ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

基本に忠実に

ここ一ヶ月ぐらい久しぶりに考えているのが、自分の力や位置づけをどのように客観的に見るべきなのかということ、もう一つは、無責任な相手から軽く扱われる癖(「いつものことで誰も気にしていない」「今はそういう時代ではない」「今更言ってもらっても困る」と表面だけで勝手に誤って判断されるような...)がついていると、結局はその無知と軽さが、その人自身に跳ね返って痛い目に遭うということです。「叱られたことがない。注意されたこともない」ということは、相当に甘やかされて躾が行き届いていないか、もはや期待されていないから放置されているという意味なのに、むしろそれを何を勘違いしてなのか、本人は殊更自慢にしているという...。
ある方のアドバイスによれば、「事実と経験だけが残る」上、「人は皆黙っていてもちゃんと見るところは見て判断している」から「もっと自信を持ってください」との由。私の場合、長年の癖でつい後ろに下がってしまうらしく、よく言われます。「こっちから見ていると、だいぶん人生損していると思うよ。話を聞いていると、どうして周囲にそういう変なことを言う人がいるかなぁって不思議なんだけどね」。
ところで、昨日のダニエル先生の弟さんのスティーブン氏のインタビューを拝見していて、見事にアメリカ精神を体現していらっしゃるお仕事ぶりと哲学思想に、改めて感銘を受けました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130312)。高級ホテルの総支配人として、「採用には人間性が重要だ。博士号はいらない」と言い切っていらっしゃる辺り、お兄様とはまた違った意味でのよきエリート教育を受けた方だなぁと思います。
その延長線上の話として、イスラエルアメリカが支持するのも、「イスラエルが強いからだ」と聞いています。「もし軟弱で価値のないただの小国だったら、誰も見向きもしないだろう」と。この辺りの感覚は、日本ではあまり聞かれることのないようなストレートな直球のように思われます。実は何を隠そう、私だって、イスラエルの文学や芸術やハイテクなどのことは、本を読むだけでもこちらが励まされ、よい刺激があり、何より楽しくてワクワクしてくるので、(あの国が滅びるなんてことが絶対にあってはならない)と応援しているのですが....(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130122)。
昨日、アメリカの某放送局が販売しているDVDをまとめて3本、購入手続きをしました。実は1本だけで止めておこうかと思うほど、送料の方が高かったのに、手続きボタンを押し間違えて、1本ずつ送料がつくことになってしまいました。直後に気づいて、支払い訂正依頼をメールでしたのですが、やはり高度に専門化され、アメリカのエリートが出演されている政治番組だけあって、顧客向けスタッフも非常に洗練されていて、とても気持ちがよかったです。
私の無駄な操作についても、「それは私達のちょっとした関心事でした」という出だしで始まり、「返金ではなくキャンセル手続きですね」と。即座にメールで「私の不適切な操作ミスのために、送料が二倍余計になってしまいました」と書いたところ、先方も「それほどまでに迅速なお返事を喜んでいますよ。早速、こちらで修正しておきましたからね」と親切なお返事が来ました。
ちょっとしたことのようですが、同じく英語を使ったメールのやり取りでも、全く感覚が違っていて、非常に気持ちがいいのです。つまるところ、日本古来の伝統意識や礼節は、言語や民族や国籍が異なっても充分に通じ合い、尊敬し合えるものだということを、こんなところからも感じています。価値を共有した同盟国という関係がこれほどありがたいものだとも...。
さて、上記のダニエル・パイプス先生ですが、昨日、トルコ語の関連記事をPDFにして送ったところ、即座に「ありがとう。最も有益だね。僕も同じのを見つけたよ。ブログにこれを付け加えるべきか考えようとしていたんだ」と、何とも素直なお返事が届きました。なぜトルコ語かと言えば、ダニエル先生が20代の頃、トルコでも語学学習をされていたことを知っているからです(http://www.danielpipes.org/12477/)。ご自分では「うまくいかなかったね」とインタビューでおっしゃっていましたが、うちの主人に言わせると、「あの先生、本当は相当トルコ語が読めるはずだよ。そうやって謙虚に言っているだけだよ」。
とりあえず、私の手の内を明かしますと、東京外大の院生さんか研究者の卵さん達が邦訳しているサイト(メーリングリストを申し込んで受け入れ通知は届いたのに、その後、ちっとも送られてきません!)にあった記事の原文をお送りした次第。
確かに、トルコと日本の近代化の比較という壮大なテーマに以前から関心をお持ちで、本を書きかけたのだけれども、中東情勢からあまりにも目が離せないためにペンディングにしてあるとか。だから、トルコとの関係を今でも大事にされているようですし、日本向けには、私のような者でも何らかの務めを果たしてほしいという願いをお持ちなのかもしれません。(そういうこともあって、ただ機械的に訳文を作るのではなく、本文の中で最も印象的だった一文を示したり、ちょっとした経験談やエピソードを添えたり、内容に関して感想や質問を送ったりしているのです。今読んでいる関連図書について、比較的よく報告しているのも、それが理由です。)
割合に、どのようなテーマでも積極的に取り組んで提出しているためか、ダニエル先生の方も、「これが日本語になったなんて凄いよね!」「僕達が同意できてうれしいよ」と前向きに受け取ってくださいます。特に最近のテーマは、未だにパイプス中傷の先鋒をかついでいるかのような批判が続いていることもあってか、無名なだけに安心感のある日本の私のような飾りっ気のないメールが、一種の励ましともなっているのでしょうか。
昨晩は特に、いわゆる「イスラエル・ロビー」「ユダヤ・パワー」と揶揄される典型のような事例がまた出てきました(http://www.danielpipes.org/blog/2013/03/palgrave-macmillan-participates-in-israel)。私にとっては、揶揄どころではなく、当事者のダニエル先生にとっては必死な思いで文筆で再発防止のために活動しているとしか思えないのですが、世の中はなかなかシビア...。
学術出版として有名で、私も何冊かを手元に持っている出版社から(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100626)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130121)、「アパルトヘイト国家のイスラエル」について「パレスチナ闘争」の観点から討論するというロゴ付きの広告が回ってきたのだそうです。早速、メーリングリストで私にも啓蒙メッセージが回ってきましたので、すぐに邦訳して送りました。

