2章

スプリンター (Splinter)の図:印刷していろいろ記入すると便利かも


重さの地図

F=maは忘れよう!

本書では一貫してこちらの世界の物理の概念と違う形式で力学が展開します。ある現象を新しい角度から見るというのはSFの醍醐味なので、すぐにこちらの物理の言葉に翻訳してしまうのでなく、あちらの世界の物の見方で読んで行くとお徳かもしれません。
例えば「遠心力」と「向心力」は同じ現象を異なる二つの立場から見た時の物の見え方の違いですが、このあたりの、うやむやになりがちな点をフレッシュな気持ちで考えなおす機会といえます。

6章

方向の名前とスプリンターの軌道との関係についてザックが考えを説明します。ラーブとシャークは軌道に沿った方向、ガームとサードは内側と外側、ショマルとジュヌーブは軌道面の上と下。今後ずっと方向の名前が出てくるのでゴロ合わせとかで覚えておかないと議論がなかなか頭に入ってきません。ショマルのショーは上昇のショーとか。シャーク鮫は後ろから迫るとか。

重さ

こちらの世界の物理では、重力にどれだけ引っ張られるかという「重量(weight)」と、加速されにくさを表す「質量(mass)」を使い分けています。
http://www.buturigaku.net/main01/MassWeight/MassWeight03.html
が、ザックの言う「重さ(weight)」はどちらでもなく、長さと向きを持った量となります。
普通の空間なら加速度と一致しますが、重力がある場合は、自由落下する人から見た「見かけの加速度」、ということになります。
キーワード:等価原理

回転の重さ

回転速度が半分になると移動距離が半分、ずれの角度も半分で重さは1/4に。

ヌル線付近を往復する石


自然な経路と実際の経路


ザックの重さのアイディア


潮汐

地球も「月と地球の重心」の周囲を15日周期で回転しているので(ハンマー投げする人が回転する感じ)同様にガームとサード方向(月の方向とその反対方向)に引っ張る力が働きます。一日に二回、海面が高くなるのはこのためで、潮汐力(tidal force)という名はこれに由来します。ただし地球の自転は海水がまとまって動く速さより遙かに速いので満潮になる場所は月の方向とは一致しません。

8章

旋回させる重さ/swerve weight

こちらの世界では「コリオリ力」と呼ばれています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%81%AE%E5%8A%9B

石の軌跡


作者のHPで実際に石を発射して実験できます
http://gregegan.customer.netspace.net.au/INCANDESCENCE/NullChamber/NullChamber.html

外から見れば、天体や人工衛星の軌道は「ケプラーの法則に従って楕円を動く」以上、終わり。で単純です。
しかし一緒に動いてかつ自転している人から見ると、いろいろ複雑になります。たとえば軌道上で前方にある宇宙ステーションにドッキングしようとする場合、前に行こうとして後ろへ少し噴射すると、ステーションに対して上の図の赤い線のように動くことになり、一瞬だけ前進するけどあとは輪を描きながら後退していくことになり、直感に反する動きをします。
自動操縦によるランデブー実験 http://robotics.jaxa.jp/project/ets7-HP/ets7_j/p_kit/p_h26f_14_j.htm

このへんをネタにしたSFではA.C.クラークの短編「メイルシュトロームII」が面白いです。

回転器/Rotator

こちらの世界でジャイロと呼ばれる物です。重いものが高速で回転している場合、回転軸は同じ方向を保とうとするので、方位磁石のように使うことが出来ます。

11章

これまで判明したことのまとめ。しばらく改行













恒星<侵入者>が一億五千万年前に星系を通過、居住惑星を引き離して連れ去る。その一億年後、今度は中性子星か何かが<侵入者>とその周囲を周回していた惑星に接近し惑星は潮汐力で破壊され小惑星帯に。一部が飛び出してメテオに。中性子星?は銀河中心へ。

12章

この章では曲がった空間を扱う幾何学(非ユークリッド幾何学とかリーマン幾何学とか呼ばれる)の中心概念が説明されています。更に相対性理論ローレンツ変換なんかにも到達しています。この章はちょっと気合いが必要です。
気合!入れて!行きます!(cv 比叡改二)

