オオカミ再導入の必要性について

僕がオオカミ再導入を支持しないわけ - ならなしとり
オオカミ再導入と聞けばマングース導入の失敗を思い起こす人がたくさんいるだろう。外来種の安易な導入の結果、生態系が脅かされている状況は日本にもあるし、特にオーストラリアはそうした失敗例で満ちている。
しかし、オオカミとマングースは生態系におけるキーストーン種かどうかという点で決定的に違っている。
「また生物学者が安易に外来種を特定種の駆除のために持ち込もうとしている」
という見方はこの場合は完全に的外れである。
生態系の多様性の維持において、最上位捕食者が果たしている役割が致命的に重要であるというHSS仮説は数多くの実態と実例(イエローストーンへのオオカミ再導入など)を通して事実であると証明されてきた。沖縄におけるマングースやオーストラリアにおけるケイントードは最上位捕食者ではないが、オオカミはそうなのである。
一番著名な例として知られているのが、カリフォルニアからアリューシャン列島にかけての北米大陸西部沿岸部における狭義の最上位捕食者としてのラッコの生息数の劇的な回復が、ケルプの海洋森林の復活と生態系の多様性をもたらした例である。
一般に食糧となる被捕食物(植物や草食動物)の個体数の増減に伴って捕食者も増減し、全体としては調和点が維持されていると考えられているが、草食動物の場合は必ずしもそうではない。植物は動かないからである。つまりある一定比率でいると想定される捕食を免れる個体の比率が、植物の場合はほぼ捕食者の個体数によってのみ決定されている傾向があり、ある特定の被捕食に適した植物種が絶滅に至るまで、草食動物が減ることは少なくとも程度としては無い。草食動物の絶滅は、植物の絶滅の後に急激に訪れるのである。そこには調和点はない。
これが下からコントロールされた生態系の姿であって、現在の日本の森林はほぼそのような状況にある。
草食動物も、捕食される植物も同時に安定的に維持するためには上からの生態系コントロール、つまり肉食捕食者の存在が重要なのであって、日本の森林生態系において、大型草食動物に対して唯一そうした役割を期待できるツキノワグマ(九州では絶滅している)が、基本的には草食性が強いために、キーストーン種とはなりえず、キーストーン種の不在が続いているということなのだ(より簡単に言えばツキノワグマが肉食捕食者としては無能であるため、せいぜいがスカベンジャーとしての機能しか期待できないということである。しかしそれでも「間引く」程度であってもツキノワグマが捕食者としての役割を一定程度は果たしていることは無視すべきではない)。
オオカミの再導入は単に、増えすぎたシカやカモシカの駆除を目的としているのではなく、欠けているキーストーン種を再導入し、日本の森林生態系を安定させようという意図がある。
それはハブ駆除のためにマングースを導入したこととはまったく意味合いとその効果が異なっているのだ。


ただし、その意味合いの妥当性の評価と、実際に政策としてオオカミを再導入するかどうかはまた別の話である。導入するとしてもどのオオカミを導入するのかという問題もあろうが、遭遇的な稀少例とは言え、オオカミが人間を傷つける可能性はむろん、無くはない。オオカミが積極的に人間を攻撃する、人間を捕食しようとすることは考えにくいが、状況によってはそういうことももちろん考えられる。
そのリスクをどう評価するのかという問題がある。
ただ北海道にはより攻撃性が強いヒグマと人間が一定地域で共存しているという実際の例もあり(人間がヒグマに積極的に捕食された例が数多くあるにもかかわらず)、ではヒグマをすべて駆除しようという動きにはなっていない。
それと比較するならばオオカミのリスクはその用心深さや他地域の例で考えるならばはるかに軽微であり、リスクとしては甘受可能であると私は思う。
もちろん甘受できないという人も多数いるだろう。
しかしその場合、そもそも捕食者の不在が生態系の危機を招いているという観点からすれば、オオカミが不在であるならば、人間がその役割を果たす必要がある。猟友会の活動のような趣味的な捕食圧が不十分であり、限界があるのであれば、環境省が主導して、生態系を調査したうえで、積極的にシカやカモシカを間引いていく必要がある。
当面、それが現実的かつ妥当な方法ではないだろうか。