2011-12-05
■[武術] 10ヶ月ぶりの外練習 
今お世話になっているお寺は月曜日が休みなので、昨夜から自宅に戻っている。仕事の締め切りなので今朝までに原稿を仕上げなければならなかったが、疲れていて二時頃には就寝。
今朝は七時半に起きて仕事を始めたが、どうにもはかどらない。そこで、近所で練習する事にした。寒くなっては来たが、十時過ぎともなると太陽も昇って暖かい。柔らかな陽射しを浴びながら、まず木刀の素振りを少々。
お寺でも素振りをしようと通販で木刀を一本買ってはみたが、振りにくくて続かなかった。白樫製で、ものは悪くないのだが、振る人の事を考えていないんじゃないかという作り。そもそも、柄の末端と鍔元で太さが違うのである。全体的に太い上に鍔元へ行くほど太くなっていて、握りにくい。また重量も640グラムと自分にとっては重め。
今日、久しぶりに愛用の木刀を外で振ってみて、その振りやすさに驚いた。柄が細くて握りやすい。全体的に細身で軽く、片手打ちの練習にも負担が少なく、楽に振れる。この木刀での素振りは、ウォーミングアップに最適なのだということが、今さらながらよくわかった。
私の場合、木刀の素振りはあくまでウォーミングアップとして行っていた。八卦掌を始めるまで5、6年の間、毎日500〜1000本くらい振っていた。そのおかげで、丹田の使い方に目覚めたし、左右を持ち替えながら片手打ちを練習することで手が器用になった。いろいろと効用があったのである。
今朝は、そのあと走圏を少々。熊形、龍形と練習して気血が巡って気分もよくなったので、仕事に戻った。個人的には、短時間とはいえ練習の効果は絶大だったのだ。
考えてみれば、自宅へ帰って外で練習するのはお寺に入ってから初めてだ。これまでは、それほど余裕がなかったのだなと、改めて実感。練習不足を実感するようになったので、これからは少しでも練習していこうと思った。遠藤先生に八卦掌を学んでよかったなあ、と改めて感じた朝だった。
では、これから仕事します。
2011-11-13
■[武術] 勤行とタントウ功 
前回の更新から四ヶ月たってしまった。なかなかブログを書く暇もなく、忙しくしております。
お寺の生活には慣れてきたが、やはり仕事との両立はなかなか大変である。武術の練習はさらに時間もエネルギーも足りず、なかなか取り組めていない。
そうした生活なので少しでも生活に武術を取り入れるべく工夫しているのだが、まず、朝夕の勤行を鍛錬の一環にしようと努力している。
私が修行している本應寺では、朝六時半〜八時半、夕の五時半〜六時半の二度、勤行が行われる。敷地続きにある栖岸院で行われる朝の勤行は、大まかにいってお経30分、念仏30分、瞑想15分、回向などで15分。そして本堂隣の観音堂で念仏を中心に30分の行われる。夕方は念仏、瞑想ともに30分ずつである。
読経や念仏は正座、瞑想は半跏趺坐で行うのだが、このときにタントウのやり方を取り入れている。丹田で呼吸しながら、気を丹田に沈める。腎を充実させる。
浄土宗では合掌した手は指先を45度前上方に向けるのだが、このとき肩をゆるめ、肘を脇すれすれの位置に置く。肘を脇につけてもいいのだが、そうすると楽になって鍛錬にならないので、少し離すようにしている。
合掌した手は指をしっかり伸ばすように指導される。これを長時間続けるのはなかなか大変である。また、本来両掌はをピタリと合わせるのだが、合わせてしまうと両手で押し合ってバランスをとり、どうしても肩に力が入ってしまう。そこで私は両掌をつけるかつけないかのすれすれの位置にしておき、肩に力が入らないようにしている。
手は龍形の時と同じような意識、あるいは大東流の合気上げの鍛錬になるような意識で身体内部を調整する。
半跏趺坐の場合、手は膝の上に置いて印を結ぶか、両手を丹田の前に置いて法界定印を結ぶ。このときも、しっかり腰を立て、気を丹田に静め、腹式呼吸をゆっくり行う。調子のいいときは手を少し浮かせ、両腕が肩、背中でつながって一本になるように意識して体を調整する。
こうした工夫で、勤行と武術が少しでも結びつくように工夫しているわけである。
ただやはり足の鍛錬はどうしても不足して、スネやふくらはぎの筋肉が堕ちてきたのがわかる。代わりに、正座は40分くらいはできるようになったし、座ったときに丹田がきまるようになってきた。
正座は自然に丹田が養われるようにできているので、日本人の生活から失われてしまったことはつくづく残念である。私の生徒に書道を長く稽古した女性がいるが、二時間以上正座して書道をしていると、自然と正しい姿勢になり、また楽に座るには中心が定まることが必要なので、自然と丹田ができてくるという。
畳のない家が多くなったが、やはり食事くらいは畳の上に正座してとりたいものだ。これから家を建てようと考えている方は、ぜひ和室をひとつはつくってくださいね。畳はいいものですよ。
