extra innings

2016-05-18

立法府の長

安倍首相が自分は立法府の長だ、と発言したことについて、当然、批判が出ている。制度的には彼は行政府の長ではあっても立法府の長ではないのだから、当然ではある。

ただ、議院内閣制にあって、内閣総理大臣内閣総理大臣として行政府を掌握し、与党党首として立法府を掌握しているのは制度的な実態なので、実質的には安倍首相立法府の長、というか立法府において一番影響力のある個人というのは間違いない。

議院内閣制というのはそういう制度なのだから。

そういう実態があるときに、名目でいや立法府の長は国会議長であり云々とくさすのはクイズ的、腐儒者的退廃に見えなくもない。三権分立云々を言うならば、議院内閣制はそもそも三権分立を徹底していないのであって、虚構的な三権分立にのっとって安倍首相の発言をやいのやいのと言うのも、知的退嬰にしか見えない。そういう人たちは国家制度というものについてきちんと考えてみたことがあるのだろうか。

日本国憲法の基本の設計思想は、国会は国権の最高機関と規定がある以上、国民公会的な議会独裁を念頭に置いている。そもそも三権分立は補助的な意味しか与えられていない。

問題は、国会が主であり、内閣が従であるべきであるのに、内閣総理大臣国会議員の中から国会指名によって選出される規定があるためにかえって、一人の人物が行政府立法府の双方を支配することになり、その人物の前において国会が従になる、つまり内閣国会が従う構造が実態として出現することだ。

こうしてみると議院内閣制における首相は、大統領制における大統領よりもはるかに強大な権限を持っていることになる。実態として存在もしておらず機能もしていない三権分立金科玉条のようにあたかもそれがあるかのように泣き叫ぶ者をインテレクチャルとはとても呼べない。

2016-05-03

小遣い制の話

家計管理。うちの場合は、共稼ぎ、子供なし、なので、状況的には特殊かもしれない。生活費は折半、貯金、保険、投資の部分は話し合って、合意できる分については、それぞれが「支出」し、そこから更に残る分については当人の自由でやっているので、当人の自由の範囲内で何を買おうが何をしようが気にもならない。

自分が稼いできたものではないカネについて、キリキリして怒ったり不機嫌になったりすることほど醜悪なことはないと思っている。家計を完全にひとつにするということは、好むと好まざるとにかかわらずゼロサムゲームに巻き込まれることになるので、醜悪な感情に巻き込まれるリスクを負うことになる。

イラク油田クウェート油田が地下でつながっていて、クウェート原油を増産すればイラクの取り分が少なくなってその不和が湾岸戦争を招いた、みたいなことになるわけだ。

自分の親であれ配偶者の親であれ、親が困窮しているならば子が援助するのは当然だ、と僕は思うが(まあ、普通の親子関係の場合はね)、それですら配偶者の反対で出来ない、という例は結構あるようだ。人の情として、切り捨てられるはずもない相手の親を含めて抱え込む覚悟がないならば、何のために結婚していているんだろうか。いや、持ち家のローンがあってとか、子供の学費がとかそれなりの理由はあるのだろうが、家族の誰かが困窮している時に、家を持ったり子供を大学に行かせる必要があるのだろうか。優先順位が狂っているように思えてならない。

うちの場合はそういうわけだから、もし離婚するとなれば財産的にはわりっとすっぱりと分けやすいのだが、これは同級生同士が結婚して(つまり同年齢)、子供など共通して支出すべき案件が少ない世帯だから出来ることかも知れない。逆に言えば家計が基本的には分かれているため、経済的な理由からはわざわざ離婚するようなトラブルも起きにくいのだが。

専業主婦は経済的には自立していないのだから、社会的にはかなり不利な立場になりやすいのだが、おそらくそれを補填するために、日本では家計の全権を主婦が掌握することが多い。日本人女性と外国人男性が結婚した時にトラブルになりやすいのがこの家計の管理権の所在であって、外国人男性は「どうして僕のお金をキミが管理するの?」と思うらしい。僕は日本人だがまったく同じことを思う。

フェミニストは、家計管理権を掌握する専業主婦、というわりあい日本独特の風習を、「面倒なことを押し付けられているだけ」という被害者意識文脈で解しがちだが、さすがに無理がある解釈だと思う。以前、テレビで専業主婦の女性が泣きながら、「家計管理を夫が任せてくれないのです」と訴えていた時に「それはひどい」という雰囲気になっていた。妻として尊重されていない、という不平不満になるほど家計管理権は既得権益なのであり、日本の専業主婦が歪だと思う一つの理由だ。

カネを管理したいならば働けよ、と思う。この、妻が働かない問題も外国人男性と日本人女性との結婚では争点になりがちなテーマだ。

まあ、小遣い制の話も、日本的専業主婦制度も、日本独自の歴史的な経緯からそうなっているわけで、ただ、男女共同参画社会では従来型の専業主婦モデルはロジック的には維持できないのだから、まずもって女性の側が意識を変えるべき問題だと思う。

2016-02-27

虐待と躾の間に

ヴァイオリニスト高嶋ちさ子氏が、躾として子供の携帯ゲーム機を破壊した件について、そしてそのことをむしろ誇示して新聞に寄稿した件について、それは虐待だろうという意見が多いが、そこまで言い切れるものか、ちょっとどうかなと思う。

