extra innings

2017-05-04

納豆もなかの思い出

小4の口に給食押し込み、嘔吐させる 50代教諭 富山 - 朝日新聞デジタル

この話を聞いて思い出したのが納豆もなか。

僕は食べ物に関しては好き嫌いが無いというか、子供の頃を思い出しても「特に好きではないが食えないわけではない」レベルがせいぜいだったので、給食で苦労したことはあんまりない。

あ、でも、と思い出したのが納豆もなか。

僕は福岡市出身なので、そもそも納豆はそんなに食べない。どういうわけか父は納豆が好きだったので(それも大粒のやつ)、父は納豆を食べていたが、無理して食えと言われた記憶もない。好んで食べないだけであって、食べられないわけではない。朝定食などについていれば普通に食う。

ただ、納豆もなかだけは話は別で、中身が納豆だというだけならばともかく、半冷凍状態で、たれもからんでおらずパサパサで、給食で出た時に食べたところ、冗談抜きでえずいて物理的に食べることが出来なかった。

「出されたものは遺さず食べましょう」というなら給食でキワモノは出さないで欲しいよな。

まあ、うちの学級はそこまで「食育」に厳しくなかったので、納豆もなかが出された時は友だちの和久くんに食べて貰っていた。和久くんは気がいいのと食いしん坊以外はとりたてて取り柄のない子だったけど、給食では最終処分屋としてヒーローだったなあ。


記事の話はひどい話だけど、先生だけ責めるのも違うような気がする。

僕は面倒くさがりなんで、誰が何を食おうがどうでもいいと考える人だけど、そういう人も多々いる中で、先生が口うるさく指導するとすれば「ちゃんと指導しなさい」というプレッシャーがあるんだろう。そういうプレッシャーが必要かどうかということを考える必要があるのでは、と思う。

まあ、実際問題、食べ物で好き嫌いが無い人が寛容な人になるかどうかと言えばそうとも言えないだろう。

食べ物の好き嫌いなんて無い方がいいに決まっているけど、どうするかは当人の人生だ。

僕は「極端にまずいもの以外はうまい」と感じる方なので、何を出されても「まずい」と否定から入る人の心理と味覚をまったく理解できないけど、プロの料理人になろうというなら後者の人の方が向いているだろう。

この件に限らず日本の教育現場善意が空回りしていることが多々あるように感じるね。

2017-03-01

三浦九段冤罪事件についての私の考えのまとめ

http://h.hatena.ne.jp/deztecjp/228182215462618911

こちらの記事で言及されたので返答と言う形で、私見を述べます。

まず、

・疑念を持つこと

・その疑念に根拠があるかと言うこと

・それをしかるべき機関に裁定を委ねるということ

・しかるべき機関に圧力をかけるということ

・疑念を公言すること

それらはすべて別個の話です。

今回の直接の契機である某弁護士(すでに記事は削除されているので匿名としておきます)の記事は、「当時の渡辺竜王が疑念を抱くだけの相当な根拠があった」ことを論じていますが、動機が本当にそうなのかは第三者には分からないことです。結果的に外形的に言えるのは、相当な根拠があったということを示す必要上、三浦九段が不正を行ったという論拠を提示しなければならないということです。その論拠の評価自体は人それぞれですので、それ自体が三浦九段の名誉を棄損し得るのは十分に予測できることです。

その弁護士のやっていることは正確に言えば司法的な意味における弁護ではありません。一方で、三浦九段が不正をやったかどうかについて司法的な判断が下されているわけではありません。

司法的な弁護活動として行われているのであれば私がどう判断しようとも少なくとも法廷においてはその弁護士の検証は擁護されるべきものです。その内容を公然とすることについてはまた別個の判断が個別にあり得るでしょうが、少なくとも「報道」としてそれを行うことはテクニカルには可能です。しかし裁判になっていない現時点では私人の言論活動に過ぎません。名誉棄損は免れ得ないと思います(依頼者と協力者を含めて)。

