「内閣人事局」による官邸主導の初人事が霞が関の抵抗に合わなかった理由

構造改革のキモは公務員制度改革ですが、安倍首相は派手な改革方針は打ち出していません。しかし、着々と手を打っているようにも見えます。現代ビジネスに書いた原稿です。
オリジナル→ http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39784



安倍晋三首相は公務員制度改革に後ろ向きだ」――。昨年来、かつて第1次安倍内閣で国家公務員制度改革を支えた改革派官僚やそのOBたちは、首相の姿勢を批判してきた。

内閣人事局」による初めての人事を閣議決定
昨年秋の臨時国会で成立した公務員制度改革関連法では、幹部公務員の人事を扱う内閣人事局の創設を決めたものの、これまでの人事院などの機能を残しており、内閣人事局はお飾りに過ぎないと見られたのだ。また、幹部公務員を降格することが事実上できないため、逆に抜擢人事も不可能で、政治主導の人事などできるはずはない、と見切ったのである。

7月4日、安倍内閣霞が関の幹部人事を閣議決定した。昨年の法律に基づいて5月30日に設置された「内閣人事局」による初めての人事である。では、この人事は今までどおりで、制度改革の効果は無かったのかというとそうではない。安倍首相は見事に予想を裏切ってみせたのだ。

内閣人事局の設置でも大番狂わせが起きた。初代人事局長に加藤勝信衆議院議員を抜擢したのである。人事局長については3人いる官房副長官から選ぶことになっていた。官房副長官衆議院議員参議院議員から各1人(政務)、官僚出身者から1人(事務)が就任することになっているが、人事局長は官僚出身の事務の副長官が務めるとみられていた。

「人事局ができても今までと変わらない」という批判は、この人事を前提に生じていた。逆に、官僚の人事に政治が口をはさむことを問題視する反対派が、渋々ながら関連法の成立を許したのも、人事局は官僚トップに任せるという想定があったからに他ならない。そんな両者の期待を安倍首相は見事に裏切ってみせたのである。

安倍首相側近の人事局長就任で政治主導を印象付けた
内閣人事局長の発表寸前まで霞が関は警察官僚出身の杉田和博副長官の就任を信じて疑わなかった。4月に新聞各紙が「内閣人事局、初代局長に杉田和博氏 安倍政権方針」(朝日)「内閣人事局長に杉田氏 政府調整 官房副長官と兼務」(産経)と報じていたことも大きい。杉田氏本人も就任を信じて疑わなかったらしく、発表前に挨拶されたという大物官僚OBもいたようだ。

ところがギリギリまで菅義偉官房長官は「まだ決まっていない」と明言を避けていた。杉田氏に内定していたものを菅氏が安倍首相に進言してひっくり返した、とされているが、反対派を押さえ込むために最後の最後に「だまし討ち」することを決めていたのかもしれない。

加藤氏は安倍首相が最も信用する側近のひとりだけに、初めから「加藤局長」を決めていた可能性は十分にある。安倍内閣はこの人事ひとつで「政治主導色」を印象付けることに成功した。

人事局長に就任した加藤氏は猛烈な勢いで情報収集を始めた。加藤氏は財務省で主計局主査なども務めた官僚OBとはいえ、幹部人事に精通しているわけではもちろんない。いくつかの象徴的な人事を行うことに腐心していたようだ。

そのひとつが女性の幹部登用。安倍首相は就任以来、「女性力の活用」を政策の柱に据えてきた。自民党三役のうち総務会長と政調会長に女性を据えたのも、首相秘書官に初めて女性を登用したのも安倍首相の意向だった。それを霞が関の幹部人事で行うことにしたのだ。

これまでの幹部人事は各省庁が原案を作り官房長官の了承を得て閣議決定していた。官房長官が異を唱えて微調整することはあっても、意見が対立して政治がゴリ押しすることはほとんどなかった。役所からすれば、事務次官が決めた人事に政治家が口を出すのはタブーだという意識が強い。「女性を登用せよ」という政治主導ならば、各省庁は受け入れやすい。

7月4日に決めた幹部人事では、法務省経済産業省で初めての女性局長が誕生することとなった。法務省人権擁護局長に岡村和美・最高検検事、経済産業省貿易経済協力局長に宗像直子・通商政策局審議官が就いたのだ。局長・審議官級の女性幹部をこれまでの8人だったが、一気に15人とほぼ倍増した。「安倍政権の方針に従った人事」を実現することに成功したのである。

霞が関の抵抗に合わないスタートは合格点
もう1つの柱が省庁間交流だ。霞が関の官僚は省庁別に採用され、事務次官が実質的な人事責任者のため、省益を第一に考えがちだとされてきた。国全体の国益よりも省益が優先されるのが現在の公務員制度の最大の欠陥だと長年指摘されてきた。その弊害を取り除くために設置されたのが内閣人事局なわけだから、その効果を象徴する人事を行わなければ意味がない。

4日決定した人事での省庁間の交流人事は53件でここ1年の51件とほぼ同規模だったが、初めての試みを行っている。財務省で主計局の厚生労働相担当を務め厚労省に出向した経験もある課長を、厚労省の審議官に転籍させたのだ。本人と出身省庁、受け入れ省庁の3者が合意したうえで、出身省庁には戻らない「片道切符」とした。

財務省の幹部のひとりは「国の予算の3分の1が社会保障費になっている中で、すべては厚労省任せという訳にはいかなくなったということ。国益全体を考えれば、今後こうした人事は増えるだろう」と語っていた。

同様に、官邸が人事に当たって求めたのは「戦略的な人材配置」だったという。これまで各省庁の人事は、双六のように様々な部門を歩んで昇進していくパターンが出来上がっていた。課長以下の時にまったく担当したことがない部門で、局長などの幹部職に突くケースも少なくなかった。専門能力が求められる官僚組織で素人であることを問題視する風土は無かった。

人事異動する7月から臨時国会が始まる9月まで勉強することで、いっぱしの専門家になるというのが優秀な官僚だと見られてきた。それを、懸案になっている専門分野に、最も力を発揮できる経験豊かな幹部を据えるように促したのだ。まだまだ目立った人事はないが、組織の論理に乗った順送り人事から、適材適所人事に変える方針を示しただけでも大きな一歩だったと言えるだろう。

第1次安倍内閣では公務員制度改革を巡って霞が関と激しく対立した。天下りなど霞が関の権益に真正面から切り込んだためで、これが内閣が短命に終わる遠因になったとの見方もある。公務員制度改革が安倍首相のトラウマになっているという見方もある。

一方で、日本の構造改革を進める安倍首相は、なかなか日本が変われない原因の根幹に公務員制度があることを十分に理解しているという。霞が関の抵抗に遭わずに一歩一歩改革を進めることに腐心する安倍首相にとって、内閣人事局初の人事は合格点だったということだろう。