インターネットやめたほうがいい

ネットに書いてあることを Evernoteクリッピングして iPad でチェックしたって、特殊な職業についていない限りふつうの人間はそれを活用できないし、もし活用したとしてもまわりと差異化はできないし、っていうか勝てないんじゃないのって話。



インターネットやめたほうがいい。



インターネットで何か新しい画期的なプロダクトを作ってザッカーバーグになるぜー、とか言うのはまあ簡単だけど、「逆張り」って言葉しってますか。

みんながやってるのとはあえて「逆」のことをやってみるっていうアレです。
「猫も杓子もドラッカー!ビジネス、マーケに組織術!」ってなってる世の中でドラッカー読んだって、それぜんぜん意味ないでしょ。あったとしても「みんなの話についてけるようにする」ってくらい。中学生か。

ドラッカー読んでる暇あったらとりあえず自然科学の知識つけてみるとか建築に手を出してみるとか、人とは逆のことやったほうがいいんじゃないの

歴史を振り返ってみると、まあ歴史っていうのは力があるやつとか成功したやつが動かしてるんだなーってのはなんとなくわかることで、そういうやつって結局、まわりと違ったことやってたりする。

別にそれは「キチガイだから」「天才だから」「異端児だから」ってわけじゃない。いいよそういう夢みるの。超能力に目覚めて他人とは違う俺参上!とかいいから。中学生か。

彼らは結局他人と違うところをやった。だから注目もされたし成功した。

ブームが一周まわってくるみたいなのあるじゃん。今になってケミカルウォッシュが流行るとかそういうの。それと同じで、短い目でも長い目でも歴史をみると、逆張りのくり返しで進んでる感じはある。


たとえばちょっと前だったら「プログラミングは必修科目にしたほうがいい!」みたいなのあったけど、いまやプログラミングの重要さとか強さっていうのにみんな気付いて、ちょっと手を出す奴は手を出してる。意識の高い学生がWebサービスたちあげて企業に買収してもらうの狙ったりとかそういう。これちょっと前には考えられなかったことだよね。や、むろんプログラミングのすごさっていうのはあったよ。あったけど、とりあえず昔よりは周知されたのは現実だよな。


あれ?なんの話がしたかったんだっけ?いいやプログラミングの話は。でも逆張りって面から見るとプログラミングってもうぜんぜん逆張りでもなんでもないよな。いま何やればいいんだろう。って考えて私は人文書とか読んでる。これめっちゃいいよ。はてなダイアリーに書いたようなことって、そういう視点からの発想だもん。本に書いてなかったから書いた。あれに価値があると思った人は、おーという感じあるな。価値ないと思った人はそこまでじゃねーの。
まあいいや。


インターネットやめたほうがいいって話だ。


インターネットに書いてあることなんて、読まれやすく掴みやすく書いたようなもんしかない。いやこれは観測範囲の違いかもしれないけど、とりあえず「事実」としての情報を得るのはいいとおもう。だけどそんなん見たってしゃーないだろ。アイデア、アイデアがほしいんだろ?金稼げるような。

インターネットには未来があるドル箱やーっていうのはソーシャルゲームがボロ儲けしてるって「事実」からみんなわかることで、じゃあ自分はどうやって儲けるかって話だ。

ネット見てたって思いつくわけねーだろ。

そこにあるのはもう「既にあるもの」で、「インターネット」なんだよ。ソーシャルゲームは、まあゲームとしてはゴミだ。だけどそれをインターネットで無料で提供した。みんながもってる携帯端末で楽しめるように。

ネットに新しいエッセンス入れたってことでしょこれ。ゲームとしてはゴミかもしれないけどさ。でもたのしいわけよ。事実として金動いてるし。
ネットに書いてあることなんて既に「あるもの」で、新しいエッセンスでもなんでもないでしょ。


あとこれ一番のポイントなんだけど、ネットに書いてあることなんて、ネット見てる人間は、だいたい見てる。どういうことかって言うと、それ「みんなの話についていけるようにする」くらいにしかならないんじゃねーのってこと。

ネットとかいいよ。

ネットで何かしたいんだったら、ネットじゃなくて、その外側に目を向けてみたほうがいいとおもう。


これは私が思ったことで、意見でしかないし、「事実」じゃない。っつーか物事にはあらゆる視点があって、その視点の数だけ見え方が違うわけだから、「それはおかしい」っていうのは、まあおかしいわけなんだけどな。どーでもいいや。


ネットたのしいけど、私はもっとネットたのしくしたいから、たのしさを他のところから輸入したり、そこから着想を得てネットに還元したいと思ってる。

Tumblrは雑学を一気に覚えられる!とか言うけどさ、それ意味あんの?まあたのしいけどさ。たのしいならたのしいんですって言えよ。変に実用性ふりかざして自分に言い訳するのやめたほうがいいんじゃねーの。素直じゃないなー。


フィード食ってる暇あったら自転車で図書館行こうよ。「こういうの探してるんですけど」って司書さんに言えば教えてくれるよ。リファレンスサービスっていうのあって、まあちゃんと勉強して資格とってやってることだし。


あーでもいいや、みんなネットやってて。
言わなきゃよかった。これじゃ勝てないじゃん。
みんな図書館行くし。あーあーやだなー逆張りできなくなった。うーんどうしよう。


ネットでもするか。

人間はコンテンツでしかない―聴衆化する僕らと旧メディア化するネット

悪いけど今回はなかよしできない。いい加減堪忍袋の緒が切れた。

「人間はコンテンツじゃない!」と叫ぶのは、結局の所「人間は歯車じゃない!」と叫んでいるのと同じだ。
程度の低い感情論でしかない。

いいか、もう一度言う。


人間はコンテンツでしかない。


コミュニケーションによってコンテンツ力が高まる

おまえが何かのコンテンツに対して言及したとしよう。その時点で既にお前の発言も「そのコンテンツと同化」する。これがお前がコンテンツである大きな理由の一つだ。

俺たちがコンテンツに対して発言をしたり話題にしたりすればするほど、そのコンテンツがもつ温度は高まっていく。

ソーシャルネットワーク化したネット上では、自分でコメントを考えなくてもボタンひとつで「シャアします!」できるしな。さらに自分の友だちがそのコンテンツに対して言及してたら効果は二倍だ。気になるアイツが言ってるのって、ついついクリックしちまうしな。結局言及されたもん勝ちってこった。


誰かの発言からしかコンテンツに辿り着かない

しかも今のネットでは結局のところ、他人の発言とかアクティビティを見てコンテンツにたどり着くはてブ連携とかツイートボタンとかシェアします!とかな。これは前回のエントリでわざわざご丁寧に説明した。それ読んで。読まない人はそのまま騙されてて。どうせ読まないだろうけど。俺は知ったこっちゃない。

みんな能動的にネットウォッチなんてしない

だってだらだら見てるだけだから。テレビつけておせんべパクつきながらごろごろしてるのと変わんないよね。ユーザーストリームさまさまですよ。ぼーっと待ってるだけでおもしろいものは流れてくるじゃん。自分からdigったりなんてしませんよ。自動的に流れるユーザーストリームを死んだ目で見てるだけ。ネットサーフィン?そんな言葉ありましたねー。

ああそうそうネットウォッチ?それ業界の内輪ネタとどう違うの?芸能人とか政治家の悪そうなとこつっついたりプライベートな生活のこと聞いて喜ぶ人とどう違うの?所詮人間なんておもしろがるものは一緒だってか。普段政治家に対して「細かいところを叩くのはいかん、仕事で評価するべき」とか言ってる人見てますかー?きみもネットで炎上楽しんでるよねー?


どこからどこまで文脈が共有されているかわからない

多重化するクラスターによって、どこまでがひとつのグループなのかわからない。発言してもストリームに流されてゆき、全員が必ず見るわけじゃない。そういう環境ならこれはしょうがないこと。(ちなみにコミュニケーションのときに文脈が共有されてるとやりやすいし楽しいってことはわかるよな?「青いいよな」「いい…」みたいな。)

でもツイッターとかフェイスブックとか、結局みんなひとりごとだろ?「あーあー誰かランチいっしょにいってくれないかなーあーあー」っていう。はいはいコミュ障さん良かったですね。自己満足の承認が得られるね、おめでとう!

文脈が共有されづらい環境にいるからこそ、文脈が共有されたときには一気に燃え上がる





絶対的な話題は文脈を共有できる(地震・日食)

地震とか日食とか、"リアル"世界でデカイイベントが起きるとプチ祭り状態になる。

その理由は明らか。全員が文脈を共有できるから。ネットの出来事なんて炎上しない限りみんな知りませんよ、そんなことより「ゆれた?」ってツイートする方が楽しいだろ?あの非日常感を知らないとは言わせないぜ。世間話としては最高のネタだよな。え?みんなネットまで来てわざわざ世間話するのが楽しいんでしょ?ネットの世間を語る!いやーすてきですねー!


