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2013-02-28

安倍首相がブレなければ日経平均1万6000円台もありえる!? アベノミクス"3本の矢"の方向性を占う3つの試金石

| 09:36

先日ある勉強会で「アベノミクスの行方」をテーマに話したら、過去最高の参加者でした。私の話が、というよりも、アベノミクスの行方が知りたいという人が多いのでしょう。現代ビジネスにアップされた原稿を編集部のご厚意で以下に再掲します。オリジナル→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34987


 安倍晋三首相の掲げる経済政策、いわゆる「アベノミクス」が多くの国民の支持を得ている。「大胆な金融緩和」「機動的な財政出動」「民間需要を喚起する成長戦略」の"3本の矢"を掲げたことで、さっそく成果が表れ始めた。1本目の矢の金融緩和姿勢によって大幅に円安が進み、株価が上昇したのだ。

 この円安株高によって消沈ムードが一変したのは事実だ。週末の繁華街は賑わい、外国人旅行客は増加傾向にある。今度こそ、日本経済が再成長路線に入るのではないか---そんな期待感が盛り上がっている。安倍首相への期待から、内閣支持率も上昇している。

 その一方で、「古い自民党」に戻ってしまうのではないか、という危惧を多くの国民が抱いているのも事実だ。安倍首相は繰り返し「古い自民党には戻らない」と発言しているが、それがどこまで信じられるか。

 2本目の矢である「機動的な財政出動」の方向性を間違えれば、不要な道路やダムを作り古い公共事業のバラマキに戻りかねない。一気に国民の期待がしぼんでしまうリスクがあるわけだ。さらに、3本目の矢である「成長戦略」で何が出て来るかもアベノミクスの方向性を決めることになるだろう。

TPP環太平洋戦略的経済連携協定)への取り組み

日経平均が1万1,500円を超えた株価は今後どうなるのか。もはや最大の関心事は「アベノミクスの行方」にかかっていると言っても過言ではない。では、その方向性を見極めるうえで何が判断材料になるのか。ここで3つの試金石を提示しておこう。

1つ目はTPP環太平洋戦略的経済連携協定)への取り組みだ。貿易立国である日本が、今後成長していくには米国アジアとの経済連携が不可欠であることは言うまでもない。一方で、TPP国益を損なう条項が含まれているという懸念があるのも事実だ。そんな懸念を払拭しながら、TPPの交渉に参加し、日本の国益を守れるかどうか。

安倍首相はかねてから「聖域なき関税撤廃を前提条件とする以上、TPPに参加しない」と述べてきた。この文言を全農などの農業団体は「TPP反対」と受け取ってきたが、安倍首相の周辺は、あくまで「聖域なき関税撤廃が前提条件」の場合だけが「不参加」で、本音では交渉参加に前向きだ、としていた。つまり、安倍首相は「逃げ道」を用意した言い回しを使ってきたのだ。

 2月22日のオバマ大統領との首脳会談から帰国した安倍首相はこの逃げ道を活用した。「聖域なき関税撤廃が前提ではなくなった」ことが確認できたとして、交渉参加に向けて動き出したのだ。さらに、一気呵成に自民党役員会の「一任」も取り付けてしまった。

 これには、TPPに最も激しく反対してきた全農など農業団体は強く反発している。昨年末の総選挙では農協から支援を受ける代わりに「TPP反対」の踏み絵を踏まされている自民党候補者も多い。この党内の反発をかわすための「役員会一任」だったわけだ。これには反発する声が反対派議員から噴出している。安倍氏はそれをどう収めていくのかも、今後の焦点となるだろう。

TPP参加に向けて大きく踏み出し、安倍首相の姿勢がブレなければ、株価には大きくプラスになるに違いない。このまま党内反対派を封じ込めることができるか、安倍首相の党内リーダーシップを占うことにもなる。

日本郵政の社長人事はどうなるか

 2つ目の試金石は、日本郵政社長人事だ。昨年12月の総選挙直後の政権空白期に財務省OBの齋藤次郎社長が突然辞任、後任に同じ財務省OBの坂篤郎・副社長を据えた。取締役の選任は所管大臣の許認可事項だが、取締役の中から新しい社長を選ぶのは取締役会の自由だ、という論法で交代を決めた。

 もちろん日本郵政は国が100%の株式を持つ会社。これには官房長官になった菅義偉氏も激怒している。官僚OBに人事をほしいままにされては安倍内閣の霞が関に対する姿勢に疑問符が付く。「脱官僚依存」というキャッチフレーズが民主党の政権奪取の原動力になったように、国民の間に官僚主導への拒否感は根強い。つまり、この問題に安倍首相がどう決断を下すかで、今後の規制改革における霞が関との距離感が測れるわけだ。

安倍官邸は日本郵政に対して、坂社長が自ら自任するよう水面下で促している。応じなければ6月の株主総会で坂氏を解任すると強硬姿勢もにじませている。だが、これも、おそらく強硬手段に出るまでもなく、坂氏の古巣である財務省側が折れる可能性が強まっている。というのも別の人事で安倍首相財務省に恩を売ったからだ。

 まず1つは公正取引委員長人事。空席となっていたが、これに杉本和行・元事務次官を充てることとして、国会の同意も得た。もう1つは日本銀行総裁人事だ。こちらは元財務省財務官黒田東彦アジア開発銀行総裁を候補者として国会に提示することとした。

 過去3代にわたり日銀出身者が続いた総裁ポストの"奪還"は財務省の悲願だった。財務省OBは排除すべきだ、という声があった中で、安倍首相が決断した意味は大きい。これを機に日本郵政の社長を財務省が手放せば、安倍首相の改革姿勢は保たれたと世の中は見るに違いない。

中小企業等金融円滑化法にはどう対処するか

 最後は「亀井モラトリアム」の扱いだ。民主党政権で金融担当相になった亀井静香議員の主張で導入された中小企業等金融円滑化法の期限が今年3月末に迫っている。当初はリーマンショック後の危機回避を狙った時限立法だったが、延長が繰り返されてきた。これによって本来は淘汰されるべき中小企業が生き残ってきた。いわゆる「ゾンビ企業」である。一方で、支払い条件の見直しを一切止めれば、4〜5万社が一気に倒産するとも言われる。

 このゾンビ企業をどうするのか。これも3本目の矢の行方を占う試金石になる。「民間活力を引き出す成長戦略」を作るために安倍首相を議長とする「産業競争力会議」が始まっている。その中でも「ゾンビ企業を作るべきではない」という議論が行われている。つまり、弱い企業を助けるのではなく、強い企業をより強くするための産業政策、経済政策が模索されているのだ。

 もちろん、「規制緩和」や「構造改革」には反対勢力も多い。成長戦略がどんな方向に向かうのか、すでに足下にある「ゾンビ企業」への対応を見ることで、今後の方向性が判断できるわけだ。

TPPへの参加と、霞が関に対する官邸主導の確立、そして弱い企業を支えてきた産業政策との決別。この3つが時間とともにはっきりし、アベノミクスの本質が「改革路線」であることが誰の目にも明らかになってくれば、市場はそれを好感するに違いない。

小泉純一郎首相(当時)が改革を掲げて戦った2005年9月の「郵政選挙」の直前に1万2,692円だった日経平均株価は、選挙で圧勝した後、急上昇を続け、2006年4月には1万7,563円を付けた。半年で4割近くも上昇したわけだ。金融緩和だけで1万1,500円まで来た今の株価に、改革期待が加われば、4割上昇としても短期のうちに1万6,000円台に乗せてもおかしくない計算になる。

 もちろん、3本目の矢が尻すぼみに終わり、公共事業に依存する「古い自民党」が復活するようなら、世の中の期待が一気にはげてしまうリスクもある。まずは3つの試金石として指摘した懸案を安倍首相がどうさばいていくのか、その手腕に注目していくべきだろう。

2013-02-25

内輪で社長交代を強行した、日本郵政の「天下りガバナンス」 増え続ける国有株式会社、誰が経営を監視するのか

| 23:44

安倍内閣の方向性を占う試金石の1つが、日本郵政の社長人事だと見ています。この問題への対応が、「霞が関との関係」を示すことになるからです。以下のような原稿を日経ビジネスオンラインに書きました。ご一読いただければ幸いです。オリジナルページ→http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130220/243992/


「政権の移行期に100%国が株主の(会社の)社長人事を、天下りと批判された人が自分の同じ省庁(出身)の人に決定した。ちょうど移行期で相談がなかったものですから、それはいくら何でも看過できないと申し上げました。今でも思いは同じです。具体的には、総務大臣が適切に対応してくれるものと思っております」

 2月19日の参議院予算委員会民主党小野次郎議員の質問に、菅義偉官房長官はこう答弁した。ここで言う「100%国が株主」の会社とは言うまでもなく日本郵政株式会社のことだ。

 日本郵政は昨年12月19日、臨時取締役会を急遽開いて、齋藤次郎社長の退任と坂篤郎副社長の社長昇格を決めた。12月16日には総選挙の投票が行われ、17日の朝に確定した結果では民主党が大敗、政権の座から滑り落ちた。それからわずか50時間あまりでの突然の社長交代だった。

 「3年間、この会社の経営を預かって以来、一応やるべきことは全てやったと個人的に思っており、いい潮時と申しますか、この際、長い間、私と一緒にこの経営の基盤を担ってきてくれた坂副社長に後事を託するのが、最も適当であると判断したわけでございます」

斉藤氏が日本郵政社長の座を投げ出した理由

 12月19日の記者会見で齋藤氏はこう語った。だが、説明どおりなら、2013年6月の任期満了時に退任すれば済む話だ。しかも、会見の席では社長は辞めるが取締役としては残るという説明だったにもかかわらず、その後、取締役も辞任していたことが年明けに判明している。要は逃げるようにして辞めたのだ。

 齋藤氏がアタフタと社長の座を投げ出した理由は明らかだった。

 齋藤氏は1993年に日本新党を中心とする連立政権ができて自民党が下野した際の大蔵事務次官(現財務事務次官)だった。「大物次官」の名をほしいままにし、政界との太いパイプを築いた。小沢一郎氏と近いことでつとに知られた。

 ところが、自民党が政権に復帰すると、それがアダとなる。自民党から疎まれ、目ぼしい天下りポストにありつけずに過ごしたのだ。それから約10年。民主党が政権を握った途端、突如として日本郵政の社長に就任したのだ。「脱官僚依存」「天下り根絶」を掲げていた民主党政権にあって、異様な人事だったが、就任記者会見で齋藤氏ははばかることなく満面の笑みを浮かべた。

 それから3年。再び政権が交代。齋藤氏は過去の屈辱を再び味わう前に“敵前逃亡”を果たしたのだ。現役の財務省幹部の間からも「ぶざまな逃亡劇で晩節を汚した」という声が漏れる。

