『虞美人草』読了

 なんとなく文体がとっつきにくくて、敬遠してきた『虞美人草』。
 読んでみたら、めちゃくちゃ面白かった。
 これは、おすすめ。
 特に、『坊っちゃん』が好きな人には、必読と言いたい。

 『虞美人草』は、初期の長編。
 漱石初の新聞連載小説。
 気合が入りすぎ。
 冒頭の京都観光のシーンにどんな意味があるかが明らかにされるときの衝撃。

 この小説では、勧善懲悪的な構図が明確で、その後の作品のように、真面目なものが破滅し、世知辛い人間が世にはびこるという展開になっていない。まさに初期という印象。

 やはり漱石を読み解くには、「世間」「世間体」という観念が重要である。「エゴイズム」とか「他者」とか、西洋に由来するような概念よりもずっと重要なはずだが、「世間学」はまだ形をなしていない。「漱石と世間」という論文を構想。


 ラスト。何も藤尾を殺すことはないじゃないか、と思ったのだが、彼女を死なせるということが漱石にとっては欠かせない目標(創作意図)だったらしい。それは何故なのか、考えてみるに値するテーマ。

 最後の一行。
 まるで落語のようなオチだが、意味は深い。
 漱石は、この小説の後、「喜劇ばかりが流行る」世界を、執拗に描き続けることになるのだから。

江藤淳の『決定版 夏目漱石』(新潮文庫)

 を読み始める。
 色々と啓発される部分多し。
 しかし、これがいわゆる蓮實重彦の批判する「深さ」を読もうとする態度の典型であろう、とは思う。
 弟子たちの則天去私解釈はもちろん神話であろうが、江藤は、それをあっさり捨てすぎているような?
 則天去私という言葉の読み直しは可能だと思う。
 いろいろと漱石研究は山のようにあるので、それをいちいち読む気はないのだけれども。

『吾輩は猫である』読了

 何度目の読了だろう? 4度目?
 いい大人になって読んだのは初めてだったので、今までになく面白かった。
 これは大人が楽しむべき小説だと思う。
 僕が年の割りに子供だから、ということではないと思いたい。
 爆笑部分は数々あれど、今日読んで、久々に大笑いしたのは次の箇所。


「然し死ぬのを苦にする様になったのは神経衰弱と云う病気が発明されてから以後の事だよ」
「成程君などはどこから見ても神経衰弱以前の民だよ」
 何度読んでも、笑ってしまう。
 鳥居みゆきもかなわない。
 いや、鳥居みゆきも素晴らしいけれども。