ユーリの部屋

2018年02月26日 心理戦・情報戦に負けるな!

http://ironna.jp/article/1818?p=1


日本を再敗北させたGHQ洗脳工作「WGIP」

月刊正論』 2015年7月号

有馬哲夫(早稲田大学教授)


対日心理戦としてのWGIP


・江藤淳の『閉ざされた言語空間』に引用されていながら、幻の文書とされてきたWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)文書が関野道夫の努力によって再発見された。彼の著書『日本人を狂わせた洗脳工作』のカバーにはまさしくWGIP文書(一九四八年三月三日付で民間情報教育局から総参謀二部に宛てた「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」と題された文書が使われている。その努力と熱意に心から敬意を表し、彼の著書がより多くの人々が「自虐史観」から脱する助けになることを切に願っている


・まずアメリカ側が戦争というものをどのように考えていたのか明確にしておこう。

 ハロルド・ラスウェルの『心理戦』(Psychological Warfare,1950)によれば、戦争は軍事戦、政治戦、心理戦に分けられる。政治戦とは政治的手段によって、心理戦とはプロパガンダ情報操作によって、相手国やその国民をしたがわせることだ


・最近のイラク戦争やアフガニスタン戦争を見ても、軍事戦の勝利だけでは、目指す目的が達成できないことは明らかだ。それを達成するためには、政治戦と心理戦においても成功を収める必要がある。そうしないと、軍隊が引き揚げたとたん、政治は戦争の前に逆戻りし、民衆は復讐のため再び立ち上り、戦争をもう一度しなければならなくなる


・ラスウェルは、シカゴ大学教授で『世界大戦におけるプロパガンダテクニック』(Propaganda Technique in World War,1927)などの多くの著書がある政治コミュニケーション、とくにプロパガンダ研究の大御所だ。第一次世界大戦以後のアメリカの心理戦の理論的基礎となっていたのは彼の理論だといっていい。


・『心理戦』は出版年こそ一九五〇年(以下西暦の最後の2桁のみ示す)だが、書かれている内容はアメリカ軍が先の戦争以来実践してきた心理戦、とりわけホワイト・プロパガンダ(情報源を明示し、自らに都合のいい事実を宣伝する)、ブラック・プロパガンダ(情報源を明らかにせず、虚偽の宣伝を行う)、グレイ・プロパガンダ(情報源を明らかにせず、紛らわしい情報を流す)を使い分けた「思想戦」(the Battle of Ideas)をわかりやすく解説したものだ。


・アメリカン大学教授クリストファー・シンプソンが彼の著書『強制の科学:コミュニケーション研究と心理戦』(Science of Coercion: Communication Research & Psychological Warfare,1996)で指摘しているように第二次世界大戦中、陸軍、海軍、OWI(戦時情報局)、OSS(戦略情報局)に心理戦を担当する部局が作られ、多くの社会科学とマスコミュニケーション専門家が動員されていた


・ラスウェルの他にハドレイ・キャントリル(プリンストン大学コロンビア大学ハーヴァード大学で教授を歴任)、ポール・ラザーズフェルドコロンビア大学教授)などの一流学者たちの他に、ジョージ・ギャラップ(ギャラップ世論調査)、フランク・スタントン(CBS社長、CBSはアメリカ二大放送網の一つ)、C・D・ジャクソン(タイム・ライフ副社長)、エドワード・バレット(ニューズウィーク編集長)などアメリカのメディア企業トップもいた。


・アメリカは第二次世界大戦に入ったときから、軍事戦はもちろんのこと、政治戦にも心理戦にも重きを置き、最高学府の学者やメディア企業の幹部たちをそれらに動員していた。そして、アメリカ軍の幹部たちも、士官学校や幹部養成組織で心理戦を学んだ


・アメリカの心理戦重視を如実に示すのが、真珠湾攻撃のあと大統領直属の情報機関として設置されていたCOI(情報調整局)をOWIとOSSに分割したことだ。ラスウェルの理論を踏まえて、OWIはVOA(アメリカの声、アメリカ軍のラジオ放送)などのホワイト・プロパガンダを、OSSはブラック・プロパガンダと非公然の工作を担当するという分業体制を敷いた。


・OWIは四四年七月に日本からサイパン島を奪取したあとそこからホワイト・プロパガンダを日本向けに放送した。同年末にはOSSが同じ施設を使って今度はブラック・プロパガンダ放送を始めた