 だが、問題は齋藤氏が社長を辞めたことではない。後任に同じ財務省OBの坂氏を「勝手に」決めたことだ。

「この会社は、株式会社でございまして、株式会社というのは、社長が後任についていろいろ考えた末に、取締役会で選任されるということが全てでございまして・・・」と齋藤氏は記者会見でこうシラを切った。株式会社取締役会で社長交代を決めることに何の問題があるのだ、というわけである。

 だが、冒頭の菅官房長官の発言にもあるように、日本郵政は国が株式を100%保有する国有企業である。純然たる民間企業であるわけではない。本来、唯一の株主である「国」の意向を確かめずに社長人事を行うには無理がある。

 国の財産とは本来、国民の財産ということだから、本来ならばこうした国有株式会社の場合、国会株主権を行使するべきだが、日本は行政株主権を行使することになっている。つまり所管大臣が株主として行動する建前なのだ。

 辞任を決めた12月19日時点の所管大臣は樽床伸ニ総務相だった。あるいは、郵政問題の責任者だった下地幹郎・郵政民営化担当相も関係閣僚ということになるだろう。ところが、この2人はともに総選挙で落選していたのだ。総辞職まで形式上は大臣のポストにあったとはいえ、国民からノーを突きつけられた落選議員が国民の利益を代表して株主権の行使を行うことに正当性は乏しいと言っていいだろう。

 株主権の行使者が、その正当性に疑問を呈されているタイミングを、まるで見計らったかのように日本郵政はわざわざ社長交代を強行したのである。これに怒ったのが、直後に発足した安倍政権の面々だ。中でも菅氏や、自民党幹事長の石破茂氏は当初から厳しい批判の声を挙げている。

「自ら辞任」を水面下で模索する動き

 では安倍内閣はこの日本郵政社長人事にどう対処しようとしているのか。

 官邸周辺によると、この人事は絶対に許されないとして、坂社長が自ら辞任するよう水面下で求めている、という。日本郵政側がこれに応じなければ6月の株主総会で坂氏を取締役から解任する姿勢をにじませている。

 だが、そうなれば、坂氏のメンツは丸潰れとなり、出身母体の財務省もポストを失うことになる。「お互いのメンツを保つには自ら辞めてもらうのが一番」と安倍首相の側近議員は語る。

 では、菅官房長官が答弁でゲタを預けた新藤義孝総務相は動くのか。大手紙のインタビューなどで新藤氏は「取締役の中から誰をどうするのかは会社の権限」だと語り、社長選任の手続きには問題がなかったとの認識を示した。

役所の許認可事項なのは、取締役の選任だけで、社長選任は届け出る義務はないという齋藤氏らの主張を追認したわけだ。もちろん、ここには国民の利益を代弁する「株主」としての発想はない。形式上の法律論を語っているだけで、役所の作文そのままの発言と言っていい。

 財務省を所管する麻生太郎副総理財務相兼金融担当相も、慎重な言い回しに終始している。「あの時期にすべきじゃない。いかに本人が能力あっても悪く言われる」と、交代のタイミングについては批判しているものの、坂氏を解任することには慎重だとされる。財務省の天下りを否定して真正面から激突するのは避けようということだろう。

 こうなると安倍政権霞が関の綱引きである。

 第1次安倍内閣では「天下りの根絶」を掲げて公務員制度改革に力を注いだ。公務員に能力主義を導入し、退職者の人材斡旋を中立的に行う仕組み作りを目指すなど、制度改革への突破口を開いたのは安倍氏の強いリーダーシップの結果だった。だが、現在、安倍首相公務員制度改革に本腰を入れる姿勢は見せていない。

 首相官邸の関係者によると、安倍氏は7月の参議院選挙に勝つことを絶対的な命題にしているという。第1次安倍内閣が短命に終わったのも、6年前の参議院選挙に敗北したことが最大の要因だった。街頭演説などでも「次の参院選に勝たなければ、死んでも死にきれない」とまで語っている。つまり、選挙に勝つまでは「絶対に敵を作らない」作戦なのだという。霞が関も敵に回さず、党内各派にも配慮するということなのだろう。「デフレ脱却」「経済再生」という目標ならば、誰も異論をはさめない。

 それだけに、この「日本郵政社長人事」は安倍内閣霞が関との距離感を示す大きな試金石になるのは間違いない。天下りポストを安定的に維持したい霞が関と、国民の天下り批判のはざまで、安倍氏内閣はどこへ向かっていくのか。それをこの人事が示すことになるだろう。

 というのも、日本郵政の社長の決め方が、他の国有株式会社のあり方を大きく左右していくことになるからだ。これまで、国が株式を保有する株式会社に対する「株主権」の行使は、所管大臣が行ってきたことは既に触れた。これは日本郵政だけでなく、高速道路の管理運営会社である中日本高速道路株式会社東日本高速道路株式会社株式会社日本政策投資銀行株式会社商工組合中央金庫などに共通する。

国有会社の社長、副社長はほとんど天下りポスト

 そうした国有株式会社の「株主権」は実質的に、所管官庁によって行使されている。株主権と法律による監督権がないまぜになって行使されているのだ。そうした株式会社の社長や副社長などのほとんどが「官」の天下りポストとなっている。

 国ならぬ官が株式を保有するのだから、ポストを官が握るのは当然、というわけだ。この国有株式会社のポストを巡っては、世の中の天下り批判と霞が関の感覚には大きな開きがある。つまり、「国の財産」とは誰のものか、という民主主義の原点に行き着く問題なのだ。

既に書いたように国民の財産である国有株式会社株主権は国民に帰属するものだろう。本来は国会がそうした株式会社の運営に直接的に目を光らせる仕組みを作ることが不可欠ではないか。情報開示にしても、人事の決定にしても、ルールを透明化し、その結果を国民に的確に伝えることが必要だろう。

 霞が関がしばしば使う便法に「株式会社なので民間企業だ」という主張がある。日本郵政の社長人事を取締役会だけで決められるとしたのも、「民間企業と同じ株式会社だから」という論理が背後になる。ここには明らかに嘘がある。国有の株式会社は民間の上場会社以上の情報開示が義務付けられてしかるべきだ。

斎藤前社長の退職金は「不明」

 みんなの党大熊利昭衆院議員が、日本郵政の齋藤前社長の退職金について「質問趣意書」の制度を使って政府に回答を求めたところ、「不明」という返事が返ってきたという。民間会社が支払うものだから、というのが言い訳なのだろう。国民が保有する財産である株式会社からの退職金すら開示できないのは、すべてが官任せになっていることの証明でもある。

 いま、国が保有する株式会社がどんどん増えている。いわゆる「官民ファンド」もそうだ。形は違うが、東京電力も国が過半の株式の保有する会社となった。こうした国有株式会社に対して国民の代表である国会がどうその経営を監視し、「株主権」を行使していくのか。早急に制度を整備する必要があるのではないか。

2013-02-22

「お客さんに近づく農業」で1日3トン(!)の卵を売る直売所「たまご庵」 〜6次産業化の成功モデル「コッコファーム」を訪ねて

| 18:42

熊本北海道茨城などに次ぎ、全都道府県で5番目に農業生産額が大きい県です(昨年末公表の平成23年分)。しかもここ数年生産額を増やしています。そんな熊本でも有数の農業地帯である菊池市に取材に行ってきました。6次産業化の現場レポート菊池編です。オリジナルは現代ビジネス ⇒http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34929


九州熊本市の北東に位置する菊池市の中山間部に年間94万人が訪れる「卵の直売所」がある。九州北部と阿蘇山を結ぶ国道沿いにあるとはいえ、周囲に目立った観光施設はない。コッコファームが運営する「たまご庵」を目指して多くの人がやってくるのだ。

 直売所といっても今や、卵から鶏肉、鶏肉・鶏卵の加工品、卵料理が中心のレストランなどを併設する複合商業施設になっている。だが、あくまで目玉は自社の養鶏場で生産する卵だ。

 お店の一番奥にある鶏卵コーナーには、無造作に卵を詰めたダンボールの小箱が並ぶ。ひと箱3キロ。40〜45個ほどの卵が入っている。よくスーパーで見かけるプラスチックのパック詰めはしていない。自社の養鶏場で朝取れた卵を、そのまま売る。「生みたての温かい卵をお客さんに届けたい」という創業以来の精神が息づいている。

「お客さんに近づく農業」を模索

 この小箱がみるみるうちに売れていく。ひと箱1,200円。決して安いわけではない。にもかかわらず1日の販売量は平均1000箱。1日で1620箱売れた記録もある。

 もちろん卵の売れ行きは日によって違う。飼育する8万5000羽の鶏が生む卵は1日4トン。販売量と生産量に差が生じるわけだ。その余った卵をどう使うか---そこからさまざまな加工品が生まれてきた。酢味たまごや卵を使ったロールケーキ、アイスクリーム、余った卵白を活用したシフォンケーキ卵白石鹸など種類は豊富だ。

朝つぶしたばかりの鶏肉も店頭に並ぶ。鶏卵用の鶏は食肉用のブロイラーと比べて小ぶりで味はいいが、産卵期を完全に終えてしまうと身が硬くなり売り物にならない。産卵がピークを越え身が硬くならないタイミングを狙って食肉用に加工する。まるごと一羽を蒸し焼きにした「紅うどりの蒸し焼き」は10年来のロングセラー商品だ。

 たまご庵にあるレストランのメニューは基本的に2つ。自社産の卵と鶏肉をたっぷり使った親子丼オムライスだ。

「定期的に目的買いをしていただくには、わざわざ足を運ぶ価値のある商品を揃えることが何より必要です」と創業者で会長の松岡義博氏は言う。松岡氏は創業以来、「お客さんに近づく農業」を模索してきた。18歳で都会に出て様々な仕事に就いたが、20歳でサラリーマン生活に見切りを付け故郷に戻った。

 地元の農家に話を聞いて歩いたが「従来の農業に失望した話ばかりで、将来の夢がまったく描けなかった」と松岡氏は振り返る。農家は作ることはできても、売るのは苦手。すべて農協任せになる。農協が自ら赤字をかぶることはないから、儲からない農業のしわ寄せは農家に来る。きちんと儲けて夢を描くには消費者に自ら近づいて販売していくほかに道はない。そう松岡氏は心に決めたのだという。

目標は年間来店客数100万人

養鶏場を始めると、卵の行商や、卵拾いの観光農園など様々な試みを経て、小さな直売所を設けた。早い段階からハンバーグやオムレツの加工に乗り出し、当初はスーパーや弁当店に納めていた。だが、そうなると納入業者同士の激しい競争にさらされる。そこで発想を転換して考え出したのが、「自社加工品を直売所で売る」という手法だ。そして、いかにして店に来てもらうかに知恵を絞り始めたのだ。

