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磯山友幸のブログ RSSフィード

2017-12-05

佐渡で「和」を醸す、酒蔵五代目の「場作り」

| 07:55

ウェッジインフィニティに12月3日にアップされた原稿です。→http://wedge.ismedia.jp/articles/-/9255

Wedge (ウェッジ) 2017年 1月号 [雑誌]

Wedge (ウェッジ) 2017年 1月号 [雑誌]

 「何のためにそうしたいのか、きちんと伝えていれば、応援団や共感者が自然に集まって来ます。同じ価値観を持った人たちですね」─。

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尾畑留美子さん。学校蔵として使う西三川小学校の教室で。

 新潟県佐渡に一風変わったコミュニティ瓩生まれつつある。仕掛け人は尾畑留美子さん。「真野鶴」という酒を造る尾畑酒造の五代目だ。最近、地域おこしの取り組みとして、あちらこちらのメディアに引っ張りだこである。

 注目されているのは「学校蔵プロジェクト」。2010年に廃校になった「日本一夕日がきれいな」西三川小学校の木造校舎を改造し、仕込み蔵を作った。震災の影響もあって、実際に酒造りを始めたのは14年から。5月から8月の夏場に酒を造る。酒造りの本場は秋から春にかけての冬場だが、その期間は佐渡市真野新町にある本社の仕込みがフル回転のため、今は夏場だけ使っている。

 廃校を利用した酒蔵は全国にも珍しく、西三川の学校蔵ではそこを「場作り」の拠点にした。


佐渡ファン作り

 14年からさっそく「学校蔵の特別授業」と銘打った交流事業を始めた。日本総合研究所主席研究員の藻谷浩介さんを招き、「佐渡から考える島国ニッポンの未来」をテーマにワークショップを始めたのだ。15年には講師に玄田有史東京大学社会科学研究所教授が加わり、16年にはさらに出口治明ライフネット生命保険会長も講師となった。

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佐渡島:面積約860平方舛日本海最大の島。トキの繁殖でも知られる。人口は昭和40年代に10万人を割り、現在約5万7000人。

 授業には尾畑さんの母校でもある佐渡高校の学生や地域の住民のほか、島外からも学者やメディア関係者など約100人が集まった。もちろん小学校の教室がそのまま使われる。

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学校蔵として使われる西三川小学校の木造校舎

 「学校はいろいろな人が集まってこそ学校ですから」と尾畑さん。多様な立場の人が同じ生徒という立場で議論する。尾畑さんが長年培った人脈の広さがモノを言った。

 実は尾畑さん、高校を出ると東京の大学に進み、映画配給の日本ヘラルド映画(当時)に入って、宣伝プロデュースを担当していた。1995年に4代目の父の跡を継ぐことを決めて佐渡に戻るが、その際に結婚して共に帰ることになった相手は角川書店の「Tokyo Walker」の編集者だった。

 ちなみに、その夫の平島健さんは現在社長、留美子さんは専務である。

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特別授業を行う教室(上:撮影・生津勝隆)、学校蔵での特別授業の様子(下:撮影・伊藤善行さん)

 学校蔵での仕込み自体も「場作り」の舞台だ。酒造りを学びたい人を生徒として受け入れ、1週間通って酒造りを学んでもらう。

 長期滞在を通して「お酒のファン作りと共に、佐渡ファン作りもできます」と尾畑さん。企業とコラボレーションしての「オーダーメイド」の酒造りも進む。酒の仕込みを通して新たな人や企業との出逢いも生まれる仕組みになっている。

 本年度はタンク4本を仕込んだが、10年以内に、これを年間40本体制にしたいと尾畑さんは言う。

 仮に1チーム3人として40本だと120人。それが佐渡の島内に7泊するので、佐渡ファンが確実に増える。7泊という長期滞在になれば、島内の様々な地域を訪れるわけで、観光にも経済にもプラスになる。そんなきっかけになる「場」を作ろうとしているのだ。


環境の島

 もう一つ大きな狙いにしているのが「環境」。佐渡は、日本においていったんは絶滅したトキを復活させるために、農薬をなるべく使わない農法を広げるなど、「環境の島」を目指している。学校蔵では、「オール佐渡産」を掲げ、酒米佐渡産の越淡麗を100%使用、もちろん水も佐渡の水を使っている。

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炊き上がりを待つ蔵人

 また、製造にかかる電力を佐渡産の自然エネルギーで賄うことを狙っており、学校のプール跡に太陽光パネルを設置、発電を始めた。運動場跡地にも増設中で、将来はすべて再生可能エネルギーで酒造りする計画だ。