・PWBと関連する部局としてI&E(情報教育部)があったが、そのトップにいたのは、陸軍に入る前にNBC(アメリカ二大ラジオ放送網の一つ)で広告ディレクターをしていたケン・ダイク大佐だった。彼はPWBの仕事もしたが、投降してくる日本兵を殺さないようアメリカ兵を教育する講義を主として行っていた。この教育が徹底しないと、無駄な戦いはやめて降伏せよというアメリカ軍のプロパガンダが効き目をあらわさないからだ。


・アメリカ軍にもセクショナリズムがあり、陸軍と海軍、この両者とOWIとOSSの連携は良くなかったが、日本兵から得られた情報、とくに彼らがアメリカ軍の心理戦をどう受け止めたかについての情報は互いに共有しあっていた。


・太平洋陸軍が占領のために日本にやってくる前に、太平洋の島々やフィリピンなどの占領地で、すでにラジオ局経営や新聞発行などを行ってノウハウを蓄積していたことは注目すべきだ。つまり日本で行うことの予行演習をそれまでの占領地域で済ませていたということだ。


・グリーンもダイクも実際にラジオ放送や新聞を使って心理戦を行い、日本人捕虜と直に接して情報を得ることによって、日本人に対してどのようにすれば目指す効果が得られるのかを学んでいた


「武器」とされた日本メディア


・四五年八月十四日、日本はポツダム宣言を最終的に受諾して降伏し、翌日に玉音放送が流れて戦争が終結した。そして、マッカーサー率いる太平洋陸軍は日本にやってきて占領軍となり日本人にGHQ(正式名称はSCAP)と呼ばれることになった。あまり日本人が気付いていないことだが、GHQは占領軍であると同時に太平洋陸軍であるという二重の性格を持っていた。


政治戦とは、軍閥打倒、戦争指導者追放、財閥解体、そして、「民主化」、「五大改革(秘密警察の廃止、労働組合の結成奨励、婦人の解放、教育の自由化、経済の民主化)」と彼らが呼ぶものを実行することだ。これによって占領軍日本の指導者が最後まで護持しようとした「国体」をアメリカの都合に合わせて変えようとした


・重要だったのが心理戦だが、その中心になったのは、意外にもグリーンではなくダイクだった。これはGHQのCIE(民間情報教育局)が太平洋陸軍のI&Eを母体として組織されたということによるのだろう。太平洋陸軍のSS(通信部)もまたGHQではCCS(民間通信局)となっている。


・グリーンはそのままPWB所属になったが、R&A(調査分析課)課長になったりもしている。どうも占領軍より太平洋陸軍のPWBを本属としていたようだ。だから占領行政というより、次の戦争のための心理戦の調査分析に専念していたのだろう。実際、五〇年に朝鮮戦争が起こったとき、彼は国連軍(主体はアメリカ軍)のVOAやビラを使った心理戦を指揮する。そのあと日本テレビ放送網のアメリカでの借款獲得工作を手伝ったりしている


CIEの部長となったダイクは、この部局の設置目的にしたがって日本放送協会(NHKという通称は四六年から)と日本の新聞各社(三大紙はもとより地方紙もすべて)、各種雑誌を使って心理戦を行った。


・四五年九月二十二日のSCAP文書によるとCIEの設置目的と機能は次のようなものだった。

 1.CIEは総司令部に日本および朝鮮の公的情報、教育、宗教そのたの特殊な問題について助言するために設置された。

 2.部局の果たすべき機能は、次のことについて勧告すること。

(1)連合軍の情報と教育の目的を達成すること。

(2)あらゆる公的メディアを通じて信教、言論、集会の自由を確立すること。

(3)あらゆる層の日本人に、彼らの敗北と戦争に関する罪、現在および将来の日本の苦難と窮乏に対する軍国主義者の責任、連合国の軍事的占領の理由と目的を周知徹底せしめること。


CIEのターゲットが日本のメディアと教育機関だったこと、他にくらべて(3)だけが他に比べていやに具体的だということに注目する必要があるだろう。


・十一月一日には、アメリカ本国からマッカーサーに対して次のような初期基本指令が通達された。

「貴官(マッカーサー)は、適当な方法をもって日本人のあらゆる階層に対してその敗北の事実を明瞭にしなければならない。彼らの苦痛と敗北は、日本の不法にして無責任な侵略行為によってもたらされたものであるということ、また日本人の生活と諸制度から軍国主義が除去されたとき、初めて日本は国際社会へ参加することが許されるものであるということを彼らに対して認識させなければならない(後略)」