東方異人
他の僧にばれたら、どうなんでしょうね?「こら、余計なことをして」と怒られるのか、それとも「それまたよし」とされるのか?本来の目的を果たせるなら付加価値を付けていった方がいいと私は思いますが。星座と丹田の話は、初耳でした。やっぱりその素養がある人とない人では吸収も違うでしょうね。
ixima
東方異人様
コメントありがとうございます。
僕のやり方は外見は何も変わらないので、自分からいわない限り知られることはないと思います。知られても、念仏の精神がおろそかにならなければ問題はないと思います。
日本の仏教には、身体的な注意はあまりないようですね。浄土宗では呼吸法や丹田養成などの注意はまったく伝えていないようです。うちの住職も、自分で工夫されています。
2011-07-11
■[武術] 近況報告 
2月6日以来、下高井戸にある本應寺にお世話になっている。住み込んで浄土宗の修行をしつつ、自分の仕事をさせていただいている。
朝は六時前に起きて勤行、その後はお寺の内外の掃除。十時に朝昼を兼ねた食事をとり、その後は種々の作務。五時半から夕の勤行、それが終わると食事の準備、食事、後片付け。
自分の仕事ができるのは、その後である。時には徹夜しなければならないときもある。基本的に文字通り「小僧」なので、何かと大変だった。
何しろ五十歳を過ぎている。作務は肉体労働も多い。最初の三ヶ月はお寺のイベントのための建物の建築手伝いで、元大工である先輩僧侶の助手をやった。
この人は典型的な気むずかしい職人気質の大工さんで、現場仕事の経験が全くない私は実に苦労した。
二つしか年の違わない私が何もできないということがよく理解できないらしく、すぐに怒り出すのである。十代ならともかく、いい年をした男が基本的な大工仕事もできないのはバカに違いないと思ってしまうようだった。
なんとかその仕事は終わり、その後は比較的平穏な生活が続いている。
武術に関しては、生活が全く変わってしまったので、遠藤先生の教室にも通えなくなり、自分の練習もあまりできていない。唯一、毎週水曜日の夜に行っている指導だけは続ける許可をいただいた。
お寺に入って一ヶ月、震災が起きて日本の状況も大きく変わってしまった。これからここに書く内容も以前とは変わってくるだろうが、これからも少しずつ更新していきたいと思う。
TanTan
生島先生、初めまして。
自分はTanTanと申します。
先生の武術雑誌時代の記事も含めて、ここの日記もよく拝読させて頂いておりました。
最近更新がないようでしたが、ご健勝のようで誠に重畳です。
僧房での生活は大変でしょうが、また新たな心の気付きなど、武術と絡めてアップして頂けたら幸いです。
突然の書き込み、失礼いたしました。
東方異人
なんと、下高井戸は地元なのでビックリ。
50を過ぎてからと言うのはきついですよね。
でも慣れれば、武術で培った知恵と体力が生かされてくるのも間近だと思います。
人生色々ですね。本当にすごいことだと思います。
武術の技では倒せない、人生の難関に対処することって、思ったより難しいと私も思います。
ixima
TanTan様 コメントありがとうございます。
ご愛読くださり、感謝いたします。
お寺での生活で気づいたことは、精神面、武術の面ともにたくさんありますので、少しずつ記録していきたいと思っています。
これからもよろしくお願いいたします。
ixima
東方異人様
下高井戸は地元でしたか。
私のいるお寺は、神田川と甲州街道の中間あたりで、永福町へも歩いていけます。
最近は毎日暑いです。
台湾ほどではないでしょうが……
「武術の技では倒せない、人生の難関に対処する」、これっていちばんむずかしいですよね。心置きなく武術の練習ができる環境って、本当にありがたいものだなと思います。今は心置きなく仏教の修行ができるので、これもありがたいですが。
ご帰国の際はぜひ声をかけてくださいね。
東方異人
聞いているだけで風景が目に浮かびそうなくらいなつかしいです。今はまだめどが付きませんが、付いたときにはお邪魔させていただきます。
幼少時と違い「変身+ビーム発射」ですべてが解決できるヒーローよりも、借金の返済だとか突然の解雇だとか、ビームや光線銃では倒せない敵と戦っている生身の人間のほうがずっと強力だなあと実感します。武術のきっかけってヒーロー願望みたいな要素があるので、特にそう思います。
ixima
お寺は消防署の向かいにあって、永福町へは一本道です。今から永福町経由で三鷹方面へ八卦掌を教えに行ってきます。それにしても今日は暑かったなあ。台湾並みかも。
KOI
iximaさん、ブログの更新が止まっていたので心配していましたが、まさか出家していたとは。
嫁の実家が近所なのですが、お寺にご訪問することは可能なんでしょうか?
