グレッグ・ベア『ブラッド・ミュージック』

 壁のむこうは雪だったが、窓のむこうの雪とは違った。こっちの雪のほうがずっと美しかった。
 きっと生きている人ひとりひとりにつき百万の雪片があるんだわ。みんながいっしょに踊っている。

ブラッド・ミュージック  (ハヤカワ文庫SF)

ブラッド・ミュージック (ハヤカワ文庫SF)

 ある科学者の発明から始まる、人類の進化にまつわる物語、通称「八〇年代の『幼年期の終わり』」。ただ、人類が「進化してしまった(させられた)」世界がどんな風になったのかは、断片的にしか語られていないのが残念。
 塩基そのものを演算子とするコンピューターの構想『塩基計算機』を知り、調べていく内に本書にたどり着いたのが読む切欠でした。全身の細胞が塩基計算機になっている人造人間というネタを考えていて、それの参考にしようかと思い。
 DNAが遺伝子をコードする仕組みとコンピュータープログラミングの類似性はかねてより指摘されていたのですが、その概念に先んじて「細胞が知性を持つ」というアイデアを出したのがこの作品。
 タイトルは、内容を読むとしっくりくるんですが、ぱっと聞きは別のものを連想しちゃうのが残念。
 執筆当時には用途の分からなかったイントロンが、作中では種族的記憶のメモリーとして扱われていますが、今ではそういうものではないことが解明されていたりします。SF小説は、年月とともに設定への印象が変質するのが難しいところですね。時間と戦うジャンルですぜ、ある意味。
 ただまあ、そうしたアイデアの他にももちろん見所があってこその傑作。
 中盤からはすっかりノリがバイオホラーなパニック小説ですからね。研究所のハーバードと、変化から取り残された人々と視点を何度も入れ替えて、ヌーサイトが人と世界を変えていく様が見られます。
 他にも何といいますか、全体的に詩的な印象があって、その味わいがとても美しい作品です。「闇の半球が移ろっていく間」なんて夜明けの表現もシビレちゃいますが、他にもあちこち印象的な文があっていい(こういう部分はスキズマトリックスでも感じたけれど。まあ全然別作品ですけどね)。ことに白眉と思うのが、終盤で描かれる「燃える雪の冬」。ラグナロクの前触れがごとき厳しくも恐ろしいほど美しい冬の光景……こんなに綺麗で静かな、滅び行く世界の描写は滅多にありゃしない!
 このシーンに出くわした時には、読んで良かったとまじまじ思ったものです。
 さて、前述のように私は「ボディが塩基計算機になっている(人造)人間」ってどんな感じになるかのう? という興味からこの作品を読み始めたわけでして、それゆえ一番興味深く読んだのが1章〜2章。ヴァージル・I・ウラムが知的細胞ヌーサイトを発明し、それが彼の中で成長し、彼自身を変質してしまうまでの物語です。
 本書で一番好きなのはヴァージルですね。次がスージーで、あとエイプリルさん。
 学者キャラが好きってのもありますけれど、ヴァージルがあの後全然登場しないのは残念でした……最後の方でハーバードとちょっと出会ったけれど、まさかあれで終わりとは。
「夢の竜巻」に入ったジョンとジェリーの兄弟、そしてエイプリルさんがどうなったのか気になる……。
 エドワードとゲイル夫妻もそうだし、結末が結構ぼかされているのがやや消化不良っぽくて寂しいですね。「その後」が出たのってハーバードだけですし。そういえばハーバードが「改造」について危惧していたのはやっぱり改造してたってことでFAなのかね……(「人間を直してくれる」って表現からすると)。そら怖いがな。
 フランケンシュタインの怪物。逃れることはできない。うんざりするほど分かり切ったことだ。
 人々は新しいものを、変化をとても怖がっているのだ。

 されど変化をしない生命は錆びつく(ってのはスキズマ)。人類はこの先、どんな風に進化するのか……軌道エレベータが実現し、宇宙へのさらなる進出がかなったら、その時人は宇宙という環境に合わせて進化するのかも?