ブログトップ 記事一覧 ログイン 無料ブログ開設

石井NP日記 Twitter

親サイト「筋トレ」はこちら。
モバイル「星読み」はこちら。

2010-01-25

もんだいなくない。


「マスメディアが科学的根拠のない占いを取り上げても問題ない理由」

http://www.kochikoma.net/blog/2010/01/post-c592.html



占いで未来を予言することは

「詐欺」の一種として、違法とされていた社会・時代も多々ある。

このブログが言っているように、

マスコミで報じられた占いを信じて、

人生における何らかの重大な決断をして、

それが失敗や不幸につながったとき、

メディアや占い師を訴えることができるのかどうか

という問題が容易に思い浮かぶということは、既にその時点で

「問題アリ」なのだ。




ここには、隠れたちいさなテーマもひとつ、含まれている。

それは、「選ばれなかったもうひとつの未来」は存在しえない、ということだ。

人間が何らかの選択をした場合、

たとえば、AとBという2つの選択肢があって

その「A」を選択した場合、

「Bを選択した未来」というのは、どこにも存在しないし、

それをやってみることができない、ということなのだ。

元に戻って選択し直してみて比べることができない。

Aを選ばなかった人生というのが、どこにもないのだ。

想像はできるけど、絶対に存在し得ないのだ。




「天気予報は必ずぜったいにあたる」と思っている人が誰もいないように、

「占いは絶対に当たる」と思っている人がいない、ということも事実だ。

これは個個人の認識の問題ではなく

「占い」という言葉が持っている定義による。

これは単純に、言葉の定義の問題だ。

「当たるも八卦、当たらぬも八卦」は

占いという言葉に組み込まれた「意味」であり、

各人の想像ではない。

「占いが絶対当たる」というのは「女優は男性がやっている」というのと同じくらいの

単純な、語義の誤解だ。

「はずれるかもしれない」という意味を、「占い」という言葉は含んでいる。


ただ、この「はずれるかもしれない」ものを

マスコミという、一応「事実をお伝えします」ということになってるメディアが

「こうなるでしょう」と言ってしまっているところには

やっぱり「問題がある」と思う。

「マスコミが選んだ占い師ならば当たる確率が高いだろう」

というくらいの想定をする人がいてもおかしくない。

「マスコミは信頼性の高い情報を提供するであろうし、

 ならば、統計的に当たる確率の高い占い師に占いを依頼するであろう」

という予測がなされたとしても、おかしくはない。

実際には、テレビ局がそんな統計とったりしてるわけはないし

ましてや、占い師が自分の占いに

統計的に有意な情報だけを使ってます

なんてのは少なくとも私は聞いたことがない。

あくまで経験則に過ぎず、

それは感覚に近いものであり

例外、反例はどうしたって、あるはずだ(と私は思う。私が思うだけだけど。でも、反例がないぞと言い切っている占い師なんかいるのかなあ。いないと思う)。


だけど実際、地震や災害のことを研究してる星占い研究家もいる。

これをマスコミで伝えることは明らかに「大問題」だろう。


でも、実際、

予言者とか超能力者と言われる人々に、

マスコミは、予言をさせてそれを報道したりしている。

それを信じて恐れている人もたくさんいる。

マヤ暦が終わることを題材のひとつとした「フィクション」である「映画」が

製作されたりしている。

これはどう考えればいいのだろう。

終末論はどの時代にも、人間の大好物で

1999年に世界が終わらなかったのに、

また、新しい終末論を、ドキドキしながら信じたがっている「人類」がいる。

これは、それを信じる人間がバカだとかそういうことじゃなくて

人の心がそれに、惹きつけられるような構造を持ってる、ということなんだろう。

それに魅力を感じるのだ。

怖れながらも、それをワクワクしながら想像したり

それを見たいと、心のどこかで思ったりしてしまうのだ。

「占い」は、

はずれても、なぜか、占い自体は傷つかない。

1999年ははずれても、

2012年ははずれないかもしれない

と、

人類は、思ってしまうのだ。

これはとても不思議なことだけど、

でも、事実、そうなっている。




占いは当たらないかもしれない。

でも、当たるかもしれない。

当たるか当たらないかわからないもの、というのが

なんでこんなに、

古来、人間社会では必要とされているのだろう。

「そんなの必要じゃないよ」とも言える。

占いが無くても死なない。


それはしかし

小説が無くても死なない

音楽が無くても死なない

お芝居が無くても死なない

というのと似ている。

ほんとは、厳密には、究極には、「それがないと死んじゃう」のかもしれない。

音楽が無くても、生物学的には私は「死なない」かもしれない。

でも、こういう言い方はできるかもしれない

「音楽がなかったら、生きてることが目減りする」

「音楽が無くても死なないかもしれないけど、

 生きてられるかと言えばわからない、100%そうとは自分では言えない」

「死ぬと生きるが黒か白かじゃなく、

 その中間のグレーみたいなのがあって、それになるかもしれない」

くらいは、言えちゃうかもしれない。


マスメディアで占いを報じることに、問題がないか。

これは、私は、問題は、あると思う。

この「問題がある」は、

