http://d.hatena.ne.jp/ito_kei/20111126

もう一年以上たってましたが、鳥の見た種数(初見の鳥をライファーと呼ぶそうな。見た鳥リストがライフリスト)が298で大台目の前というの。
やっと、299まで来ました!


299種目はカラムクドリでありました。
青い目!きれいだなあ!
行って結構すぐに見えたし!



もともと前日記通り、種数にはほとんどこだわりを持っていないのですが、きりのいい数字、いわゆる大台ってことでなんだか気持ちは盛りあがりますが、やっぱり伸び悩んでます。
次の記念鳥は一体いつ、何になることか。



「あと見ていないのってなんだろ」と思ったものの、鳥図鑑は既に早々に段ボールにしまってました…(引っ越し準備で)
まあ、そんなもんです。




珍鳥の話は聞くけども、ミルワームで既に餌付けされているという言葉を聞いたら…行く気になれなくなってしまった。
愛知でも、ちょっと頑張れば行ける距離で珍は出ていると聞くけども
こちらもそうで、既に大砲(でかいレンズ)が囲んでいると聞くと、やっぱり行く気になれない。




ミルワームに依存しきっているとは思わないけど、やっぱり、なんだかヤダ
それを自然の、野生の姿と見えなくなってしまう
給餌すべてを否定は出来ない部分はあるけども、それって必要な部分なのかは何とも言い難い。
そう言う形でとどまってもらってる的意図もあるのかな(いずれ時期がこれば渡って行くだろうけど)
後は写真的にいいポジションに出てきてもらうためかな。



行ったら種数は増えるし写真もばっちりのは撮れるのだろうけど
「頑張って行ってくる!」というところまで気持ちが盛り上がらないわけです。
もっとごく近所だとか、誰かに便乗だとかなら、そりゃあ行くし行ったら行ったで見るし撮るけれど
なんだかな、というもやもやが取れそうにないです。





種数にこだわって群れの一羽一羽、珍が混じってないか探すとか、遠くに行くとか
それよりもゆっくりのんびり鳥が見えたらいい。
(それを否定している訳ではありませんよ。そういうことがあってこそ珍発見になるのは確かです!)
どこかに行ったから何種は見て来なきゃ!とか(これは昔やたら言われて嫌になった)
それよりも楽しみたい。
ついで的に数が増えたらそれは嬉しい。
いい条件で見えたり、ちゃんと写真も撮れたり、おもしろい行動が見えたり
元々そうだったのもあるし、すっかり本当にそんなスタンスなもので
増えないのも、納得かしら
まあ、いいか。