最新のメーリングリストを受け取ってすぐ、促されて訳しました」。
ここ日本でさえも、イスラエル国家を『アパルトヘイト国家』と一貫して呼ぶ中東の専門家やジャーナリストが確かにいることは、厄介な傾向です。歴史的に以前の南アとは状況が全く異なっているのに、です。彼らは通常、マレーシア事例も含めたイスラームズィンミー制度や大半のアラブ国民にある抑圧的な状況を非難することは決してありません」。
この出版社が出した何冊かの本も、自宅に持っています。(私は今後)注意深く出版社を選ぶでしょう」。

その1時間半後にお返事が届きました。

素早い翻訳とおもしろいコメントをありがとう」。

しかし、即座に後日譚というものがあり、やはり優秀な出版社は対応が違うと改めて感銘を受けた次第です。ダニエル先生も同じく、それに対する対応が迅速かつ素直で、気持ちがいいものでした。早速、私の方も先輩方に倣って、続きの訳文を作成してすぐに送りました。
これを最新に更新するなんて凄いね」とお褒めをいただきました。
ですから、ここで長々と私が書いた内容は、「イスラエル・ロビー」「ユダヤ・パワー」という揶揄的批判に対する逆批判でもあります(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120321)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120608)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120803)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120807)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130207)。つまり、当事者抜きに、いい加減なことを臆測で人に広めるものではないということです。
後日譚とは、パイプス先生のサイトを見て驚いた出版社が、担当者を経由して丁重な謝罪と説明の連絡を寄こしたことです。そのテーマが「困難」であることを率直に認めた上で、出版社としては特定の政治的見解に立つものではなく、多様な側面を反映する作品を出版してきたこと、ロゴ付き広告のメッセージは会社を代表するものではないこと、チェック・プロセスを経ずに外部に流出してしまったこと、現在なぜこんなことが起こったのか内部調査中であること、再発防止を誓うことなどが、簡潔ながらも見事に表現されていました。
そのために、パイプス先生もその指示に沿って素直に反応され、「この重要な出版社との関係修復を喜ぶ」とまで書かれていたのです。
小さな出来事のようですが、訳出している身にとっては、「イスラエル・ロビー」や「ユダヤ・パワー」なるものに関する揶揄批判が、日本も含めてとかく一方的で言いっ放しの面が目立つので、やはり大事なエピソードとしてここに書き記したく思いました。
余談ですが、アメリカのれっきとした組織に出版物を注文して、そのお返事が一週間以上経ってもない場合、私には不安が残ります。お金を払うと言っているのに、私の住所に不満があるのかしら、学歴が不足しているのでしょうか、書き方に失礼でもあったのかもしれない、(冒頭のように)軽く扱われているのかしらんね、等々。ところが、ひょっとしてスパムメール扱いだったかもしれないと思い、再度送ってみると、物の見事に冒頭から丁重に謝ってこられるのです。
ここが重要な点で、「西洋人は安易に謝らない」という噂を鵜呑みにすると、かえってこじらせてしまうのかもしれません。もちろん、私の不安は杞憂に過ぎませんでした。
長々と書きましたが、肩書きを持った人達が、もっともらしくいい加減なことを言いふらしていることもある、とお伝えしたかったのが、今日のブログの結論です。

(2013年4月18日追記:しかし、上記のPalgrave Macmilanという出版社は、何を考えているのかよくわからないところがあります。2013年4月8日と4月17日に、同じ出版社から出た本がそれぞれ一冊ずつ届きました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130408)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130417)。前者はイスラエルのリク―ド党の若手ホープ、後者は、明らかに親イスラエル擁護でユダヤ人に対する差別に殊更敏感な著者が書いたものです。全体のバランスを考えるという趣旨かもしれませんが、昨今の読者は忙しい生活なので、両者を手に取ってじっくり読み比べることは難しいのではないでしょうか。)