タバコを売ることに問題がないか

というのに近いと思う。

昨今ではタバコの存在そのものが「問題がある」とされているが

相変わらずテレビではタバコのCMをやってるし

やっぱり、店でもタバコを売っている。

「問題がある」けど「やってる」ことはたくさんある。

問題があれば即ストップ

には、なかなか、ならない。

なぜなら、問題があっても、

どうしようもない根っこを持った人間活動がそこにあるからだ。

簡単にはすぱんと切ってしまえない、

切ったら、血が出る。

禁酒法時代みたいに。


これは、

ニーズがあればやってもいい

という意味ではない。

ニーズがあってもやってはいけないことはたくさんある。

違法ドラッグはその代表だが

子供が欲しがっても与えてはいけないものがあるように、

「欲しがられるけれどもよろしくないもの」

というのはある。

ただ、人間が生きて生活していくということ、その全体のなかに

簡単には切り捨てられないことがあるのは、確かなんじゃないかと思う。

これはもう、占いと同じくらいに無根拠なんだけど

でもそうなんだ。

禁酒法の時代があっても人は酒を飲むし

占いも、禁じられた時代があっても復活し

これだけ科学が発達しても、それをみんなが関心を持って読む。

地動説を子供でも知ってるのに

天動説の星占いをそのまま受け止める。



占いは、科学的根拠もないし、必ず当たるわけでもない。

それを信じてしまう人もいる。

マスコミがやっているから正しいだろう、と思う人もいるかもしれない。

これは問題だ。

でも、それは放映されている。

「問題」を含んだまま、使われている。



マスメディアができるよりずっと前から占いはあった。

否、

甲骨文字は文字という、メディアの源流のおおもとにあるようなものだが

これが残っているのは

何をかくそう、占いのおかげだ。

祭祀、宗教、儀式、占い、オマジナイ。

これらは古い時代の、マスコミュニケーションそのものだったんじゃないだろうか。

占いの結果を記録したものが、最古の漢字の資料なのだ。

「情報」と書く、この「情」の文字が何を意味しているのか、

人間の心が一体何を欲しがって、何を必要としているのか、

「マス」コミュニケーションに欲しているものはなんなのか。

それがなんとなく

この、「占いを記したものが最古の漢字の資料である」というところから

垣間見えるような気すら、する。


なんちゃって。


だからこの小テストは私だったら

「問題は多々ある。

 多々あるけど、

 問題を抱えたまま、成されている、少なくとも今のところは。」

というふうに答えるかもしれない。


仕事しろよ自分!(はいよー



といって

占いをするのだった(爆



-----




私は、ずっと

占いは、できればない方がイイし、

信じるべきじゃないと思うし、

こんなことをしている自分を恥じている、と言い続けている。

なんの科学的根拠も(少なくとも今のところ)ない「占い」を

信じられるものであるかのように言うことは大いに問題があるし、

マスメディアで占いを報じることに「問題がない」とは、

私は思わない。

自分がやってるにもかかわらず、

問題ありだと思う。

問題ありだと思いながらやっている、

占いして、占い方を本に書いたり、人前でしゃべったりしている。

これは正直

けっこう、悲しいものがある。

自分で自分が嫌になることもある。

ただ、人間は古来、占いをずっと続けてきている。

手相からこっくりさんから草履投げにいたるまで

占いは生活の中にごく一般的に、至る所にある。

ということはつまり

人の心の中にそれがある、ということだ。

これは、「ニーズがある」ということですらない。

人の心の中に、占いというものがなぜか、うまれて、ずっとある、

ということだけだ。

これは占いをすることを正当化する根拠にはならないし、

正当化なんかするつもりもないんだけど

それが、私が占いをおおっぴらにやっていることの

土台になっている。

それだけしか、やれている理由はない。

sallysally 2010/01/25 13:44 私は石井さんの星読みが大好きですし、英国のジョナサンケイナーなども良く見ています。でもそれを、「占い」と認識(自覚)してとらえることはしていません。
「星の動きから読み取れる傾向と対策」みたいな感じで、「参考値」として読んでいます。「そうそう〜その通り〜」と思うときもあれば、「一体どういうことなんだろう?」と首をかしげる内容の時も有ります。かといって、そこにどっぷり依存する必要性も感じませんし、何かしら、脳裏の一部にエッセンスとして気にかけているときもあります。それによって、自分の人生の進んでいる道がクリアに感じられるときもありますし、そうでないときもあります。
つまり、「占い」という日本語、言葉から汲みとれる意味や定義が世間やそれを提供する人々、提供される人々と少なからず翻弄している部分はあるのではないでしょうか。
その昔、ポリネシアの人々は、海を渡って航海しているとき、月の満ち欠けや星の導きに従って、目的地に到達していました。本来、自然と人間はひとつで、自然の恩恵から人間は数多くの恩恵を受け取ってきたし、これからもその基本的なスタンスは変わらないはずです。自然側のスタンスは常に同じだけれども、そこに介在する人間たちの意識や概念は日々、時代の中で変化しています。
本質はもっともっとシンプルなんだと。思います。
石井さんの独特の言葉、フレーズは私は大好きですv