論理上の話として言えば、三浦氏の不正を確信しているのであればまだ筋は通るのですが、三浦氏の不正がなかったということを受け入れて示す「当時の根拠」はそもそも根拠として成立していないということです。根拠として成立していないことを当人らが認めているのですから、当時においても客観的蓋然性はなかったというしかありません。当時における蓋然性を否定し得るような新事実が出てきて、それによって主張が覆されたというわけではないのですから、当時における蓋然性自体が蓋然性の要件を満たしていないと評価するしかありません。その蓋然性が無かったものを蓋然性はあるという形で提出することそれ自体が、あたかも蓋然性があるような行動を三浦九段がとっていたと示唆することになり、これを名誉棄損でないと判断されるのであればむしろそちら側の論拠があやふやだと申し上げるしかありません。

さて、類証として示されている小沢一郎の件ですが、当時野党第一党の党首で次期首相であることがほぼ確実であった小沢一郎が非常に強い、ほぼ無制限と言ってもいい公人性を持っていたのは明らかです。三浦九段も有名人である以上、純粋な意味での私人ではありえませんが、一棋士と次期首相となることがほぼ確実な公人とでは公人性と公益性において大きな差異があるのは自明なので、この時点でそちらの挙げておられる類論は却下されるべきものですし、実際にもし裁判になればほぼ確実にそう判断されるでしょう。政治家、特に国会議員、特に政党要職者、特に次期首相候補に対する言論の自由はほぼ無制限に保証されるべきものだからです。安倍首相に対しても私人に対しては確実に侮辱罪、名誉棄損罪になり得るような発言はメディアを含めて多々ありますが、法律的にもそうした発言は守られています。守られていない国もお隣にあるようですが。

公人と私人の区別について緻密に論考なさっておられるようにはとても見えません。

さて、私見を言えば別記事でも述べたように、私は三浦九段がシロだとも思っていません。クロだとも思っていません。

本当のことは当人にしか分かりません。

極言すれば三浦九段が不正を行っていようが行っていまいがそんなことは大した話ではありません。問題は、あやふや根拠冤罪を作ることであって、第一の責任は日本将棋連盟と当時の会長である谷川九段にあります。

しかしそれで他の人の責任が却下されるという話ではありません。

一般の「ランク」と違って、一番わかりやすく名誉棄損の要件を満たしているのは橋本崇載八段です。もし刑事事件になったとしても、処罰される可能性があると見ています。久保利明九段は「偽証」があったわけですから、日本将棋連盟との間では賠償請求云々や処罰はあり得るかも知れませんが、三浦九段との間では公然と行った名誉棄損行為は現時点では認められていないので、留保が必要かもしれません。渡辺竜王については連盟の内部調査で「圧力」が証明されない限り、週刊誌取材についても受身的に応じただけであり積極的な公然性がないと主張することは可能かも知れないと思っていましたが先日の弁護士怪文書でまた事情が違ってきました。

とにかくあの文書は三浦九段に対してと言うよりは渡辺竜王に対する悪手です。刑事事件専門の弁護士がそんなことが分からないはずがないと思うのですが、東大将棋クラスタのインナーサークルが暗躍しているのかしらと片上前理事のことを合わせて考えればそう思ってしまうところです。谷川兄氏のこともあるので、現時点では保留していますが。

とにかくそうした「関係者」の処分について、私が除名もやむなしと考えているのは、直接この事件の因果関係によるものというよりは、日本将棋連盟の今後のコンプライアンス上の対応を考慮してのことです。セクハラパワハラで加害者を懲戒免職/依願退職扱いにしなかったとしても、一般企業であれば被害者と加害者をそのまま同じ部署で働かせるということはまず考えられないことです。どちらかを異動させるか、被害者が結果的に辞めることになったとしても慰謝料に上乗せするか、そういう対応を取らざるを得ないでしょう。日本将棋連盟は一つしかありませんから、三浦九段が「転職」するのも不可能ですし、今後、関係者と対局しないということも不可能です。三浦九段が自分を嵌めようとした者たちの顔も見たくない、顔を見ればストレスで実力が出せないと主張したとしてもそれはもっともなことなので、特に日本将棋連盟は加害者として三浦九段のケアにあたらなければならない時に、そうした事態を避けようと思えば加害者側を除名するしかないのではないでしょうか。加害者側が誠心誠意謝罪をすれば三浦九段共存を模索する余地もでてくるでしょうが、先日の怪文書の例を見るにつけ、どうもその余地もなさそうです。

