ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

視野の狭さを悔いる

かれこれ18年ぐらい前のことになるが、町内の先生のご自宅でお茶を習っていた頃、突然、先生から、「ご主人はM製作所にお勤めなの?」と問われて、一瞬戸惑ったことを覚えている。
主人に聞いてみると、朝の通勤電車で社員と一緒になるそうで、「あそこは良い会社だよ」と言っていた。
少し調べてみたところ、「昨年度の海外売上比率は92.2%」「売上高1兆円以上の企業でトップの海外売上高比率」「高い営業利益率」「多くの高シェア製品」などと並び、「世界シェア率 世界一位」の項目が幾つか列挙されていた。
当時は学校(大学)のことしか知らず、そこで研究テーマが受け入れられるかどうかで必死だったので、会社のことは二の次だったが、今振り返っても、先生はお世辞かお愛想のつもりでおっしゃったのであろう、自分の視野の狭さを後悔する。
あの頃はまだバブルの余韻が残っていて、頑張れば挽回できるような根拠のないいい加減な雰囲気もあったが、その後、どんどん日本は劣化していったと思う。
最近、少しは経済が持ち直した感もあるが、なぜか、あの頃が妙に懐かしい。今ほど中国や韓国との軋轢に気づかなかったし、主人も元気だったし、前向きに人生設計を立てていた。
今では、いてもいなくても同じような存在に成り下がってしまった....。

PS:今でも覚えているが、あの頃の私の周辺では「大学に残れなかった人が会社に勤務する」と堂々と言い切る人達がいて、何だか後ろめたい気分を強制されていた感があった。
ところが、これほど失礼な話はないわけで、会社と一言で言ってもさまざまな種があるし、自由な資本主義経済で成り立っている日本であれば、真面目に勉強して自分に合った会社に入って、そこでコツコツと世の中の役に立つ仕事に専念して、世界競争率を高めて稼ぎ出し、きちんと生計を立てて家族を養っていく人生の何がいけないんだろうか、と今でも思う。しかも、M製作所はずっと世界シェアトップを維持しているのだ。日本にとっても誇らしいし、やりがいのある仕事だろうが、能力がない人には向かない厳しい職場であることは確かだ。
地に足のつかない理屈ばかり捏ねつつ、よろず非常識がメディアでも大学でも蔓延していたからこそ、日本の国力が低下していったのではないだろうか。
昨日は新聞販売店からまた電話がかかってきた。「止めてしばらく経つけれども、今はどこの新聞を読んでいるのか」との問い合わせだった。「もう新聞は購読しておりません」と正直に答えると(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160401)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160622)、「インターネットですか?でも、紙の新聞も読んでほしいんですけどね」と言われた。
私だって、新聞のみならず本でも、保存性と多くの人々による手間暇掛けた紙媒体に、今も信頼を置きたいと願っている。小学校の頃からスクラップ・ノートを作る習慣があったぐらいだ。ただ、問題は内容である。内容に充実性と信頼性があれば、勿論、お金を払って購読をするし、時間を掛けて読むだろう。そこが欠如しているから、新聞を止めたのだ。
最も困っているのは、配達や販売で暮らしを立ててきた人々だろう。そういうことも視野に入れていれば、新聞記者だっていい加減な捏造記事を平気で掲載し続けなかったはずだ。