2007-09-30 大阪外国語大学 
高校3年生の時、名古屋の大学を受け、当然のように落ちた。
前期試験は落ちて、後期試験は神戸市外大を受ける予定だった。
この時中期試験ってのがあって、その試験でとある大学に受かっていた。(正確にはセンターリサーチ時点で合格は間違いなかった。)
でもそこには生きたいとは思わなくって、後期試験落ちたら二浪して東大に行くしかないと思っていた。
センターリサーチの結果をのぞいていた子が言った。
「あんたなんで大阪外大受けんの〜?」
オレはセンター試験受ける教科を減らして東京外大に臨んでいた。
だから、人より受けた教科が少なかったので、必然的に受けられる大学の幅が狭くなってしまっていたのだ。
その幅の中に、大阪外大が後期試験であれば入っていることを知らなかった。
しかしその子の一言のおかげで、オレは大阪外大を後期試験で受けることにした。
センターリサーチには大阪外大を書かなかったので、センター終了時点でオレがどの位置にいるか知らなかったけど、二浪覚悟だったのでそれでもよかった。
結果、大阪外大に入ったわけだ。
今でも忘れない。
受かってすぐ意気揚々と大阪に来て、どんな都会に大学があるんだろうとワクワクして乗ったあの千中からのバスの中で見た、
遠い山の上にぽつんとある学校。
あんなところに学校があるんだ〜
なんて思っていたらバスがそこに着いた。
「大阪外大前〜大阪外大前〜」
「ここかいっ!!!(笑)」
それはオレと外大の初対面。今思い起こしても自分で笑えてくる。
そこで過ごした4年間はとても早く過ぎて、でもとても大切な時間。
1年生の時は毎日のようにいつも3人で行動した。
昼メシ、授業、部活後のメシ、家飲み、カラオケ、そして原チャ和歌山の旅。ボードにも行ったなぁ。
オレ達彼女いない3人組、1年目の年賀状には「来年こそ彼女を作ろうぜ!」なんて送りあった。(笑)
そして2年生にあがる直前の春休み。オレはタミコシと付き合うようになった。それから卒業するまでは、いつもタミコシと一緒にいた。毎日楽しかった。彼女が、タミコシがいつも隣にいて嬉しかった。
1年生〜2年生の夏すぎまでは体育会のサッカー部にいた。
そこで一緒にサッカーやった先輩や同期、マネージャーさん。時には留学生の子も混じってサッカーやった。たくさんのサッカー好きの仲間と知り合った。
その後は阪大のサークルに行くようになった。色々あったけど、色々乗り越えていまだにサークルと縁があるのも、奇しくもB棟エレベーター前で声をかけられたからだ。
3年生4年生で自分のほぼ全てを捧げたゼミ。素晴らしい仲間に出会えたし、本当に自分を成長させてくれた。
今のオレがあるのはゼミのおかげだし、これからのオレがあるのもゼミのおかげ。
外大で、オレはかけがえのない青春をすごした。
外大に行っていなければ、オレの人生は100%違っていた。
外大は、オレの人生の中でとても大切な時間。たくさんの思い出を作ってくれた舞台だ。
その外大は、校舎こそ残れどその名前はなくなる。
うつろいゆく世の中で、名前がなくなる運命だったのかもしれない。
それは悲しいことだ。
いつの日かきっとくる。母校の話をするときだ。
「大阪外大。阪大の外国語学部が、昔は大阪外国語大学っていう名前だったんだよ」って。
関西で外大の話をする時、
「関西外大と神戸市外大のどっち?」
って聞かれるとき。
いまだにゼミの先生と連絡取り合っているけど、いつの日か来る。アドレス変更の連絡。
「○○○@osaka-gaidai.ac.jpというアドレスから変わりましてので、登録の変更をお願いします」って。
いつか喪失感を感じる時が来るのかな。
母校は一つ。
ガイダイ、外大、gaidai。
大阪外国語大学っていい名前だ。
愛校心なんて持ったことないけど、
今感じているこの感覚がそれなんだろうか。
秋はセンチメンタルな季節だなぁ。