炎上しないと見向きもされない

だーからこそネットの出来事なんて、それこそ炎上でもして「ある程度みんなが文脈を共有できるようになる」「世間話として通用する」ようにならないと見向きもされない。だってみんな他の人の発言を見て何かを知るから。

リアルタイム、非リアルタイム、どっちでもいいけど、第三者間のコミュニケーションを見て俺たちは何かを知る。発言を誘発するのはなんだ?そりゃあおまえあれだ、「話のネタになる」「ついついツッコミ入れたくなるような」「大喜利せずにはいられないような」ネタだよ。


バイラルコンテンツをつくるしかない

あー、まあぶっちゃけコミュニケーションとかバイラルとか言わなくても「クチコミ」って言えばいいよな。そういうクチコミでどんどん広がるようなさ、がっつり広報のメソッドブチ込んだ、っつーか炎上要素ブチ込んだやつしか見られないわけよ。

だってそういう風な環境に俺らはいて、その環境を受け入れてるから


文脈をつくってくれる、みんなで話題にできるものが正解

みんなで大喜利したり石投げたりフルボッコにできるような、そういう共通の文脈を作ってくれるようなモノをみんなが求めてる。ヒャッハー火種だぜ!サツバツ!みんな祭りを求めやがる。しかも自分で何かやろうとはしない。誰かがやってくれるのを待つだけ。

いや別に悪くないよ?だってネットなんてそういうものだからね。なんだっけネットウォッチだっけ?はいはいかっこいいですねー、「くらえ俺の”観測範囲”!」ってかんじ?


1、コミュニケーションによってコンテンツが発展する。
2、さらに俺たちはコミュニケーション自体をコンテンツにしてしまう
3、しかも誰かによってなされたコンテンツに対するコミュニケーションを通してコンテンツにたどり着く


ネットにはコミュニケーションキチガイしかいない。他人の目から逃れられない。
誰かがお前を見ているぞ、お前も誰かのコンテンツ。ユートピアですね!



広告代理店とかそういうプロの得意分野

ちょっと前まで「コピーライトは死んだーうわー」とか言ってたじゃん、だけど今のネットってまさにここなんだよな。

具体例?ホッテントリのタイトルとかまとめブログのエントリタイトルとか。あとなんだ、とにかく「大量の情報のなかに紛れ込んだときに目についてクリックしてもらえるようなパンチの効いた文言」とか「とにかくなんか言及したり大喜利したくなるような名前」とかそういう。文章が書けない奴はインターネットで簡単に死んでいくっていったの、本当に言いたかったのはここですよ。非言語コミュニケーション?何言ってンスか。情報技術の発展からなる夢を見るのもいいっすけど、AndroidとかiPhoneですぐに表示できない画像とか動画とかウェブページとかなんてクソっすよ。小さい画面で素早くデータ容量も少なく大量に表示できるのは何?誰でも簡単にインターネット上に送信できるのは何?そりゃ文字だろ

でそういうプロがこれからどんどん流れてくるよなって話。だってバリバリ得意分野じゃん。今でこそノウハウまとめられてないけど、「コミュニケーションデザイナー」とかの肩書きになってソーシャル担当の人ガンガン増えてくるんじゃない?いや今でもツイッターのアカウント管理とかそういうのふつうにその道のプロの人がやってますけどね。

文言とかテキストの分野だけじゃないですよ。「人に見てもらうこと」を生み出すプロがどんどんこのネット環境にマッチするものを作って、俺たちはそっちに釣られていく。素人が輝けるネットは終わった。これからは上手な奴が勝つ。それはこのネット環境から見ると、必然のことだ。

民度が下がったネットはどんどんリアル化していきますよーリアルの人間に侵食されていきますよー。楽しいですね、新しい逃避先は見つかりました?


プロのウェルメイドな、ウケるような作品ばかり

ってな感じで、パッと見てすごいのとか人の目に止まるような、そういう「元々すっげーできる人」「元々わたしは有名人」みたいな人が投下したものしかスポットライトが当たりませんね。ああ、そういう人たちがdigってくれれば底辺コンテンツくんたちにも陽の目が当たるかな?でも底辺同士が頑張ってたって無理無理。だって無自覚なレコメンドくらいしか俺たちがコンテンツに辿り着ける方法なんて無いもん。それこそ星の数ほどコンテンツはありますからね。

っていうかユーザーID持った時点でその人もコンテンツですけどね。だってIDをもつということはもうコミュニケーションしてますよ?「私はここにいる」ってメッセージをみんなに送ってますからね。コンテンツつくるよりもまず自分のフォロワー増やして力つけないと。はいはいソーシャルソーシャル。


エンターテイナーを心待ちにするネット、でも自分はやらない

「みんなが話していて盛り上がっているところに途中参加する」のがナウいネットの楽しみかただろ?

聴衆化してますねー誰かが痛いことやってそれに偉そうな口でコメントしてふぁぼもらって楽しいと。いや楽しいよ?だって匿名掲示板じゃなくて今はIDを持ってますからね、自分は安全なところで炎の火をちょこっと借りて自分のところで焚き火すればいいわけだ。わーぱちぱち燃えてるねーって。きれいだねーって。


文脈が無いからテレビはおもしろくない

そうそう、お前らよく「テレビはつまらない番組ばかりだ、その点ネットはすばらしい」っていうじゃん。それって結局自分の好きなものだけ見れるからだろ?あと大量に情報が流れてくる中から興味のあるものだけ選べるからだろ。そりゃあおまえネットのチャンネルは無限だからな、無理だよ。

でもさぁ、それ以外にも「テレビには文脈がない」っていう理由も考えられるよな。ネットはずっと一定のノリとか文脈をチョイスできて、そのぬるま湯の上でずーっとぐだぐだしてられるじゃん。でもテレビって番組自体で文脈つくらなきゃいけないし、その上かなりの数の人間に向けて放映されるんだぜ?細かい欲求に答えてられねーよ。

たまたまつけたときに見栄えが良くてそこそこ見れればいーんだよテレビなんて。そういう消費方法してるだろ?


インターネットのテレビ化、初見で楽しめるコンテンツ

たまたまつけたときに見栄えが良くてそこそこ見れればいい”ものに食いついてるのってさあ、ネットでもそうだよな

だってテレビに対する欲望と今のネットに対する欲望ってほとんど一緒じゃん。とりあえず暇だから自動的に流れるのをチラ見してちょっと暇潰せればいいんだろ?それテレビと一緒じゃん

スマートフォンの普及も一役買ってるよな。ネットをみんながいつでもどこでもチラ見するようになった。チラ見するようになった人間が多くなったってことは、今までの「もしもしはクソ」っていうのはなくなるわけだ。

ネットの使い方が変われば、ネットでの行動も欲望も変わるよなあ?そしたらおまえネットの環境も変わるわ。





ハイコンテクストな半年ROMれの崩壊

ネットノリ死んできてるよな。ちょっと前までネット全体が「俺たち全員察してます」みたいな文化がちゃんとあったから、そのまま楽しくできた。でもいまガンガンネットユーザー増えてきて、もはやそういうスキルっていうのは必要不可欠じゃなくなったよな。匿名掲示板からネット全体に広がっていた文化が、だんだん押し戻されてきてるって感じ。いや当たり前ですよね。

「ネットリテラシー」?それってお前らの居心地がいい「半年ROMれ」の世界を押し付けるってこと?「それがネットだから」って?はー、結構結構。ネットの未来に貢献するとか良く言えたもんだね。なんだっけ?ネットで世界を変えるんでしたっけ?すっげーっすね。


話のネタとして成立するもの、表面上が全て、「後で読まない」問題

世間話のネタになるような尖ったものとか燃えそうなものとかそういうのばっかチョイスして発言する。そりゃ発言ってのは世間話したいからするのであって当然だよな。で、その第三者の発言から俺たちはそのコンテンツを知る。

おーおーもうアレですね、ホッテントリタイトルでおなじみの「○○の法則!」とかそういうので釣らないとだめですね。あとおなじみの「後で読む=読まない、読んだ=読んでない、RT批判=タイトルだけ読んだ」、みたいなそういう上っ面のインスタント消費ばっかり。
だってコンテンツの数も多いしユーザーストリームは風の速さで駆け抜けていくんだよ!もう避けようがないっすねー。

いやー「最近出版される本はゴミばかりだ、ネットの方がよっぽど素晴らしいテキストがある」って言って電子書籍とか言ってる人息してる?スポーツ新聞とか赤新聞みたいになってますよーネットのコンテンツ!しょせんどこいったって人間の喜ぶようなものは一緒なんですよ。


旧メディア化するネット

ってな感じで「新聞の見出しに悪意がある」とか「この映像の編集には恣意的な要素がある」みたいに言って旧メディアを叩いてるネットのみなさん、だんだんネットもそうなっていきますよね。っていうかなってるよね。「みんなの目に付くようにちょっと頑張っちゃいました!」だから燃えるんでしょ?だからついつい燃やしちゃうんでしょ?

さーさー次の逃避先探さなきゃ。リアルからネットへ。ネットからどこへ?火星にでも行きますか?


全体で作り上げた環境と慣習と文化と価値観

人間個人が悪いんじゃない。俺たちがこういうネットを無意識的に作り上げたんだ
そこに適応するからこういうゲスいコンテンツばかりが目につくようになる。

だってお前らゲスいものの方が世間話しやすいだろ?ほんとはそういうもの求めてるんだろ?
言及しないわけにはいかねーよなー!そうまさに今この私もそのとおり!インターネットたーのしーなー!



悪いのは個人じゃない。っつーか悪くない。
だってそいつを作り上げたのは他でもない俺たちだから。

ネットで発言する限り、俺たちはコンテンツ化から逃れることはできない。
ぼくらのコンテンツ戦争は始まっている。

それでもまだ「人間はコンテンツじゃない」って言いたいのか?
だったらこう言い換えてやる。




俺たちはコンテンツを産む機械だ。ざまーみろ。

ソーシャル・ステルス・マーケティングのしくみ

この記事は、なかよしインターネッツ Advent Calendar jp:2012の1回目の記事です。
今日から週に一回ずつ、「プログラミング技術ネタでないインターネットについてのお役立ちtips」をテーマにいくつか投稿していきます。


なかよしクッキングへようこそ!
今回は、ソーシャルマーケティングステルスマーケティングの仕組みと、それが発生する理由について。
じゅんばんに、フルコースをごちそうします!おたのしみに!

