ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

異文化間コミュニケーション

日本語での履歴書は、ワープロ打ちのものを随分前から作ってあり、後は活動や文章掲載の度毎に、適宜、追加していくだけで済むと思っていました。
ところが、それを外国語、特に英語に訳すとなると、自分で以前から作ってはありましたが、校正で直されたものを見てみると、(まだまだ、自分の英語なんてダメだなぁ)と感じさせられます。
知り合いの一人に、余程ご自身に自信があるのか、「バッカじゃない?まだ履歴書を作ってないのぉ!」と素っ頓狂な声を挙げた人がいましたが、私の言っている意味、あるいは次元は、失礼ですが、あなたとは違うのです。(って、どこかの首相がおっしゃっていましたよね?)
文化の壁は高い!でも、それに怯んでいてはなりません。小松先生がよいことをおっしゃってくださいました。人間関係の構築としてのコミュニケーションの場では、助詞や冠詞や時制の間違いなどにとらわれ過ぎずに、内容が重要だ、と(参照:2012年3月14日付「ユーリの部屋」)。

以前、『日高レポート』をテレビで見ていた時(参照:2009年1月4日付「ユーリの部屋」)、何やら、日高氏よりも何倍も遥かに流暢な日本人若手が、滔々と英語を話し出した時、それまで日高氏にニコニコ顔だった米国人の偉い様が、途端に不愉快そうな表情を見せたことを、いまでもありありと思い出します。つまり、日高氏のように、あくまで、ゴツゴツした英語を一生懸命に話しながら、下手、下手に相手にお伺いを立てるような質問をする日本人の方が、かえって米国人エリートには好まれたようだという一つの実例ではないでしょうか。
犬養道子氏も、1980年代だったかに、似たようなことを書かれていました。もっとも、日本の英語教育はなっていない、という厳しい批判を前提としてですが、ペラペラやられても、内容が無作法であれば、かえって危険だ、というような内容だったかと記憶しています。
その意味では、私もこのところ、ご多忙の合間を縫ってメールでお邪魔しているアメリカの方とも、後で読み直すと、注意してスペルチェックをかけた上で送信しているつもりでも、細かいところで幾つかミスが見つかってしまうことがあります。ただ、そうはいっても、お返事が必ずいただけるということは、やはり内容と礼儀作法で勝負、ということでもあるのかしら、と少しは自信のようなものが出てきました。
そういえば、その昔、私は日本語教師だったのでした。多種多様な学習者による、いろいろな変種日本語に遭遇してきましたが、一度だって不愉快に感じたことはありません。それよりも、私達の言葉を一生懸命に学び、何とか意思疎通を図ろうと努力してくださる成人の方達に対して、細かいミスをあまりくどくどと指摘する気にはなれませんでした。やはり、結局のところは、内容で勝負だということです。
その方も、英語ばかりではなく、フランス語も、かなりお若い頃から学ばれていたようで、フランスからのたどたどしい英語の質問が、「ごめんなさい。私、英語が下手なので、この先はフランス語で書きます」という切り替えになっても、決して不快感を示したり無視されたりせず、丁寧にご自身もフランス語でお返事されていたのを拝見しています。アメリカ国内の質問には軽く答えていらっしゃっても、遠方、特に、イラクやフランスなどからの質問やコメントに対しては、非常に親身に回答をされています。インドの質問は、ちょっとノリが軽過ぎることがあり、「馬鹿げた問いです」「あんたのその長ったらしい質問は、結局、一文でまとまります」「人に質問する前に、よく自分で調べなさい」などと、厳しくうっちゃる様子には、つい、笑わされてしまいますが、よい教育法だと思います。
メールのやり取りの中では、一生懸命考えても、その場では他に方法が思いつかない時もあります。「ホウレンソウ」の合言葉に沿って、「報告、連絡、相談」をこまめにしているのですが、時には「こうしてみたんですが、できませんでした。どうしましょう?」となることもあります。ところが、その場合でも、別の内容に関しての返答があるのみで、問題となっている焦点に対する直接の回答はありません。どうしたものか、と思いながら数日経つと、不思議なように別の角度から自分の中で新たな方法が浮かび上がってきて、「このようにしてみました!」と、報告ができるという、見事な成り行きとなります。
先程、主人にこの話をすると「理想的じゃないか」と。そうですね、やはり、戦略家だけではなく、教育者でもいらっしゃいますね。特に、何でも質問してみるものだ、という教えに沿って、相手に寄りかかるばかりでなく、問いを発した後に、全力を挙げて自分で考えてみるプロセスを辿ることで、新たな創造性が生み出されるわけです。さすがは、ホクマーを大切にする人びとですね。