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磯山友幸のブログ RSSフィード

2017-05-30

日本経済史におけるバブルの意味

| 11:57

日経ビジネス2017.05.2 No.1892『「バブル」を知る3冊』に掲載された書評です。

 最近、バブルを懸念する声をしばしば聞く。確かに地価は上昇に転じ、不動産担保融資などバブル期を彷彿とさせる金融商品が盛り上がり見せている。

 だが、企業も個人もバブルに踊り、誰もがバブルに翻弄された1980年代後半の空気とは、明らかに違う。実際のバブルを知るのに好適な3冊を紹介したい。

 相場英雄の小説『不発弾』は、バブル当時の証券市場の空気を見事に描き出している。仕組み債、特定金銭信託、損失補填、飛ばし……。当時を象徴するキーワードを知り、それがどう使われていたかを振り返るには小説という形は最適だ。だが、本の終盤を除き、作中で起きる事件の大半は実際に起きた経済事件にモチーフを得ている。

 そんな事が実際にあったのだろうか、と疑問に思ったら、次に読むべき本は、『野村證券第2事業法人部』だ。こちらは、あたかも小説のような話の連続だが、フィクションではない。

 入社して配属された支店での武勇伝は、当時の証券会社のモーレツぶりを示している。同期が次々と辞めていく中で、生き残った筆者が栄転するのを損をさせた旅館の当主が見送る。「俺の数億、無駄にするな。立派になれよ」。そんな言葉に涙したと筆者は書く。

 筆者が転勤した先が企業の資金調達や資金運用を担当する「第2事業法人部」だ。バブルにまみれた企業の裏方はきれい事では済まされない。「財テク」と呼ばれた株式投資で巨額の損失を被った企業に、まるでばくちのような金融商品を売り込んで損を取り戻させる。

 バブル当時の企業や経営者の行動が、実名で赤裸々に語られ、問題のオリンパスとの出会いも実名で明かされる。

 筆者は2011年に発覚したオリンパスの巨額損失隠し事件で、「指南役」として逮捕されるが、今も無実を主張して今も法廷で争う。後半はいかに自分が無実であったかを訴える話が中心だ。

バブルの歴史的な意味とは

 果たしてバブルとはいったい何だったのか。バブルを俯瞰するのに最適なのが『バブル:日本迷走の原点』。筆者の永野健二氏は日経新聞の名物記者で、『日経ビジネス』の編集長も務めた。証券界の大立者だった「大タブチ」こと、野村証券会長の田淵節也氏の懐に飛び込み、数々のスクープをものにした。

 そんな永野氏が本書でこだわっているのがバブルの歴史的な意味づけだ。政・財・官が一体となった「日本システム」が、このバブル期を境に崩壊していったと永野氏は言う。幻に終わったミネベアの蛇の目ミシンへのTOB(株式公開買い付け)や、やはり実現しなかった野村モルガン信託などの陰には、大物政治家や大蔵省、経済人が暗躍していた。そんな「日本システム」の暴走が、イトマン事件などバブルを象徴する巨大経済事件に結びついていく。

 日経記者の中でも、バブルの空気を知り尽くした人物である永野氏が語る「総括」には一読の価値がある。

不発弾

不発弾

野村證券第2事業法人部

野村證券第2事業法人部

バブル:日本迷走の原点

バブル:日本迷走の原点

2017-04-17

これはバブル時代、現実に合った「風景」だ  『不発弾』(新潮社)

| 15:20

週刊文春 2017年 4/20 号 [雑誌]『文春図書館』に掲載された書評です。

不発弾

不発弾

 東京兜町欲望と汗と血にまみれた「人臭い」世界だった頃、小説よりも奇異な事件が次々に起きた。当時を知る人ならば、この小説が、その頃の「臭気」を正確に伝えている事に気づき、一気に引き込まれていくに違いない。

 一方、コンピューターと数字の無機質な世界になった証券市場しか知らない世代の人にすれば、展開されるストーリーは「小説そのもの」だろう。現実離れした登場人物の行動や、今の常識からみれば許されるはずのない取引は、小説ならではの面白みだと感じるに違いない。