・ダイクは、(1)日本が敗北したということ、(2)その苦痛と敗北は日本の不法にして無責任な侵略行為によってもたらされたということ―を周知徹底させるために関野氏が再発見した文書に言及されている二つのメディアキャンペーンを行った。


・その第一弾が『太平洋戦争史』だ。CIEは自らが用意したこの記事の原稿を日本全国の各紙(とくに朝日新聞、毎日新聞、読売新聞の三大紙)に掲載することを命じた。以下に朝日新聞に掲載された各回の見出しをあげよう。ちなみに、この見出しは新聞によって微妙に違っていることを言い添えておく。

【一回目】十二月八日 眞実なき軍国日本の崩壊 奪ふ「侵略」の基地

【二回目】十二月九日 戦機の大転換 いない艦をも・撃沈・虚偽発表、ガ島に挫折第一

【三回目】十二月十日 連合軍の対日猛攻 新領域独立の空宣伝 東南隅からめくる・日本絨毯・

【四回目】十二月十一日 補給路を断つ 飛び石作戦でひた押し マリアナ奪取、握る制空海権

【五回目】十二月十二日 東條首相の没落 崩れ始めた軍独裁 無理押しの一人四役に破綻

【六回目】十二月十三日 レイテ・サマールの戦闘 レイテの損害十二万 比島ゲリラ隊「共栄圏」に反撃

【七回目】十二月十四日 完敗に終わった比島戦 マニラ、狂乱の殺戮 日本軍の損害四十二万

【八回目】十二月十五日 硫黄島と沖縄 鉾先、本土にせまる 強引作戦に・自殺船・も功なし

【九回目】十二月十六日 ソ連からも肘鉄 焦り抜く小磯内閣 ・四月危機・に鈴木内閣も無力

【十回目】十二月十七日、東京湾上に調印 原子爆弾、驚異の威力 絶望、遂に日本和を乞う


・ラスウェルの分類にしたがえば、これは、情報源を明らかにし、事実を述べているのでホワイト・プロパガンダだということになる。 


・問題は、GHQがポツダム宣言の第十項にうたった言論の自由に自ら違反してプレスコード(新聞などに対する言論統制規則)によって日本のメディアから報道の自由を奪い、かつCCD(民間検閲支隊)を使って検閲を行っていたことだ。しかも、日本国民には彼らがそのようなことをしていることは隠していた。


・江藤はこの状態を「閉ざされた言語空間」と呼んだ。言論と表現の自由がないだけでなく、相手に対してカウンター・プロパガンダを打つことができないこの言語空間では、支配者が発する言説は、被支配者にとってすべてプロパガンダになってしまう。


・当時の新聞の影響力は限定的だった。終戦から四カ月しかたっていないので、紙不足のため、新聞発行がままならず、発行できても、長蛇の列ができて、一般国民にはなかなか手に入らなかったからだ


ラジオ「真相はこうだ」は悪質なブラック・プロパガンダ


・CIEもこのことはよく承知していたので、戦時中大本営発表を垂れ流しにした日本放送協会を解体せず、ラジオコード(放送に対する言論統制規則)で縛りはしたが、その独占を強化することによって、心理戦に徹底的に利用した。


・CIEは『太平洋戦争史』の第一回目を新聞に掲載させた翌日の十二月九日にメディアキャンペーンの第二弾を放った。『太平洋戦争史』のラジオ版ともいえる『真相はこうだ』を日本放送協会ネットワークを使って放送したのだ。


・アナ「われわれ日本国民は、われわれに対して犯された罪を知っている。それは、誰がやったんだ」

 声「誰だ、誰だ、誰がやったんだ」

「まあ待ってくれ。この三十分のうちに、実名を挙げて事実を述べます。そこからあなた方のほうで結論を出し、日本の戦争犯罪についての判断を下してください。……」(音楽高まり、そして低くなる)

 アナ「真相はこうだ! ……この番組は日本の国民に戦争の真実を伝え、その戦争がいかに指導されたかを知らせるものです……」


・このラジオ番組がおおいに問題なのは、その内容もさることながら、ブラック・プロパガンダだったという点だ。あたかも日本放送協会の日本人スタッフが作ったようにミスリードしながらも、実際はCIEのハーバート・ウィンド中尉がシナリオを書いて日本人の俳優に演じさせたものだった。このため、これを聞いて激怒した聴取者は、抗議の手紙を日本放送協会宛てに送った