この発想は今でも変わっていない。自動車以外の便はなく、熊本市内からでも往復すればゆうに1時間以上はかかる。たまご庵にしかないモノをいかにそろえるか---物産館では周辺農家の野菜なども売るが、扱う商品の8割は自社生産したものだ。

 商品づくりに加えて、還元率を高くしたメンバーズカードの導入など固定客を作る仕掛けづくりにも力を入れている。今では年間94万人の来店者の半分はリピーターだという。インターネットによる通信販売も手掛け、「かしわめしの素」などがよく売れているが、まだまだ売り上げのごく一部に過ぎない。あくまで、来店してもらう、というのが基本コンセプトなのだ。

 レストランの横にあるバナナを植えた温室も顧客を呼び込む工夫の1つだ。バナナの木にオーナー制度を設けるなど遊び心いっぱいのアトラクションになった。なぜ、養鶏場バナナか、と思うに違いない。実はここにも再利用の発想が息づいている。卵の殻を砕いたものがバナナ培養土に適しているのだという。

 来店してもらうのが基本コンセプトである以上、顧客を呼び込むためのPRには力が入る。月刊情報誌を発行、「コッコの6次産業化物語」などを連載することで、商品づくりへの思い、店づくりへの思いを顧客に訴えてきた。「たまご庵ソング」というPR曲も作った。

 最近はSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)による情報発信に力を入れており、スタッフがそれぞれの名前で発信する「コッコブログ」に取り組む。さらに、たまご庵の内部に設けたスタジオから定期的にUstreamで放送する「コッコすとりーむ」も始めた。そうした努力の積み重ねで年間来店客数100万人を目指しているのだ。

農業を、未来の夢を描ける産業に

 現在、売上高は年間29億円あまり。従業員数は167人にまで拡大した。養鶏場での卵・鶏肉生産という1次産業と加工食品などの2次産業、たまご庵での販売やレストランといった3次産業を組み合わせ高付加価値化を進めてきた。1+2+3=6のいわゆる「6次産業化」に邁進してきたわけだ。農業の高付加価値化によって地域の雇用を生み出した「6次産業化の成功例」として視察が絶えない。

 実は松岡氏にはさらに大きな夢がある。コッコファーム全体をこの地域の交流の場として、さらに発展させていこうというのだ。たまご庵の中央には舞台を備えたホールがあり、ここで地域の伝統芸能が披露されたり、クリスマスコンサートが開かれた。また、会議室やインキュベーションのためのオフィスを作り、貸し出している。物産館では地域の農家が生産する野菜類の販売も始めた。地域が元気になる拠点にしていこうというのだ。

会長室の壁にはパステルカラーの大きなイラスト画が掲げられている。2000年に「10年構想」として作り上げたものだ。地域の人たちが集まるだけでなく、都市と農村が交流し、農業が未来の夢を描ける産業に変わっていく。そんな未来を描いている。

「社員の誰もが、こんな事できっこないと思った」と販売企画室の中庄司秀一課長は当時を振り返る。絵に描かれたディズニーランドのような建物こそないが、コンセプトは一歩一歩実現しているようにみえる。

 松岡氏は現在、日本農業法人協会の会長を務める。同協会には全国にある農業法人1750社が加盟する。メンバーには農協と一線を画して農業の未来を模索している農業経営者が多くいる。こうした協会の仲間たちと共にネットワークを構築し、コッコファームで培ったノウハウを共有していこうと考えている。自分たちでモノを売る仕組みを作り、そこに地域の農業を巻き込んでいこうというのだ。

 全国に自ら消費者に近づいてモノを売っていこうという生産者が増えていくことになりそうだ。

2013-02-21

地方公務員の給与削減は「アベノミクス」の足を引っ張る 国は8%削減、ラスパレイス指数で見ても一見妥当だが…

| 16:12

公務員の給与問題はいつもホットなテーマになります。民間より高いのはけしからんという声がある一方で、公務員は安月給だと訴える声もあります。安倍首相はいったいこの問題をどうさばこうとしているのでしょうか。日経ビジネスオンラインの連載記事です。是非オリジナルページで読者登録して読んであげてください。→ http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130206/243416/

 「地方公務員の給与を減らしたら、それじゃなくても冷え込んでいる地方経済に大打撃ですよ。店で飲んでるのは役所の職員ぐらいなんだから」

 地方の県庁や市役所の職員と話していると、そんな声を多く耳にする。案の定、安倍晋三内閣が打ち出した地方公務員給与の削減案には反対の大合唱となり、迷走を極めている。当初は今年4月から国家公務員にならって一律の削減を地方にも求めるはずだったが、結局、実施時期を7月にずらし、国より給与水準が低い自治体には削減を求めないなど、対象を大幅に縮小する方向になっている。

 地方公務員の給与削減に対する地方の反発はすさまじい。1月15日に政権交代後初めて、国と地方の協議が首相官邸で開かれたが、その席で麻生太郎副総理財務相が2013年度の地方公務員の給与を国家公務員並みに削減するよう要請した。東日本大震災を受けて国家公務員は昨年4月から2年間、平均7.8%のカットを実施しており、地方にも同率の圧縮を迫ったのだ。地方も同率の削減が実施されれば、国から地方に配分されている地方交付税交付金が6000億円削減できる、というのが国・財務省の思惑だった。

「地方を国の奴隷のように使っている」

 「地方を国の奴隷のように使っている」と全国知事会会長の山田啓二京都府知事が噛み付いたほか、「一律に指示を出すのはいかがなものか」(猪瀬直樹東京都知事)、「新藤義孝総務相は報酬を半分ぐらいにカットしているのか」(松井一郎大阪府知事)と反対の声が相次いだ。

 国家公務員の給与カットを決めたのは民主党政権だったが、地方には踏み込めなかった。地方公務員労働組合である自治労が、民主党の有力支持母体だったからだと言われた。自民党総選挙に際しての政権公約に公務員給与の引き下げを盛り込んでいた。「総人件費の抑制」として、「将来の国家像を見据え、計画性を持って地方公務員等を含む公務員総人件費を国・地方合わせて2兆円削減します」としていた。だが、地方の反発にあっさり矛を収めたのだ。

 実は、麻生財務相が地方公務員の給与削減を求めたのには、前哨戦があった。

 政権交代前のことである。財務省財政制度等審議会の財政制度分科会で、国家公務員給与を100とした場合の地方公務員の給与水準を示す「ラスパイレス指数」が、2012年度は106.9程度となり、9年ぶりに地方公務員給与が国家公務員給与を上回るという見方が明らかにされたのだ。

 国が平均7.8%削減しているのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが、これに当時の樽床伸二総務相が「権限のない役所が勝手な数字を出し、世論をリードするのは不適切」と強い不快感を示した。ラスパイレス指数は2009年度98.5→2010年度98.8→2011年度98.9とジワジワと上がっていたのだが、ついに大きく上回ったわけだ。

 自治体の首長たちが「地方自治の理念に照らして容認できない」(黒岩祐治神奈川県知事)と反発したのには一理ある。理念としては自治体の支出については自治体独自の判断に委ねられているからだ。だが、現実には地方自治の仕組みはそうなっていない。国があれこれと口を出し、予算で縛ってきたわけだ。

 古くから教科書などで「3割自治」と呼ばれてきたのがそれだ。地方の収入に占める地方税など「自主財源」の割合が3割に過ぎないことや、自治体の事務の3割が地方固有のもので、後は国から委任された事務であることなどを指していた。自民党政権でも民主党政権でも、地方分権の重要性が語られ、取り組みが進んだが、それでも財政的な自立はできていない。

 国税などでいったん国に集めた税金を地方に再配分する地方交付税交付金の存在によって、国の役人には「地方より格上」「地方は国が支えている」という感覚が根付いている。国の公務員が7.8%も給与を下げたのだから、交付税交付金を国からもらっている地方が給与を同額引き下げるのは当然、というわけだ。

 だが、地方自治体に言わせれば、財政が厳しさを増す中で、地方自治体は国に先がけて職員の削減や給与削減に取り組んでいる。大阪府を例にとれば、職員給与はすでに平均で6.2%削減、知事の報酬も3割減額している。地方自治の本旨から言えば、給与をどうするかは地方自治体の権限だろう、というわけだ。

 もう1つは、ラスパイレス指数自体に意味があるのかどうかだ。前述の106.9という数字はあくまでも「平均」の数字である。自主財源の比率が高く「豊かな」自治体も、財政が危機に瀕している「貧しい」自治体も一律に平均している。また、物価が高い都市部の自治体も、物価が安い地方の町村も一律に国と比較されている。

 総務省が発表した「2011年地方公務員給与実態調査」によると、都道府県のうちラスパイレス指数(一般行政職)が最低なのは92.5の北海道岡山県。逆に最高なのは静岡県の103.4だ。財政的に最も豊かな東京都は102.1で7位である。

 しかも、これは一般行政職だけの給与比較で、地方自治体職員の多様な雇用形態は反映されていない。県の部長級は1000万円を超える年収をもらっている人も少なくないが、現業系現場の職員となると年収300万円という人もいる。いずれにせよ、国との比較で、一律の給与引き下げを求めるのには無理があるのだ。

 安倍内閣も地方のあまりの反発に驚いたのであろう。ラスパイレス指数が100を下回っている自治体には削減を求めないこととした。

地方で十分な現金収入が得られるのは、役所か農協

 さらに、公務員給与の引き下げの経済への影響は当然予想される。冒頭のような発言が出るほど、地域の繁華街の消費を役所の職員が支えているのは事実だ。地方へ行けば行くほど、十分な現金収入を得られるのは役所か農協の職員、という状況になっている。地方経済を支える1つの柱だった公共事業が削減されてきた中で、民間企業は疲弊し、給与水準も下がっているからだ。

 内閣府が2007年に地域経済の公的依存度というのを都道府県別に計算して発表したことがある。役所の職員の給与など「政府最終消費支出(政府消費)」と公共事業などの「公的固定資本形成(公的投資)」の合算が、県民総支出のどれぐらいの割合を占めているかを調べたのだ。地方経済の「官」依存度である。データは2004年度の数字だ。

「官」依存度の高い高知沖縄島根

 これによると最も高いのが高知県で4割を超える。沖縄県島根県も4割である。北海道東北九州などに3割を超えるところが多く、全国のほとんどの道府県は2割を超えている。最も低いのは東京都で、15%ほどだ。

 このデータの時点から10年近くがたち、経済の「官」依存はさらに高まっているとみられる。政府消費である人件費を圧縮すれば、当然地方経済は落ち込むことが予想される。

 安倍晋三首相が掲げるアベノミクスは、大胆な金融緩和と機動的な財政出動で、まずは景気に火を付けようという発想に立っている。財政再建はしばらくお預けにし、経済成長によって税収増を目指そうという戦略だ。