千日回峰行を2回も満行した酒井大阿闍梨も40歳で出家したそうですから、50からでも遅くはありません。
それと、大工仕事の先輩は滝行の滝ですよ。
きっと心を強くしてくれたのでしょう。
天の神様は今必要なものを与えてくれます。
がんばってください。
ixima
KOI様
コメントありがとうございます。お元気そうで何よりです。
私はまだ出家はしておりません。そのうちすることになるとは思いますが・・・・・
いつでもおいでください。
夕の勤行は五時半からですので、その頃おいでくだされば、お寺で一緒に晩ご飯を食べましょう。
お寺での生活は、確かに修行になると思います。
勤行とはまた別の面で鍛えられます。
この年になって生活の面で学べるというのは、貴重な機会だと思っています。
なかなか生きづらい世の中になってきましたが、お互いにがんばりましょう!
masato-0
生島様
突然の書き込み、失礼致します。
masato-0と申します。
ブログを拝見させて頂いておりましたが、
近日更新がなかったのでとても気になっておりました。
ご健勝のようなので安心し、つい書き込んでしまいました。
他の方々も仰られている
「武術の技では倒せない、人生の難関に対処する」
とは本当に難しいですね。
多少武道を経験している程度では、日々の小事にすら難儀な事もあります。
私自身もそうですが、周り全体が生きづらさを感じながら過ごしているようです。
ですが近況を読ませて頂き、少し明るい気持ちになりました。
まだ暑い日が続きそうです。何よりお体には気をつけてお過ごし下さい。
ixima
masato-0さん、コメントありがとうございます。
ご愛読くださり、ありがとうございます。
masato-0さんも武術を練習されているんですね。
お仕事に武術に、がんばってください。
これからもよろしくお願いいたします。
東方異人
「逃走中」と言う番組、台湾でもやっています。
ヘリコプターが出てきて逃走者の位置を探り始めた時、逃走者は「厭だなー、あれ。」と言いましたが、すでに牢獄に捕まった人たちは「あれいい、あれがやってみたい!」と言いました。
人はなぜ、修行をしたがるのでしょう?
たぶん、人は死んだらみな牢獄の人みたいに感じるからでしょう。「あんな風に悩んでみたい。ああいう困難な状況の中で、人生をプレイしてみたい。」って。
ビームや光線銃やライダーキックでは倒せない、生身の人間の辛口人生は、あの世からはとても美しく見えるのだと思います。何気ない一軒家の灯りが、遠い丘の上から見ると美しい光を放っているように。
ixima
東方異人さん、コメントありがとうございます。
おっしゃりたいことは、「生まれてきた意味」「人生の意味・意義」といったことですね?
