ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

美名の下に劣化が進む

加瀬英明氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090411)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130331)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131215)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140220)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140513)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140627)のブログ(http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi)の「日本の独立を危うくする朝日新聞の中国報道」(2014/10/24)から、ポイントを以下に列挙。

・50年にわたって、雑誌の紙上を舞台として、朝日新聞亡国的な報道を行ってきたことを攻撃。


・昭和41(1966)年:毛沢東の人民文化大革命で文化破壊。
朝日新聞の社説「そこには、いわば『道徳国家』というべきものを目指す、『世紀に挑む実験』といった意欲が感じられる」


・昭和57(1970)年:佐藤内閣の沖縄返還交渉、日米同盟堅持、防衛力強化を「日本軍国主義復活」だと周恩来首相が激しく非難。
朝日新聞の社説「日本軍国主義はすでに復活し、アジアの侵略勢力となっている」「沖縄返還ペテンだ」


・昭和50年:1960年に日米安保条約が改定されてから自動延長・改定期限
朝日新聞の社説「日中関係の正常化こそわが国の恒久的な安全保障の条件」「“選択の70年代”の課題は、対米関係の調整にたった安保条約の解消と、日中関係正常化への努力を並行」

(部分抜粋引用終)
この頃、評判も購読者もガタ落ちの『朝日新聞』(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140629)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140710)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140829)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141017)。リベラル知識人の購読新聞という過去のイメージが強いが、いつもズレたニュースを煽るように書き立ててきたとわかる。解釈や記者の思いなんて、どうでもいいから(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131208)、国民ないしは購読者にとって正確な事実のみを、しっかりと報道してほしい。
次は、カトリック教会の現状。これも、知る人ぞ知ることだが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130522)、ポイントのみ列挙。

http://agora-web.jp/archives/1618019.html
「政治 寛容と慈愛が招いた教会の“戸惑い"」 長谷川 良


・信者たちの現実と教会の教えの間に乖離が広がり、信者の教会離れが急速に進んできた。


・教会が選んだ解決策は「寛容と慈愛」という魔法の言葉。教会のポピュラリズム最先頭で走っているのが南米出身のローマ法王フランシスコ。


・「開かれたハウス」には、離婚者、再婚者、同性愛者の人々も教会の門を叩く。教会側は「寛容」と「慈愛」で彼らを「兄弟姉妹」として迎え入れていこうと努力。同性愛者、離婚者は教会では“2等市民"信者の立場を味わざるを得ない。教会側も新しいゲストを迎え入れ戸惑いを隠せない。両者とも幸せな状況とは言い難い

(部分抜粋引用終)
だから、古今東西の古典を広く充分に読み、歴史や伝統から学ぶ態度が必要だということ。当座は意味がわからなくても、簡単に若気の至りとエネルギーで「変革」しようとしない方が、長い目で見て、賢明で安定して繁栄する。
カトリックの私は、今の教皇フランシスコには全く関心が薄れてしまい、学問的な威厳のあったベネディクト16世の方が遙かによかったと感じている。人気があるということは、教皇の質や教会の本質とは無関係。硬直化して現状に対応できないようではいけないが、伝統の重みは尊重すべきだと思う。
カトリック教会の最も意気盛んで充実したよい時期に、先進的な幼児教育を受けられてラッキーだった。でも、今も同じ状況だとは言えないことは、9.11前頃に購読していたカトリック雑誌で、よくわかった。
マレーシアのカトリック教会もよく似ている。厳しかった修道者や修道女達が高い使命感を持って現地の人々を教育していた頃は、学校の威信が高かった。1980年代頃から、ムスリムが校長になってしまうカトリック校が徐々に増えた。マレー人も、ムスリムカトリック校では気を遣ってもらい、丁重に接してもらえ、しかもマレー学校よりも高い教育が受けられると知っているので、子どもをカトリック校に入れるケースが目立つ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081222)。
多様性の尊重などという美名の下に、本質の検討もせず、こんなことをしているので、どんどん劣化が進むのだ。どこもかしこも。