 金融緩和によって円安が進み、輸出産業の収益改善期待などから株価も大きく上昇した。景気に明るいムードが漂い始めている。だが、それが本物の成長につながるには、企業収益の改善が給与の増加につながり、消費の増大へと結びつくことが不可欠だ。

 デフレから脱却して経済を成長軌道に乗せるには、家計に回る収入を増やす必要がある。そのタイミングに合わせて地方公務員の給与を引き下げるのはデフレを加速させる要因になり、アベノミクスの足を引っ張る。

 もちろん、政府消費や公的投資に依存した経済が安定的であるはずはない。政府部門がカネを使えば、それは早晩、税負担となって家計にのしかかってくる。民間よりも高い公務員の給与水準はいずれ引き下げなければならないが、それは一律に減額することではないだろう。

 自民党の政権公約にあったように、「将来の国家像を見据え」て、公務員の人事制度のあり方や、地方自治のあり方を抜本的に見直すことが必要だろう。そのためには地方自治体が自主財源によって自立できる体制を作ることが不可欠だ。

 地方自治体の職員に「財政的に自立できると思うか」と聞くと、ほとんどの場合「それは不可能だ」という答えが帰ってくる。地方自治体自身に「国頼み」の発想が染みついているのだ。財源が足らなければ国が何とかしてくれる、地域経済を活性化するには国が公共事業を増やすしかない。そういった発想に地方はとらわれているように見える。

 地方が財政的に自立し、選挙民がサービスとの見合いで高給を負担するのなら、国家公務員より大幅に高い給与を地方公務員がもらったとしても何ら問題ない。

2013-02-19

佐渡の"おふくろの味"「かあちゃん漬」が抱える2つの高齢化問題 〜農林漁業「6次産業化」の現場レポート

| 12:20

現代ビジネスで続けている6次産業化のレポート。今後は、熊本岡山などの事例を取り上げる予定です。オリジナルページはこちら→現代ビジネスhttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/34853

農産物などの1次産品をそのまま販売するのではなく、加工(2次産業)したり、直接販売(3次産業)することによって付加価値を高めていこうとする「6次産業化(=1次+2次+3次)」の取り組みを追う現場リポート。今回は30年近く続く"6次産業化の元祖"とも呼べるような事例を紹介しよう。

新潟県佐渡で評判の漬物がある。島が大きくくびれた中央部分に広がる国仲平野の真ん中、金井地区の農村女性グループが30年近くにわたって作り続けている「かあちゃん漬」がそれだ。メンバーの農家で栽培・収穫した野菜を、添加物を一切加えずに昔ながらの方法で漬け込む。学校給食に使われるほか、農協系スーパーのAコープや一部の特産品店で売られているだけで、ほぼ全量が"島内消費"されてしまう。

 一番の売り物は年に1300キロも漬けるという梅干。代々受け継がれてきた作り方で、「3日3晩干す」ところから手間ひまを惜しまず漬けている。このほか、はりはり漬けや福神漬け、みそ漬け、粕漬けなど常時7〜8種類の漬物を製造している。さらに、かあちゃんたちが「世界で一番おいしい」と口をそろえる味噌も作っている。この漬物や味噌の味に親しんで成人した人も多く、今や佐渡全体の「おふくろの味」になっている。

材料の確保と設備投資の資金回収が課題

 メンバーは40人ほど。漬物グループと味噌グループに分かれているが、作業場にいつも集まって来るのは15人あまり。メンバーから梅や野菜など漬物の原材料を買い取っているほか、作業場での漬け込みやパック詰めの作業には550円の時給が支払われる。それでも「おカネ儲けが本当の目的ではない」とリーダーの野田栄子さんは笑う。作業の合間にお茶を飲みながら世間話に花を咲かせるのが、メンバーの何よりの楽しみなのだ。

 野田さんは79歳。他のメンバーもほとんどが70代である。時給は安いが、「それでも万札が入っていることもあって励みになるっちゃ」と、かあちゃんたちは屈託ない。

この「かあちゃん漬」、実は最近、2つの危機に見舞われた。

 1つはメンバーの高齢化。梅干しの運搬や漬け込みなど、力仕事も少なくない。原料の野菜にしても、もともとは自分たちの畑で作ったものの市場に出荷できない規格外のものを漬物用に回していた。いわば農家のおかあちゃんたちの副業だったのだが、高齢化と共に、農作業自体に携わる人が減り、漬物の材料が集まらなくなってきているというのだ。梅にしても材料の確保が最大の課題になっているという。

6次産業化の旗を振る佐渡市役所は、「かあちゃん漬」の商品には十分な競争力があり、島外での販売拡大も夢ではないと見ている。だが、メンバーの高齢化によって生産の拡大がなかなか難しいという問題に直面している。売れるかどうかよりも、作れるかどうかの方に問題があるのだ。

 高齢化が進めば、後を継ぐ人もいなくなる。この後継者問題は、口コミなどによって60歳代の新人メンバーが加わったことで、どうにか一息付いたという。だが、問題はそれだけではない。

 もう1つの危機とは、設備の"高齢化"だ。

 つい数ヵ月前のこと、漬物を真空パックにする包装機械が突然、動かなくなった。機械メーカーに相談したところ、モーターが完全にダメになっていたら交換修理代は70万円にはなる、という話だった。

 漬物1袋を250円で販売している"零細企業"にとって、事業収益から70万円を出す余裕などない。かといって借金をして設備投資しても資金を回収できるメドは立たない。

 結局、応急修理でモーターは何とか動いたが、いずれ機械の寿命は尽きる。もちろん真空パックができなければ、かあちゃん漬は即廃業になる。零細事業とはいえ、梅干だけでも1500パックを製造・出荷し、30年の歴史を持つ、その伝統を途絶えさせてしまうのは誰しも惜しいと思うに違いない。

企業化を妨げる一因は就農者の高齢化

「かあちゃん漬」の危機は、地方の農業の現場でしばしばみられる現実を示している。企業化しようにも「ある一線」を超えられないのだ。ある一線とは、設備投資などに資金をつぎ込むかどうか、である。役所がいくら6次産業化の旗を振っても、なかなか企業化できないのは、農業の担い手の高齢化と密接に関係している。

農林水産省の調査によると、平成23年(2011年)時点の農業就業人口260万人の平均年齢は65.9歳。前の年よりも0.2歳若返ったが、「65歳以上が日本の農業を支えている」と言われる状況に変わりはない。実は、地方の農村の多くでは、役所や会社などを定年で辞めた後に農業に就くケースが多い。若い人が就農しないのではなく、"定年就農"が圧倒的に多いのだ。

 これは、農水省の新規就農者のデータにもはっきりと表れている。平成23年の新規就農者5万8100人のうち、39歳以下は1万4200人に過ぎないのである。比較的高齢になってから農業に就く人が多いから平均年齢が高止まりするわけだ。

 もちろん、個人の健康を考えればいつまでも働けるのは良いことだ。だが、農業を「産業」としてみた場合、話は違ってくる。担い手が高齢なことが、企業化を妨げる一因になっているのは明らかだからだ。

 65歳以上では、すでに年金を受給している人が少なくない。このため、「おカネ儲けが目的ではない」という農業従事者が少なくないのだ。だから、あえてリスクを取って規模を拡大しなくてもよいと考えてしまう。かあちゃん漬のかあちゃんたちが、借金して新しい機械を入れようと思わないのと同じ。「そこまでしてやる必要があるのか」という壁にぶち当たるわけだ。日本の農業がなかなか「企業化」しない理由はこのあたりにある。

若者たちの活躍の余地はある

 解決策はないのか。農業に直接、若い人を参入させようと思ってもハードルは高い。だが一方で、加工や販売などの分野では若者が活躍できる場は大いにある。インターネットを使った物品販売や、生産地と都会を結ぶコミュニケーションなどは、若い人の方が得意だ。IT(情報技術)の進展で、必ずしも地元にいなくても、こうした事業を若者が担うことは可能だろう。

 かあちゃん漬で言うならば、包装機械の70万円の投資を集め、無理のない範囲で返済するスキームを作る経営力を持った若手が、かあちゃんたちとスクラムを組むようなことができれば、かあちゃん漬の企業化は不可能ではない。

 70万円の借金をして、現金で返済していくとなると大きな負担だが、協力金を70万円集めて、漬物で還元していくことは可能だろう。東日本大震災以降、そうした地元の取り組みを応援するファンドが人気を集めている。都市と農村を結ぶ知恵を持った若者たちの活躍の余地はまだまだある。

これまでの農政では、包装機械の70万円を国や地方自治体が助成する、というやり方をとってきた。実際、かあちゃん漬の作業所も1988年度の新潟県の振興事業の一環として建てられた。だが、お上頼みの補助金依存では、事業として自立できないことを、図らずも、かあちゃん漬自身が示している。

農林水産省は2月、株式会社農林漁業成長化支援機構を設立した。いわゆる「官民ファンド」だ。旧来型の出しっ放しの補助金ではなく、ファンドという形で国が出資し、2次産業や3次産業に取り組む会社設立の呼び水になっていくという考えだ。

 国からは初年度300億円の予算が付いたが、問題は人である。かあちゃんたちの信頼を獲得して、二人三脚で事業を拡大できる、そんなバイタリティのある若者が現れるかどうか。そこに6次産業化が成功するかどうかのカギがあるように思える。

2013-02-14

日本郵政「社長交代」の屁理屈

| 16:27

日本郵政が政権交代のはざまに社長交代を発表したことに当初、安倍晋三首相の周辺は怒りをあらわにしていました。官邸の関係者によると坂社長には、「株主総会でひっくり返す前に自主的に辞めろ」と自主的な自任を求めているそうですが、時間がたつにつれトーンダウンしているように感じます。この人事、安倍政権霞が関の距離感をはかるバロメーターのようにも感じます。FACTAに掲載された拙稿を以下に再掲します。オリジナルは→https://facta.co.jp/article/201302030.html

2013年2月号 連載 [監査役 最後の一線 第22回]

by 磯山友幸(経済ジャーナリスト


「この会社は、株式会社でございまして、株式会社というのは、社長が後任についていろいろ考えた末に、取締役会で選任されるということがすべてでございまして……」

昨年12月19日、急遽開いた臨時の取締役会で社長交代を決めた日本郵政の齋藤次郎社長は、記者会見の席でこう語った。株式会社取締役会で社長交代を決めて何が悪い、と開き直ったわけである。