 「もうターゲティングは止めました」と尾畑さんは言う。狙うべき顧客の属性を決めて商品開発や宣伝広告するマーケティングの一般的な手法で、規模拡大を狙うのならば必ず採用するといわれるものだ。そうではなく、自分たちが作りたいものを作りたい方法で作るというのである。

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ものづくりを通じて交流する芝浦工業大学の学生達が作った机と椅子と行灯(上、下)

 尾畑酒蔵のモットーは「四宝和醸」。四つの宝とは酒造りに不可欠な「米」「水」「人」の3つに、「佐渡」を加えた4つ。

 その和をもって醸すという意味だ。佐渡ならではの原材料を使い、佐渡の良さを知ってもらえば、ふるさとの活性化につながっていく。「酒造りは地域創り」というわけだ。

 尾畑さんは、国際化の波によって、日本らしさの追求が進むことで、農業が振興され、それが地域の活力につながっていくという循環を考えている。というのも、酒蔵に戻っていつか取り組みたいと思っていたのが、海外市場の開拓だったからだ。

 03年から直接取引に乗り出し、07年には英国ロンドンで開かれた「インターナショナル・ワイン・チャレンジ」の日本酒部門で金賞に選ばれた。その時、「日本酒には個性となる物語が欠けている」と感じたという。ワインなら畑やブドウ、樽にいたるまでストーリーがある。もっと日本酒に個性があってもいい、と考えたのだという。

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スペイン・バスクからの視察団

 それが学校蔵での、徹底して「佐渡産」にこだわる酒造りにつながっているのだろう。国際化で日本の良いものに磨きがかかれば、農業も地域も活性化する。父の代から続く観光客向けの酒蔵見学には外国人の姿がぐんと増えた。取材当日もスペインバスク地方からの視察団が学校蔵や本社を訪れていた。


物語の共感者を増やす

 そんな尾畑さんが取り組む「物語」への共感者は間違いなく増えている。SNSソーシャル・ネットワーク・サービス)でのつながりも広がっている。学校蔵を訪れた人たちは間違いなく皆、佐渡ファンになり、尾畑さんの応援団になっていく。繰り返し訪れて、佐渡の各地を訪ね、食材を楽しむようになれば、いずれは佐渡全体にその効果が広がっていくというわけだ。

 「世代をつなぐ酒造りがしたい」と尾畑さんは言う。おじいちゃんと女子大生が酒瓶をはさんで向かい合うような交流。そんな人と人の「和」を醸すことで、地域が元気になっていくことを尾畑さんは考えているのだろう。それこそ本来の酒の役割だったのかもしれない。

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酒蔵から上がる米を炊く蒸気

(写真・生津勝隆 Masataka Namazu

2017-11-27

「草加せんべい」 地域ブランドで打って出る

| 10:43

ウェッジインフィニティに11月26日にアップされた原稿です。→http://wedge.ismedia.jp/articles/-/9235

 コメをついて丸く延ばし、焼いて醤油をぬった「せんべい」は、東日本を中心に広くお茶菓子として愛されている。「塩せんべい」「焼きせんべい」などと呼ばれていたが、戦後は「草加せんべい」が一般名詞のように使われてきた。

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山香煎餅の河野文寿社長

日光街道2番目の宿場町だった草加宿(現在の埼玉県草加市)の名物だったという来歴もあるが、市内にたくさんあった煎餅店の主人たちが、高度経済成長期に百貨店の物産展などに進出、大いに「草加せんべい」の名前を浸透させたことが貢献したとされる。「せんべい」イコール「草加せんべい」というイメージが定着したわけだ。

 ところが、厄介な問題が起きる。外国産のコメを原料に新潟で焼いた「草加せんべい」まで登場したのだ。さすがに草加の煎餅店は危機感を強めた。協議会を作って「地域団体商標」として特許庁に申請、登録された。2007年のことだ。

 それ以来、「草加せんべい」は、本物のせんべいを示す、草加市が誇る地域ブランドになった。

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せんべいチョコ

草加市内にはせんべいの製造・販売に携わる会社や店が60以上あるという。そんな中で最後発である1971年創業の「山香煎餅本舗」は、次々と斬新なアイデアを打ち出すことで、「草加せんべい」を発信し続けている。