2017-02-08

佐藤康光日本将棋連盟新会長就任を受けて

つい、佐藤モテ光、と書いてしまいそうだが、三浦九段の、冤罪事件、と言っていいだろう、この事件の余波を受けてモテ光丸は嵐の船出となった。どれほどの労力を割かなければならないのか、まさに火中の栗を拾ったという感じであり、今期の順位戦の成績が芳しくないこともあって、おそらくA級から陥落するだろう。

誰にとっても悲劇的な事件だった。一番気の毒なのは先輩の中に放り込まれてややこしい事件に関わらざるを得なかった佐藤天彦名人ではなかろうか。糸谷前竜王竜王位を防衛していれば避けられていたのかも知れない。言っても詮無いことだが。

三浦九段が不正をしていたかどうか、それは当人にしかわからない。不正をしていたとしても、客観的な証拠は挙がらないだろうし、不正をしていなかったとしても、完全な潔白を三浦九段当人でも証明は出来ない。だがそれは最初から分かっていたことである。まさしく、羽生三冠のいうとおり、どうなっても灰色にしかならない、そうである以上推定無罪という対応しかありえない。

社会人なら五秒で出来る判断である。渡辺竜王告発は無理筋だなと。

棋士ならぬ身であれば棋士直観は分からない。今回、告発に動いた棋士が一人二人ではなかったことから、棋士直観としては相当なクロという心証があったのだろう。だがしょせん直観でしかない。

日本将棋連盟法治国家における法人であるから、心証などで動けるはずがない。子供でも分かる理屈だ。

それを動いてしまったのだとしたら、谷川前会長や他の理事たちの責任は非常に重い。谷川前会長は私が一番敬愛する棋士なので、こういうことになってしまって本当に残念だ。人格的には米長前々会長は谷川さんの足もとにも及ばないが、あの人ならば少なくともこういう勘所で判断を間違えることはなかったはずだ。片上大輔常務理事をやっていて、東大法学部を出ていながら一体何を学んだんだろうか。もともと高くなかった私の中の片上株がストップ安である。

そもそも渡辺竜王は三浦九段を嫌っていたし、公言して批判もしていた。その批判の内容は若手に勉強会での成果を聞き出すのはいかがなものか、というものだったけれど(文体はもっと激しかった)、聞き出して何が悪いのだろうとしか私は思わなかった。棋士が強くなるために努力して何が悪いのだろう。やれることはやるべきだ。もちろん若手に圧力をかけたとかならば問題だけども、そもそも若手だからとちぢこまるような将棋界ではなかろう。三浦九段よりも10歳も年少の渡辺竜王がそもそもあれだけ無礼な口を叩いたのだから、若手への圧力など無いに等しい。

私は渡辺竜王の言は言いがかりでしかないと思うが、棋士の姿勢としては支持する人もいるだろう。棋士観が根本的に違っているということだ。

渡辺竜王の正義感覚から見れば最初から三浦九段は真っ黒に見えていたはずで、好き嫌い個人自由だとしても、相当な圧力を加えて将棋連盟を引っ張ってしまった。

このことについて渡辺竜王らの責任が不問に付されることがあってはならない、と私は思う。

単純に言って今回の件はすでに冤罪として決着している以上、三浦九段冤罪に追い込んだ人たちと「職場で顔を合わせる」ことを日本将棋連盟が三浦九段に強要することが出来るかどうかと言う話である。

日本将棋連盟第三者ならばともかく、今回は過失を行った当事者である。

渡辺明竜王島朗九段久保利明九段橋本崇載八段あたりはコンプライアンス上、除名処分にして将棋界永久追放にしなければ収まらないのではないか。彼らが残留できるとすれば、三浦九段当人から赦しを得た場合のみであろう。