だが、日本郵政は株式会社とは名ばかりで「国」がすべての株式を保有する国有企業。唯一の株主である「国」の意向を無視して社長人事を行うのは本来、無理がある。

12月16日投開票の総選挙民主党が大敗、政権交代が固まった。選挙結果が確定した17日朝から50時間余りで、あたふたと社長交代の臨時取締役会を開いた時には、政府の郵政問題の責任者だった下地幹郎・郵政民営化担当相も、所管する役所の長である樽床伸二総務相もともに落選していた。株主権を握る民主党政府も、株主権を行使する立場の大臣たちも、その正当性が問われているタイミングに、日本郵政はわざわざ社長交代を強行したのだ。

確かに、社長交代は新任取締役の選任とは違って、所管官庁の許認可事項ではないのかもしれない。だが、常識的に考えれば、そんな政権の“空白期”にわざわざ経営の重大事であるトップの交代などしないだろう。その段階で首相就任が確実になっていた安倍晋三自民党総裁からも事前に指示は仰がなかったと、齋藤社長は記者会見で語っている。

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「日本郵政株式会社は、グループ・ガバナンス態勢を強化するため、会社形態を業務の執行と監督とを分離した委員会設置会社としています」

日本郵政のホームページの「会社情報」には、こんな説明が載っている。ご存じの通り、欧米の経営監視の仕組みを真似て導入されたのが、委員会設置会社制度だ。経営者の暴走を許さないための工夫として、社外取締役が過半数を占める指名委員会などを設置している。社長の一存では会社が動かせない建前だ。当然、社外取締役を嫌う伝統的な日本企業の受けは悪く、導入している企業は野村ホールディングスや日立製作所などごく少数に留まっている。上場を目指すことになっている日本郵政は、その統治(ガバナンス)の仕組みが先進的だと自ら胸を張っているわけだ。

ところが現実は、全くの看板倒れであることを証明した。実は今回で二度目である。

2009年10月。自民党から民主党への政権交代後のこと。郵政担当相に就いた亀井静香氏が、当時の西川善文社長を更迭、後任に齋藤氏を据えることを決めたのだ。本来、社長になる予定の新任取締役は「指名委員会」が候補者名簿をつくることになっている。当時の指名委員会には奥田碩・元トヨタ自動車会長らが社外取締役として名を連ねていた。だが、亀井氏はそんな指名プロセスを無視して、交代を強行したのである。

亀井氏の行動を、株主としての権限行使と見ることもできる。もちろん、株主である「国」の権限行使を大臣個人の一存でできるかどうかは議論のあるところだ。しかも亀井氏が代表だった国民新党総選挙での得票率は比例代表でも1.7%。多数の国民の負託を受けていたとは到底言い難い。ここでも権利行使の正当性に疑問符が付いていたのだ。

そんな交代劇だったからだろうか。齋藤氏はまるで逃げるかのように社長の座を投げ出した。1993年に自民党が下野した際、小沢一郎氏に協力したということで、自民党復権後は徹底的に冷遇され続けた悪夢が頭をよぎったに違いない。社長の座に留まったままでは、政権に返り咲いた自民党に再び八つ裂きにされるとでも恐れたのだろう。

この“空白期”の社長交代に、自民党石破茂幹事長は、「政権移行時に重要人事を行うのは、断じて許されない」と激怒した。だが、霞が関の幹部官僚の解説によれば、齋藤氏の後任として12月20日に社長に就任した坂篤郎副社長が安倍氏に事前に了解を得ていたのは明らかだ、という。坂氏は第1次安倍内閣の時の官房副長官補。直談判するパイプは今でもあるというのだ。

安倍氏にとっても、民主党政権のうちの交代の方が得策という判断があったのかもしれない。首相就任後に財務省OBである坂氏の社長就任を認めれば、天下り容認だと世間の批判を浴びかねない。

そんな説を裏付けるかのように、政権交代後はこのドサクサ人事を黙認した。新しく所管の総務相に就任した新藤義孝氏は「どういう人事をするかは日本郵政に委ねられており、尊重するのが第一だ」と述べた。冒頭の齋藤氏の主張をそのまま受け入れたわけだ。

強く反発していた石破氏への配慮だろうか。新藤氏は「内閣や党の方針が出れば対応すべきは対応する」とも述べた。だが、安倍氏とは本質的に緊張関係にある石破氏は、現段階ではこの問題を深追いしないに違いない。

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みんなの党渡辺喜美代表は社長交代について「民主党政権下の天下り人事の集大成だ」と強く批判。安倍首相に人事の撤回を求めていくとしている。渡辺氏は第1次安倍内閣行政改革担当相を務め、天下りの規制など公務員制度改革を推し進めた。渡辺氏からすれば、安倍首相ならばこんな天下り人事は撤回するに違いない、と期待しているのだろう。

日本郵政が誇る「指名委員会」はどっちを向いて取締役候補を選ぶのだろうか。指名委員会の委員は現在、奥田氏のほか、元NTT東日本社長の井上秀一氏、日本商工会議所会頭の岡村正氏と、齋藤氏、坂氏の5人だ。国が株式の100%を持つというのは国民の財産という意味で、霞が関が自由にできるという意味ではないはずだ。

新社長になった坂氏は、交代会見でこんな発言をしている。

「実は私どもも民間企業なんですね。今はまだ、政府が株を100%持っているところが違うだけで、他の点は全く民間企業と一緒です」

坂氏は民間企業のガバナンスが分かっていないらしい。圧倒的な株式を握る大株主の意向を無視して社長交代を決める民間企業など存在しない。都合よく官と民を使い分け、本来あるべきガバナンスを働かせないヌエのような存在が日本郵政の実態ではないか。

2013-02-13

安倍首相がFacebookで噛み付いた「ねつ造記事問題」!記者個人がリスクを背負わない段階で政治家に負けている現実をマスコミは直視せよ

| 09:51

そろそろメディアのあり方について、国民的議論が必要なのではないでしょうか。現代ビジネスにアップされた記事を編集部のご厚意で再掲します。是非ご一読を。オリジナルは→http://gendai.ismedia.jp/からご覧になれます。


マスゴミ」「マスコミは最悪」「ひどいねつ造記事」---。

 ネット上でマスコミ批判が沸騰している。きっかけは、週刊誌女性自身』が2月12日号に掲載した「安倍昭恵さん、首相公邸台所改装費に税金一千万円」と題された記事に、安倍晋三首相が自身のフェイスブック(FB)で噛み付いたこと。

女性自身2月12日号の記事を読んでびっくりいたしました」から始まる安倍FBの投稿ではまず記事の内容を簡単に説明。昭恵夫人が、今度は前回以上に食事の面から夫をサポートしていかなければとの思いから、首相公邸の台所を1000万円(税金)かけて改装するよう指示しているというのは「とんでもない捏造記事です」としている。

「私も昭恵も首相公邸のリフォームはおろか、ハウスクリーニングさえ依頼した事はありません」とし、「編集された方、どうかご訂正をお願いします」と書いている。

「情報咀嚼力」が問われる時代

 5日現在、この投稿に約3万3000人のFBユーザーが「いいね!」ボタンで反応し、4000件以上のコメントが付けられている。コメントの内容を見ると、ほとんどが週刊誌やマスコミを批判するもの。中には、「マスコミの報道を規制せよ」といった主張も踊っている。

官邸周辺に取材してみると、昭恵夫人が1000万円かけて改装を指示した事実はないようで、女性自身の「自民党関係者」というニュースソースもあやふやなようだ。どうやら安倍首相側に軍配が上がっている。

 ところが、この騒ぎを、大新聞はほぼ無視している。「もともと女性誌なんて、ねつ造記事まがいが横行している」と、はなから相手にしていないのである。だが、FB上の反応をみると、当の女性週刊誌や原稿を書いた記者への批判というよりも、マスコミのあり方の方に批判の矛先が向いているのだ。

こうした問題が表面化するたびにマスコミ全体への批判が、間欠泉のように噴出するのは、マスコミがきちんと国民の期待に応えていないからだろう。国民にいとも簡単に「マスコミはダメだ」「週刊誌は平気でウソを書く」と言わせてしまうところに、今のマスコミが抱える問題の大きさが表れている。

 政治家がFBやツイッターブログなど新しいメディアを活用するのは良いことだ。これまでになかった国民との直接対話の機会が大幅に増えた。マスコミという媒介(メディア)を通さずに、直接、情報や主張を伝達できるようになったのは画期的な事だ。

 だが、同時に、受け手である国民の側に大きな課題が課せられることになっているのではないだろうか。これまで以上に情報の真偽や内容を吟味する目、いわば「情報咀嚼力」が問われるようになっているのだ。

安倍首相自民党総裁になる前からメルマガなどを活用し、様々な情報発信をしてきた。FBで情報を受け取っているフォロワーは21万人に達する。安倍氏の情報発信はちょっとしたマスコミに劣らない影響力を持っている。

 2011年の東京電力福島第一原子力発電所事故の直後、官邸周辺からは「菅直人首相が、渋る東京電力を説き伏せて海水注入を指示した」というストーリーが流れ、マスコミもこぞって「首相の英断」と報じていた。

 ところが、5月20日になって安倍氏が自身のメールマガジンで「海水注入の指示は全くのでっち上げ」と配信。「首相は間違った判断と嘘について国民に謝罪し直ちに辞任すべき」とした。

 この安倍氏の"スクープ"がその後の、菅首相と東電のやり取りを巡る大混乱のきっかけになった。実は菅氏は逆に、海水注入を止めるよう東電に指示していたのではないか、という疑義が生じたのだ。国会事故調などの報告書では、海水注入の中断は、首相が指示したわけではなく、官邸詰めの東電幹部が慮った結果だった、ということになった。

 菅氏も首相時代に官邸での会議をネット中継し、ツイッターで質問を受ける試みまで実行した。もはやFBやツイッターを使った情報発信は政治家の必須アイテムになっている。

安部FBは個人的な趣味などではない

 ではマスコミの役割は終わったのか。

 2011年3月11日の東日本大震災ではツイッターが大活躍した。従来、緊急時に情報を集めて発信できる機動力を持っていたのは新聞社やテレビ局などマスコミだった。私自身、既存メディアの凋落は防ぎようがないと思ってはいたが、あの大震災の時ばかりは、旧来型のマスメディアの取材力、機動力が再評価されるのではないか、と感じた。だが、その期待はあっという間に潰えた。

津波被害の実態を伝える映像もツイッターが早く、その後の原発事故の実態究明でもネットメディアが先を行った。一方で、新聞やテレビは政府や東京電力の公式情報に大きく依存し、国民の知りたい事になかなか応えることができなかった。東日本大震災原発事故は、マスコミの信頼回復のチャンスだったのに、逆に不信感を増幅させる結果になったのだ。

 では、ツイッターやFBがあれば、マスコミは本当にいらないのであろうか。

安倍首相は政治家としては誠実な人柄であるのは間違いない。FBで発信していることにも嘘はないだろう。閣議室を公開したり、閣議前の待合室で麻生太郎副総理とのツーショットを配信するなど、情報公開にも切り込んでいる。