 その1つが「草加せんべいの庭」。創業者で会長の河野武彦さんが建てたせんべいのミニ・テーマパークだ。木を使った建物にこだわり、建築家を探すところから始め、構想から10年をかけて2008年に完成した。 

 一角にある手焼き体験コーナーでは、予約なしでせんべいを焼くことができる。毎月第2土曜日には「子どもせんべい道場」を開催。参加するごとにスタンプがもらえ、15個ためると「職人」として山香煎餅の前掛けがもらえる。

 「おじいちゃん、おばあちゃんと孫が一緒に来て楽しんで焼き、食べる。草加せんべいが思い出と共に記憶に刻み込まれるんです」

 現社長の河野文寿さんは言う。美味しかった物の記憶と共に、草加せんべいファンが増えていくわけだ。「いずれ、職人の前掛けをもらった子どもの中から、当社に入社してくる人が出てきたら最高です」と河野社長。

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せんべい焼き体験に訪れた佐々木さんご家族(上)、「子どもせんべい道場」のスタンプ(下)

 飲食コーナーには「草加せんべいソフトクリーム」や「草加せんべいバーガー」「草加せんべいドーナツ」といったメニューが並ぶ。バーガーは料理が趣味の河野社長が自ら開発した。せんべいの粉を練っているうちに、これをハンバーガーにしたら、と思い付いた。

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草加せんべいバーガーと小松菜ジュース

 イベントの時などは、隣接する実演コーナーで、山香煎餅のベテラン職人による手焼きの技を実際に見ることができる。山香煎餅のせんべいを直売する売店棟では、様々なイベントが開かれる。オペラなどのミニ・コンサートは好評だ。

 「最近、せんべいは売れないと言って、実際、多くの煎餅店がつぶれています。でも売り方を工夫すれば、まだまだ伸びるのではないか」

 そう語る河野社長は、新しい需要を取り込むために、せんべいの新商品開発にも余念がない。

 このところのヒット商品は「草加せんべいチョコ」。焼き上がった草加せんべいを細かく砕いてクランチ状にし、それとホワイトチョコレートを合わせた新食感のお菓子だ。6枚入り540円と決して安くはないが、「細かく砕くなど猛烈に手間がかかっているので、同業他社は誰も真似しない」(河野社長)と苦笑する。

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職人によって焼かれる「天晴」せんべい

 最近メディアで話題になったのが、「おいしい非常食」。賞味期限が通常6カ月のせんべいを、10倍の5年に延ばして長期備蓄を可能にした。保存期限が来ると廃棄処分する保存食が少なくないが、せんべいならば期限が迫ったらおいしく食べてしまえる。


一球入魂の最高級品

 もともと、山香煎餅では「本物」にこだわって来た。例えば「天晴(てんはれ)」という商品はこだわりの有機米を原料に、天然素材のダシと有機醤油を使い、備長炭で職人が1枚1枚焼き上げる。どんなに頑張っても職人1人が1日100枚しか焼けない。値段は1枚1080円。12枚入りが1万4040円という、せんべいとしては超高級品だ。

 「30年やっているベテラン職人にベンツぐらい乗らせてあげたい。一球入魂の最高級品ですから」

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生産ラインを流れていくせんべい

 せんべいを極めた職人に、それに見合う十分な稼ぎを払おうとすれば、決して高くない値段だ、というわけだ。

 もちろん、機械を使って焼いている商品も多いが、それでも本物の材料にこだわっている。調味料も「アミノ酸」は使わず、昆布カツオのダシをとって使っている。スーパーなどに大量に売る価格勝負の商品は作らない。


銀座に出店

 最近、河野社長は全国で「良い物」を作ったり、扱ったりしている人たちとのネットワークづくりに力を入れている。高知県四万十川中流で町おこしを行う畦地履正さんの声掛けでスタートした「あしもと逸品プロジェクト」の中核メンバーなのだ。そんなネットワークから新たな商品も生まれている。

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せんべいの原料となるお米

 畦地さんは四万十の栗やコメ、紅茶など「良い物」を育て、全国に売り出している。さっそく、四万十町でとれる「かおり米」を使い、山香煎餅がOEM受注してせんべいに仕立てた。「かおり米せんべい」は草加せんべいスタイルではなく、油で揚げたせんべいだが、これも山香煎餅が長年培ってきた技術。草加せんべいの技術が全国各地の地域の特産品づくりに生きている。

 今、山香煎餅では、次なる挑戦を準備している。地域で磨いた「草加せんべい」ブランドで、「打って出る」計画だ。来年1月22日に東京銀座の中心に「草加せんべい」の店を出す予定だ。