・CIEはこのブラック・プロパガンダによって、日本が戦争に敗北したこと、苦痛と敗北は侵略戦争がもたらしたのだということを日本人の脳に浸透させることに、なみなみならぬ熱意を示した。


・日本のラジオ放送研究の第一人者竹山昭氏の「占領下の放送―『真相はこうだ』」によれば、この番組は日曜日のゴールデンアワーの午後八時から八時三十分、月曜日の午後十一時三十分から十二時、木曜日の午前十一時から十一時三十分までの時間帯で週三回放送した。週に三回放送したこと、曜日と放送時間帯を変えて、日本人の各層が聴取できるようにしたあたりはさすがNBCにいたダイクならではの知恵だ。


・CIEは新聞によるキャンペーンはやめたが、ラジオ番組の方は続編を作って強化していった。

真相はこうだ』に続いて『真相はこうだ 質問箱』を一九四六年一月十八日以降毎週金曜日の午後八時から八時三十分まで、『真相箱』を一九四六年二月十七日からの毎週日曜日八時から八時三十分まで放送し、四六年六月二十八日からは毎週金曜日の八時から八時三十分に移動させた。一九四六年十二月十一日からは『質問箱』をスタートさせ一九四八年一月四日まで放送した。


・ダイクは四六年三月三〇日の極東委員会第四回目の会議でこのように語っている。

「指令を出すスピードというのは戦いでのスピードに喩えてもいいでしょう。実際、私たちはまだ戦いのさなかなのです。私がいう意味は、私たちはまだ戦いに従事していて、それは平和的工作(peaceful operation)ではないということです。つまり、戦いでは相手のバランスを崩そうとします。そして右のいいジャブを打ったら、相手が立ち直る前に左のジャブを打たねばなりません。私たちは、教育のために与えられる一つの指令を日本人が完全に咀嚼するまで次の指令を出すのを待つつもりはありません」


・アメリカの占領目的を達成するためには、日本人が敗戦のショックから立ち直り、我に返る前に、心理戦を次々と仕掛けて成果をあげておかなければならないということだ。


・同じCIEでも下っ端の下士官には、一般市民に対してこのようなブラック・プロパガンダを浴びせることに罪悪感を抱いているものもいた。

マッカーサーの日本』によれば、『真相はこうだ』などの脚本を書いたウィンドは次のように一九四六年一月二十五日の日記に書いている。

「(前略)私はこの番組(『真相はこうだ』)にどういう意味があったのかということを、ここで考えてみたい。ある人は・ベリー・グッド・だといったし、日本人の通訳や演技者たちも、意味がよくわかるといってくれた。NHKに、たくさんの手紙が来た。私はその一部を読んだ。(中略)私の耳にはこのシリーズに関しての非難の声が、くっついて消えない。ある章については憤激の抗議を呼んだ。また多くの視聴者は、さらに多くの他の事柄に関して知りたい、といってきた。(中略)

ニッポン・タイムス』の編集者たちも批判的だった。私の親友も・バッド・だといった。・なぜなら、君が今していることは、敗者の顔をさらに手でなするようなことだからだ・と。……ある人は脅迫状を送り付けてきた(後略)」


・製作を手伝わされた日本放送協会職員はまた別な意味で、このシリーズに違和感を持ったようだ。四六年の『放送』(日本放送協会発行)の三・四合併号に次のような記述がある。

「野蛮な軍国主義や、極端な国家主義を、この国土から追放しなければならぬことは勿論であるが、惨ましい敗戦を誇らかに喜ぶのは国民の感情ではない。にもかかわらずこの劇的解説の主役のエキスプレッションは、動(やや)もするとそのような傾向を帯びているかに解せられた。〈真相は知りたいが、あの放送を聞くと何か悪寒を覚える。この解説者ははたしてわれわれと手をつないで日本の再建のために立ち上がる同胞であろうか〉とはわれわれの周囲の大多数の見解であった」


「太平洋戦争」呼称を広めた東大歴史学教授


・救いようがないのは、『太平洋戦争史』を翻訳して書籍にし、その歴史観を広めようとする日本人がいたということだ。それは当時共同通信の渉外係をしていた中屋建弌だ。渉外とは外部との連絡をとる業務だが、彼は検閲などで占領軍と頻繁に接触していた。