2016-11-12

2016年アメリカ大統領選挙結果考

まず大前提とするべきなのは、今年が共和党にとっては奪還年にあたるということだ。第2次大戦後、民主・共和両党は基本的には規則正しく8年交代で政権を担当してきた。この流れが乱れたのはいずれもレーガン絡みで、1980年民主党の再選年であるにもかかわらずカーターを破って共和党政権を得たのと、1988年、民主党の奪還年であるにもかかわらず、激しく高まったレーガン人気の影響を受けて、レーガン政権下の副大統領であったブッシュ・シニアが当選した、この2回しかない。

今日、レーガンは国父扱いされているのだが、カーター政権の異常なまでの無能さとレーガンのカリスマがあってこそ、レーガンはルーチンを乱してホワイトハウスを獲得したのであり、普通の政権と普通の対立候補ならば、奪還年には奪還すべき政党が勝つ、それはよほどのことがなければ覆らない。

つまり、今年は共和党が普通の候補を出してくれば、ヒラリー・クリントンが勝つ見込みはまず無かったのだ。今回は結果としてトランプが勝ったけれども、得票数で競り負けているように、トランプは決して強い候補ではない。

私は以前、「トランプが共和党候補になって一番喜んでいるのはヒラリー民主党首脳陣」とブックマークコメントで書いたが、曲がりなりにも「ヒラリー優位」の構図が作り出せたのは、相手がトランプだったからである。そうでなければ、ヒラリーに対する拒否感情の大きさを思えば、ヒラリーには万に一つの勝利の可能性もなかった。

ヒラリー敗北の印象が強いが、実際にはポテンシャルに比してかなり善戦したのである。

トランプに対しても大きな拒絶があったのは確かだから、ヒラリーが勝つ見込みはかなり高かった。少なくとも予備選挙の段階ではそう考えられた。

私がこれは潮目が変わったと思ったのは、共和党予備選挙で、有権者がかなり増えていたのを見た時だ。各候補ごとの得票比率にしか焦点があてられていないが、全体のパイが大きく膨らんでいたのだ。つまりこれはトランプが新しい支持層を開拓した、通常であれば選挙にはいかない層を掘り起こしたということであって、その人たちは当然、本選挙にも行くはずである。民主党予備選挙ではそこまでの膨らみはなかった、つまりサンダースは、従来の若年有権者を支持層としてまとめたが、票田を新規開拓したわけではない。

トランプが勝つ見込みがかなり強まったと思ったが、それでもヒラリーが逃げ切れるのではないか、そう思いたかった。

後から見れば、もしヒラリーに勝機があったとすれば、サンダース副大統領候補にすることだった。そうすれば少なくともサンダースの支持者を取りこぼすことはなかっただろう。ケインを副大統領候補指名した結果、ヴァージニア州を得られたのだから(南部連合首都州である!)それだけを見ればそこは正解だったように見えるが、その結果、ラストベルト諸州を落としてしまった。

民主党の絶対地盤西海岸首都ワシントンイリノイニューヨークマサチューセッツニュージャージーメリーランドコネティカットデラウェアロードアイランドである。ここはそれこそレーガン級のカリスマでも出ない限り、民主党が取りこぼすことは「絶対に」考えられない。これだけで185票。後85票を積み上げればいいわけだが、通常は民主党地盤の、コロラドニューメキシコミネソタウィスコンシンペンシルベニアニューハンプシャーハワイを固めれば、オハイオヴァージニアフロリダアリゾナのいずれかを得れば勝つ。サンダース副大統領にしていれば、防衛しなければならなかったラストベルト諸州で勝てる見込みが出ていたし、そうなればオハイオヴァージニアノースカロライナでも勝てていた見込みがある。

そういう意味では、ヒラリーの敗因は、ウィスコンシンミシガンペンシルベニアを落としたことだ。ヒラリーは守りの選挙をやるべきだったのを勝ちに行ったのが間違いだった。これに限らずヒラリーには絶望的なまでに、政治センスがない。この人は本質的には活動家であって、政治的な能力がとても低い。私は彼女を有能だと思ったことは一度もない。