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せんべい焼き体験を楽しむ笑顔の斉藤さんご家族

 銀座には東京の名だたる煎餅店が店を構える。そこにあえて「草加せんべい」で打って出るのだ。小さな店舗のため、手焼き体験などのコーナーは作れないが、タブレット端末を置いて、手焼きの草加せんべいのストーリーなどをアピールするつもりだという。

 また、季節感も大切にしていく。和菓子では四季折々に商品が変わるが、せんべいにはなかなか変化がない。春には山菜味、夏はカレー味、秋はさつまいも味、といった季節商品にも力をいれ、新しい需要を掘り起こしていく。

 かつては、関東を中心に「進物」といえば「せんべい」というのが定番のひとつだった。銀座という消費の最先端の場所で、せんべいを巡る消費者の嗜好をどう捉えていくか。おそらく「草加せんべい」にまったく新しい価値を加えることになるのだろう。

(写真・生津勝隆 Masataka Namazu

2017-11-13

商店街に集いの場を、茅ヶ崎ママたちの実験

| 09:16

ウェッジインフィニティに11月5日にアップされた原稿です。→http://wedge.ismedia.jp/articles/-/9232

Wedge (ウェッジ) 2016年 11月号 [雑誌]

Wedge (ウェッジ) 2016年 11月号 [雑誌]

 神奈川県茅ケ崎市にある浜見平団地。湘南の海岸線にほど近い、いわゆる公団住宅である。築50年を迎えて老朽化が進んだ住宅棟は、現在、建て替えが進んでいる。

 そんなシャッター商店街の一角に、昨年、一風変わった店舗が誕生した。

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「ローカルファースト」ショップの前で。 淺野真澄さん(中央)と、協力者のママさん、お客さんたち

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 そんな中で最後に残ったコンクリート造りの一棟は、1階に商店が並ぶ構造だが、いずれやってくる取り壊しに向けて移転するなど、櫛の歯状にシャッターが降りている。

 「Local First(ローカルファースト)」

 地域の人たちが手作りした小物や、不要になったリサイクル品を販売する。店頭はカラフルでオシャレ。取材当日もハロウィンを控えて、オレンジ色のお化けかぼちゃのオーナメントが天井いっぱいにつりさげられていた。明るく開放的なため、誰でも気軽に入れるムードにあふれている。

 この店を切り盛りするのは淺野真澄さん。地域で活動する「ローカルファースト研究会」の代表を務める。

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100人のママの声を聞く

 ローカルファーストという概念は、地域資源を掘り起こして、地域のモノを優先することで、地域経済の活性化を図ろうというもの。

 研究会では、年2回のシンポジウム、機関誌『ローカルファーストジャーナル』の発行、子供向け教材の作成などを行っているが、それだけでは満足できない。実際にローカルファーストを実践する場を作ろうと考えたのだという。

「どうやって主婦にアプローチするかを考えたんです。財布を握っているのは女性ですから、ママたちに支持されないと成功しません」 「空き店舗プロジェクト」と名付けて地域のシャッター商店街を探した結果、浜見平商店会にたどり着いたのだ。浜見平団地は高齢者世帯が多いものの、建て替えによって若い子連れ世帯も増えていた。もちろん初めからリサイクルショップを開こうと決めていたわけではない。

 淺野さんは周辺のママさん100人とディスカッションして、どんなお店が求められているか聞き取ることから始めた。

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浜見平商店会

 当時、淺野さんに意見を聞かれたのをきっかけに、今ではすっかりお店の常連になっている安齋かさねさんは、「建て替えで引っ越しが多いので、不用品を扱うリサイクルショップがいいのではないか」と主張した一人だった。人気のおもちゃなどが狷荷瓩垢襪函△△辰箸いΥ屬貿笋蠕擇譴襦

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ローカルファーストで販売するハンドメイド製品

 文房具店やフリーマーケットが欲しいという意見も多かったが、リサイクルのお店にすることで、結果的にそうした人たちのニーズも取り込む結果になった、と淺野さんはみる。

 もう一つの目玉がハンドメイドの商品だ。地域に住む30組ほどの「作家さん」が店内に陳列棚を持ち、手芸品などを直売する。

 「趣味で長年やってきた作品をお店に来たお客さんに買っていってもらえるのは励みになります」と、陶器製の一輪ざしなどを作る祝部(ほうり)美佐子さん。売れ行き具合を見に、しばしばお店にやってくる。