・書籍版の『太平洋戦争史』のなかの「訳者のことば」で次のように述べている。

「(前略)この無意味なりし戦争が何故に起こったか、そして又日本軍閥がわれわれの自由を如何に横暴に奪ひ去り、善意なる国民を欺瞞して来たか、について明確にすることは、その渦中にまきこまれていた日本人の立場を以てしては今のところ極めて困難である。この連合軍総司令部の論述した太平洋戦争史は、日本国民日本軍閥の間に立って冷静な立場から第三者としてこの問題に明快な解決を与へている終戦後極めて短時日の間に起草され又われわれとしては更に詳細なる論述を希望するものであるが、一読してわれわれが知らんとして知り得なかった諸事実が次々に白日の下に曝され、その公正なる資料と共に戦後われわれが眼にふれたこの種文献中の最高峰たる地位を占めるものであることは疑ひない」


・『太平洋戦争史』がCIEによって作成されたものであることを明らかにしている点と軍閥」と「日本人」とを区別している点は中屋を評価できる。しかし、GHQが「日本国民日本軍閥の間に立って冷静な立場から第三者としてこの問題に明快な回答を与えている」という彼の理解には驚くしかない。


・戦争において日本国民日本軍閥は敵同士ではなかった。敵はアメリカ軍だ。アメリカ軍は日本国民日本軍閥と戦った当事者であり、いかなる意味においても第三者ではあり得ない。

 中屋が述べていることは、要するに先の戦争を敵であるアメリカの立場から見るということだ。どんなマジックを使えば、それが第三者の立場から冷静に見ているということになるのだろうか。


・恐ろしいことに、書籍版『太平洋戦争史』は、十万部を超えるヒットとなった。そのわけを江藤が暴露している。


・CIEは「大東亜戦争」や「八紘一宇」などの言葉を使うことを禁じ、それまで正規の科目になっていた修身を廃止するとともに、新しい歴史教科書を作成させた。その歴史教科書の参考書として『太平洋戦争史』を使うよう文部省に命じたのだ。このような「トンデモ本」が十万部も売れた理由はそこにあった。


・驚倒すべきは、この中屋はこののち東京大学の歴史学の教授になったことだ。しかも、歴史教科書や著書を多く書いている。あろうことか、これらは戦後の現代史の標準的かつ一般的なテキストとして広まってしまう。それにつれて「太平洋戦争」という極めて不自然な、実態にあわない用語が定着することになってしまった。


・自虐的歴史観は、いかにも戦争責任を重く受け止めた良心的日本人が自発的に発展させたもののように理解された。真の出所はCIEなのに、日本人である中屋が出どころのようにミスリードされたという点でも「太平洋戦争史」はブラック・プロパガンダだった。


WGIPの効果を決定的にした制度


・CIEの心理戦の力点は、関野が指摘しているように、極東国際軍事裁判を日本人に受け入れさせることにシフトしていく。そのために、日本人が侵略戦争をしたということ、その過程で残虐行為を行い、アジアの国々の人々に多大の被害を与えたこと、日本人全員がそれについて責任があるということが強調された。


アメリカ軍自身も、投降してきた日本兵を多数殺したこと、広島・長崎で人道に反する無差別大量虐殺を行ったことから日本人の目をそらすためだ


・現にNHK放送文化研究所の元主任研究員向後英記も、『真相はこうだ』などのプロパガンダ番組が失敗だったといっている。竹山も番組の表現などが稚拙だったので、聴取者の反発を招いたが、その後改善されたといっている。だが、今日の常識では、反発もまた、反響の一種であり、聴取率をあげる要素の一つだ。そして、聴取されるということは、影響力を持つということだ


・ポール・ラザーズフェルドは、「マスコミュニケーション、大衆の趣向、組織的社会行動」(Mass Communication, Popular Taste, and Organized Social Action, 1948)のなかで、人々を洗脳するためには次の三つの条件を満たさなければならないと述べている。ちなみにこの論文はアンソロジーに収められたのは四八年だが、内容は三〇年代のラジオ放送のもので、以前から知られていた。

(1)マスコミュニケーション手段の独占

(2)回路形成

(3)制度化


・まず(1)だが、人々をあるイデオロギーに染まらせるには、そのイデオロギーを肯定する情報だけが流れ、否定する情報が流れない状況を作る必要がある。つまり、イデオロギーを植えつける側のプロパガンダだけが流れて、カウンター・プロパガンダが一切流れないマスコミニュケーション環境を作らなければならない


