「ヒア アフター」見たよ


津波で一度死にかけ、呼吸停止中に“見た”不思議な光景が心を離れない女性ジャーナリスト・マリー、かつて霊能力者として活躍したものの、死者との対話に疲れ、いまは工場で働く男・ジョージ、双子の兄を事故で亡くし、もう一度彼と話がしたいと霊能者を訪ね歩く弟・マーカス。“死”に直面した3人の人生が少しずつ交錯し始め、何かが起きようとしていた――。

『ヒア アフター』作品情報 | cinemacafe.net

(注意)
本エントリーは結末に関する記述もありますので未見の方はご注意ください。



MOVIX宇都宮にて。クリント・イーストウッド監督最新作。


「死後の世界」と聞いてまっさきにわたしの頭に浮かんでくるのは"胡散臭い"という言葉。
生きている限りは決して知ることの出来ない場所の存在有無なんて肯定も否定も出来ませんし、そういった"存在の証明をできないもの"をあえてあるという前提でとらえて「その世界がどんな世界なのか」ということについて語ることそのものが不愉快であると感じています。


そもそも「その場所が存在すること」をまず最初に証明しなければすべての議論が無駄だし意味がないと思うのですが、そういった議論をすっ飛ばして「とりあえずそういう場所はあるんだよ」という前提で話を進めてしまうところに気持ち悪さを感じるのです。わたしも一般的な日本人ですので、"死んだらあの世に行くんだよ"とか"輪廻転生"的な発想も分からなくもないのですが、でもそういう場所があると考えることが常識みたいに言われてもな...とも思うのです。
しかも、そういった「死後の世界」をトピックに持ってくる人ってスピリチュアルみたいな怪しげな人が多いのでいちいち胡散臭いんです。死後の世界の存在を明確に否定できないことをいいことに、ある種の人たちにとって耳触りのいい言葉を選んで投げかけて商売しているのが気に食わないんですよね。
丹波哲郎レベルになると超越し過ぎててもうかける言葉もないのですが、オーラの泉みたいなのを見せられると反吐が出そうなくらい不愉快な気分になります。うちの親があの番組大好きで帰省した時とかに魅せられたんだけど、太一君はマジで仕事選べと思ったね。心底気持ち悪い。


一方で、わたし自身にも小さい頃から教え込まれた死生観があるので「死後の世界があると信じたい」という気持ちは理解できます。
自分が死んだあとのことを考えた時に、「無になる」と言われてもピンときませんが「別の世界に行く」と言われた方が理解も安心も出来ます。「何にもなくなる」というのは概念的には理解できても、自分の事に置き換えるとよくわからないし怖いですもん。


今回、この作品を観て感じたのは「死後の世界」というのは生きている人にとって必要だということ。
大事な人を亡くした人にとっては亡くなった人が無に帰したと考えるのはあまりに忍びないことですし、それよりはつながりのない世界に行ってしまったと考えたくなるのは分からなくはありません。
わたしにとって「それがあるのかないのか」ということが一番大事なことだったのですが、「それがあることで救われる人がいる」というのも大事なことだなと。もちろん「だからあの世はあるんだ」なんていうつもりはありませんが、そう信じることで辛い気持ちが癒されるのであればどうぞどうぞご自由にというくらいの境地にはなれたような気がします。


そしてもうひとつ、マット・デイモン演じるジョージは幼い頃の出来事がきっかけでヒアアフター(来世)にいる人たちとコンタクトを取るスキルをもっているのですが、多くの人がその能力に憧れる一方で、本人はその能力を呪いであると言い切ります。
本作においては我々の住む世界と来世は決して断絶はしておらず、単純に両世界をつなぐことが普通の人には出来ないだけで本質的にはつながっていると描かれています。これをネットワークの世界に置き換えて考えてみると、通信プロトコルの違うネットワーク同士の関係によく似ています。
つまり、それぞれの独立した世界の中においては誰もがコミュニケーションを取ることが出来るけど、それぞれの世界で使われているプロトコルは異なるために異なる世界間の通信はできないという状況と同じであると言えるのです。


その類推で考えると普通の人たちは同一ネットワーク内の通信しか行えない(データリンク層)けれど、ジョージの持つ能力はネットワーク間のトランスレートをするルーターの役割も担う(ネットワーク層)ことが出来ると言えます。
彼にとって、見も知らぬ人も含めて多くの人に必要とされるその能力が大変な重荷であったことは想像に難くありませんし、それを呪いと呼ぶ気持ちもよく分かります。その能力故に、好意を寄せた女性にも疎まれたり普通の人にも変な目で見られたり兄弟にも利用されたりし、そのたびにジョージは深く傷つき、自らの力を恨むことになるわけです。呪いと言いたくなるのも当然です。


だからこそ、ラストでジョージが自らと同じ境遇の女性と出会うことで救われるという描写はすごくいいなと感じました。
呪いが解けるわけではないけれど、でもその呪いによって傷つけたり傷つけられたりしない仲間がいることによって救われるというのはすごくリアリティのある妥協案であり、非現実的な話に対して非常に現実的な落としどころだと思いました。


そんなわけでわたしは大変すばらしい作品だと感じたのですが、一部の映像が不適切だという理由で上映が中止になってしまいました。
いろいろと言いたいことはありますが、とりあえず残念であるという気持ちだけを表明するにとどめておきます。


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