 この日初めてお店を訪れていた小宮哲朗さん、杉崎絢さんは、「どこに行っても同じモノが並んでいるお店ばかりなのに、ここは手作りの色々なモノがあって楽しい」とすっかり気に入った様子。さっそく、自ら手作りした作品を置いてもらう相談を始めた。

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初めて来店した小宮哲朗さん、杉崎絢さん

 ローカルで作ったモノをローカルの人たちが買っていく。まさに、ローカルファーストだ。

 淺野さんがお店を開いたのはモノを売買することだけが狙いではない。地域の人たちが気軽に集まることで、地域の交流の拠点を作ることだ。お店にやってきて淺野さんやスタッフの人たちとのおしゃべりを楽しんでいく高齢のお客さんも多い。航空会社のキャビンアテンダントをしていた経験もある淺野さんの、気さくで明るいキャラクターにひかれてやってくる地域の人たちは少なくない。


湘南スタイル研究会

 実は、淺野さんの活躍の背後には、「ローカルファースト」という理念を地域おこしにつなげようと考えた人物がいる。亀井信幸さん。地元の建設会社、亀井工業ホールディングスの社長だ。

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亀井信幸さんと淺野さん

 地域の青年会議所の活動から40歳で引退したのを機に、同世代の地域の経営者に呼び掛けて「湘南スタイル研究会」という会合を立ち上げた。2000年のことだ。地域の著名人やキーパーソンを招いて話を聞いていく中で出会った東海大学工学部建築学科の杉本洋文教授から聞いたのが、「ローカルファースト」という考え方だった。

 地元の経営者らと視察に行った米国のポートランドでは、ローカルファーストが定着し商店街が生き生きしている様子を目の当たりにした。若い頃から世界を旅して、欧米先進国では地方都市が元気なことを痛感していた亀井さんは、本当の豊かさとは何かを追求していくうえで、ローカルファーストの考え方が、地元湘南だけでなく、日本にももっと広がるべきではないか、と考えた。そして、ローカルファースト研究会を立ち上げたのだ。

 「全国的なチェーン店も便利ですから否定はしません。でも1000円買い物するうちの50円でよいから地元のお店で買えば、地域経済が回るようになる。地元に根付いたお店で日々買い物をすれば、フェイストゥーフェイスのコミュニケーションも復活します」

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ローカルファーストで販売するハンドメイド製品

 そう語る亀井さんはローカルファーストの発想を事業者や住民が持つことで、失われてきたコミュニティの再構築ができると考えているのだ。同じサンドイッチを買うにしても、どこで買うか。コンビニか、スーパーか、地元のパン屋か。コンビニの便利さは否定しないが、地元のパン屋も大事にして欲しい、と言う。もちろん、パン屋自身もチェーン店にはない商品の良さを磨く努力が必要だ。

 亀井さんはコンセプトを日本中に広げるために、本の出版を思いつく。そうしてまとめたのが、『ローカルファーストが日本を変える』(東海大学出版会)だ。活動の考えを広めるためにローカルファースト財団も設立した。ローカルファーストの動きを湘南・茅ヶ崎から全国へと広げていこうとしているのだ。

 ちなみに浜見平団地の「ローカルファースト」の店舗は、2016年いっぱいで閉店した。もともと期限が決まっていた実験店舗だったわけだが、そこから得られた経験は大きい。全国のシャッター商店街を活性化させるヒントや、地域のコミュニティの核を作る知恵など、店舗運営から得た経験を「遺伝子」として次にどんな展開を試みるか。亀井さんや淺野さんたちの次の一手が注目される。

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お店のレジに立つ淺野さん

 (写真・生津勝隆 Masataka Namazu

2017-09-19

林業が再生すれば地方も蘇る 南木曽のアイデアマン

| 08:57

ウェッジインフィニティに9月9日にアップされた原稿です。→http://wedge.ismedia.jp/articles/-/9204

Wedge (ウェッジ) 2016年 9月号 [雑誌]

Wedge (ウェッジ) 2016年 9月号 [雑誌]

 2016年5月に三重県で開催された伊勢志摩サミット。首脳が会議をしている間、各国首脳の配偶者をもてなすプログラムが設けられ、安倍昭恵首相夫人が接遇役を務めた。昼食では、三重県の食材をふんだんに使った料理が出されたが、そのテーブルには一風変わった「酒器」が置かれていた。