ステルスマーケティングが発生するのって、すごく自然で合理的なことなんだよーってことについて書くから、
「よくわからないけどステマって言っておけばいいんでしょ」
マーケティングは企業とか卑しい奴がやること」
みたいに、感情的にわーわー叫ぶような人がいないか、しんぱいかも……。


でも、インターネットがだいすきなみんなだったら、きっとそんな人はいないから、だいじょうぶだよね。
さっそくおりょうりをめしあがってください!



---前菜1---

◯ノウハウがあるようで?
「できる!ソーシャルマーケティング!」みたいな本、よく見かけるようになったよね。
ビジネス本の棚に置いてあるけど、あんまり売れてないみたい。
ソーシャルメディアについて書いてある本も最近いくつか出てるみたいだけど、
そのどれもが、ネットで起きた出来事についてちょっと説明して、「ソーシャルメディアが世界を変える!」ってお約束のように叫んでるだけ。
「ネットとかよくわからないけどみんなの話についていきたい」おじさん向けって範疇を出ないよね。
新刊もどんどん出てるみたいだけど、その本で書いてあるのって、ほんとにナウいインターネットのこと書いてあるのかな?
それを読めば、インターネットがもっと楽しくなるのかな?

◯日曜インターネットユーザー向けが多い
Webページ作成を受託して作って検索に乗っかるようにして……みたいな、(もちろんそれが基本でいちばん大事だけど)それだけかよっ!って内容がメインになってたりもする。
書いてあったとしても、「SNSのクチコミで広めよう!ここでいうSNSとは、TwitterFacebookのことです!」程度だったり。
えーっそこからなのーって感想は、インターネットがだいすきなみんなだったら、味わったことがあると思う。

◯Webの環境というのは日進月歩
いま、みんなが集まっていて、ネットで力を持っているのはTwitterFacebookなどの、ユーザーストリーム、つまりタイムライン型のSNSだよね。
だからといってSNSだけに焦点を絞って分析すればいいのかというと、それはちがうと思うんだ。
「ウェブ全体の使われ方と、そこにいる人間の動きについて」。そこから考えると、きっと何かが見えてくるんじゃないかと思うんだよね。

◯いま考えるべき「ソーシャルマーケティング
古ぼけたネットマーケティングの対象は、いま私たちが考えるマーケティングの対象とはズレている。
インターネットがだいすきな私たちに向けた、インターネットがだいすきだからこそ理解できる、
知っておくと得するソーシャルマーケティングの基本的な仕組みと、ウェブのアーキテクチャ設計について、いっしょに見ていこう!



---前菜2---

◯広告のチェンジ
マーケティング」ってことばから連想される意味は、ぶっちゃけ広告・宣伝のことだよね。
広告も、インターネットと発展とともに変化しているよ。
昔は、企業からわたしたち生活者に向けて、一方的に「うちの商品はすげーですよ!」と説得する形をとっていたんだ。
「企業からドカン!と広告を打って、みんなに振り向いてもらう」やり方だね。
……でも、いまはそのやり方じゃ、インターネットでは見向きもされなくなっちゃったんだ。
何故かって?
昔だったら情報を得る通路、つまりチャンネルが少なかったよね。テレビ・ラジオ・新聞……などなど、そういったメディアからしか情報を得ることはできなかった。
今はインターネットがみんなに普及してるよね。
みんなが情報を得るチャンネルが増えちゃって、どこに広告を打っていいか、わからなくなっちゃったからなんだ。

◯でも、ちょっと待って!
これで、テレビ・ラジオ・新聞・インターネット、「3+1=4!チャンネルが4つに増えました!」みたいな小学生でもわかる足し算のもんだいになったかと言われればそうではないよ。
テレビのチャンネルって、数に限りがあるよね。でもさあ、Webページの数って、それこそ無限に増殖していくよね?
プログラミングをよく知らない人でもメモ帳とブラウザさえあれば自分のウェブページを作って情報を発信できるし、
ブログサービスやインスタントできて誰でもチャンネルをつくることができる。
これじゃ、テレビのリモコンのボタンが無限にあるようなものだよ!いったいどのチャンネルを見ればいいの?
ひとつのチャンネルに情報をドカンと投げてみんなに見てもらうというのは、ひじょうに難しくなった。しょうがないよね。



---スープ---

◯僕たち若者世代はテレビを見ない。じゃあどこを見てるの?

インターネットです



---メイン料理・おさかな---

◯ネットのクチコミ?
ちょっと昔の広告のしくみはこう。
☆一方的に説得

企業が生活者に、一方的にメッセージを伝えていたんだ。  
「うちの製品はかっこいいですよ、良いですよ!」ってね。

でも今は残念ながら、メッセージを伝える空間の中に企業が入れなくなっているんだ。

わかりやすい例を上げてみよう。
あるパワーユーザーが「ジュエルペットサンシャイン、渋い」とツイートしました。
発言を目にしたその人のともだちが、「ジュエルペット、キャラ全員が異常者っぽい」とツイートしました。
そうすると、その人たちの会話を見ていた私たちは「みんなもりあがってるな、ジュエルペットってなんだろう?」と不思議に思って、ちょっとyoutubeで動画検索してみたり、ググってみたりするよね。
これって立派な”宣伝”じゃないかな?

このように、今のクチコミのしくみは、こんな感じ。
☆双方向的に紹介

ひとりの人間が心からつながりあえる人間(相手)には限りがあるが、コミュニティによって形成される横のつながりは無限だよ。

このように、現在のクチコミは、昔のように「企業がドカンと投げたメッセージを生活者が受け止めてから、クチコミで広がっていく」のではなく、
生活者が宣伝している自覚のないままオススメしているのを(クチコミからスタートするってこと)、第三者が目にすることによって広がっていく」のが主流だよ。

ユーザー当人たちには、商品の魅力を語っていながら、別に周りの人間におすすめする意図はない!
でもさぁ、まわりの私たちは、その会話を見てその商品とか作品とかコンテンツとか気になっちゃうよね。
気づけば購入・アクセスに走ってしまったり……。私たちって単純だよね。



---メイン料理・おにく---

ステマで当たり前
こういうことを考えていくと、巷でいう「ステルスマーケティング」はすごい合理的だということがわかる。
よく言われるのが、2ちゃんねるまとめサイト。管理人さんが恣意的に発言をチョイスして、さも商品が話題になっているかのうように仕込んだりするんだっけ?
これって、2ちゃんねるの中で複数人がコミュニケーションしていて、第三者である私たちがログという形でそれを見て、気になっちゃうってことだよね。
まさにネットのクチコミだ!双方向的な紹介が生きるウェブの環境ならではだね。

嫌儲っていうのもあるけどさあ
これ、今の環境にすごいマッチしてるのは事実だよね。
大きなCMを打てない、話題にしてもらえるような発言力のあるユーザーに届けることができない、商品自体に話題になるパワーがいまいち足りない、広報を打つ予算がない……などなど。
そんなときは、自分が「生活者」になっちゃえばいい。ネットでその商品についておしゃべりをして、それを第三者(ほんとうの生活者)に見てもらえばいい。
非常に合理的だよね。ちょっとずるいけど。

◯バレ回避
ツイッターは固定のIDをもってしまうので、生活者のフリをするのは難しい。
どうしても「こいつ絶対中の人だろ、GK乙」みたいな感じでバレちゃう。
だからこそ匿名の、固定の名前を持たなくてもよいところに書き込んで、コミュニケーションがあたかも盛り上がっているように演出し、それを第三者が見る。
そして視聴、購買、アクセス等に誘導する。
インターネットは、
同期(リアルタイム)=情報が伝達されるスピードがそれまでのメディアに比べて格段に早い
非同期=情報のアーカイブ化による非同期、つまり同時のタイミングでなくても情報が共有される
といった性質を兼ね備えているし、鬼に金棒だね!ステマ最強!

◯深呼吸からの……ヨッシャ
それで騙されてる!と思ってしまうのも、確かにその通りかもしれない。
だけど、「みんなにもっと見てもらえるようにする」っていう行為そのものが、悪いわけじゃないよね。
なんだか最近、そこをごっちゃにしてる人が多い気がするんだ。深呼吸しようよ。

「黙って作って置いておく。そうじゃないとかっこわるい」って?
くすくす、そんなんじゃ見てもらえるわけないよ!だってここはインターネットだよ!?
私がこうやってはてなダイアリーに書いているのは、はてなのシステムの中に放り込めば、自分のテキストサイトをつくるよりも、みんなに見てもらえる可能性が高くなるかもしれないからだよ。

「インターネットがなかった頃に比べて、作品を見て貰える可能性はじゅうぶん高くなった」って?
そりゃそうだ。0から1にはなったろうね。だけどさ、もうみんなインターネット使ってるんだよ?他にもライバルはいっぱいいるんだよ?君のつくったものを誰かがたまたま見つけて拾って見てくれる可能性なんて、それこそ砂丘の中から砂金をひとつぶ見つけるようなものだよ?なんてったって無限にあるチャンネルの中から、君ひとりのチャンネルに目を向けてもらわないといけないからね!くすくす、そんなの難しいに決まってるじゃないか!

