ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

今年のノーベル賞の話など

今年のノーベル平和賞は、アル・ゴア氏でした。
政治的な意図で決定されるのが平和賞だそうですが、それはともかく、環境問題の深刻さに警鐘を鳴らす意味で、アル・ゴア氏主演の『不都合な真実』の映画上映とノーベル賞受賞は、実にタイムリーだったと思います。特に、今年の夏の暑さはひどかったですし、変な気象になってきていますから...。
不都合な真実』を見たのは、1月21日のことでした。京都の二条城まで行ったのは、エコサンデーなる割引チケットにより、一人500円という料金で見られたからなのです。いかにもアメリカ風の陽気な明るさやユーモアがちりばめられながらも、内容は重たいものでした。ブッシュのしかめっ面が出てくるところも、実にうまい、と思わされました。映像が大事なのは、インパクトの強さとリアリティのためだと再認識できる映画でした。その後しばらくして、映像を書籍化して日本語訳したものが書店に積み上げられているのを見ました。これだけ本を作るのに、材料の木はどこから切り倒されたものなんだ、とつい皮肉な現象を思ってしまいました。

環境によいことを、と殊更に言われるまでもなく、我が家では、車も携帯電話も持たない暮らしです。レジ袋や包装は極力断っていますし、私的なメモ帳などは買わず広告や封筒の裏を使いますし、必要な時以外はテレビも見ませんし、クーラーはつい最近までめったに使いませんでした。実家にいた頃から、洗濯物はお風呂の残り湯を使っていましたし、大学の頃からのセーターなど、今でも家の中で着ています。概して、子どもの時からの習慣がそのまま続いているのです。
本も極力借りることにし、店頭に並ぶ雑誌類は図書館で眺めるのみ、サラワクの森林問題を思うと、それぐらいは当然のことと思っています。ただし、私の矛盾は、口頭発表の時のレジュメに現れます。紙の節約をしようと、縮小文字にして両面印刷をしていたら、委員の一人から「読みにくいんで」と嫌な顔をされてしまいました。「60部用意してください」と言われるのですが、いつも20部ほど余ります。私だけでなく、他の人のも大抵そうです。結局、持ち帰って自分用のメモ用紙に使うのですが、実にもったいない!しかし、言われた通りにしなければ、仕事に支障を来すかもしれないと思うと、結局はわざわざ承知の上で無駄を作り出すわけですね。
環境問題は、中国とアメリカの社会動向と啓蒙活動が鍵になると言われていますが、こうしてみると、日本でも結構、問題は山積みなのではないでしょうか。

ノーベル賞といえば、受賞者を何年で何人まで増やすという計画を、我が母校の野依教授が言い出したと聞いた時、非常に嫌な気分になりましたが、幸い、そのニュースが表に出た後から、日本人のノーベル賞受賞者が一人も出ていません。「幸い」なんて言うと、非国民扱いされてしまいそうですけれども、私が言いたいのは、ノーベル賞は、本来、狙って取るものではないだろうこと、しかも、国家予算を使ってまで戦略的に受賞者を増やそうというあからさまな計画は、“途上国レベル”の発想だということです。形式的に人材を増やさなければならないという焦りが見え見えだからです。
ところで、マレーシアのスパン国際空港を設計した黒川紀章氏が亡くなりました。お悔やみ申し上げます。ただ、あの空港は、利用する側にとっては、だだっ広くて使いにくい空港です。とにかく、ちょっとした用事を済ませるにも、かなり歩き回らなければならないのです。元のスバン空港は、いかにも東南アジアらしい匂いのする所でしたが、出発前に一時間あれば、荷物を郵便局から送り、換金もでき、電話もかけられ、化粧直しなどもできる、小回りのきくよさがありました。それに比して、スパン空港は、格段に清潔になったとはいえ、同じ用事を済ませるのにどうも3倍ぐらいの時間がかかってしまうのです。
それでも、地元の人々はどこか自慢げです。「どうだ、マレーシアでもできるんだぞ!」と誇示するかのように...。「だって、それ、技術移転じゃないですか」と言いたいところをぐっと抑えてニコニコ愛想笑いしているうちに、自分の感覚までズレてきそうな気がするところが、何とも悲しいですね。
そう言えば、マレーシアからも宇宙飛行士が登場するらしいニュースで、数ヶ月前から電子版マレーシア新聞は賑わっています。ムスリムの宇宙飛行士の場合、お祈りはどちらの方角でするのか、断食日と重なったらどうすべきか、女性のスカーフはどうするのかなど、さまざまな議論があったようです。