田母神空幕長、更迭

自衛官は国家公務員であり、国家公務員法による規制を受ける立場である。
国家公務員法第102条では、一般職国家公務員の政治的行為を禁止している。
2004年社会保険庁職員が休日中に、保険庁の管轄外で共産党のビラを配布していたところを警視庁公安部によって同法違反の容疑で逮捕されている。
同法による規制自体は猿払事件最高裁判決によって合憲とされているが、政治活動が国民の本来的な権利であることを鑑みれば、異論ももちろんあるし、相当に注意深く運用される必要があるのは確かだ。
私自身は公務員の政治的中立性の保持を重視してはいるが、それは公務員が中立性を毀損した時に、他の国民の政治的利益が重大な危機に直面するがゆえにそうなのであって、社会保険庁職員のケースのような場合は、どのような意味においても、国民の政治的利益が毀損されているとは言い難い。
私としては明らかに拡大解釈による違法逮捕、と評するよりないが、公務員は私的な場面においても、政治的な行為には関与しない方が望ましいとは言える。
従って、公務員である教職員の、憲法秩序を支持していないと考えられる行為、具体的には国歌斉唱なり、伴奏の拒否には少なくとも「望ましくない」という考えは示してきた。まして生徒を「たきつける」言動があったならば尚更である。
ただし、公務員であっても国民としては思想信条の自由を本来的には保持しているのは明白なので(一方で職業選択の自由もあるわけだが)、運用の必要性と当人の切実さを勘案して配慮する必要はあると思う。
田母神空幕長の今回のケースでも、「望ましくない」のは確かだが、国家公務員法による違法、とするまでは、拡大解釈と言うよりない。
このブログでもかつて取り上げたことがあるが、この人物はこれまでも「とんがった」言動を繰り返してきた人で、空幕長として自衛官に訓示を与える場面で「戦後教育批判」をしたこともある。
そのケースの方が、人事院規則の定める、
・政治の方向に影響を与える意図で特定の政策を主張し又はこれに反対すること
・国の機関又は公の機関において決定した政策の実施を妨害すること
に広義においては反していると考えられ、処分をするにはより適当な事例だと思われる。
ただし、Shu's blog 雌伏編氏に拠れば、自衛隊の内規には、こうした対外での言論活動には事前に許可を得ておく必要があるそうで、直接にはこれを理由とした処分となるよう。
立場上、内規を知らなかった筈もないから、田母神幕僚長は確信犯というしかなく、以後は言論活動に軸足を移すおつもりかも知れない。
ただ、もし、教職員の国歌斉唱拒否が思想信条の自由の問題と絡められて問題視されるべき理由があるのであれば、当然、自衛隊のこの内規についても、その余地はあるだろう。
自衛隊の場合は、国防上の機密保持義務とも関わってくるのだが、明らかに単なる政治的な主張や、公然たる事実のみを踏まえている場合は、やはり、この問題は生じる。
私自身は先述したように、公務員の政治的中立性をわりあい重視しているから、この件に関しても、内規を理由としての処分もやむなしと考えるが、教職員の国歌斉唱拒否を支持した人は、当然、田母神氏の処分にも反対するのだろう。
しないとすればどのような理由でしないのかを注視したい。
いずれにせよ、常識的には田母神氏の言動は理解し難い行為である。
氏のような人が、公務員組織の最上層部に食い込むことは非常に困難であるように思われるが、現に食い込んでいたという事実に非常に危ういものを感じる。
氏は最初から政治家を目指すべきだった。公務員や、公務員を目ざすような人は、氏の如き「信念の人」であってはならない。
ただ、公務員の中立性の保持も、他とのバランスで考慮されるべきで、日本が国の形として小選挙区制度をデフォルトなものとするならば、このあたりも将来的には国益を加味して変更していく必要はあるかも知れない。
もちろん公務員の「職務」として政治的であるのは論外であるにせよ、私的な場面における言動まで規制を受けるのは、はっきりと違法とするべきやもしれず、公務員の公職兼務は容認していくべきかも知れない。
西欧の小選挙区採用国は幾つかがそのようになっている。
小泉元首相は「政治家は使い捨てだ」と喝破したが、小選挙区制度はまさしくそのような制度である。
政党の議席が400議席から200議席に半減以下するようなことも珍しい例ではなく、極端な例では1993年、カナダで単独与党だった進歩保守党が、選挙前議席169議席のうち、167議席を失うというようなことも起きている(これはかなり特殊な事例だが、稀に起きることだ)。
政治家や政治家志望者の人材確保のためにも、公務員についても、しばりを緩くしておく必要があるが、これは将来的かつ、この件とは直接は関係のない話である。