ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

日本再生の動向

櫻井よしこ氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141118)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141204)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150131)のコラムから。

http://yoshiko-sakurai.jp/2015/02/21/5783


2015.02.21 (土)
「 教育改革や農協改革で見え始めた日本再生への道 」
週刊ダイヤモンド』 2015年2月21日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1072


・修身と呼ばれた道徳教育は、昭和20年、占領軍が禁止して以降、日本の学校できちんと教える体制はなかったのだ。


・「朝日」「毎日」「東京」の3紙は社説で、多様な価値観が育たない、価値観の押し付けだなどと批判したが、そうした批判は当たるまい。どの時代でもどんな国でも、勇気、誠実、他者への思いやり、正義感などは普遍的価値観として大事に守られ、受け継がれてきた。大人が実行して子供たちに範を示し、家庭や学校で重ねて大事な価値観として道徳を教えてきた。この当たり前のことをわが国は敗戦の結果、禁じられていた。


・日本史を必修科目にしたことだ。これまで高校の歴史の必修は世界史であり日本史は選択科目にすぎなかった。自国の歴史を知らずして、世界の歴史を学んで何の意味があるのか。これもようやく改められた。


・まだ油断はできないが、15年が力強い日本再生の年になることが実感される。

(部分引用終)

この「道徳教育」の話で思い出すのは、小学校5年か6年の頃(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080303)。教科書のような本は配布されたのに、時間割の「道徳」では、違う内容の授業活動だったので、何と私は、わざわざ担任の先生のところまでノコノコ出かけて行って、「先生、この教科書、せっかくだから、使わないのは勿体ないのではないですか」と生意気にも「提案」していたのだった。
その時の先生の反応も、実に大らかでよい先生だったと思うのは、「道徳については、教科書を使わなくても、ちゃんと授業などを通して、あなた達に教えていますよ」というものだったと記憶している。
体系的な知識としてではなく、実践ということなのだろうか。ボランティア精神などとポスターを作って教室の壁に貼り出し、率先して自分が気づいたことを黙って実行する、という奨励もあった。単純な私は、ぞうきんを並べ直したり、教室のゴミを拾ったり、生き生きと「活動」していたことを覚えている。
恐らくは、日本古来から、きちんとした家庭では脈々と受け継がれてきた修身の教えなどが再生するのだろうか。その場合は、齢半世紀に達してしまった私にも欠けている点なので、是非とも童心に返って教えを受け、学びたいと願っている。
敗戦の結果とは言え、何でもアメリカのせいにするのはいただけない。GHQが日本事情を充分に深く知らず、勝者精神のみでアメリカン・スピリットを吹き込んだ政策を取ったとしても、受けて立つ我々の側が、戦後の混乱と準備不足できちんと対応しきれなかったという側面もあったのではないだろうか。

中国正月の時期だが、マレーシア華人にお祝いの言葉を送っても、今年は反応が鈍い。メディア誘導などに影響されて、日本の動向を警戒、懸念しているのだろうか。
もし、双方に理解が不充分だったり、そもそも理解する気がなかったりすれば、やむを得ず、距離を置くというのも、平和共存と相互繁栄を保つ一方法なのかもしれない。