自然な経路/natural path

曲面上の最短距離の線です。飛行機の経路が北半球では北極よりになるような。「測地線/geodesics」と呼ばれます。

接続/connection

「ありのままに今起こった(略)成田から飛行機で北東向きに飛んで真っ直ぐ太平洋を横断してアメリカに着いたら南東向きに飛んでいた。何を言(略)」

曲がった空間を移動すると自分の方向感覚と移動先の方向にズレが生じます。これは地球上の各地点で便宜的に決められた東西南北の方向が各地で平行でない、というのが大きな原因ですが(南北は気温が変わる方向、東西は時差が変わる方向で生活に直結、数学的に平行かどうかはどうでもいいので)、各地で完全に平行になるように方向を決めるのは曲率があるので不可能です。
曲面上で、ある地点で「こっち」と決めた方向の矢印が、曲面上を移動した場合に移動先でどっちを向くかは、元の矢印と移動先の矢印で作られる四角形が平行四辺形になるようにすることで求められます。曲面で「平行四辺形」をどう定義すんのか、という話になりますが、二つの対角線の中点が一致する、という定義によって曲面でも平行を定義できます。この手法は「シルトの梯子」と呼ばれ、イーガンの別の長編のタイトルにもなっています。
http://en.wikipedia.org/wiki/Schild%27s_ladder


どの方向に動くと、どの方向感覚が、どちらにずれるか、というのを全ての方向の組み合わせについて数値で与えることで曲面の性質を過不足なく記述できます。こちらの世界でも接続と呼ばれます。
http://www.ms.u-tokyo.ac.jp/~kohno/lectures/dg2.pdf
Γ(ガンマ)に添え字i,j,kがついた奴\Gamma^k_{ij}がそれです。三つの添え字が、三つの方向(どの方向 k に動くと、どの方向感覚 i が、どちら j にずれるか)を表します。
(さらに接続の空間微分の次元を持つ量が、ポアンカレ予想の証明やアインシュタイン方程式に出てくる「リッチ・テンソル」に対応、添え字が4つ。計量の二回微分。)


「接続」のアイディア、作者の解説。
http://gregegan.customer.netspace.net.au/INCANDESCENCE/Schwarzschild/Schwarzschild.html#CONN

分割のしかた

悪い分割と良い分割

最初の幾何学

ハブに近くても、ハブから遠くても、いつでも、どこでも、三だった。

絶対時間のあるニュートン力学の結果です。
【経過時間について万人の意見が一致】/ガリレイ変換

二番目の幾何学

相対論効果が全て逆に出てしまう物理です。実はイーガンの最新の"Orthogonal"三部作ではそのような物理に支配されている世界が舞台になっています。
ちょっとした紹介:http://ensemble-sf.info/vwb_1.pdf
【空間の二乗+時間の二乗、について万人の意見が一致】/時間と空間の回転

三番目の幾何学

【空間の二乗−時間の二乗、について万人の意見が一致】/ローレンツ変換

限界スピード

「わたしがショマル方向へ、〈スプリンター〉の岩と比較してこのスピードの四分の三の速さで動いていて、あなたがジュヌブ方向へ同じ速さで動いているとしたら、なにが起こりますか?」

光速の3/4でそれぞれ反対向きに進む人に、相手がどう見えるか計算しても光速を超えない、という話ですね。

単位

必要なのは、軌道の大きさを、スパンでいったらいくつになるにせよ、“八単位”にすることだけだった。

1単位=GM/c^2、Gは重力定数、Mはハブの質量、cは光速、となります。シュワルツシルト半径は2単位となります。

13章

ジャイロ

多数の精密な加速度計がふたつの逆方向に回転する超伝導電流間の位相差を計測することでセグメントの方向を把握し

超伝導をジャイロに使う装置があるようです。
http://einstein.stanford.edu/TECH/technology1.html
おそらく各セグメントの位置はそれほど精度がいらなくて、遠くのターゲットを見るためにセグメントの向く方向の制御に精度が必要と思われます。

銀河の眺め

銀河面に対して垂直に整列した半ダースの輝くフィラメントが、磁力線沿いに渦を巻く電子のシンクロトロン放射に輝く。

こんな感じでしょうか。

15章

テラヘルツ波

赤外線とマイクロ波の中間あたりの電磁波はテラヘルツ帯と呼ばれ、金属以外の物質を透過しやすいのでX線に代わって空港などのセキュリティに応用しようという研究があります。
参考記事:http://physicsworld.com/cws/article/news/2012/jun/12/new-tuner-could-bring-terahertz-to-the-masses
中性子星は強い磁場を発生し、その磁場で加速され曲げられた高速な電子が「シンクロトロン放射」というメカニズムで電磁波を出すようで、箱舟の周囲ではテラヘルツの強い放射があるという設定のようです。

16章

「1/4の円弧」

降着円盤を遠くから見た場合に重力で歪んでどう見えるか、というのは天文学の分野で重要なので色々計算されているようですが、この章でのように至近距離で見た場合というのは計算例を見つけられませんでした。観察者自身の周囲の時空も相当湾曲しているので、簡単ではありません。
時空の歪みがなければ、例えば土星の輪を、輪の少し上に浮かんだ岩の上で観察すると、自分より内側にある輪が地平線の少し上に軌道前方から軌道内側まで、土星本星に隠れるまで見えることになります。軌道後方につても同様。
歪みによってこれが地平線のはるか上にあるように見えて、かつ軌道前方の半分しか見えないということになれば作中の描写と一致します。自分でいろいろ計算してみましたが、まだ一致する結果を得られていません(軌道前方後方の両方が見えてしまう)。