いま、君のつくったものが見てもらえるのは、インターネットのおかげじゃない。
インターネットにつくられた、見てもらえるための仕組み」のおかげだ。

しかもその仕組の中でもライバルがたくさんいるよね!pixiv問題はもちろんのこと、このはてなダイアリーだって!全部のブログがホッテントリに入るわけじゃない!埋もれちゃうよね!ねえねえどう思う?どうしたら見てもらえるかな?

いま、君のつくったものをもっと見てもらいたいなら、外部の仕組みにただただ頼るだけじゃいけない。
その仕組みにもきっとライバルがたくさんいる。チャンネルがたくさんある。
だったらどうすればいいって?
つくるものの中にも、仕組みを仕込む」ことが、一抜けするポイントなんじゃないかな。



---デザート---

◯宣伝屋だけの仕事じゃない
今のインターネットにおいて、「バズを狙うということ=マーケティングの分野での話。モノを作る俺たちには関係ない」とか考えるのは、ちょっと古すぎるし頭が悪いと思うよ。
まずやらなくてはならないのは、プロダクト自体にクチコミされる要素、つまり話のネタになる要素があるかどうか発見/調査すること。
商品やサービスが市場に出る前に、そうした要素を仕込めるかどうかが鍵になってくる。

もちろん、「学生起業家による新進的なWebサービスがついにスタート」ってだけでみんなの注目があつまるのは、
話のネタとしての要素をプロダクト自体がもっているからだよ。
それだけで拡散されたりするもんね。たぶん彼らも狙ってやってるんじゃないかな?
おじさんが喜びそうな世迷いごとをブログで書いたり、世界を変えたい!って叫ぶのも、そうした要素を強化する演出だよね。
そういうの、うまいなぁと思いながらいつも見てるよ。やっぱりおもしろいしね!
「学生起業家がスタートアップするってだけで注目されたりするのがムカつく、プロダクト自体はそんなに流行らないのに」って言ってる人は、ちょっと負け惜しみっぽいかも。
自分が学生起業家じゃないんだったら、その演出ができる事自体にやっかんでちゃだめだよ〜。他の要素を自分でつくらないと。
ちなみに、何の広告もプロモーションもやってないのに広がっているプロダクトは、既にそのプロダクト自体が話のネタになる要素を持っているということだよ。
そういう”要素”については、今度詳しく説明していきたいな。



---コーヒー---

◯まとめ
こういうのって、Webの環境・ネットの使われ方っていう観点からみると、意外とはっきりと納得できるものなんだよね。
うーん、ステルス・マーケティングって万死に値するようなものなのかな?死刑レベル?ともだちから絶交されちゃうくらいやっちゃいけないことかな……。

他の人がお金を儲けてうはうはーになってるのを見るのは、私たちの心ってとっても狭いから、たしかに嫉妬しちゃうよね。
だけどさ、宣伝とか「みんなに見てもらいたい!」って思ってくれる人がいないと、私たちはそのおもしろいコンテンツを知ることができないのは事実だよね。

自分が有名人でない限り、自分が有名企業でないかぎり、自分のコンテンツは見向きもされないのが現状。
それがきっと、「バズる要素」として機能しているからだよね。

このような状態を作り上げてしまったのは、
よりラクチンでたのしくコンテンツを得ることができるようなWeb環境・慣習・やり方を受け入れた、私たちにも責任があるとは言えないかな?
ネットを使っていたようで、ネットの設計にいつのまにか操られ調教されてしまっているという見方もできるよね。
私たちが喜ぶようなやり方を考えたら、ステルスマーケティングになってしまったんだよ。
「悪いのはぜんぶマーケティング!」って一言で言っちゃうのは、ちょっとどうかなーって感じも、あるよね。


マーケティング、宣伝と聞くと悪いイメージを持たれがちだけど、
そういったものがあるおかげで、彼らががんばってくれているおかげで、いろいろなコンテンツに出会うことができるのも事実。
話のネタとしておもしろいような演出をしてくれたり、また商品自体を生み出したり。
多チャンネル化したWebでは、全員がレコメンダー。みんながみんなおもしろいものを共有せずにはいられない。
わざわざ「シェアします!」なんて言わなくたって、きみが何かのモノやムーブメントの魅力について発言するだけで、いや、disだっていい。
それは結果的に、りっぱな宣伝活動に他ならない。なぜなら全員がレコメンダーだから。人の数だけチャンネルは存在するから。

加えて、ツイッターフェイスブックのユーザーストリームはそれを加速させるシステムになっている。これも大きなポイントだよね。
(詳しくはツイッターアーキテクチャについてゆるく書いてる前回前々回の記事で。これはまた今度しっかり、実用的なtipsといっしょに取り上げたいな。)



---ごちそうさまでした---

◯まあそんなこと言うけどさ
「企業がやんなきゃいいんだよ。だってそれ金儲けじゃん?素人がさ、俺の好きな人がやってくれればいいんだよ。それがネットだろ?」
っていう意見もあるよね。もちろんこれは感情論というか、文化というか、ロマンというか。そういう話だけどね。
じゃあさ、たのしい生活者になろう。楽しくインターネットしよう。楽しいものはみんなに教えちゃおう。盛り上がっちゃおう。
それがたぶん、単純なことだけど、楽しいインターネットだと思うから。

金銭が絡むからって嫉妬してる暇があったら、自分がどうやってネットを使っているか、どうやってコンテンツにたどり着いているかを考えて、
よりたのしいインターネットをみつけてくのが、大切なんじゃないかな。



---ばいば〜い---

◯このエントリは
巷に溢れてる、前提が間違ってたりただの精神論だったり、毒にも薬にもならない誰が考えてもわかるようなものだったり、上っ面の事実だけを並べましたーみたいなコンテンツに飽きたので、こういう感じでしっかり書いてみたよ。
だから、あんまし「バズる要素」はないかも。
これをたまたま見てくれた人に、少しでも役立てたらになるようにと思って、いっしょうけんめいお料理しました。
インターネットをたのしくしてくれるたくさんの人の力になれたら、きっとそれが私にできることなんだろうなって思ってます。


twitter @itopoid もよろしくね。

Webサービスをつくってるよ

Webサービスのティザーサイトをオープンしたよって話。


Make::Booth - "Do Internet Yourself"


みんな、いっぱいいっぱい、遊んでみてね!
ステッカーとかα版の先行 ID とかは、先着順だからみんないそいで!!

運が良ければ itopoid ステッカーがゲットできるかもしれないよ。
世界で 15 枚しかない超限定品だし、時価 50000000 円くらいするから要チェックだね。


twitter @itopoid もよろしくね。

ザッカーバーグになりたい奴はもっと人間のことを考えろ2

これからの時代、IT系の人間はプログラミング技術だけじゃなくてもっと人間について考えるべきだよねって話の、続き。

前回の記事の続きだよ!

ちょっと長くなっちゃったけど、インターネットが大好きなみんなだったら大丈夫だよね。
”流し読み”した人は、せっかくのザッカーバーグになるチャンスを水に流しちゃうことになるから、注意してね。

もくじ

  1. 「きみはともだちだよね」
  2. 「わくぐみっ」
  3. 「空気を読んで当たり前」
  4. 「枠組みと空気」
  5. twitterのコミュニケーション!」
  6. 「なんでtwitterザッカーバーグなの?」
  7. Webサービスをつくること」
  8. ザッカーバーグは生まれない」
  9. 「えっ?」
  10. 「さよなら〜」


1、「きみはともだちだよね」

ここで、これからの話をわかりやすくするために、ちょっとTwitterから離れてたとえ話をするね。

みんな、小学校でも中学校でも高校でもなんでもいいけど、休み時間中のクラスの風景をイメージしてみて。
教室の中で、いろんな子が、それぞれ仲の良い子たちで集まっておしゃべりしてる風景。
教室って、30人くらいがざわざわするのには、ちょっと狭い空間だよね。
自分は仲良しグループの中だけに向かって話してるつもりでも、狭い教室の中だから、話し声は教室のみんなに聞こえてたりする。

イメージできた?それとも、休み時間はずっと机に突っ伏してたり、イヤホンを片時も耳から外さなかったり、そそくさと教室を立ち去ってたから、わからないかな?