 だが一方で、首相が強い力を持つ権力者であることも事実だ。その権力者の発言を無条件に信じてしまいかねないムードになっているのはSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の魔力だろう。

 安倍FBは安倍氏が個人的な趣味で発信しているものではない。SNSでの発信に安倍氏自身がかなり関わっているという証言は多く、完全な秘書任せではないものの、その運用に首相の広報チームが深く関与しているのは明らかだ。

 それはFBに投稿されている写真がいずれも本人以外の第三者によって撮影されていることを見ても分かるだろう。出発点は安倍氏の肉声を伝える個人の情報発信だったとしても、首相という権力者になった以上、公の広報ツールへと変質してきている。

 まがりなりにも、新聞やテレビなどのマスコミを通じた報道は、事実かどうかが検証されたうえでなされてきた。それがプロたるジャーナリストに課された使命だった。情報ソースから面白い話を聞き込んでも、検証しないまま、すぐに記事にするのはご法度である。もちろん、記者が記事をねつ造することなど、言語道断である。

 しかし今、そうしたマスコミの発信する情報の信頼性が落ち、権力者が直接発信する情報の信頼性の方が上回ってしまうことに、危険性を感じるのは私だけだろうか。

 この事件をきっかけに、マスコミは自らの情報精度に磨きをかける努力をすべきだろう。仲間内だから批判をしないというのであれば、同じ穴の貉として国民に「マスゴミ」扱いされる。

まともなジャーナリズムをどうやって育てるか

 安倍FBが多くの国民の信頼を得ているのは、FBの特長とはいえ、発信が「個人名」だからだろう。かつて民主党議員による偽メール事件というのが起きたが、実名で嘘の情報を流せば政治家にとって致命傷となる。そのリスクを負って発言していることも大きい。

一方で多くのメディアはいまだに記事の大半を無署名としている。記者は個人としてリスクを負っていないのだ。その時点でマスコミはすでに政治家に負けている。

 FBやツイッター上にも多くのマスコミ記者たちがアカウントを持っているが、それを活発に使っている人は少ない。新聞社やテレビ局が記者個人の発言を禁止したり、制限を加えているためだ。ジャーナリスト個人にリスクを負わせないのは、会社としてリスクを負いたくないからだろう。

 マスコミを批判する多くの国民も、マスコミへの期待があるからこそ批判しているに違いない。真偽を見極めることができるプロのジャーナリストの選択眼や情報咀嚼力を、多くの人が求めているに違いない。

 第四の権力と言われたマスコミの疲弊は予想以上だ。かつては多くの若きジャーナリストを育てる機能を一手に担ってきたが、今はもうそんな余力はない。どうやってまともなジャーナリズムを育てていくのか。そろそろ国民が考える時だろう。

 マスコミの経営行き詰まりの先進国である米国では、メディアのNPO(非営利組織)化が進み、篤志家や多くの国民がメディアを支える取り組みが始まっている。こうした動きは「現代ビジネス」の牧野洋氏のコラムにも詳しい。

真実を究明し、多くの国民の知りたい事に応えていくジャーナリズムをそろそろ日本人も作り出す時ではないだろうか。

2013-02-12

「国立株式会社」を霞が関の隠れ蓑にするな

| 23:05

 安倍晋三内閣経済政策アベノミクスが動き出した。「大胆な金融緩和」「機動的な財政出動」「民間投資を喚起する成長戦略」の三本の矢だという。すでに金融緩和財政出動は動き出したが、焦点は民間投資の喚起だ。政府だけが踊っても、民間の企業が動き出さねば強い経済の復活などあり得ない。

 そんな3本目の矢の具体策として出てきたのが「官民ファンド」だ。農水省は1日、農林漁業成長産業化支援機構を設立した。農家などが、加工・流通などと連携した事業に、サブファンドを通じて投資する。

 また経済産業省アニメや音楽、ファッションなど日本の文化を海外に売り込む企業に出資する「クール・ジャパンファンド」を準備中。環境省地球温暖化の防止に取り組む企業に投資する機構を作る方針だ。

 こうした官民ファンドの特徴は、そろって株式会社であること。国と民間が共同出資する形になっている。だが出資金の大半は国のカネで、農水省の機構の場合、300億円の国の出資に対し、民間のカネは今のところ20億円ほど。いわば国立株式会社なのだ。

 政府が大半の株式を持つ会社といえば、日本郵政も同じ。100%の株式を国(財務大臣)が持つ。ところが「民間企業」という建前になっていて、国は経営に口出ししない。財務省OBの斎藤次郎社長が突然退任して同じ財務省OBの坂篤郎氏に代わったが、株主である財務大臣にも、監督官庁総務大臣にも一切相談はなかったという。つまり霞が関のやりたい放題になっているのだ。

 国が出資するのは国民の税金だ。つまり株主は本来は国民なのである。にもかかわらず国立株式会社の経営を国会が事細かにチェックする体制になっていない。これは官民ファンドも同じ。投資先の決定を誰がするのか。経営がうまくいかず、投じた国民のカネが回収不能になった場合の責任は誰が取るのか。いずれも明確ではない。

 株式会社株主の利益を最大化するのが本来の目的だ。こうした経営監視の仕組みをコーポレート・ガバナンス(企業統治)と言う。日本企業の場合、それがなかなか働かない。諸外国に比べてもうけが少ないのは、経営にかかる株主の圧力が弱いからだ。

 それに輪をかけてガバナンスがきかないのが、国立株式会社だろう。株主総会は、名目上の株主である財務大臣ひとり。そんな「儀式」で経営に緊張感を与えられるはずもない。せめて国会株主総会を行うことが必要だろう。さらに民間企業よりも厳しい情報開示ルールを課すなり、損失が生じた場合の取締役の責任を明確化するなど、株式会社として規律が働く仕組みにすることだ。

 「どうせ国のカネだから」と規律が働かないことになれば、それは形を変えた補助金である。国立株式会社霞が関の隠れみのにしてはならない。(ジャーナリスト 磯山友幸)

2013-02-08

監査法人は「企業の敵」になれるか

| 00:14

オリンパスなどの監査を巡る不祥事を受けて、監査基準が見直されました。担当した監査法人の監査の問題ではなく、制度、仕組みが悪かったというわけです。誰も傷が付かない結論ですが、それで会計士監査の質は上がっていくのでしょうか。少し専門的な話ではありますが、重要な問題だと思っています。ファクタの1月号に掲載されていた連載原稿を、少し時間がたってしまいましたが、編集部のご厚意で再掲します。オリジナルページは→ https://facta.co.jp/article/201301023.html

FACTA1月号 連載「監査役最後の一線」第21回 By磯山友幸 

突然、会社に背広を着た集団が現れ、経理書類をダンボールに入れて押収していく。そんな検察の強制捜査のようなことを、監査法人にもやらせるというのだろうか。

金融庁の企業会計審議会監査部会が2012年春から進めてきた、不正会計防止の新監査基準の原案がほぼまとまった。企業が粉飾決算を行っている疑いがある場合に、「抜き打ち」で監査に入るよう監査法人に義務づけるのが柱だ。オリンパスによる巨額損失事件を受けて、長年にわたって不正を見抜けなかった監査のあり方が問われたのが基準改正の理由。金融庁は13年度の決算から新基準を実施する考えだという。

「監査基準に問題があったわけではない」。オリンパス事件が発覚した後、日本公認会計士協会の山崎彰三会長はそう発言していた。

実は日本の監査基準は、世界共通のルールである国際監査基準(ISA)に準拠している。ISAは会計士の世界組織である国際会計士連盟(IFAC)が作っているもので、日本の会計士協会もその主要メンバーの一つ。IFACの会長ポストも日本人会計士が務めた歴史がある。国際的な一本化の受け入れを巡って揉めている会計基準のIFRSと違い、監査の世界ではひと足先に国際基準化が進んでいたのだ。山崎会長の発言の裏にはそうした事情があった。

そうなると、今度できる「新基準」は日本独自の基準ということになる。なぜそこまで金融庁は新基準の制定にこだわるのだろうか。民主党政権の金融担当相が制度の見直しを求めたのが一因だが、そもそも監査に対する考え方の違いが根底にあるようにみえる。

監査はもともと、企業経営者が自社の決算書が正しいことを第三者に証明してもらう仕組みだ。資本市場から資金を調達するためには株主や投資家に決算内容を信じてもらわなければならない。数字に不正がないことを監査法人のお墨付きによって示しているわけだ。だから、当然のこととして、監査法人への報酬は企業が払う。

ところが日本では「企業から報酬をもらって監査しているから癒着が起きて不正が見逃される」との主張が根強くある。公的な第三者機関が監査法人を指名すべきだという「監査公営論」が、不正が起きるたびに頭をもたげてくるのはこのためだ。国会議員や、自らの監督権限拡大に正義を見いだす官僚たちに、こうした発想が多い。

本来、監査法人が不正を見逃せば、問題が発覚して企業が潰れた際に、株主や投資家から損害賠償の訴えを起こされる。監査法人の信頼は一気に失われ、経営が揺らぐ。実際、米エンロン事件では名門のアーサー・アンダーセンが解散に追い込まれた。

経営者も不正を行えば訴追され、監獄に放り込まれるから、経営者と監査法人がグルになって不正をすることは稀。信頼を失った企業も監査法人も、市場からの退場を求められるのだ。経営者と監査法人の関係は緊張感のある運命共同体といえる。

監査は、経営者と監査法人の信頼関係がなければ機能しない。監査では大小さまざまな問題が見つかるが、会計士からの指摘で経営者がそれを修正する例がしばしばある。世の中に「不正」として表面化する前に、会計士が問題を潰しているケースは少なくない。これはお互いが信頼しているからできることだ。監査の際に経営者から、正しい決算書を作るのはあくまでも経営者の責任だと「不正はない」旨の確認書を取っているが、そんな文書を取る以前に、両者の信頼こそが監査制度の前提なのである。

今回の監査基準の改正は、こうした前提をぶち壊すことになりかねない。「抜き打ち監査」は、信頼が「壊れた」という宣言に他ならない。これまでも金融商品取引法の193条の3に、監査法人が不正行為を発見した場合には金融庁に届け出ることが求められていた。オリンパス事件では監査法人が監査役にこの行使をほのめかしたが、結局、届け出はされずに終わった。会計士が自ら信頼を断ち切ることは難しいのだ。