20章

石を回転する話

石を斜めに回転させた時に赤い線の上の点がどのくらい動くかを矢印で書くと、場所によって長さと角度が違うけど、赤い線の方向への移動距離は一定。


作者による解説
http://gregegan.customer.netspace.net.au/INCANDESCENCE/Symmetry/Symmetry.html

<ハブ>からの距離の定義

こっちの世界ではボイヤー=リンキスト座標というのが使われます。以下の式でrがその距離、aは「ねじれ」。
http://en.wikipedia.org/wiki/Boyer%E2%80%93Lindquist_coordinates
作中で「あなたの使ったハブからの距離が二かそれ以下だと」という会話がありますが、これは二人が別の距離の定義を使っていて、一人がボイヤー=リンキスト座標を使っている事を示唆しています。

エルゴ球

「あなたの使ったハブからの距離が二かそれ以下だと、軌道を描いて動く以外のことは不可能になるわ! じっと動かずにいようとすることは、もっとも速い可能なスピードよりも速く動くことを意味する!」

事象の地平を越えてしまうと内側へしか動けなくなってしまいますが、回転するブラックホールではその外側にもう一つ領域があって、内側にも外側にも動けるけど、時空が回転しているのでそれと反対向きの回転方向には動けないという「エルゴ球」と呼ばれる領域が出てきます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B4%E7%90%83

ローレンツ収縮

そんなことをする人は、決して拍動しない心臓と、決して進むことのない時間感覚と、全世界を平らに押しつぶす距離の概念を持つことになる

この手の話をするときは「誰から見て」「誰が」に常に注意する必要があります。

26章

数値相対論

資料いろいろ

うちらの世界では、まずザックの原理(=アインシュタイン方程式)を満たす時空を設定し、それがどう時間発展するかを計算するのに皆苦労しているようです。この章で行われているのは、最初の、ザックの原理を満たす解を見つける部分です。

彼らの世界では、曲がった時空を少し動くと方向がどう変わるかという「接続」をベースに理論を作っているので、おそらく以下のような計算をしていると思われます。

まず三次元空間を細かい立方体に分割します。一つの立方体は6つの隣接する立方体に接しています。ある立方体から隣の立方体へ移動したときに方向がどう変わるか、という「接続」の量を適当に決めて、その二つの立方体の間の部分に記録しておきます。
ある立方体の中で「3つの重さ」がどうなるかは、その立方体の隣にある6つの「接続」の値から計算できます。適当な値から始めたのでこれはザックの原理を満たしていません。満たすようにするために6つの接続の値からそれぞれ一定値を引いて満たすようにします。
これで解決、にはなりません。自分の右隣にある「接続」は、自分の右側の立方体を担当する人も直したいのです。そして二人が直そうと思っている値はそれぞれ違います。なので妥協して二人がこうしたいという値の平均値にします。二人とも自分の立方体はザックの原理を満たさないままですが、始めにくらべて重さの合計は0に近づいているはずです。
自分の隣の6つの接続についてそれぞれ隣人のしたい値を聞いて自分のしたい値との平均にする、ということを何度も何度もやっていけば、おそらく最終的に全ての立方体でザックの原理をほぼ満たす時空が出来上がります。

作中では6の8乗か9乗の立方体が必要で、それを6の4乗人で分担するとなっているんで、一人当たり6の4乗くらい、1296個以上の立方体を担当します。かなり大変そうです。

こうして時空が完成したら、その中を移動する「物体」の役の人が、各担当者の持っている時空のデータを参考に自分の進路を計算し、立方体から立方体へ、担当者から担当者へ間を渡り歩いて軌道を決定します。

用語の細かい点など

巻末の参考文献リンク+よさげな本

それ以外のよさげな本

一般向けで一番売れてるっぽい。「重力=時空の歪み」みたいな話が初耳で「白熱光」をそれなりに楽しんで読みたい人は必読。

重力とは何か アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る (幻冬舎新書)

重力とは何か アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る (幻冬舎新書)

ガチで復習したい物理出身者用、よさげな本

時空の幾何学―特殊および一般相対論の数学的基礎

時空の幾何学―特殊および一般相対論の数学的基礎

場の古典論―電気力学,特殊および一般相対性理論 (ランダウ=リフシッツ理論物理学教程)

場の古典論―電気力学,特殊および一般相対性理論 (ランダウ=リフシッツ理論物理学教程)

バコテン英語版、無料で読める https://archive.org/details/TheClassicalTheoryOfFields