 若い人には意外だろうが、この小説で展開される事件や金融商品、金融当局の動きなどは、ほぼすべて「事実」にモチーフを得ている。評者は当時、駆け出しの証券記者だったから、登場する社名や人名をみて、あの会社の誰の話だと思い当たる。作者の相場英雄さんもその頃、時事通信社にいたというから、そうした事件を追いかけていたのだろう。

 「財テク」「にぎり(利回り保証)」「損失補てん」「飛ばし」「仕組債」ーー。会社の資金を運用につぎ込んだ経営者の姿も、株価下落であいた大穴を必死で隠そうと、危うい金融商品に手を出した財務担当も、その間を徘徊していたハイエナのような金融マンも、すべて現実に存在していた「風景」だった。

 まさに「小説のような」事実が進行していた1980年代後半から90年代の「バブルとその崩壊」の時代。今、当時のキーマンたちが自らの経験を書き残した著作を次々に出版し、ベストセラーになっている。だが、そうした「遺言」とも言える著作は、肝心のところが空白だったり、断片的で、バブルの全景を語らない。

 むしろ、事実から得たモチーフを紡いだこの小説の方が、バブルのムードを饒舌に語っている。

 洒脱なエンターテイメントに仕上がっているが、読み進むうちに良質のドキュメンタリーに出会ったような錯覚に陥る一冊である。

2016-10-31

『野心 郭台銘伝』 (プレジデント社)

| 16:26

週刊現代 2016年 11/5 号 [雑誌] 『ブックレビュー』に掲載された書評です。

野心 郭台銘伝

野心 郭台銘伝


なぜ日本企業は、この男に負けたのか。

シャープに手を伸ばした

謎の経営者の素顔に迫る


著者は自らが対象として選んだ郭台銘(テリー・ゴー)という人物に、一貫して批判的だ。「郭という男がそれほど嫌いではない」と書くそばから、「経営者としての郭台銘にはまったく好感を持てない」と切り捨てる。

 エピソードも郭の「冷徹さ」や「独裁ぶり」を示すものが続く。日本の電機大手シャープが、郭が率いる鴻海(ホンハイ)の軍門に下ったことに憤っているようにも読める。

 通常この手の経営者伝は、対象に心酔して持ち上げたものが多いが、本書はまるっきり逆だ。ところが、批判的な視点を向け続けていることで、むしろ、郭という経営者のスゴみが滲み出ている。

 創業した小さな町工場を、EMSと呼ばれる電子機器受託生産で世界一の企業グループに一代で育て上げた郭。著者が解説するように、EMSという業界は低い利益率を量で稼ぐ「薄利多売」のビジネスモデルだ。逆に言えば、あくなきコスト削減を続けなければ、生き残れない。

 安い労働力を求めて中国大陸に大工場を作り、冷徹なまでのコスト管理を行う。一方で、大量の注文を一括受託するためには、プライベートジェットで取引相手の子どもの誕生プレゼントを贈りに行く――。

 そんな郭が率いる鴻海の姿は、欧米製品のモノマネを格安で作って世界に打って出た戦後の日本企業そのものにも見える。日本企業はある時期にそうした薄利多売から卒業し、アップル型の高付加価値モデルに転換すべきだったのだが、旧来型の「モノづくり」に固執した。鴻海に日本企業が負けた理由を、本書を読むことで、思い知らされる。

 本書の帯には「(鴻海は)シャープの救世主か、破壊者か」とある。答えは明確だ。鴻海は破壊者だからこそ、救世主として登場したのだ。これまでの緩い経営が温存されることはないだろう。

 郭はシャープをどう変革していくのか。あるいは鴻海の変革にどう利用していくのか。台湾のメディア報道や郭の友人らへの取材で、日本ではほとんど素顔を知ることができない稀代の経営者の実像に迫った一冊である。