本来、信頼関係が壊れれば監査法人は辞任するのが筋だ。そうなれば、監査意見は得られず、結果的に企業は上場廃止になる。

今回の改正では、信頼関係が壊れても企業を監査しろ、と言っているに等しい。どうも金融庁監査法人の監査は自らが監督する際の手足だと思っているのではないか。しかも、抜き打ち監査などの手続きを取らずに不正が発覚した場合、金融庁監査法人を処分する権限も持つという。金融庁監査法人への監督権限を一段と増し、監査法人を通じて全上場企業の不正に関し監督権・調査権を持つに等しいようにみえる。これは国際的な監査のあり方から大きく乖離している。

では、「制度上問題ない」と言っていたはずの会計士協会が制度改正を容認したのはなぜだろうか。制度上問題ないとすると、監査を行った監査法人に問題があったということになる。オリンパスを長年担当してきたあずさ監査法人も、問題が発覚した時に担当だった新日本監査法人も、「監査手続きに問題はなかった」という主張を続けてきた。会計士協会は身内の監査法人を守るために「制度」のせいにするのを容認したのだろう。これを見透かしたかのように、金融庁による両監査法人への処分は大甘だった。

10年以上にわたって損失を隠し続けてきたオリンパスは結局、上場廃止になることもなく、一部の経営者の犯罪ということで幕引きがなされた。「市場からの退場」という資本市場のタガが緩めば、民間の制度である監査そのものを支えてきた市場原理も働かなくなる。そうなれば、「監査公営論」ならぬ「官による統制」が台頭してくるのは当然の帰結だろう。

それで不正が減るならばまだ救いがある。だが、信頼できる第三者だったはずの監査法人や担当会計士が、突然監査にやってきて、当局に不正を告発する存在になるかもしれないと企業経営者が思ったらどうなるか。社内に抱えるどんな小さな問題も監査法人には隠しておこう、と思うようになるのではないか。日本独自の新監査基準は、監査法人が企業の敵になる危険性を秘めている。

2013-02-07

おいしさに妥協をせず「自分でモノを売る」にこだわる佐渡「さかや農園」を訪ねて 〜農林漁業「6次産業化」の現場レポート

| 23:44

不定期ながら継続的に取材している「6次産業化の現場から」。佐渡の第二弾です。ちなみに、さかや農園のりんごジュース、すごく甘くてびっくりです。帰京してさっそく注文してしまいました。オリジナルページは講談社の現代ビジネス→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34739 是非ご一読ください。


都会の消費者にファンをつかみ直接販売することで「儲かる農業」を実現している人たちがいる。1次産業である農林漁業を加工などの2次産業、販売流通などの3次産業と結びつける6次産業化(1次+2次+3次=6次)の原点とも言える。その成功の秘訣は自ら生産する農産物の品質に磨きをかけ、ブランドを確立することだ。随時掲載している6次産業の現場レポート。今回は新潟県佐渡でりんごなどの果樹農園を営む「さかや農園」を訪ねた。

おいしくて当たり前。妥協は許されない。

「元気な農業の基本は自分でモノを売ることです。他人にモノを預けたら、日当も出なくなってしまいます」

佐渡の南西部、西三川にある「さかや農園」の佐々木五三郎さんは徹底して自主販売にこだわってきた。農園で獲れるりんごを、全国から注文を取って「贈答用」として宅配便で直送する。「贈答用」は農園で獲れるりんごの中でも1級品だけ。甘さ、食感、色・形のいずれも誰にもまけない自信作だ。ふじ、王林などの品種を栽培する。

佐渡でりんごができるのかとよく言われますが、青森よりずっと甘くて歯ごたえのある最高のりんごができます」と佐々木さん。暖流寒流がぶつかる佐渡では、魚介類だけでなく農産物の種類も豊富だ。島内ではりんごとみかんがともに収穫できるほか、すいかや梨、ぶどう、柿などが栽培されている。

「贈答用」に適さないものは西三川に作った島内の直売センターで島民や観光客向けに販売している。味の良さ、鮮度、価格の安さが受けて島内でも人気スポットになっている。これも自力で販売するための工夫だ。

「贈答用は少しでも品質が悪いとお客さんからクレームが来ます。何しろ直接、お客さんとつながっていますから」と五三郎さんの奥さん。贈答用の顧客は「口コミ」をベースに長い時間をかけて増やしてきた。1000件におよぶ顧客名簿は「さかや農園」の宝だ。今年買ってくれた人に来年もまた注文してもらうためには、おいしくて当たり前。妥協は許されない。

そんな顧客との"信頼関係"を保つのに一役買っているのが「農園だより」だ。五三郎さんの手書きをそのままコピーしたもので、年に2回欠かさず発行。すでに53号を数えた。りんご畑の様子のほか、家族そろって出かけた旅の様子などもつづられている。

 また、発送する贈答品の果物の箱には農園の住所・連絡先を大き目に書いたちらしを同梱する。贈答品として初めて食べた人が注文してくれるのを期待してのことだ。こうして地道に新しい顧客を増やしてきた。

「自分でモノを売る」ことにこだわる果樹園経営

 3ヘクタールの果樹園で穫れるりんごは、サンふじの贈答用で5キロ詰め3150円(送料別途800円)と決して安くない価格設定。だが、品質を評価するリピーターで毎年完売している。

 さかや農園が取り組んでいるのは果実生産の1次産業と販売の3次産業だけではない。加工にも乗り出している。

 きっかけは1991年。台風13号に襲われてりんごの8割以上が収穫前に枝から落ちたことだった。この台風は日本全国に大きな被害をもたらしたが、中でも東北地方のりんごの被害は甚大で、「りんご台風」の別名もあるほどだ。その落ちたりんごを必死の思いで絞ってジュースにしたのだ。


 それ以来、りんごジュースはさかや農園のもう1つの看板商品に育ってきた。農園の加工場で絞って殺菌・瓶詰したもので、砂糖や添加物は一切使わない。さらにりんごや洋ナシ、ブルーベリーなどのジャムも製造している。これも果物と砂糖だけで、やはり添加物は使わない。

「使わないのではなく、添加物を加える知識がなくて使えないのですよ」と五三郎さんは笑うが、純粋な100%ジュースや手作りジャムは根強い人気商品になった。

「自分でモノを売る」ことにこだわる果樹園経営は、西三川地区の果樹農家に広がっている。近隣の農園12軒と共同で「西三川果樹組合」を設立、農協に依存していた販売体制からの脱皮を目指した。

「顧客リスト」の作り方や「農園だより」の効果などを仲間の農園主たちと情報交換している。毎年秋には組合主催で「くだものまつり」を開催するほか、肥料や資材などの共同購入も行っている。

農業で雇用を生み出すための課題

 西三川の果樹農家が成功していることは、ほとんどの農家に跡継ぎが育っていることを見ても明らかだ。佐渡もご多聞に漏れず農家の高齢化が進んでいる。一般に「儲かる農業」が実現できれば若い人は必ず農業に戻ってくると言われるが、西三川の果樹農家はまさにそれを実現しているわけだ。

 問題は、それが地域を担う「産業」と言える規模にまで拡大するかどうかだ。実は、さかや農園の畑が3ヘクタールなのには理由がある。

「ひとりで手に負えるのは1ヘクタール。私と家内、それに息子の3人で3ヘクタールということです。お嫁さんは今、子育て中なので、3人でできる限界ということです」と五三郎さんは語る。いわゆる「家業」から「企業」への壁がそこに存在する、ということだろう。

 当然、正式な社員を雇えば、固定費として人件費が発生する。人件費を考えないでも済む家業とは大きな隔たりがある。家業から企業へ一歩踏み出すにはそれなりの覚悟がいる。

 一方で、農業が雇用を生み出し、日本の経済成長の礎になるには、そうした「企業化」を促進する仕組みが不可欠だ。6次産業化の取り組みが進むには、1次産業に携わる農林漁業者の経営感覚、起業家精神が必要になるだろう。これから現場を受け継いでいく若い世代がそれを担っていくことだけは間違いない。

2013-02-05

膨大な復興予算が付きながら 東北発の景気回復は腰折れの不思議

| 17:53

アベノミクスが掲げる「機動的な財政出動」が本当の景気回復に結び付くのか。膨大な復興予算が付いて資金が流入している東北地方の景気は、その先行指標になるかもしれません。エルネオスの今月号に掲載した拙稿です。

高額商品が売れた被災地

 民主党政権東日本大震災からの復興に向けて、二〇一一年度から五年間で十九兆円の予算を決めた。災害対策予算としては過去にない巨額の金額が計上されたわけだ。これに対して野党だった自民党は終始、復興が遅々として進んでいないと批判してきた。年末の総選挙で政権に返り咲いた自民党安倍晋三内閣は、年明け早々に首相官邸で全閣僚をメンバーとする復興推進会議を開催。復興予算を十九兆円からさらに増額する方針を表明した。とにかく復興を急ぐために巨額予算を注ぎ込む姿勢を強調しているのだ。特定の地域にこれだけの金額が一気に投下されるのは前例がない。東北の景気はいったいどうなっていくのだろうか。

仙台の夜が賑わっている」と言われ始めたのは大震災から半年ほどたった一一年夏のことだった。義援金や保険金、原発事故の補償金などが支払われ始めたことや、瓦礫処理などの仕事が急増したことで、にわか景気に火が点いたのである。

 これを端的に示していたのが、日本百貨店協会が毎月発表している百貨店売上高の統計数字だった。仙台地区の売上高増減を見ると、震災があった一一年三月と翌月の四月は対前年同月で大幅な減収になったが、五月以降は大幅な販売増が続いた。一一年の六月、十一月、十二月は一〇%を超える伸びを記録した。日本の他の地域の百貨店売上高はマイナス続きだったので、仙台東北地方の伸びは明らかに「特需」だった。しかも、美術品や宝飾品など高額商品が売れていたのも特徴だった。被災地での生活再建に必要な必需品ばかりでなく、ぜいたく品も売れていたのである。手元に資金が入ってきたことにより、財布の紐が緩んだということだろう。

手元資金を貯めたまま消費抑制

 仙台地区の百貨店売上高増は、ちょっとしたミニバブルだった。それが本格的な景気回復につながるかどうかが大きな注目点だった。消費が盛り上がる一方で、東北地方の個人預金残高も増え続けていたからだ。東北に投じられたおカネの一定部分がそのまま銀行の預金に回ってしまっていたのである。

 日本銀行統計によると、東北地方の個人預金の残高は、大震災直後の三月末を一〇〇とすると、一二年六月末には一〇九・七にまで増加した。残高が一年余りで一割近く増えるのは極めて珍しい事態である。例えば、この間の大阪の預金残高は一〇二・二までしか増えていない。いかに東北地方の銀行におカネが滞留していたかが分かる。