それでも会話がごちゃごちゃにならないのは、
1)自分がコミュニケーションしているのは、2)お話を聞いているのは、3)そして話題を共有しているのは、「いったい誰と誰と誰なのかな?」っていう、
「枠組み」を認識してるからなんだ。
これは肌感覚でなんとなく理解してもらえると思う。具体的にちょっと見てみようか。

1)Aくんは、自分の「やっぱりアニメを観ながら白目剥いてブヒるときが一番生きてるって感じする」という言葉を、BくんとCくんに投げかけていると認識しています。
このとき、Aくんが思うコミュニケーションの「枠組み」の構成員は、A・B・Cになる。

2)一方でBくんは、Aくんのうしろにちゃっかり座って話を聞いているDくんも、「枠組み」の中にいると認識している可能性もあります。
このとき、Bくんが思う「枠組み」の構成員はA・B・C・Dになる。

3)さらにCくんは、話を聞いているようにみえて実は、夕暮れの放課後、憧れの先輩にいきなりキスされて「クラスのみんなには、ないしょだよ?」と言われたことをぼーっと思い出していました。
このとき、Cくんが思う「枠組み」の構成員は、自分以外のA・B・Dになる。他人ごとってことだよね。自分はコミュニケーションに参加してないと思ってる。

具体的にイメージできたかな?
そう、コミュニケーションの「枠組み」って、それぞれが勝手に想像してるだけなんだよね。
そこに決まったルールや不文律があるわけでもないし、全員が同じ枠組みを認識しているとは限らない。
あくまでも「自分が勝手にそう思っている」だけなんだ。

だから、何人かで集まってお喋りしてる「グループ」は、けっこう入れ替わったりして、流動性があったりする。
たまに、右側のグループのおしゃべりに参加してた子が、左側のグループに飛び入り参加したりすることってあるよね。
「ん?それ知ってるよー」「まじでー」「えーなんのはなしー?」
そんな感じで、いつの間にか右側と左側で2つあったグループが、混ざり合って1つのグループになったりする。
だって、固定されてないから。
だって、「枠組み」っていうのは、勝手に他の人をに取り込むことが可能なものだから。


2、「わくぐみっ」

これって、twitterに当てはめるとおもしろいことにならない?
「教室」っていうのを、TLに置き換えてみて。

自分は仲良しグループの中に向かって話してるつもりでも、狭い教室の中だから、話し声は教室のみんなに聞こえてたりする。
それでも会話がごちゃごちゃにならないのは……そう!そういうことなんだよね。
ユーザーがそれぞれが勝手に、自由に「枠組み」を決められるからだよ。

ユーザーは、自分の発言がタイムラインに現れた瞬間に、
1)そのタイムラインという大きな「枠組み」
2)自分の発言を見てくれているかもしれない他者から見た「枠組み」
3)なんとなーく自分が考えている「枠組み」
などなど、いろんな「枠組み」を意識したり、しなかったりしながら、自由に発言ができる。

枠組みを意識した場合の一番わかりやすい例は、空中リプライだよね。
みんなが話題を共有する「祭り」状態になったら、もう発言が全部空中リプライみたいになっちゃうことってよくあるよね。
これは、大きな「枠組み」に向かって発言してることになる。
でもね、twitterは別に枠組みなんて別に気にしなくてもいいんだよ。というよりも、「枠組み」が多すぎて意識できないんだ。

だってタイムラインはみんなバラバラだから。
だってあの人の「なう」と自分の「なう」は違うから。
だってmixiとかfacebookみたいに固定化された閉鎖的なともだちの輪じゃなくて、流動的で、刹那的で、「自由」だから。

思い出して?tweetの和訳は「つぶやき」。つぶやきって、ひとりごとなんだよね。
ひとりごとっていう言い訳、最高だよね。
「あーおなかすいたなーお昼食べに行きたいなータコライスの美味しいお店知ってるんだけどなー誰かいっしょに来ないかなーひとりごとだけどー!!」
みたいな困ったちゃんが大量に発生してるのがTwitterなんだよね。
なんちゃってメンヘラ&構ってちゃんのみんな、そうでしょ?


3、「空気を読んで当たり前」

みんな、「空気を読む」って言葉、覚えてるかな?
今でこそ、「日本の悪いところだ!」「非合理的だ!」って言われてるけど、ちょっと待って。
変なイメージがついちゃっただけで、これってコミュニケーションにはぜったい必要なことだと思うんだ。

「空気を読む」っていうのは、
1)いま自分が置かれている場面は何かな?
2)ここで起こっていることは何かな?
3)その中で自分はどのような存在として振舞ったらよいのかな?
4)その場にいる人をどのような存在として扱い、どのような言葉を発したらよいのかな?

っていうのを考えること。
これも「空気を読む」って、言えないかな?
「自分を空気に適応させる」って言ったほうがわかりやすいかもね。
ここではかっこよく、アイデンティティをチューニング」とか言っちゃおうかな?

例えば電車内でいきなり「俺を殺そうとするのはお前か」と叫んで相手に殴りかかったら、それはいけないことだよね。
例えば教室でいきなり「ママーーーーーッ!!!!」と叫んで立ち上がったら、それはおかしいことだよね。
っていうかただの危ない人だよ。異常者がはびこるインターネットでは日常的に行われているかもしれないけど、現実世界でやったらこわいよ?


4、「枠組みと空気」

twitterでは、場合の数みたいに、それこそ無限に近いたくさんの「枠組み」が存在していることになるよね。
だって、どこからどこまでがグループなのかさっぱりわからないし、話題の共有だってあやふや。
そういう空間に向かって発言を投げるときに、私たちユーザーは無意識のうちに「アイデンティティのチューニング」をすることになる。それも、ちょっと不思議なチューニング。

なんで不思議かって?
それは、ツイートは便宜上「ひとりごと」だってことと大きく関係しているよ。

ひとりごとだから、別に他人を気にしなくてもいい。
っていうよりも、そもそも誰が読んでいるのか、そもそも読んでくれているのかすらわからない空間に発言を投げるわけだし、「それでたまたまふぁぼってもらえればいいや。」って、そんな感じだと思うんだよね。

でもふぁぼる側からすれば、その人の発言をしっかり見て、読んで、「枠組み」の中に入れて、ふぁぼというメッセージを相手に送っている。

そう。twitterでは、めんどくさいしがらみを全く気にせず、自由にコミュニケーションができるんだ。

自由に「枠組み」を設定できるし、
自由に「アイデンティティのチューニング」ができる。
それを手助けするのが他者からのフィードバック。ふぁぼ、RT、フォロー、などなど!

twitterはいろんな使い方ができる。twitterは自由。
これは、コミュニケーションの観点からみてもあながち間違ったことじゃないんだよね。


自由に、好き勝手に枠組みを構成できる「つぶやき(ツイート)」という形式と、
好き勝手にできすぎてしまうからこそ、悪い意味での「空気を読む」ことを回避することができる。
そして、自分が好きな「枠組み」に対して、自由に「チューニング」することができる。
これって、すっごい楽だよね。

前回の記事で話したことと一緒に考えてみると、もっとイメージしやすくなるし、おもしろいことに気付くよ。
twitterが大好きで仕方のない人は、ぜひ考えてみてね。


5、「twitterのコミュニケーション!」
ここから先は、ちょっとだけ難しい内容だから、飛ばしてもおっけーだよ!

 タイムライン上では、ユーザー(と、彼らの多重化したアイデンティティ)同士のゆるやかな「枠組み」(インターネット上では、「クラスター」ということばで持って語られる)を恣意的に組み立てることもできる。タイムラインという自己と他者を含めた大きな「枠組み」の中に、他者同士の「枠組み」を認識してもよいし、そこに自分を加えてもよい。タイムラインという「枠組み」、そしてインターネット全体(自分の認識の範囲外、たとえばfollowing外から他者がやってくるかわからない)という大きな「枠組み」の中では、私たちはその「枠組み」の構成と認識を自由に行うことができる。そこには明確な「枠組み」は存在せず、ユーザーが感じたまま、他者(つまり「枠組み」を構成する要素、断片)を組み合わせることが可能であり、自らが認識した「枠組み」に沿った「チューニング」を容易に行うことができる。そしてそうしたさまざまな「枠組み」に合わせて自分を駆動させる、いろいろな場面・空間・クラスターに向けてチューニングしたユーザーのアイデンティティは、前述の通り、自らの発言が他者と並び可視化されること(私はここにいる、という実感)とそれに対するフィードバック(あなたは私を見ている、という実感)の相互作用によって、スムーズに醸成されている。
 社会・場面・空間などの「枠組み」、そしてアイデンティティ。これらを認識しやすいシステム設計を持つtwitterは、まさにユーザーそれぞれにおける強烈なメタコミュニケーションによって成り立ち、そこにいる人々の「枠組み」と自己アイデンティティの維持を手助けしているといっても過言ではないだろう。
 私たちが日常生活の中で無意識的に行っている、「チューニング」そして「枠組み」の認識は、タイムラインという設計によって可視化された。またユーザーのアイデンティティは、1)発言に付随するアイコン画像とIDによって明確に他者の「枠組み」の中に出現し、2)そしてそれを見た他者からのフィードバックを受信することによって維持させられている。こうしたtwitterの性質は、人々に、より自己と他者、そして社会における「チューニング」を強烈に意識させることになる。
 Twitterは、そのウェブサービスの基本設計と、ユーザー同士の相互作用によって出現したそのアーキテクチャ的性質によって、コミュニケーションに必要な作業や意識の負担を軽減または補助することにより、人々のコミュニケーションを安楽にしているのではないだろうか。

難しい話はここまで!次にいきましょう!


