ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

先生とのお別れ

ご子息先生のご逝去の報に接したのは、奇しくも先生が学ばれた福井の二泊三日の旅の帰り道。自宅方面に向かうバスに乗っていて、ふと目を外に見やったところ、召天式の立て札に気づいたのだった。
お父様先生がご自分を実験台にして厳しい食事療法を精力的になさっていたのをブログで毎日拝見しており、今年の健康診断の結果如何では、またご子息先生のご助言を伺いに医院を訪れることになるのだろうと思っていた矢先だった。
その場でバスを降りて医院と教会の様子を見に行こうかとも思ったが、旅行鞄のままでは、あまりにも失礼かとも思い、一旦、家に帰ることにした。
お父様とご子息のホームページをすぐに開いた。ご子息先生は昨年12月初旬のコラムで止まっていたが( http://uedaiin.jp/index.html)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121127)、牧師でもいらっしゃるお父様先生が非常に率直に状況を綴られていたので(http://blog.livedoor.jp/bokushinoto/archives/51876689.html)、よく理解できた。
それにしても突然のことで驚き、どういうことなのかと、もう一度、歩いてご近所まで出向いた。徒歩20分ほど。いつもの買い物ルートなので何ら特別なことではなかったが、この地で十六年以上、夫の若年性の進行性難病を抱えて二人暮らしを続けてきた者にとっては、主治医ではないものの、先生が開業してくださっているだけで、いざという時、どれほど心強く、安心して暮らすことができたかを思い、気が気ではなかった。
前夜式の一時間ほど前だったので、まだ薄暗く、教会員や葬儀社の方達が忙しく携帯で連絡を取りながら、あちらこちら動き回っていた。キリスト教の葬儀は死を召天と解するので、仏教と異なって明るいものだと聞いてはいたが、それにしても、様子伺いの見知らぬ私などには挨拶も目礼もなく、笑顔さえ見られるという感じだった。
どうしたものかとうろうろしていたところ、中年女性が向こうから一人で歩いて来られたので、思い切って声を掛けてみた。すると、なんとご子息先生のいとこに当たる方で、今朝方、連絡を受けて福井から駆けつけたとのことだった。その時初めて、お母様が福井のご出身だということを知った。「こんなにお悪いとは知らなくて」とおっしゃった。もちろん、私も同感だ。
教会員でなくても参列はいいんじゃないかしら、とのことだったので、急いで帰宅し、準備を整え、今度はバスに乗って赴いた。既に大勢の方々がいらして、大きな教会堂の三階は満席のため、二階の部屋で立って列に加わることとなった。
牧師のメッセージの後、先生の愛唱聖歌を共に歌い、順に白い花を手向けた。お父様先生は、毎日のブログでは至極お元気そうな書き方だったが、別人かと思うほど痩せて浅黒い顔でいらしたのには、心底驚いた。あの独特の食事療法は、ご子息を治したい一心からだったのだと、その時やっと合点した。
大家族の上に、大学での医学生仲間、日赤病院も兼務されていたので医師仲間、町内の別の病院の関係者、そして教会員、患者さん達やご近所の方達も集い、総計250名もの参列者だとのこと。最近、メディアやインターネットで喧伝されている「残された人達への負担を軽減する」身内だけの家族葬などが、いかに主流から外れたものかを思い知らされた。
キリスト教式の葬儀は初めての経験だったが、比較的、形式より内実を重視するもので、ご経歴を簡単に紹介され、信徒としての故人の歩みが語られ、集まった人々への信仰の励ましを含めた説教など、堅苦しさは仏教式よりも少ないと思った。
私にとっては、二歳年下のご子息先生がいてくださる限り心強く、今後も主人との生活を安心して継続できるものとばかり思っていたので、これからはどうしようと当惑している。お目にかかったのは二回ほどでしかないが、非常に強い印象を受けた親子二代のクリスチャン医師で、密かなファンとして敬愛申し上げていただけに、今では茫然としている。
十数年前、牧師兼医師のお父様先生のブログを知った三十代の頃、ご家系や医院の様子を拝読する度に、何ともうらやましく思っていた。信仰ある医師は、患者さんへの応対も特に暖かく親身で、最後まで希望を捨てない、だから安心してお任せでき、どんな困難にも神の護りと導きがあることであろう、その証拠が先生の優秀なご一家なのだろう、と考えていた。ただ、今は少し違う見方をしている。確かにその通りなのであるが、だからこそ、特にご子息先生には一種のストレスやプレッシャーがあり、お疲れもあったのではないか、と。医師は、とかく自分のことを後回しにして患者第一になりがちな上、クリスチャンとしての真面目で責任感あふれる奉仕一筋の日常が、かえって早めてしまったのかもしれない、と。
もちろん、教会の方達は全てを信仰に沿って受けとめ、淡々と歩みを続けていかれるだろう。だが、お正月明け早々である。新年初の福井旅行でも、ご子息先生がこの地で医学を勉強されたのだと、主人と話していたばかりだった。
昨晩のフェイスブックhttps://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)からの転載を。

約七年前のブログ。今夕、げっそりとやせられた先生と前夜式でお会いした。当時は、こんなことになるとは想像もしていなかった。


「医師と牧師を兼業する一事例」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080210

以下のブログから二年も経たないうちに先生が去られるとは、当時は想像もしていませんでした。


「アナログとデジタルの共存併用」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140207

ご子息先生が昨日、亡くなられたとのことで、先ほど、前夜式に参列いたしました。
びっしりと三桁ほどの人々が集まり、最近、インターネットで宣伝されているような家族葬などがいかに外れているかを思い知らされました。
二度ほどお世話になったのみですが、非常に強い印象を残されたお医者様でした。


「私にとっての望ましい地域医療」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100121

(転載終)
モオセ先生、本当にどうもありがとうございました。ご遺族の上に、主の豊かなお慰めがありますように。