 樹齢350年の木曽ヒノキから一つひとつ削り出し、厚さ1ミリにまで削り込んだ木地に、塗装をほどこし、蒔絵(まきえ)で和の伝統的な文様を描いた。持つと驚くほど軽い。形は、円錐形が上下につながった、ちょうど砂時計のようなもの。酒を注ぐ内側は塗装をしないヒノキの無垢(むく)で、年輪が独特の美しさを醸している。それぞれの酒器には配偶者の名前が刻まれていた。

 実はこの酒器がサミットで使われることになった背後には、ひとりの仕掛け人がいた。柴原薫さん。木曽ヒノキの森を縫って中山道の旧道が続く長野県南木曽(なぎそ)町で、南木曽木材産業という会社を営む。すぐ近くには、今も江戸の街並みが残る妻籠(つまご)宿がある。

 「日本の林業は限界に来ています。50年の杉が1本300円、ヒノキで1000円。切り出す手間賃も、森を維持するために苗木を植える費用も出ません」

 日本の林業を再興したいと考えてきた柴原さんが取り組んだのが「サミット・プロジェクト」だったのである。

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柴原薫さん。背後の社有林で木の回復を試す実験をしている。


儲かる林業を模索

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 南木曽木材は父の代から続く会社で、もともとは山からヒノキを切り出す事業からスタートした。その後、製材所を作って、建築用木材の販売に乗り出した。同時に山を少しずつ手に入れ、植林事業にも参入した。

 高度経済成長期の建築ラッシュの頃までは「木曽ヒノキ」は建築用の銘木として引く手あまただった。ところがその後、安い輸入材に押されて、木の切り出しが激減する。南木曽木材は「切り出し」から上流の植林、下流の製材に事業範囲を広げることで、より付加価値の高い事業を模索してきた。

 だが、輸入住宅との競争は年々熾烈になる。木材を売っているだけでは利益は出ない。建築会社も作り、「木曽ヒノキの無垢の家」の注文建築を始めた。さらに端材を生かすために、木工品を製造・販売する会社も作った。木曽ヒノキのしゃもじなどがヒット商品になっている。f:id:isoyant:20170911115126j:image:right


 林業という1次産業から2次産業、3次産業へと拡大することで、何とか採算を取ろうと考えてきたわけだ。最近はやりの農業の6次産業化の先取りである。少しでも付加価値の高い製品を作りたい。要は、「儲かる林業」を模索する実験のひとつとして、サミット向けに酒器を開発したのだ。

 高く売れる商品を作るには、徹底して「本物」にこだわる必要がある。柴原さんの豊富な人脈が動き出した。

柴原さんが目を付けたのが、愛知県瀬戸市で木工ロクロの器を作っている井上重信さん。旋盤に木を据えて回転させ、刃物を当てることで、削っていく。「ロクロでこんなに薄く削れるのは、世界でもおそらく井上さんだけ」だと柴原さんは言う。

 手間とコストを惜しめば、最近では一般的になっている木の粉を固めて成型するのが簡単だ。だが、それでは木曽ヒノキの本当の良さが表れないと、材木から削り出すことにした。「いや、削り出して無駄になってしまう部分がかなり出るわけですが、年輪の美しさが際立ちます」と井上さん。

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サミットで使われた酒器について話す井上重信さん(左)と柴原さん(左上)

 サミットということで、最初はシャンパン用の器を木曽ヒノキで作ったが、これも木材から削り出した。シャンパンを木の器でというアイデアが飛躍的だったのか、こちらは残念ながら採用にはならなかった。

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 井上さんが削り出した木地に塗装し、今度はそれに漆を塗り、蒔絵を施す。漆器の郷として知られる木曽平沢にアトリエを構える伝統工芸士の深井公さんに蒔絵を依頼した。深井さんは復元が進む名古屋城本丸御殿の天井蒔絵を担当している地域の名工だ。図柄はおめでたい吉祥松竹梅である。

 サミットが終わって、この酒器を売り出すことにした。伊勢で結婚式をプロデュースするボルボレッタの中澤よりこさんが販売を一手に引き受け、限定100個を売り出した。価格は一つ3万円(税別・送料別)だが、一つひとつ手作りのため予想以上に製作に時間がかかっている。

 酒器のような「小さな物」をいくら高く売っても、それで林業が再生するわけではない。だが、木で作った本物をきちんとした価格で買ってもらうことが、その一歩につながると柴原さんは考えている。