2015-05-06

『命を救われた捨て犬 夢之丞 災害救助 泥まみれの一歩』 (金の星社)

| 17:20

 WEDGEに連載中の『地域おこしのキーワード』、6月号では広島県の神石高原町で7月にオープンする自然を生かした公園「神石高原ティアガルテン」を取り上げます。自然いっぱいの高原で動物や人の命をいつくしむ事の大切さを学ぶ場にしようというのがコンセプトですが、その共同運営を担っているのが日本を代表するNGOのピースウインズジャパン(PWJ)。中核施設として広大なドッグランを公園内に設置。殺処分寸前のところを救われた保護犬を養育する犬舎を設置しています。その犬舎で暮らす夢之丞という犬を紹介した本が出版されました。

 

 ネパール中部を4月25日に襲ったマグニチュード7.8の大地震。5月5日現在で死者が7660人に達しているが、山岳地帯で孤立した集落も多く、依然として被害の全容は分かっていない。そんな中、日本からも医療救援チーム110人、空輸部隊160人が国際緊急救助隊として派遣されたが、災害救助犬として訓練を受けた夢之丞も行動を共にした。夢之丞はもともと施設で殺処分寸前のところをPWJに保護された。ガス室の前の自分の番を待っていた夢之丞の映像がPWJの手で残されているが、ガタガタと震えて失禁している。仲間の犬たちの断末魔の声を聞いてきた夢之丞はその後も人を恐れて、なかなかなつこうとはしなかった。PWJの犬舎で少しずつ人に慣れた夢乃丞は災害救助犬としての訓練を受けるまでになる。2014年夏の広島土砂災害では行方不明者2人を発見。ネパールでも活躍が期待されている。人に殺されかけた犬が人を救う。今ではテレビのワイドショーなどにも取り上げられるようになった夢之丞は、PWJが進める犬の殺処分ゼロに向けた活動の象徴的な存在になっている。

http://peace-wanko.jp/concept

2014-09-30

かつての名経営者と現場社員たちが見た「消滅」の内幕−日本企業の現実を描く

| 11:42

「週刊現代」に掲載された書評です。大西編集委員の力作、なかなか読みごたえがあります。

話は三洋電機の総帥だった井植敏氏の芦屋にある自宅を日本経済新聞の編集委員である著者が「夜打ち」するところから始まる。

三洋電機の凋落と消滅を見守り続けてきた著者は、2006年に『三洋電機 井植敏の告白』という前著を書いた。本人によれば、「創業者がいい加減な経営をしてきたから、会社が没落したのではないか」というのが最大のメッセージだった。その後、三洋電機は著者にとって予想外の展開を遂げる。

 出資を仰いだ金融三社にバラバラにされ、残った本体もパナソニックに売却。パナソニックは三洋電機のブランドまで消し去ってしまう。なぜこんなことになってしまったのか、もう一度、井植氏に聞きたいというのが自宅を突然訪ねた理由だった。

 大企業の社員なら、自分の会社が潰れるなどと考える人は少ないだろう。だが、この本を読み進むと、三洋電機の話は決して他人事ではないと分かってくる。「銀行にハメられたのではないか」という著者の仮説をよそに、かつて名経営者と持ち上げられた老人は静かに言う。「資本主義というのは、そんなもんとちゃうか」

 この20年、世界では経済のグローバル化が進展し、企業の生き残りをかけた勝負の決め手は経営力になった。一方で、日本のモノづくりは世界一だという神話に慢心した日本の経営者は大きく劣後していった。日本のぬるま湯的な経営や組織が、世界に通用しなくなった。

 本書の締めくくりでアイリスオーヤマの大山健太郎社長に語らせている。「事業の目的は利益であってシェアではない」。資本主義の中で生きる会社である以上、当然過ぎる話だが、日本の大企業の多くは、いまだにシェアを気にして、低収益に甘んじている。

 本書の後半は三洋を去った何人かの人たちの生きざまを追っている。一企業を舞台にしたヒューマン・ドキュメントは往々にして、ノスタルジーに満ちた日本型経営やモノづくりへの礼讃になりがちだ。だが、本書は現場の具体的なエピソードをつづる一方、世界や日本の経済の大きな流れを踏まえる視座の高さ、スケールの大きさを併せ持つ。それも日経産業部きっての現場派記者である著者ならではだろう。時に目頭を熱くさせ、時にやり場のない焦燥感を抱かせながら、一気に読破させる一冊だ。