真剣に向かい合ってこなかった。

 しかし、今回の事故でこの使用済み燃料の処分の問題をはじめ、これまでの原子力政策のさまざまな矛盾が国民の目に明らかになってしまった。もはやこうした問題を直視しないわけにはいかないのです」

 古川氏は内閣府特命大臣として、国家戦略担当のほか、科学技術担当なども兼務した。そこで担当する日本学術会議などの知見を得ることになる。

 「これまで考えられてきた我が国の最終処分の方法は、廃棄物をカプセル容器に密閉したうえで、地下深くに掘った空間の中に閉じ込めてしまおうというものです。ところが、先日、学術会議が提言書を発表し、日本列島の地層は不安定で最終処分の適地がないと指摘しました。つまり日本には捨て場所がないのです」


使用済み燃料の処理の問題はどうするのか

 政治家4人による原発是非論は時に白熱したようだ。もともと仙谷氏は政権交代した後、日本企業の原発輸出の旗を振った。原発推進派と言っていい。細野氏も官僚の話を良く聞くタイプで、原発には理解があった。枝野氏はもともとの政治的なスタンスから脱原発派と見られていた。

 会議はたいがい2対2の激論になったという。時には激昂した仙谷氏が「お前、菅と一緒にやればいい」と古川氏を怒鳴りつける場面もあったという。菅とはもちろん、脱原発を掲げた菅直人・前首相の事である。

  「私も事故以前は原発は必要だと考えてきましたが、お恥ずかしながら、こうした(廃棄物)問題までトコトン突き詰めて考えてはいなかった。しかし事故が起きてこれまでの原子力政策を検証し、見直す中で、こうしたさまざまな矛盾に気がついたのです。これは私だけでなく、多くの国民の皆さんも同じではないでしょうか」

 古川氏が脱原発に舵を切った背景に選挙区事情がある、という見方もある。古川氏の選挙区愛知2区名古屋は圧倒的に中日新聞の影響力が大きい。中日新聞や系列の東京新聞は強硬な「脱原発」の論陣を張っている。

 そんな中で、選挙区の主婦層などの声を無視して古川氏が「原発容認」の姿勢を打ち出すことなど無理だ、というのだ。さらに愛知2区からは世論掌握に長けている河村たかし名古屋市長が立候補するのではないか、という噂が絶えない。古川氏も自身の決断を「ポピュリズムかどうか」自問自答したという。

 「私が出した原発ゼロの方針に対しては、『無責任だ』とか『ポピュリズムだ』といった批判をされたりします。これまで私が親しくしてきた方からもこうした批判を受けることがあります。しかし本当に『無責任』なのか、『ポピュリズム』なのか。そういう方々に私は、『それではこの使用済み燃料の処理の問題はどうするのですか』と問いたいと思います。

 この現実を直視すれば、いつかは原発ゼロにならざるを得ないのです。ならばいまから原発に頼らないで済むエネルギー社会の実現に向けて全力を尽くすのが、あの事故を経験し、これまでの原子力政策の矛盾に気づいた私たちの世代が、将来世代のために果たすべき責任ではないでしょうか」


原発稼動ゼロ」が可能となる状況を一日も早く作っていく

 古川氏は5月18日の段階で、「原子力発電について」という文書をまとめ、支援者などに配っている(画像ファイル参照)。考え抜いたうえで、自分の考えをまとめて以降、古川氏はブレていない。政治家として腹をくくった、ということだろう。

 「私はいまを生きる私たちの責任は、前の世代から受け継いだこの国を少しでも良くして次の世代に引き継ぐことだと思っています。そう考えれば、自分たちのいまの生活のことだけ考えて、使用済み燃料という危険でコストのかかる大きな負の遺産を次世代にツケ回しし続けるのは、あまりに無責任ではないか。私はそう考えました」

 政府が決めたのはあくまで「2030年代に原発稼働ゼロを可能にする」ということであって、正確には、「原発ゼロ」を決めたわけではない。

 「しかしだからといって、直ちに原発をなくせとは言っていません。再生可能エネルギーの開発を急ぐとともに、蓄電池開発やコジェネの活用、新型の石炭火力の新設など火力発電の効率化の推進などによって、原発に替わる代替エネルギーを確保しながら、徐々に原発への依存度を下げ、最終的には『原発稼動ゼロ』が可能となる状況を一日も早く作っていくのが適当だと考えています」

 つまり、政府のビジョンとして方向性を示した、というわけである。古川氏は政権交代以降、国家戦略というまさに国家ビジョン策定の中心にい続けた。

 「私は政権交代以来、内閣府副大臣官房副長官、そしてこの1年あまりは国家戦略担当大臣として時の政権の中心的な課題に取り組んできました。大臣としては『日本再生戦略』をまとめました。これは日本が今後目指すべき国のビジョンを『共創の国』という形でまとめ、その実現のために必要な11の戦略をトータルに示すことができたと自負しています」


マイナンバーは必要不可欠な社会インフラ

 国家戦略室民主党政権交代の目玉だった。

  「初代国家戦略室長として、国家戦略室を立ち上げた者としては、国家戦略室を法律で局に格上げし、権限を明確にして定員も予算もきちんと確保したいとずっと思ってきました。大臣になって是非実現したいと思いましたが、残念ながらねじれ国会の中で『局』への格上げを実現する法案は提出できませんでした」

それでも「国のかたち」を変えていくために様々な政策を実行に移した。

 「私が国家戦略室長時代に検討を始めた社会保障・税共通番号、いわゆるマイナンバーについては、大臣として法案を提出し、その成立をめざしました。これは公平・公正で効率的な社会保障制度や税制を実現する上で、必要不可欠な社会インフラだと思います。誰が政権を担ったとしても絶対に必要な制度です。

 10月の内閣改造で大臣を退任し、衆議院内閣委員会委員長を拝命しました。マイナンバー法案を審議するのは、内閣委員会です。一日も早くこの法案を通すことができるよう、委員長としての職責を果たしていきたいと思います」