 これは、保険金や補償金などの多くが銀行預金となり、復興に本格的におカネが流れていないことを示していた。

 被災地の都市計画や高台移転などが遅々として進んでいないため、住宅建設などにつながっていないのだ。

 住宅再建が本格化すれば、それに付随して家具や調度品の購入が増える。浮わついた消費ではなく“実需”が増えると期待されたが、現実には、まだそれほど力強い消費にはつながらなかった。そして東北のにわか景気も沈静化に向かってしまったようなのだ。

 東北地方の百貨店の売上高を見ても、震災直後の反動で一二年の三月、四月は大きく増えたものの、五月以降はマイナスに転じている。一方で個人預金の残高は一二年六月をピークに減少に転じたものの、直近の数値でも震災直後の一〇八・四と高水準を保っている。つまり、手元資金を貯めたまま、消費は抑制し始めたとみられるわけだ。どうやら予算上は東北地方に資金が配分されているものの、現実には東北地方できちんと流れず、景気が再び沈静化し始めたようにみえる。

 昨年、NHKの報道などをきっかけに、被災地以外の復興とは直接関係ない事業に復興予算が流用されていたことが表面化した。さすがの政府も言い訳ができず、昨年十一月末には被災地と関連が薄い三十五事業百六十八億円の執行を停止することを決めた。そこには、多くの予算が流用されたため、東北地方へ行くべき資金が思うように流れていないという主張もある。だが、現実には被災地の事業が瓦礫処理などに偏って本格的な復興事業が進んでいないことが、何よりも資金が流入しない大きな要因だ。政府が決めた執行停止額の百六十八億円も、全体額から見ればごくわずかだ。

ヒト・モノ・カネの一括投入を

 安倍首相は繰り返し復興事業の迅速化を指示している。青森岩手宮城、福島四県の知事副知事首相官邸で面会した際にも、「(復興予算の)枠を見直すと決めている。予算措置も復興加速を念頭に取り組む」と強調した。東京にある復興庁の本庁が握る予算配分権の一部を福島の出先機関に移すことも検討するなど、復興庁の福島での機能強化を進めている。つまり、官僚組織によって予算執行が目詰まりしているということなのだ。

 被災地の自治体で直面している問題は、おカネの不足というよりも人手の不足である。都市計画をやり直そうにも、地権者の同意を得る作業は現場の自治体職員が直接交渉を行わなければならない。地権者も各地に避難して地元にいないことも多い。いきおい、事実上、国の直轄事業になっている堤防再建などの公共事業だけが先へ進み、町の復興はまったく進まない状況に直面しているのである。

 もちろん縦割り行政のために地元自治体がおカネを自由に使えない問題も大きい。一方で霞が関の官僚から見れば、自由に使えるおカネを自治体に渡したところで、それをきちんと執行できる人員・人材が自治体にはいないと映る。心臓をいくら強力にしても、体の末端の血管が細いために全身に血流が行き渡らない状況になっているのだ。

 被災地を中心とする東北地方できちんとおカネが流れ、住民の生活地域経済が復興していくには、ヒト・モノ・カネをまとめて地方に投入するしかないだろう。地方自治のあり方自体が問われているといっていい。

2013-02-04

安倍政権は民主党政治の3年3ヵ月を「仕分け」せよ! 民主党の置き土産であっても、意味のあるものは引き継ぐことが重要だ!

| 13:01

アベノミクスの行方に関心が集まっています。経済政策にこれだけ多くの国民が関心を持ったのは珍しいことです。一方で、多くの人たちが、アベノミクスは単に古い自民党に戻るだけの政策になってしまうのではないか、と危惧しているのも事実です。果たしてどうなるのか。少し古くなりましたが、1月中旬に「現代ビジネス」に掲載した拙稿を、編集部のご厚意で再掲します。オリジナルは→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34654



霞が関永田町の風景はすっかり3年3ヵ月前に戻った。

脱官僚依存」を掲げて各省庁の意思決定プロセスを根本から変えた民主党が去ると、誰が指示をするでもなく、すべてが元に戻ったのである。「政治主導」の象徴だった政務三役会議も官庁から姿を消した。

副大臣大臣政務官に就いた自民党議員はみな、政権に返り咲いたことで上機嫌で、「よきに計らえ」とばかり官僚任せになった。霞が関の官僚たちもイキイキとした表情で、自分たちの政策ペーパーを大臣室に運んでいる。まるで民主党政権など存在しなかったかのような光景だ。

議員会館の様子も変わった。民主党は原則として個別議員への陳情を禁じ、幹事長室に一本化していたから、議員会館の受付は空いていた。それが自民党が政権に復帰してから、長蛇の列が見られるようになった。業界団体地方自治体からの議員への陳情が戻ってきたのだ。民主党が批判し政権交代の原動力になった「政官業の癒着」も、再び戻ってくるのだろうか。

道半ばで行き詰った民主党政権の「官僚排除」

 これが選挙によって国民が示した意思なのだろうか。すべて元の木阿弥にする事が、国民の望んでいる事なのか。「脱官僚依存」も「政治主導」も、「政官業の癒着打破」もひと時の熱病のようなもので、国民はもうどうでもいいと思っているのか。3年3ヵ月の民主党政権には、確かに失望させられたかもしれないが、すべてを否定してしまって良いのだろうか。おそらくそうではあるまい。

民主党が政権を取った2009年夏。霞が関には緊張が走っていた。事務次官全員に辞表を出させるのではないか、という噂が駆け巡っていたのである。官僚が政策をほしいままにしている状況を一気に変える。政府に入っていった民主党議員たちもそう意気込んでいた。

 真っ先に行ったのが事務次官会議の廃止と事務次官の記者会見禁止だった。明治以来続いていた事務次官会議は、慣例で閣議案件を事前了解することになっていた。つまり全次官が了承しなければ閣議案件にはならない仕組みができあがっていたのだ。その会議を民主党は真っ先に廃止した。

 次官会見も廃止し、その代わりに大臣や副大臣定例会見することとなった。政治家が了承する前に、あたかも決まったかのように次官が省の方針を語るのは許されない、という趣旨だった。

 そして設けたのが政務三役会議である。大臣と副大臣大臣政務官の政治家三人が、省の方針を最終決定することにしたのだ。大臣によっては次官の出席を禁じたり、出席してもテーブルには着かせず、後ろの席で傍聴させるだけにした。政治家がすべて決める「政治主導」を形で示したわけだ。

 だが、このような「官僚排除」のやり方は民主党政権の間に行き詰まった。菅直人内閣になると「事務次官連絡会議」が生まれ、事務次官会議の復活ではないかと言われた。政務三役会議にも官僚が出席し、意見を言うようになった。

 菅氏も財務大臣になったばかりの頃は役人の説明は聞かないと言い張り、政務官など政治家だけの説明を聞いていたが、それも徐々に崩れていった。仕事が回らないからである。そして少しずつ官僚依存になっていった。野田佳彦内閣は官僚の言うことを良く聞くとして霞が関でも評判が良かった。

民主党政権交代前、「政治主導」の具体的な方法を検討していた。100人規模で政治家を役所に送り込むというのも構想の1つで、政務三役会議はその象徴でもあった。年金問題などを追及してきた長妻昭氏が厚生労働大臣に就いたが、初登庁の際に出迎えた職員が誰ひとりとして拍手をしない異常な光景となった。

 大臣室に陣取った長妻氏は役人の説明を信用せず、自ら電卓を片手に資料を検証する姿が報じられた。あたかも政治家が官僚の仕事をやっているように見えたものだ。民主党政権発足時に『日経ビジネス』が行ったアンケートで、最も期待が高かった大臣は長妻氏だったが、わずか1年で厚労省を去った。

国民を味方に付けることができなかった民主党

 では、なぜ、民主党の「政治主導」は破綻したのだろうか。

事務次官全員に辞表を出させれば良かったんですよ」

 そう何人かの官僚は言う。民主党内閣発足の際に次官全員にいったん辞表を出させ、首相や各省大臣が再任する形にすれば良かった、というのだ。民主党政権に恭順の意を示した次官を使う姿勢を見せれば、役所は言う事を聞いた、というのである。米国の政治任用に近い形になったかもしれない。

 実際には鳩山由紀夫内閣政権交代しても次官人事には手を付けなかった。また、民主党批判を繰り返していた一部の次官は、霞が関でも更迭必至と見られていたが、その次官すら続投させている。次官に代わって政務三役が意思決定をするので、次官の存在自体が有名無実化すると考えていたのかもしれない。だが、次官人事に手を付けなかったことで、民主党政権霞が関にナメられたのは事実だ。

 一方で、政務三役会議は密室で行われ、役人も同席していないので、議事録も作られなかった。このため、メディアも政務三役会議の存在を応援しなかった。むしろ議事録が残らない「不透明さ」を批判した。つまり、国民のために脱官僚の体制を作っているはずなのに、国民を味方に付けることができなかったのだ。

 次官会見を禁止したことも、役所の実態を覆い隠すことにつながった。これは民主党が意図しなかった結果だろう。次官が会見者ならば記者の追及をかわすのは大変だが、政務三役が代わりに答えてくれるから気が楽、というわけである。安倍内閣になって、事務次官連絡会議の開催は真っ先に決まったが、次官会見は復活していない。これは安倍新政権の意思というよりも、役人が望んでいないからだとみていい。

安倍政権の誕生に霞が関は身構えた。第1次安倍内閣の際の記憶が残っていたからだ。安倍内閣は公務員制度改革の法案を通したが、その際、何人かの事務次官が次官会議で強行に反対した。当時のルールでは反対がいる限り、法案を閣議決定できない。それを安倍首相は「事務次官会議など通さずとも構わない」と無視したのだ。明治以来の慣例を打ち破ったのは、実は民主党内閣ではなく、安倍首相だったのである。

そんな安倍氏首相に返り咲いて、再び「政治主導」を試みるのではないか。第1次内閣の時に各省庁の反対を押し切って改革を進める舞台となった経済財政諮問会議の復活を早々に安倍氏が決めたことでも警戒感が広がった。だが、今のところ安倍氏は官僚と衝突する事を一切避けているようにみえる。

 とはいえ、早晩、安倍氏は再び「官邸主導」や「公務員制度改革」に踏み込まざるを得なくなるに違いない。参議院選挙に向けて、国民の改革期待が高まれば、何らかの方向を示さざるを得なくなるからだ。しかし、その前にやっておくべき事がある。民主党政治の3年3ヵ月を「仕分け」することだ。

岡田克也・前副総理が進めようと準備していた独立行政法人改革などの行政改革は地味だが思い切った内容のものが含まれていた。法案にまでまとまっていたが、いずれも廃案となっている。民主党内閣が進めようとした事であっても、意味のあるものはきちんと引き継ぐことが重要だろう。そして、民主党政権のどこに国民が最も失望したのかを分析しておくことも大事だ。これをきちんとやっておかないと、自民党も次の選挙で国民の失望を買うことになる。