東芝を上場廃止にしなかった「市場の番人」の驚愕の論理 天下り先の確保のため、ですか?

現代ビジネスに1月18日にアップされた原稿です。オリジナルページ→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54161

金融庁長官の言い訳
東芝上場廃止にしなかった事への批判がよほど気になるのだろう。日本取引所自主規制法人の理事長で元金融庁長官だった佐藤隆文氏が、日本経済新聞の1月9日付け13面にある『私見卓見』というコラムに寄稿している。題して「東芝問題と『建設的曖昧さ』」。

佐藤氏は寄稿文で、「規制当局が事案処理において一貫した判断基準を持つことは、公正性や整合性を担保する上で重要だ」としながら、「ただ東芝の上場維持・廃止の判断について、目に見える事象から直ちに結論を予測できるような予見可能性が期待されていたのであれば、難しい注文だと言わざるを得ない」として、「建設的曖昧さ」という概念を持ち出している。

上場企業がどんな問題を起こすと上場廃止になるかは、上場廃止基準に定められている。

債務超過になって1年経っても解消できない場合には問答無用で上場廃止になる。一方で、監査法人が上場企業の決算に「不適正意見」や「意見不表明」などを付した場合のように、「市場の秩序を維持することが困難であることが明らかであると取引所が認めるとき」といった“判断”によって上場廃止になる。

東芝の場合、「特設注意市場銘柄に指定されたにもかかわらず、内部管理体制等について改善がなされなかったと当取引所が認める場合」に該当するかどうかを、佐藤氏が理事長を務める自主規制法人理事会で議論していた。

東芝の決算発表自体が遅れに遅れ、監査法人からは「限定付き適正意見」という上場企業としては極めて異例の意見を付けられ、さらに内部統制については「不適正」という結論が出されていた。そんな状況だったにもかかわらず、管理体制について「相応の改善が認められた」として、指定解除に踏み切ったのだ。

決定した理事会では指定解除に反対する理事もいた。「全会一致のケースがほとんどである理事会では、極めて稀なことでした」と佐藤氏自身が月刊誌への寄稿で認めている。

さらに、その寄稿では東芝の決算になかなか監査意見を出さなかったPwCあらた監査法人を強く批判。「私は、監査法人の意見を無条件で絶対視するのは資本市場のあり方として危険なことだと思っています」として、監査制度そのものに疑問を呈した。

「建設的曖昧さ」とは何事か
指定解除のタイミングが、東芝の臨時株主総会の12日前という直前で、しかも半導体部門の売却が焦点になっていたタイミングだったことから、東芝救済を求めていた政治や、東芝を守りたい経済産業省などへの「忖度」があったのではないか、といった見方が広がった。1月9日の日経新聞への寄稿はそうした声に反論する形で書かれたものだ。

東芝の指定解除は内部管理体制が改善したからだ、と強弁するのかと思いきや、持ち出したのが「建設的曖昧さ」という煙に巻くような論理だった。

佐藤氏は寄稿で、「もし上場維持の予想が市場で支配的になると、対象企業の改善努力は緩み、投資家による監視や規律づけも甘くなる」という驚くべき主張をしている。

上場廃止は、上場にふさわしくない企業を排除するわけで、上場している企業にも、その株主にも大きな損失を与える。だからこそ上場廃止にならないようルールを守るのであって、そのルールが曖昧な方がいい、という論理には首をかしげる

さらに寄稿では、「仮に上場廃止の予想が支配的になると、株価急落やビジネスの縮小、銀行融資の引き揚げなどが起きて、必然性のない経営破綻を招いてしまうかもしれない。むしろ不確実性が企業の努力を促し、投資家にモニタリングを動機づける」と述べている。

専門家は批判
さすがに会計学者も首をかしげる

「市場のルールは透明でなければならないし、ルールだけで明確にできない点は専門家がきちんと意思表示をする。建設的曖昧さというは、役所の裁量権を真正面から認めているようなものだ」

実は、金融庁の佐藤氏の後輩たちも苦り切っている。というのも寄稿で佐藤氏は建設的曖昧さについて「金融庁在職中に担当した銀行監督の世界では標準的な考え方だ」と言い放っているからだ。

たしかに金融行政の中には、預金保険料の決定方式などで、厳密に倒産リスクと保険料率を比例させると、危ない銀行を公表するのと同じことになるので、保険料率は曖昧にしておく、といった形の「曖昧さ」が存在するのは事実だ。

だが、銀行監督は「建設的曖昧さ」でやっているというのは、過去の行政指導全盛期の話だろう、というのである。

本音は天下り先確保か
1月16日のお昼は日本公認会計士協会の賀詞交歓会が行われ、公認会計士の幹部たちに加えて数多くの政治家や金融関係者が集まった。何人もの来賓が挨拶した中で、塩崎恭久衆議院議員は名指しこそしなかったものの、佐藤氏の東芝への対応を強烈に批判した。

塩崎氏は政策新人類と言われた20年前から資本市場制度に意見を言い続けてきた「うるさ型」である。

その塩崎氏が、東芝上場廃止見送りは政治や役所への忖度で、それは霞が関天下り自主規制法人の理事長をやっているからだ、と痛烈に批判したのだ。

そのうえで、「政治家や役所を忖度することなく、専門家として正しいと思うことを言うのが監査だ」と会計士たちを叱咤した。

佐藤氏の度重なる寄稿に金融庁が苦慮しているのは、天下り批判に火がつくことだ。日本取引所自主規制法人の理事長は、初代は財務次官だった林正和氏で、2代目の佐藤氏は金融庁長官のOBだ。その佐藤氏の任期が2019年に迫っている。

ここで天下り批判が強まれば、資本市場の出身者にポストを奪われかねない。天下りポストの少ない金融庁にとっては重要な問題というわけだ。

だが、本当に資本市場の番人が霞が関天下りで良いのか、は、もう一度真剣に考えるべき時だろう。それこそ「建設的明快さ」で人選ルールを決める必要がありそうだ。