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国産材の消費を増やす 

 実は、柴原さんの南木曽木材の仕事はここ10年で激変した。全国の神社仏閣の修理や再建用の木材を提供する仕事に特化しているのだ。伊勢神宮で20年ごとに行われる遷宮では、社殿や鳥居、柱などを一新する。鳥居には樹齢200年を超す巨木が必要になる。

 最近増えている城の再建なども大きな木が不可欠になる。そうした巨木は南木曽だけで賄えるわけではない。全国の山を回って、巨木が売りに出ると買い付けにいく。最近では年の半分以上を県外で過ごしている。

 神社仏閣の再建には、このサイズの木が必要だという「需要」が明確なため、一般の建材などと違って、価格で買いたたかれる心配は少ない。付加価値を取った商売ができるわけだ。

 「木材利用の本丸は何と言っても建築用です。圧倒的に消費量も多い。だが、それを値段だけですべて外材にしてしまったら、間違いなく日本の森は廃れます。しかし、建材需要だけでは不十分。国産材の消費を何とかして増やさないと」と柴原さんは言う。

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 柴原さんは次なるプロジェクトをしかけている。酒器が祝儀だったので、不祝儀で木を使う方法はないかと考えた。結論は棺桶。今ではほとんどの棺桶が中国産などで占められている。価格が安いからだ。

 「最後、あの世に旅立つ時ぐらい、国産材の棺桶で行きましょうよ、と訴えたい」と柴原さん。一流のアーティストに斬新なデザインを依頼、これまでの棺桶のイメージを一新する。葬儀の形も変えられるのではないか、とみている。棺桶は火葬してしまうため、完全に「消費」する。それをわざわざ輸入材で賄う必要はないだろう、というわけだ。高い価格を受け入れてもらうためには「本物」の良さが滲(にじ)み出るデザインや質感が不可欠になる。

 こうした小さな一歩一歩の積み重ねが、全国各地で大きなうねりになれば、日本の林業はいつか復活する。柴原さんの信念は揺るがない。

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(写真・生津勝隆 Masataka Namazu

2017-06-12

広島の小さな町のマジック、公民館日本一になれた訳

| 11:40

ウェッジインフィニティに6月10日にアップされた原稿です。→http://wedge.ismedia.jp/articles/-/7474http://wedge.ismedia.jp/articles/-/9206

Wedge (ウェッジ) 2016年 10月号 [雑誌]

Wedge (ウェッジ) 2016年 10月号 [雑誌]

 広島県大竹市玖波(くば)地区。カキの養殖が盛んな瀬戸内海沿いの人口4500人ほどの小じんまりした町である。そんな町の南側にある古ぼけた公民館に昨年、突如としてスポットライトが当たった。

 2015年春のこと、文部科学省が毎年行っている優良公民館表彰で、「日本一」に選ばれたのだ。さらに秋には、広島県が開いた地方創生のチャレンジ・フォーラムで、「まち部門」の優秀事例として表彰された。


人が集まる仕組み

 地域が元気になるその中心に、公民館がある─。それ以来、全国各地から大竹市立玖波公民館への視察や取材が相次いでいる。公民館といえば、卓球やバドミントンなどの軽スポーツができたり、図書室があったり、地域の活動で会議室を借りられたりと、「場所提供」で終わっているところも少なくない。ところが、玖波では、公民館に住民が集まって来る「仕掛け」が出来上がっているのだ。

 実は、その仕掛けを作り上げた人物がいる。河内(こうち)ひとみさん。公民館のたったひとりの職員である。10年ほど前から働き始めたが、5年ほど前に「学びのカフェ」という講座を月に1回のペースで始めた。

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「地域ジン」の皆さん

「ダサい、暗い、野暮ったい公民館を、明るく、オシャレな空間にイメージチェンジしようと思ったんです」と河内さんは笑う。講座の合間にもカフェタイムを設けるなどムードを一変させた。「まずは住民に集まってもらうために、楽しいものを企画した」。

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 さらに「生きた講座」にするために河内さんは工夫をこらした。地元の有名なヨットマンの講演を依頼した際には、公民館のすぐ裏手の港に実物のヨットを停泊してもらい、実際に乗船見学してから話を聞いた。

 また、貴婦人のお茶会と銘打って、とっておきのカップを持参してお茶を入れ、本物のメイドさんに給仕をしてもらった。普段とは違う「異次元空間」を演出したのだ。「公民館の講座は最近変わったことをやっている」。徐々に評判になり、人が集まるようになった。

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大竹市玖波地区:古くから山陽道(西国街道)の宿場町として栄える。瀬戸内海を挟んで宮島が目の前にあり、カキの養殖が盛んに行われ地元の主要産業になっている


