ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ハーヴァード発

昨日付の英語版ブログ"Lily's Room (Part 2)"http://pub.ne.jp/itunalily/)には、テロ専門家として、勇気を奮い起こして何人かのテロリストに会いに行った著“Terror in the Name of God : Why religious militants killHarper Collins books (2003/2004)によって世界的に有名な、ハーヴァード大学ジェシカ・スターン博士の、昨年(かと思われる)インタビュー映像2本をアップしました。
彼女が15歳の時に、このような辛い経験に遭遇していたとは、これまで全く知りませんでした。数年前にインタビュー記事を読んだ記憶が正しいとするならば、確か、ハイティーンの頃、とてもいい先生と巡り会ったことをきっかけに、熱心に勉強するようになって、キャリアを着実に築いていった、「サクセス・ストーリー」だったかと思います。名前から察せられるようにユダヤ系の彼女のこと、勤勉で優秀で、独創的な発想を有し、経済学者のご主人とお子さんにも恵まれ、アメリカ東部のケンブリッジに居を構え、羨ましい限りでした。彼女の本を購入したのが、2005年8月に、アメリカを初めて夫婦一緒に訪れた時のこと(参照:2008年5月7日・5月8日・5月10日・5月11日・5月13日・5月16日付「ユーリの部屋」)。主人の昔の留学先であったMIT(および英語クラスを受講していたハーヴァード大学)の近くにあったCO・OP書店でしたから、特に思い出深いものです。
いかにもアメリカ的な「カミングアウト」式の自己告白本かとも思ってしまったのですが、しかし同時に、なぜ彼女が前著で綴られたような勇敢な行為に出たのかの背景も、うかがえるような気がしました。大変に重たい内容です。そういう経験を有していない私に、果たして「理解」や「共感」する資格があるのかどうか、それすら未知数ですが、人生の「後輩」女性としては、ある程度、予見的に知っておくべきことなのかもしれません。
そうは言っても、新著である“Denial”を買うかどうか、まだわかりません。何だか怖いような、もしかしたら、読まない方がいいのかもしれない、と思って...。
ところで、昨日には、サンデル教授の「日本の大震災をめぐる」哲学議論(2011年4月16日放送)を録画したものを見ながら、本棚の整理の続きを少しやりました。
ハーヴァード大学(ボストン)、復旦大学(上海)、そして、女優さんや作家や起業家など、さまざまな背景を持つ東京の参加者(含:東大院・早大中央大学などの学生さん達)との、真摯な議論。さすがはサンデル教授のタイミングは、お見事。
昨夏にメディアでも、哲学関係にしては珍しく大きな注目を浴びた対話手法ですが(参照:2010年10月15日付「ユーリの部屋」)、単なる自己主張ではなく、個々の困難な現実問題を適用しながらの深く鋭い考察が、基盤にあります。あの夏に、日本でも伏線的に議論の素地ができていたからこそ、今回の3月11日の大震災の出来事が、見事に呼応しているのだと思われます。
ただ、自分の国で発生した、現在進行中の事態に即した議論でもあるので、精神的にはとても疲れることも事実。半分ほど見て、休みました。また今日、続きをやります。
一方で、たまたま見つけた意見文(http://nepalreview.wordpress.com/2011/04/17/a-97/)にも、私自身、どこか共感していることも事実です。「家族」「共同体からの(暗黙の)抑圧」というキーワードは、海外からの「賞賛」に無闇に甘んじるべきではないという一つの「警告」ともとれます。

PS:今日付の英語版ブログ“Lily's Room”には、ジェシカ・スターンの「テロリストの動機」という論考を掲載いたしました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20110422)。