私自身の事で言えば子供や女性を殴ったこともないし(自分自身が子供であった時の子供同士の喧嘩は別である)、他人のものを破壊したこともない。母親からは叩かれた経験は何度もあるが、そこだけを抜き出して虐待と言われればそれは違うだろうと思う。父親からは殴られたことはない。

私はきちんきちんとした人間ではなく、まして子供の頃は末っ子で甘やかされていて、だらしなかったので、片付けなさいと言われて片づけない、もう寝なさいと言われて寝ない、遊ぶのを止めなさいと言われて止めない、等々の聞き分けのなさは存分に発揮してきたのだが、だからと言って私の大事なおもちゃを親が破壊したり捨てたりしたことは無かったと思う。

もしそれをされていれば、ショックだったのは間違いない。それをされていたとしても、自分がいけなかった、次からはちゃんと親の言うことを聞こう、と思ったかどうか、たぶん思わなかったのではないだろうか。ただ、それをされていたとしても親は親であるし、一生引きずるようなトラウマになっていたかといえばそうとも言えないとも思う。

殴るのはさすがにどうかと思うが、子供がききわけがないならばおもちゃを捨てるくらいのことはする親はむかしは普通にいた。

私が高嶋氏の言動を見ていて思うのは、法三章みたいな思考態度だな、ということだ。世界観が単純だということだ。それはおそらく彼女の、ある種の清々しさとなって、魅力の一部になっている。だが子供と付き合ってつくづく思うのは、子は思う通りにはいかない、ということだ。理屈とか価値観とか、自分としては譲れない部分であっても、譲らないことにはどうにもならないことが多々出てくる。そのある種の諦めを知るということが、成長というのだと今は思うのだが、高嶋氏のかたくななこと。よほど子供の出来がいいのだろう。

高嶋氏の子供は生まれた時から高嶋氏の子供なので、高嶋氏の子供のプロであろう。こうすればこうなるということは重々分かっていたに違いない。

それでも禁を破って、ゲームを途中で止められなかったのだ。

よく分かる。

私も徹夜でドラクエをしたクチなのだから。

自分自身の弱さを思えば、そうそう強くは出られないだろうと思うのだが、高嶋氏にはその弱さを経験した、経験値が少ないのかも知れない。

私が小学生の時にファミコンが発売されて、世の中にこれほど面白いものがあるのかと、まさしく震撼した。

しかしおそらくその頃、高嶋氏は高校生くらいだったはずだ。

子供としてゲームに触れることもなく、子の親としてゲームに関与することもなく、言ってみれば1968年生まれ前後が日本で一番家庭用ゲーム機に縁遠い世代であったのかも知れない。

ずいぶん長い間、ゲームに触れなかったはずだ。

彼女からすればゲームとは、もやもやとした、何か危険なもの、であるのだろう。

高嶋氏が親として「きつい人」であるのは確かだが、それをそのまま虐待とみるのは少し違うような気がする。これは想像力と、もっとテクニカルな問題だ。

子供にペナルティを与えるにしても、「段階を踏んで」行う、例えば今日ゲームを決められた時間内で終えられなかったら、明日はやらせないとか、こう、もう少し穏やかなやりようがあるはずなのだが、彼女の苛烈な世界観は、その穏やかなやりようを「賛同はしなくても学ぶ」ということを怠らせてきたのだろう。

今回のバッシングは、少し行き過ぎと言うか、解釈が違うような気もするが、彼女がもう少し妥協することを学んだならば、この騒動も結果的には、彼女のためにも、彼女の出来のいい子供たちのためにも、プラスになるだろう。

2015-11-17

ブログ凍結

FCブログで歴史寄りのブログを書いていたのだが、もう何年も放置していて忘れていた。先日思い出して行ってみればなんと凍結されている。

アカウントの方から入ってみようとしたのだが、なにやら「規約違反」をしたらしい。したらしい、と言ってももう何年も使っていないアカウントだ。何かの間違いだろうとは思うが、わざわざアカウントを復活させるほどのこともない。こうやってネット上のブログが知らないうちに死んでいくこともあるのだな、と思った。

2015-07-15

竹内まりやの「駅」という歌に、

今になってあなたの気持ち

初めて分かるの 痛いほど

わたしだけ愛してたことも

という部分があるのだが、このラストのフレーズ、二通りの解釈があるようだ。

「付き合ってた頃は、あなたの愛が信じられなかった。あなたは私を愛していないと思っていた。だからあなたを責めて、結局別れてしまった。今こうやって時が過ぎて、偶然にあなたを見かければ、初めてあなたの気持ちが分かる。あなたは確かにわたしだけを愛していたのだと」

という解釈と、

「あなたは優しくて、私にあわせてくれていただけ。私は愛し合っていると思っていたけど、今、時が過ぎて、振り返ってみれば分かる。愛していたのは私だけ。ただ空回りしていただけだったんだと」

という解釈がある。

僕は、何の疑問の無く後者の意味だと思っていたが、前者だという人も多い。

というか竹内まりや自身は前者の意味で書いたらしいのだが、それならこんな紛らわしい書き方をするなよ、と言いたい。前者の解釈は、悔悟、というニュアンスがあってそれはそれでいいのだろうが、後者の解釈の方が孤独の悟りがあっていいように思う。

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