占領軍は、日本放送協会や新聞などのメディアを支配することによって、そして検閲を実施することによって、江藤のいう「閉ざされた言語空間」を作り、カウンター・プロパガンダをすべてシャットアウトできるマスコミュニケーション環境を作りあげた。



朝鮮戦争でもヴェトナム戦争でも、アメリカ軍は陸続きの近隣諸国から人や電波を介して占領地に入ってくる敵性プロパガンダを遮断することはできなかった。インターネットが発達した今日では、イラク戦争やアフガニスタン戦争でも、やはりアメリカ軍は敵性プロパガンダを遮断することはできなかった


なぜアメリカは日本の占領には成功したのに、そのあとの占領では失敗したのかはこれで説明できる。


・(2)は最初にある情報を与えると、それを受ける人間に固定的回路ができてしまい、そのあとそれに反する情報を何度送っても、受け付けなくなることをいう。


イデオロギーに関しても、今まで知らなかったことを初めて教えられると、そのあとそれと違ったことを何度教えられても、最初に教えられたこと以外は受け付けなくなる


・戦争について詳しく知らされていなかった。そこへ戦後、占領軍によって、『太平洋戦争史』や『真相はこうだ』シリーズによって、初めて詳しい情報を与えられた。それらは基本的にアメリカ側によるプロパガンダだったのだが、それ以前には知らされていなかっただけに、大多数の日本人は信じてしまった


・戦争についてある程度知っている大人には、効果はあまりないが、まったく知識がなく、抵抗力のない子供たちには効果は絶大だった。


・最後は(3)の制度化だ。前述の二つのことが、短期的に強力に行われても、それが行われなくなれば、その効果はやがて消える。これを永続的なものにするためには、機関や制度が作られる必要がある


・日本では、教育機関と教育制度が占領期にアメリカ軍が行った心理戦の効果を永続化させた。


・CIEはまず大東亜共栄圏」に関する書物焚書を行った。次いで「大東亜戦争」という名称の使用を禁じ、「太平洋戦争」という名称を強制した


・不思議なことに、占領軍とはイデオロギー的に敵対しているはずの日教組もこの「制度化」には進んで協力した


日本の教育機関と教育制度そのものが、現代史に関しては、反日プロパガンダを行うものとして「制度化」された。そして、いわゆる「自虐的」歴史観公教育によって「制度化」され、これによって広まり、永続化することになってしまった。


現代史に関しては、占領軍の心理戦が功を奏したため、歴史的事実と反日的プロパガンダとが区別できなくなっている。この病弊がCIEの標的とされた大手メディア企業や教育機関や太平洋戦争史観を奉じる「正統」歴史学者にとくに顕著にみられるのは不思議ではない。


・ラザーズフェルトのコミュニケーション理論によって説明できるCIEの心理戦の成功例は「五大改革」の一つ「婦人解放」だ。CIEは日本放送協会にラジオ番組「婦人の時間」を放送させただけでなく、放送後に、聴取者を集めてその内容について話し合う集会を開かせた。この集会で啓発された女性たちは、今度は自らの口コミで同調者を増やして運動の輪を広げていった。これはラザーズフェルドの「人々の選択」(The People's Choice, 1999)で明らかにした理論の実践だ。つまり、ラジオ番組を流すだけでなく、番組の聴取者のなかからオピニオンリーダーを作ることによって、コミュニケーションの二段階の流れを作ることで「婦人解放」のイデオロギーを広めていったのだ。


・戦後七〇年になるのだから、私たちはそろそろ占領軍の政治戦と心理戦の呪縛から抜け出さなければならないのだが、そのためにはまず、占領軍が行ったことがアメリカの利益にそって日本の「国体」を作り変える政治戦と心理戦だということ、憲法も教育基本法も放送法も、言論と表現の自由を奪われ、検閲が行われたこの占領期に作られたのだということをしっかり認識し、その意味をよく考えなければならない。



・ありま・てつお 昭和28(1953)年、青森県生まれ。早稲田大学卒業後、東北大学大学院文学研究科修了。東北大学大学院国際文化研究科助教授などを経て現職。アメリカの占領政策と日本のマスメディアの関係を明らかにする研究に注力。著者に『アレン・ダレス 原爆・天皇制終戦をめぐる暗闘』『児玉誉士夫 巨魁の昭和史』『こうしてテレビは始まった―占領・冷戦・再軍備のはざまで』『1949年の大東亜共栄圏―自主防衛への終わらざる戦い』など多数。

(部分抜粋転載終)

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