自然発生した「スタッフ」

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 人が集まるようになってもスタッフはいない。とうてい河内さんだけでは手が回らない。そんな中で自然発生的に「スタッフ」のような役回りを担う住民が生まれた。河内さんはそうした人たちに「地域ジン」という愛称を付けた。地域人と漢字ではなくカタカナにしたのは、ニックネームのような親しみやすさを感じてもらうためだ。

 河内さんは大竹市の別の地区の生まれで、今も県境を挟んだ隣町に住む。玖波には地縁はなく、いわば「よそ者」だ。そんな河内さんの目からみると「玖波には素晴らしい宝があるのに、地域の人はまったくそれを感じていない」ことに気づいた。故郷のすばらしさに気づいてもらうにはどうすればよいか。

 町の中心を貫く旧道沿いには「うだつ」を備えた宿場町の面影が残っている。うだつとは隣家に接した屋根部分に付けられた防火壁のことで、立派な旧家の証明でもある。そんな街並みに愛着を持ってもらおうと、その通りを「うだつストリート」と命名。古民家でカフェを開いて、蓄音機コンサートなども開いた。

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 また公民館で行ってきた学びのカフェも「地域ジン 學びのカフェ」と名前を変えた。「学の旧字を使うことで、古いモノに目を向け、心に眠っている故郷を掘り起こしてもらおうと考えた」と河内さんは振り返る。自宅に眠っている古写真を公民館に持ち寄ってもらい、パネルにして展示した。「ふるさとお宝写真館」である。歴史のある良い町をもう一度見直そうというムードづくりだ。

 公民館の運営も地域ジンが自主的に手伝って、活動がスムーズに進むようになった。地元の住民が自ら活動の中心になって動く。河内さんが公民館に来た初めの頃には考えられなかった光景がいつの間にかできていた。「職員もひとりで、予算のおカネもない。すべて無かったから地域ジンの人たちが手伝ってくれた」。

f:id:isoyant:20170612112957j:image:left  2015年から「くばコレ」というイベントを始めた。体育館に舞台と花道を作ってファッションショーをやるのだ。ネーミングは「パリコレ(パリ・コレクション)」の向こうを張った。ただしファッションは真逆。パリコレが最先端のファッションだとすると、くばコレは最もレトロなファッションが良しとされる。住民を中心に誰でもエントリーが可能だ。

2回目の2016年は7月23日に開かれ、349人が参加した。男性自治会長が昔の振り袖姿で登場し、市長や教育長も着物姿で登場。昭和初期の学生袴姿や、サザエさん張りのママさんスタイルまで。家のタンスに眠っている思い出が詰まった洋服を着て壇に登る愉快なイベントになった。甲冑(かっちゅう)姿やゆるキャラも登場した。

 実はこのくばコレ。来年以降続けるかどうかは決まっていないのだが、すでに来年の参加申し込みが相次いでいる。もう引っ込みがつかない状態になってしまったのだ。

 「河内マジックじゃね」─。

 地域ジンの中心的な役割を担っている伊藤信子さんは笑う。河内さんが公民館にやって来て、すっかり地域の雰囲気が変わったという。

 自然発生的に集まった地域ジンも役割分担ができている。「裏方が合っている」と笑う岡田千代子さんは会計係。河内さんがもともといた会社で同期入社だった横川敬子さんは、公民館でバッタリ再会し、「応援したい気持ち」で右腕を買って出た。

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 木田泰秀さんは写真やビデオの担当。川畑幸子さんは大学教授のご主人が先に地域ジンだったのに刺激されてメンバーとして活動してきた。皆できる範囲で無理をしない。それが長く続くコツなのだろう。

 地域ジンの結束力は強い。おそろいのTシャツを作り、背中には「だからこのまちが好き」と染め抜いた。金融機関など企業の協力も得て、ウチワやノボリも作った。ブランドに磨きをかけているわけだ。

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 玖波も例にもれず少子高齢化が進んでいる。そんな中で希薄化する住民同士のつながりをどう取り戻すかが大きな課題だ。河内さんは今、次のステップを見据えている。若者と地域のつながりをもっと強くしようと考えているのだ。「中学生版地域ジン」と銘打った活動を始めつつある。

 公民館での河内さんの取り組みはコミュニティーの結束力を取り戻すためのひとつのヒントになりそうだ。


(写真・生津勝隆 Masataka Namazu