彼女が長らく「アメリカ女性第一人者」の立場にあったため、もっとふさわしい適任者、例えばオルブライトやコンドリーザ・ライスらが、前に進めなかったのはアメリカ女性にとっては不幸なことだった。彼女は「ガラスの天井」を持ち出し、女性であるために地位を得られないかのように言うが、女性であることはある程度のスター性も保証することであって、諸外国、アジア諸国でも女性指導者は出現している。韓国フィリピンが、アメリカよりも進歩的と言うことはあるまい。ヒラリーは女性でなければここまでは来れなかっただろう。

ヒラリーの敗北は彼女の退場を促すという意味では、この選挙戦で得られた唯一のポジティヴな結果である。

2016-08-27

高畑裕太が犯した性犯罪について思うこと

あー、やっちゃったか、というのが周囲の正直な感想だと思う。いつかやりかねないと思ってた、と。

純粋と言えば純粋なんだろうけど、どこか善悪の判断が弱いような、善悪の基準を持っていないような、そういう危うさが彼にはあった。それを愛嬌だけで乗り切ってきた、というのが彼のすごいところなんだけども。

僕は彼には何の同情もないけども、ちょっと普通の人ではないと思う。ここでいう普通でないというのは、障害者寄りではないか、ということだ。母子家庭で育って、母がいて、姉がいて、男の子が一人で、男子として考えても普通は性犯罪には走らないと思う。他の男子がそうなるとしても、彼の立場ならそうはなりにくいと思う。

人間はしょせんは他人は他人だから、まして異性であれば、衝動があれば相手の人格が見えにくくなるということは程度としてはあり得る。でも、母がいて、姉がいて、男として家族を守らないといけない、そういう気持ちになるのが普通だろう。そうならなければならない、という話ではないよ。そうなってしまう、という話だ。女性を、人間として見ることができる、男子としてはそういう立ち位置に彼はいたはずだ。彼の立場だったら性犯罪から母を姉をどうやって守るのかというのがテーマになるはずで、自分が性犯罪を犯すなんてあり得ない。僕は母子家庭の出ではないけれど、母がいて姉がいるので、特に姉は若い時はそこそこ綺麗だったので、わが身を顧みて野獣のような男たちからどう守るかということを気にかけないことはなかった。その眼で他の女の子を見ればその女の子は誰かにとって同じようにかけがえのない娘であり、姉であり、妹であり、とても「モノ」のように扱えるはずがなかった。

母子家庭の末っ子長男ってのはこれまで何人も見てきたけれど、高畑裕太のように、その影響が全く見受けられないというのはかなり特殊な人格だと思う。

そこが危ういな ― と僕は思っていた。

そもそも高畑淳子も売れた時期が遅い。名が知られ始めたのは金八先生くらいからで、高畑裕太はたぶん中学生になるくらいまでは、母親の名前を言っても周囲は誰も知らなかったんじゃないかと思う。だから甘やかされたボンボンというのともちょっと違う、そういう境遇にはなかったはずだけど、それでいて、見事に甘やかされたボンボンにしか見えないというのも、それがいいか悪いかは別にして、相当に特殊には違いない。

そういうことを考えると。

決めつけるのもよくないけれど。

教育とかしつけでどうこうできる代物ではない。人は、子供は、様々だ。教育でどうにかできるなら、犯罪を犯す人なんて一人も出てこない。

高畑裕太という人が、育てるうえでかなり手間がかかる、相当に難しい人であっただろうことは想像できる。

親の責任がどうこう、という前に、これはきっとお母さん相当苦労したんだろうなという感想しか浮かばない。

親の責任で言えば22歳なんだから、まったくないというわけにもいかないだろう。これが30歳とか40歳ならともかく、成人してまだ2年、大学に行っていたら卒業もしていないような年齢、40歳の男が犯罪を犯したのとはわけが違う。

それでも、彼を育てるのはかなり難易度が高い仕事だったろうな、と思う。特に母親一人で。

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