6、「なんでtwitterザッカーバーグなの?」


おまたせしました!ちゃんとここまで読んでくれた人だけがゲットできるステキ情報だよ!
文章を読む忍耐力がない人はここまで辿りつけずに諦めちゃったかな?
もったいないなー。今まで書いたのはただのサービスで、ここからがいちばん大事なのに。

今、インターネットでみんながしているのはコミュニケーションなんだよーってことは、なんとなくわかってると思う。
コミュニケーションは楽しい。例えそれが無駄で不便で意味が無くても、楽しい。だから人が集まって、人が動く。

ソフトウェアやハードウェアのめまぐるしい発達によって、インターネットユーザーは以前よりも爆発的に増えているよね。
人が集まってるってことは、そこでコミュニケーションが発生してるってことだよ。

例え君が私の前に来て一言もしゃべらなくても、それは立派なコミュニケーションだよ?
だって、君がただそこにいるだけでも、「君が私の前で黙っている」っていうメッセージを、じゅうぶんに伝えてるから。

IDをもってインターネット上に現れた瞬間、その人はいろんな人にメッセージを伝えていることになる。コミュニケーションしていることになる。
もちろん、メッセージを受け取り続けるだけの(たとえばROM専とかね)人もたくさんいた。昔は。
でも今は、twitterFacebookが広まることによって、インターネットでコミュニケーションするハードルがぐっと下がって、みんながみんなネットでIDを持って発言するようになった。
インターネットが楽しいことにみんなが気付いた。

一度楽しいってことに気付いたら、もうやめられない。インターネットでコミュニケーションすることから逃れられない!
毎日毎日他人のメッセージを貪り尽くして、自分も口からどんどんメッセージを出して!まるで中毒者みたいにコミュニケーションして!
そうだよね、twitterユーザーのみなさん。
私言ったよね?
「コミュニケーションキチガイのみんなだったら、きっと納得してくれると思うんだよね」って。


7、「Webサービスをつくること」

Webサービスをつくることは、コミュニケーションをつくることに似ていると思うんだ。
例えばtwitterFacebook。これは独自のソーシャルグラフを獲得しているよね。
それ自体がとっても大きなソーシャルグラフをもっていて、そこで人間がコミュニケーションしている。

Gumroadとかfoursquareは、そういった既存の大きなソーシャルグラフを拡張しているサービス。
それって、ユーザー同士のコミュニケーションを拡張していることにならないかな?
 
こういうサービスは、既存のコミュニケーションに衝突せず、かといって埋もれない、新しくて、楽しいエッセンスを私たちのコミュニケーションに加えてくれるよね。

twitterは、対面的現実との緩やかな連動性が大きいメディア」だよって、前回言ったよね。
foursquareは、そういうtwitterのコミュニケーションの性質とぴったりマッチしてるんだ。
「I'm at リナカフェ」って行った方がわかりやすいかな?
一度出会ったら、次からはともだちだよね。

サービスをつくるっていうのは、コミュニケーションをつくるということ。
コミュニケーションの楽しさとは、数字では表すことのできない、とても人間的なものだということ。

楽しさを提供するためには、「楽しいこと」について考えなければならない。
プログラミング技術だけでは語れない、もっと、人間のことをもっと考えなければならない。
楽しいことを考えるのって、大変だけど、楽しいよね!

8、「ザッカーバーグは生まれない」

大きなソーシャルグラフが、コミュニケーションが発生する場所が無かった時代なら、大きなSNSはみんなに歓迎されたかもしれない。
でも、今、もうあるんだよね。
twitterとかFacebookとか、とっても大きなソーシャルグラフが既に構成されてしまっている今、そのコミュニケーションを邪魔しないサービスか、あるいはもっと画期的なコミュニケーションとソーシャルグラフを提供するサービスを目指すしかないんじゃないかな。

だから、twitterの楽しさについて考えたんだ。
今みんなは、何に夢中なのかっていうこと。
twitterっていう場所で、一体何を楽しんでいるのかということ。
そういうことを考えると、自然と”うまくハマるような”イデアが思いつかないかな?

長くなっちゃったけど、言いたいのはそういうこと。
とりあえずユーザーアカウントはtwitterOAuth認証でやっちゃえばいいかーとか思って開発すると痛い目みるよ。
あなたのWebサービスは、twitterの良い所を活かしきれてないばかりか、台なしにしてる可能性だってあるんだからね。
だから、人間のことについてもっと考えなきゃいけないって言ってるんだ。
使いやすさやわかりやすさだけじゃない、人間がどこに楽しさを見出してるのかをもっと想像しないとね。
話はそこからだよ。


10、「えっ?」

なんで自分でザッカーバーグにならないのかって?
だってTumblrでリブログするので忙しいし、twitterでTLに張り付いてなきゃいけないし、
その上アニメも観なきゃいけないんだよ!?

私にはそんな暇ないよ〜。


11、「さよなら〜」

どうかな?技術の話でいっぱいなコミュニティの中で、こういう視点は新鮮だったかな。
でも、技術をもった人にこういう視点が加われば、無敵だと思うんだよね。
ザッカーバーグになりたい人は、創造力だけじゃなくて、想像力も必要だってこと。
人間のことを考えてこそ、真のクリエイター!なんちゃって。
もっともっと楽しいインターネットになってほしいな。

機会があったら、今回みたいな感じでTumblrの楽しさについても書いてみたいな。

twitter @itopoid もよろしくね。みんなとインターネットしたいな。

ザッカーバーグになりたい奴はもっと人間のことを考えろ1

これからの時代、IT系の人間はプログラミング技術だけじゃなくてもっと人間について考えるべきだよねって話。

webサービスつくりたいみんなあつまれー!


もくじ

  1. 「名札をつけた僕たちは」
  2. 「ともだちとはなんだったのか」
  3. 「インターネットも現実だ」
  4. 「僕はここにいてもいいんだ」
  5. 「私はこういう人間です」
  6. 「ねえみんな、」
  7. 「それはね、」
  8. 「まとめ」
  9. 「どうせ見てくれないし」
  10. 「もしかしたら、きっと」
  11. 「ソーシャルは戦場だ」
  12. 世界線を越えて」
  13. 「僕が思うんならそうなんだ、僕の中では」
  14. 「あの人の隣にいたい」
  15. 「思っただけだよ」
  16. 「またね〜」

ここから下は、「ソーシャルメディアが世界を救うんだ!」とか「情報化社会がやってきて俺たちの社会が変わる!」みたいな頭の悪そうな人が引っ掛かりそうな世迷いごとじゃなくて、
純粋にTwitterのシステムと「人間の心の動き」について、話していくね。

ちょっとだけ難しい言い回しが出てきちゃうかもしれないけど、第二のザッカーバーグになりたいインターネットが大好きなみんなだったら、きっと大丈夫だよね。


1、「名札をつけた僕たちは」

twitterって、アイコンとか ID とか、「自分」を形作って他人に提示し続けることを必要とするウェブサービスだよね。
ツイッターを実名で登録するユーザーって、「インターネットで実名を出すなんてあぶないよ!」っていう昔のネット観からすれば、びっくりするほど多い。
「もしかして、Twitterと”リアル”って繋がりやすいんじゃね?」って気付いた人たちは、今まで禁忌とされてきた個人情報をあえて公開して、現実の人間関係の拡大を狙ったりしてる。
こういうユーザー、みんなもけっこう見かけるよね。


2、「ともだちとはなんだったのか」

出会い厨は死ねって?一度オフで会ったら次からはともだちだよ。
たまたま最初に出会った場所がネットってだけで、そんなに悪いことじゃないと思うんだけど、みんなはどう思う?
悪い人には注意しないといけないけどね。えっちなのはいけないと思います


3、「インターネットも現実だ」

プロフィールに学校名を書いたり、自分の職種を書いたりすれば、同じようなユーザーに補足されやすかったり、コミュニケーションが加速したりする。
そういう工夫を、ユーザーのみんなは自然と学習していったと思うんだ。
Twitterって、日常的な、実際に相手を目の前に会話する、「対面的な現実(”リアル”って言ったほうがいいかな?)」との緩やかな連動性が、とっても大きいメディア。
Twitterは、対面的現実と相反せずに、そして、人々をコミュニケーション辺重主義に巻き込むサービス」なんじゃないかなーって、いつも思うんだよね。

これを読んでいるのは、タイムラインを毎日虚ろな目で眺め続けて人生の貴重な時間をドブに捨ててる人たちだと思うからTwitterのいろんな機能についての説明はやめとくね。


4,「僕はここにいてもいいんだ」

自分が他人にフォローされたり、自分のツイートに対して、reply、RT、そしてfavoriteされるっていうのは、まさに「他者からの自己肯定」そのものだよね。
「みんなに見てもらいたい!認めてもらいたい!」みたいな気持ちって、人間だったら誰でも持ってる欲望だと思うんだけど、みんなはどうかな?
自己承認欲求に取り憑かれたコミュニケーションキチガイのみんなだったら、きっと納得してくれると思うんだよね。

これを読んでいるのは、「大学でひとりぼっちでも、Twitterのみんながいるからさみしくないよ」とか思いながら人生の貴重な青春時代をドブに捨ててる人たちだと思うから、人間の欲求についての詳しい説明はやめとくね。


5、「私はこういう人間です」

喉から手が出るほど承認を求めている私たちにとって、まるでやさしいお姉さんみたいに自分を見つめ、承認し、肯定し、甘やかしてくれる他者を「フォロワー」として所有させてくれる、そして発言に対するフィードバックを得ることができる、Twitterの素敵なシステム。
最高だよね。
これって、メディアを媒介としたコミュニケーションにおいて、まさに、自分を他人の前で発表すること、つまり「自己呈示」を加速させる環境だと思うんだ。
かっこいい言葉で言うと、「セルフブランディング」ってやつかな。
ギークになりたい人は「ニャ〜ン」とツイートしたりね。何がニャ〜ンですか、恥を知りなさい!
「みんなもっと私を見て!」「ほらほら、どんどんおもしろいこと言っちゃうぞ?」「私はこんなにすごいんだぞ!」ってアピールして、フォロワーを増やそうとしたり、ふぁぼをたくさんもらおうとしたりする、twitterユーザー。


6、「ねえみんな、」

なんでそんなに一生懸命キーボードを叩いてるの?
なんでそんなに一生懸命みんなにふぁぼを振りまいてるの?
なんでそんなに一生懸命タイムラインを見てるの?