確かに、自分はなぜ生まれてきたのか? という問題についてはよく考えます。
ゴーギャンの絵に、
「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」
という作品があります。
このタイトル通り、われわれは何も知らずに生まれてきて、何も知らないまま生き、どこへいくのかもわからないまま死んでいきます。
僕は好奇心が強いので、「自分の体をどうやって効率的に動かすか」「人生の真理とは何か」という疑問を二大テーマとして、自分なりの答を見つけたいと思って来ました。
いまお寺で修行しているのは、そうした探求の一環です。
おっしゃるように、肉体を持たない魂の状態から見れば、肉体を持ってこの地球を冒険するというのは、刺激に満ちたことなんでしょうね。体がないと武術もできないし。
解脱したインドの聖者のことばを紐解くと、現世を味わい尽くさないと、解脱しようという願いは起きてこないそうです。
自分がそこまで人生を経験しているとは思えませんが、「悟り」「解脱」とはどんなものなのか、非常に興味を覚えます。おそらく、この地上のどんなものよりも価値があるものでしょうから。どうせだったら最高のものを手に入れたいと思うのです。
東方異人
子供の頃は誰でも、ヒーロー願望があると思うのです。武術を習うのも、その延長かもしれません。
だけど、大人になるとみなスペシウム光線やライダーキックでは倒せない、ある意味怪獣や怪人よりも恐ろしい敵と戦っている普通の人のほうがよっぽどすごいと思うようになります。肉体のある物質界では、その制限の中に生きることそのものが修行なのだと思います。私たちは不便でつらく感じますが、そうした制限を受けない世界から見ると逆にそこがすばらしいのではないかと思います。
修行がんばってください。
ixima
東方異人様
コメントありがとうございます。
返信が遅くなって申しわけありません。
がんばって修行させていただきます。
お互いに、肉体を持ったこの世界を楽しみましょう。
2011-01-31
■[武術] 劈掛と八卦 
先日、鉄掃把という劈掛拳の技を練習していたら、いろいろと気づきがあった。学生時代(1982年頃)に劉雲樵の劈掛掌の基本を少しだけ習ったのだが、その技と同じであることに気づいたのだ。
外見はずいぶん異なっているのだが、やっていることは同じだった。鉄掃把は用法そのままの形が技になっている。しかし、劉雲樵の劈掛掌では明確に馬歩をとり、様式化されているので用法がすぐにはわからないようになっているのだ。だから、一見して鉄掃把とは違う技に見える。
この動画の32秒あたりに出てくる技が、該当のもの。残念ながら名称は知らない。
この技では右手を水平に振り回しているが、振り回さずに右手を胸のすぐ前を通って左脇へ差し込むように行う技もある。そのやり方だと、下盤の形が少し異なるだけで、八卦の単換掌と同じ技になる。左手が上、右手が下になる点も、共通している。
他にも、劈掛拳(通備拳)の基本である単劈手と、八卦掌の穿掌、蓋掌の単操がよく似ていること、反背捶の単操とまったく同じものが劈掛拳にもあることなど、程派の八卦と劈掛は本当に共通点が多い(ちなみに、単換掌は尹派にはないようである)。
2011-01-27
うふちゅん人
ご無沙汰しております。
最近パルクールをしている方と知り合いになりました。
跳躍もさることながら、着地が跳躍のわりにふわっと静かなんでビックリしました。
ixima
日本でも練習している人がいるんですね。
あんな事ができたら、楽しいだろうなあ。
うまい人は着地も柔らかいんでしょうね。




そういえば、中国武術と僧は切っても切れない縁ですよね。
八極拳を伝えたのも、ライなにがしという僧だし、少林寺に至っては、僧そのものだし。
有名な千葉の先生もどこかの禅僧でしたよね。
iximaさんが袈裟着て、走圏してるのも絵になるかもしれません。
またいずれお会いしたいものです。
近頃、めっきり衰えを感じています。
あの青山教室時代が懐かしい。
楽しい思い出です。
僕は袈裟はまだ着たことはないですが、毎日作務衣を着ているので、走圏もそのままやっています。
最近は、毎週水曜日の夜7時から下高井戸のお寺で教えているので、よかったら来てください。
私も、最近は昼に練習することにしました。
この仕事、書く時間より考える時間が圧倒的に長い。だから意味もなく夜まで座っていても疲れるだけで練習もはかどらない。なので思い切って昼間に練習することに。すると、そっちのほうが気持ちいいしおまけに仕事の時も頭が冴えるようになりました。やはり、運動は脳の活性化に欠かせません。
東方異人さんのように黄先生の総教練をつとめておられるような方に見せられるようなものではないのですが、もしご帰国の際に気が向いたらぜひ遊びに来てください。
色々お考えがあってのことだと思います。
そういえば私自身も、いつの間にか自分にとって武術は「保健体育」として欠かせないものになっています。
一度も武術として使ったことはないし、これからも使うことはなさそうなので、高級な保健体育として一生続けていくつもりです。
ゆっくりお話できるといいですね。