なんでそんなに一生懸命Twitterしてるの?


7、「それはね、」

だって、自分が他人から注目されてるのって、すごい気持ちいいから。
だって、自分が他人から認められるのって、すごい気持ちいいから。
だって、自分が他人に注目されるためなら、なんだってするから。
だって、自分が他人に認められるためなら、なんだってするから。
だって、他人を注目するのって、楽しいから。
だって、他人を評価するのって、楽しいから。
だって、みんなでつながっていられるのが、心地いいから。

だって、Twitterが、自分の存在を認めてくれる、安心できる場所だから。

まるで露出狂みたいだね、お互いに見られて興奮してるなんて。Twitterユーザーは変態さんの集まりなのかな?


8、「まとめ」

twitterでは、自らが他者を「一般的信頼」の元1つのラインに集め、
1)同じ時間を共有している”ように見える”「擬似・同期性」、あるいは
2)純粋に時間をリアルタイムで共有している「純粋・同期性」のもと、
自己と共に他者の存在を閲覧し、そこに向かって発言を投げかけることのできる(そしてその結果、リプライ、ふぁぼ、RT、さらに”自分はまだフォローされている”という実感によって、他者からの「一般的信頼」を獲得できているという実感を得ることのできる)タイムラインというシステムを持っている。
緩やかで、それでいてつかず離れずの「親密な他人」(上記の通り、多かれ少なかれ「信頼している/されている」ユーザー)をお互いに所有することによって生まれる、「自分の発言を誰かが見ている」という実感は、
1)人間が持つ自己顕示欲や、
2)他者からの承認欲求
3)そしてそういった承認を継続的に受け取ることができる場所に浸かる喜び、つまりある種の安全欲求
など、さまざまな欲望を、じゅうぶん満たしうるであろう。

お手軽に欲望が満たされるなんて、とっても素敵だよね。
ねえねえ、君もTwitterやってみようよ!大丈夫!怖くないよ。タダで始められるし、無料なんだよ!やると頭も良くなるし、スッキリするし、みんなやってるよ?大丈夫大丈夫、戸惑うのは最初だけだから。もし合わなかったらすぐやめられるし。とりあえずやってみよ?ね?教えてあげるよ?


9、「どうせ見てくれないし」

昔のブログ・ブームのときは、「せっかく自分が記事をブログで書いたのに、閲覧者やコメントがゼロに等しい。これじゃただの日記帳と変わらないじゃないか!何が誰でも見れるインターネットだ、どんなに更新しても、俺のブログは無視されるじゃないか!」みたいな不満や問題って、多かったよね。
でも、Twitterの書き込みはみんなが見てくれて、反応してくれる。それは何故かって?
もちろん、お互いにフォローして、RSS形式みたいに発言が流れてくるからっていうのは当たり前だよね。


10、「もしかしたら、きっと」

でももう一つ、大事な所がある気がするんだ。
例えば、「相手をフォローすれば、自分もフォローしてもらえるかもしれないってこと」。
例えば、「相手をふぁぼれば、自分もふぁぼってもらえるかもしれないってこと」
例えば、「相手にリプライすれば、自分にもリプライを送ってもらえるかもしれないってこと」

それはつまり、「相手の承認欲求を満たしてやれば、自分の承認欲求を満たしてくれるかもしれないってこと」

相手の存在を認めることによって、自分の存在が担保されるんだよね。
Twitterユーザーたちは、お互いに依存関係にあるだと思うんだ。
それが、Follow/Followerって2つの数字の秘密。相互フォローとか、まさにこのことだよね。
「相互フォローは絶対です!」っていうのはどうかと思うけど、みんな、口にして言わないだけで、「せっかく釣れた魚、逃さないようにしないと」って思ってリフォローする人たちばっかだよ。
みんな、自分を見てくれる人は大切にするんだね。


11、「ソーシャルは戦場だ」

1)IDという個をそれぞれ持ち
2)時間を共有し
3)お互いにメッセージを送って(コミュニケーションして)存在と承認を確認し合う。

付かず離れずかといって、見せかけ嘘つきなんちゃって、本音と建前「信頼関係」。
ソーシャルって大変だね、明日はもーっと、大変になるよね、ハム太郎


12、「世界線を越えて」

もちろん、正確に言えば、純粋同期に限りなく近い「擬似・同期」って、みせかけのリアルタイムだよね。
たとえ同じタイムラインに並んでいても、あの人の「サンドイッチなう」と、自分の「ハンバーガーなう」は一緒のタイミングだって保証はない。
フォロワー数が少なければ、リアルタイム性が薄まるのはしょうがない。
もちろんこれは、いま・ここで他者とコミュニケーションしているんだ!って錯覚を、TwitterのUIによって演出されてるだけ、とも言える。
相手が必ずしも、自分の発言を同じ時間に、同じタイミングで見るとは限らないし、
その上、他の発言に流されてしまって、自分の発言は読まれていないという可能性も大いにありうる。


13、「僕が思うんならそうなんだ、僕の中では」

でもね、そうじゃないんだ。
あくまで重要なのは、「読まれているかもしれない」という主観的実感。
そこにある客観的現実は、私たちユーザー自身にとって大きな問題ではないんだ。
見られてるかも!読まれてるかも!って感覚が全て。些末な「事実」なんてどうでもいい。
自分が楽しければ、事実がどうであれ、そんなのぜんぜん気にしない。
それが私たちでしょ?インターネットが大好きなみなさん。


14、「あの人の隣にいたい」

視覚的な、デザイン設計の話。
時間の流れの上で「個人」の欲求の足あとや残りかすが大量に生まれ、そして消えていくタイムラインという設計は、
自分の発言が他者の発言の隣に現れること、つまり自己と他者が同じ「社会」・「空間」に並んで存在するといった実感を醸成させると思うんだ。

あの人と自分は、同じ時間を共有している。
あの人と自分は、同じタイムラインという場所を共有している。

自分のツイートがタイムラインに発信されたとき、そういう実感を引き起こす効果が、Twitterにはあると思うんだよね。


15、「思っただけだよ」

もちろん、ここで話した内容は、あくまでも「意見」にすぎないよ。
科学的な、統計的なデータがあるわけでもない。ごめんね。
ものの見方は、それこそ無限にあるからね。これはあくまでもひとつの「見方」。twitterはいろんな使い方ができるしね。
でも、人間の気持ちって、こうやってちょっとずつ想像していくしかないと思うんだけど、みんなはどう思う?

「ユーザーの気持ちになって考える」って言うのは簡単だけど、使いやすさとか見やすさの(ユーザビリティテスト)だけで満足しちゃってるのなら、「気持ちになって考える」には視点が足らなすぎると思うんだけど、どう思う?

私たちはそんなにも「使いやすくて」「わかりやすくて」「便利な」ものを求めてるかな?
もちろんそれも大切だけど、こういう風にも言えないかな?
私たちがほしいのは、「楽しいこと」。

楽しさっていうのは、なかなか数字にできないよね。
そういう人間的な「楽しさ」は、こうやって少しずつ想像していくしかないと思うんだ。

インターネットの敷居が下がって、ネットが「パソコンオタク」だけのものじゃなくなった今の時代。
便利なものよりも、「楽しいもの」を求めるようになるのは、肌感覚でわかるよね。おもしろアプリとか、くだらないけど、やっぱり楽しい。

twitterをやってるみんなだったら、よくわかると思うんだ。
だってtwitterって、「やらなくてもいい」「無駄で」「どうしようのない」「使いにくい」ものだよね?
情報収集するにはノイズが多いし、140文字しか書けないし。
でも、”それがいい”。それが”楽しい”

もっともっと、楽しいものを!
もっともっと、楽しいインターネットを!
私たちが求めてるのはそういう人間的な「楽しい」こと。


16、「またね〜」

もしかして、みんな流し読みしてるかな?難しかったかな?つまらなかったかな?
それともみんな、記事全体の流れなんかは全く無視して、Tumblrに引用できるようなおもしろセンテンスを探すことに躍起になってるのかな?
ドギツイ味付けをしないと読まないくせに、丁寧に解説しすぎると「もっと簡単に書ける」って文句言ったりするのかな?
文章力、文章力が大事だったよね。くすくす。

インターネットのみんなって、本当におもしろいね。インターネットってほんとに楽しいな。


じょうだんはさておき、ここからが本番だよ。今までは前哨戦。
次回はTwitterのUI設計から生まれるコミュニケーションの認識とか、新しいウェブサービスTwitterの関係とか、
インターネットが大好きな「未来のザッカーバーグ」たちに向けた具体的なことについて、話していきたいな。
ザッカーバーグになりたい奴はもっと人間のことを考えろ2」は、明日、投稿するね。


みんなでインターネットをたのしもう!


twitter @itopoid もよろしくね。みんなとたのしくtwitterしたいな。


追記:続きはこちら! ザッカーバーグになりたい奴は人間のことをもっと考えろ2

文章が書けない奴はインターネットで簡単に死んでいく

これからのインターネット、プログラミング技術だけじゃなくて、
文章の読み書きスキルがめっちゃ大事だよねって話。

コミュ障のみんなあつまれー!

もくじ

  1. 技術が無いとなにもできない
  2. 私たちは日本語が使える
  3. 人間はロボットよりもずっと賢い
  4. Hello, world だって言葉だった
  5. まとめ
  6. ふぁぼが多い奴が勝つ
  7. 文章能力⊂コミュニケーション能力
  8. Twitter は絶好のトレーニング場所
  9. ほんとうのコミュ障
  10. 国語と教育
  11. 書くことだってものづくり
  12. さよなら〜

ちょっと長くなっちゃったけど、インターネットが大好きなみんなだったら、きっと読み書きスキルもあると思うし大丈夫だよね。


1、技術が無いとなにもできない

人脈も、情報も、金銭も、意識も、感動も、すべてがインターネットでやり取りされつつある今、
みんな「文章能力、それも根本的な国語能力が大切なんじゃね?」って肌で感じてるんじゃないかな。

それは何故かって?
イラスト・音楽・動画・プログラム……技術が発展して、ソフトウェアも進化して、ものづくりや自己表現のハードルは、確実に下がった。
でも、そういった”モノづくり”みたいなことをするには、やっぱり「技術」がいる。

みんな、Illustrator の使い方わかる?Cubase の使い方は?プラグインって何?黒い画面こわいよ!
何かをつくるには、やっぱり技術と知識がいるよね。
それも、一から勉強しないといけない類のもの。学習コストが高くて挫折しちゃう。
エレキギターを買って、一ヶ月で部屋のオブジェ化してしまったそこのあなた!否定はできませんよね?
ちなみに私もそうです。青くてかっこいいストラトBeatles 弾こうとして F のコードが押さえられなくて挫折した。Hey Jude


2、私たちは日本語が使える

でもみんな、”日本語”はどうかな?
私たちは日本語であいさつして、コミュニケーションしているよね。
「いらっしゃいませ、何名様ですか?」
「ひとりです、煙草は吸いません」
「かしこまりました、お席へご案内します」

こういうやりとりを、自然に、スムーズに行なっている。

「いらっしゃいませ、何名様ですか?」
日本語がわからないと、相手が何を言っているかもわからないし、自分がどうすればいいのかわからない。

「ひとりです、煙草は吸いません」
自分は何を言えばいいのかを把握して、イメージとか行動を、相手に伝わるように言葉に落としこむ。
相手が何を聞きたいかを予測して、お話したり。(お煙草はお吸いになられますか?を予想して!)

「かしこまりました、お席へご案内します」
言葉を理解して、行動に移す。


3、人間はロボットよりもずっと賢い

これってすごいことだよ!!
言葉を扱うのってすごい技術がいる。
私たちは生まれたときから日本語に触れて、そういう環境にいるから、自然と技術を学習している。
単語もたくさん知ってるし、文法だって理解している。

ロボットに言葉を覚えさせるのはとっても大変だって話、みんなも聞いたことあると思うんだよね。
人間って、言葉って、けっこうすごいものなんだよ。


4、Hello, world だって言葉だった

私たちは、言葉を無意識に、スムーズに使える。
ふつうに暮らしていくなら、新しく何かを学習する必要はない。
私たちは、無意識に、手軽に、言葉を用いて他者とコミュニケーションすることができる。

そしてインターネットは文字で、言葉で溢れている。
インターネットはモニタに映されていて、モニタには言葉が映されている。
Hello, world だって言葉だ。私たちが大好きなパソコンの画面には、文字が飛び交っている。
インターネットがモニタに映る限り、文字をうまく扱える人間が勝つにきまっている。当たり前だ。


5、まとめ

私たち日本人は普段の生活で言葉を使って生活しています。
日本語を使うことは、私たちにとって簡単なものです。
そこに技術はいりません。
絵を描いたり、プログラムを組んだり、サービスを作ったりするような、ある意味で特殊な技術が必要というわけではないでしょう。

気軽に、それこそ小学生でも「表現」ができるのは、今のところ文字メディアがもっともハードルが低い。
ソフトウェアとハードウェア、そしてインターネットの発展と普及は、その「表現」のハードルをさらに下げました。
みながみな、文字を気軽に送信/受信できるような twitterFacebook が流行している現在、そしてこれからの環境で、コミュニケーション能力、そして「文章能力」がとても大事なのではないかということ、みなさんに伝わりましたでしょうか。
リテラシ」や「民度」といったキーワードよりも前に、今一度、言葉について考えなおしてみてもよいかもしれません。

伝わらなかったということは、私のコミュニケーション能力や言語技術がクソだったか、
もしくはみなさんの読解能力や文章を読む忍耐力がクソだったということになります。


インターネット、たいへんですね。



6、ふぁぼが多い奴が勝つ

具体的には勝利=ふぁぼ数だ!!!!うおおおお favstar をチェックしまくるぜ!!!!

1)さくぶん!
twitter で毎日 tweet して favorite や RT を稼ごうとする人は、本人の意識/無意識に関わらず、言葉の転がし方を精査していたりする
「こっちの言い回しの方がいいかな」「ここはあえてひらがなにしよう」「句読点はここで入れよう」
そういった言語技術の大切さは、毎日TLを眺めてふぁぼをぺろぺろしているわたしたちは痛いほどわかるはずだ。

2)たいぴんぐ!
リアルタイムに流れていく情報の中、TLですばやく発言できるのは有利だ。盛り上がっている話題があるとき、すばやく打ち込める。
ユーザーストリーム上で、すばやく「シータなら俺の横で寝てるよ」と打ち込めるそのスキル、嫌いじゃない。

3)コミュニケーション!
言いたいことを、相手に伝わる言葉に変換する能力はとても大事だ。
「あっ…えと…あっ…う…ううっ」ってなっちゃうコミュ障のみんなでも、ネットなら、タイピングすればハキハキコミュニケーションできる!すごい!
それなのに「こいつ何言ってんだ」って言われちゃったらもったいないよね。逃げ場がないよね。


7、文章能力⊂コミュニケーション能力

「そもそもコミュニケーション能力ってものの中に、文章能力も含まれてる」んじゃないの?ってことは、勘のいいみんなならわかると思う。
文章を書くっていうことは、「他者にメッセージを伝えようとする」こと。それってすなわち、コミュニケーション。
「どうやったらちゃんとわかってくれるか?」「どうしたら自分の言いたいことがうまく言えるかな?」
こういう試行錯誤は、みんな身に覚えがあると思う。
でもこれって、twitter やってるとよくぶつかる壁。


8、Twitter は絶好のトレーニング場所

いくら 140 文字とは言えども、自分の考えや気持ちを文字にして他人に見せるのって、ぶっちゃけかなりすごいこと。
Twitter のアクティブユーザーって、言ってみれば、毎日毎日他人から文章の良し悪しをチェックされてるようなものだよ!!
「他人が読んでいるかもしれない」空間に自分の文章を投げ込んで、しかもそれがリアルタイムに評価されるなんて、かなりスパルタだよね。
Twitter やってる人って、やっぱり文章能力が高い。もちろん私の観測範囲内の話だけどね。

文章能力だけじゃないよ!
自分の思っていることを言葉にして、それを相手に伝わるように調整していく。
相手が言っていることを、自分の頭で咀嚼しなおして、理解していく。

これは文章だけの話じゃない。みんなもわかると思うけど、これって会話にもいえることだよね。

Twitter って、コミュニケーション能力を鍛えるには絶好の場所なんだよ。


9、ほんとうのコミュ障

コミュ障って、「おしゃべりするのが恥ずかしい」「なかなか話に入れない」「考えすぎちゃって、うまく話せない」っていう人よりも、
「言語技術をうまく扱えない人」の方が深刻だと思うんだけど、みんなはどう思う?

恥ずかしいだけだったら、メールとかチャットでコミュニケーションすればいい。
でもこういう言語技術が無かったら、そもそものコミュニケーション能力が欠如してることになるよね。
インターネットが発展したって、私たちは人間だ。人間と人間がやり取りするには、コミュニケーションが必要不可欠だ。
ネットの発展がコミュニケーションをより円滑にするんだ!って言われたって、Skype とか Redmine で日本語が壊滅してたら話にならないよ。
コミュ障は情報化の夢を見る。あはは。

「コミュ障コミュ障ぼくはコミュ障!」ってみんな言うけど、ほんとにちゃんと「コミュニケーション能力」について考えたことってあるのかな?
コミュ障って言えば許されると思ってる人、いそうだよね。


10、国語と教育

毎日 twitter してるみなさん、国語は得意教科でしたか?
文章技術って、これからも、むしろこれからの方が、とっても大事な気がしますよ?

まあ、小中学校の国語教育が、こういった技術としての国語、みたいなのものに、あまり力を入れていないんですけどね。
読む・書く・話すっていう「コミュニケーション技術」教育にあまり力が入れられてない日本で、「コミュニケーション」に溢れているインターネットに私たちは生きている。

大体の揉め事は「コミュ障が自分のコミュ障具合に気付いてない」コミュ力を上げようと努力してない」っていう状況に尽きてしまう場合もある気がしてきますね。
むろん例外もありますし、わざと極端な話をしていますが。


11、書くことだってものづくり

言ってしまえば、ツイートだって「ものづくり」。そのくらいの意識を持ってもきっと損にはならない。
ユーザーに受け入れてもらえるようなプロダクトを創る作業と、なんら代わりはありません。

今まで無意識に使っていた日本語、これからは意識的に Make していきましょう!!


12、さよなら〜

まずは自分のツイートから見なおしてみましょうか!(そしてふぁぼを稼ごう)(フォロワーを増やそう)(ともだちがほしい)


(みんななかよく)



次回は、おしゃべりしなくても意思疎通が可能になった、コミュ障がコミュ障のままで生きていけるインターネットについて、書こうかな。

twitter @itopoid もよろしくね。