もこちゃもこちゃ 2010/01/25 14:39 昔、終末論好きの人たちのことについて、
演出家の鴻上尚司さんが、
部活のグランドランニングに例えて説明されてたのが
ちょっと自分にも共感できる部分があったので
ずっと印象に残っています。

著書が手元にないのでウロ覚えですが。
たとえばトラックを10周しろとか20周しろとか
いわれて走ってるとき・・・
途中で体力も尽きてきてもうだめだとあごが出てしまう
そんな状況で走りつつけているけど、
「あと2周!」という声を聞くとき、
頑張ろうという気持ちがよみがえってくる、
終末論も結局その「あと○周!」に似て、
ただ生き続けることに疲れて心が金属疲労を
起こしかけているような状態になってしまったとき
もうすぐ世の中が終わるよ、と言われることで
逆説的に心に元気を取り戻させる要素が
あるんじゃないかみたいな内容でした。

占いや宗教は刃物や薬と一緒で
「どう使うかが大事」なものなんでしょうね・・・。

玲 2010/01/25 18:25 占いの内容が云々、当たる当たらないがどうこう、その真理が正当か不当かに関わらず、
ゆかりさんがそういう姿勢や心構えで占いに向き合っている、ということには賛同できます。
それが=ゆかりさん自身が好きとはまた別の次元で、納得出来ます。
こういう話が聞けてよかったです。

雪空雪空 2010/01/25 19:05 占いって若いときほどその内容に一喜一憂していましたが、
人生に慣れてくるにつれて、あまりドキドキしなくなってきますね。
未来を知りたいという気持ちは、やっぱり「傷つきたくない」という
動機から来ているような気がします。自分の場合はですが。
それが、傷つくことに慣れてくると、占いの内容にも慣れてきてしまう。
それでも何か有ると占いに目をやって、少しでも自分を防衛しようとしてしまう。
でも、最近、なんだか傷ついてみてもいいかなというか、
周りで起こったこと、人に言われたこと・されたことに
自分を投げ込んでというか、ゆさぶられてみて、
そこからどんな風に自分の思いが出て来るか、
人のことをどんな風に捉えるようになって来るか、
人が本当に考えていることをあれこれ洞察してみたりとか、
そういう変化を受け入れるようになってきて、
少し自分に風穴が開いたかなと思います。
そう思うと、占いが人の思いの幅を狭めるものではなく、
広がりが持てるような、新しい気付きを与えてくれるようなものに
なってほしいと願ってしまいます。
なんにせよ、占いで示されたものも示されないものも
何かの糧にしていきたいなと思いました。

双魚人馬双魚人馬 2010/01/25 19:18 星占いを求めるのは、別の世界への憧れ、もしくは郷愁なのかもしれませんね。
科学的な証明や科学的な根拠、それだってひとつの語り口に過ぎないと思います。いくつもの別の時間の流れや、人間の語り方が、並存していたっていいと思います。いや、すべきだと思います。それを限定されるのはたいへん息苦しく、いずれ侵したくなってしまうはずだから。

DumplingsDumplings 2010/01/25 19:40 台湾にいくと、占いで結婚候補の人との相性を占い、占い師に「もっといい人が現れる」「この候補者は、数年後に事故/病気にかかる」「あなたとの相性は会わない」などと明確に伝えてもらえます(西洋の占いではなく、紫微斗数という占いですが…)。ネイタルのホロスコープを読み、ある時期に「血液を流す兆し」、「資産が傷つく兆し」などを教えてくれ、それを避けるために、占い師は、対応策を挙げてくれます。たとえば、血液を流す時期には、その事象をその人の人生の上で現実化させるという意味で、その時期に献血などで血液を流しだすことで、事故などによる怪我を避ける、資産が傷つく(これは両親のうちの一人をなくすか、付き合っている人がいる、もしくは結婚している人は恋人家族を失う、もしくは資産関係で損をする言う事象)時期については→関係が冷たい恋人といる場合はこの時期に別れることで、両親や資産を傷つけさせない、もしくは、お金を堅実な投資にまわしたり、寄付をすることで大切な人たちを守る、などで悪いことを避けています。そして、面白いことに台湾や香港、中国もそうですが、信じられる占い師にそう判断されたら、人々は割り切って前に進めるのですよね。占いに自分の運命を左右されたくないという考えはその通りで、私もそう思い、占いに従わず結婚を決めているのですが、台湾人である私の祖母は、彼女が好きだった人との結婚を占いでやめ、結婚候補者は占いどおり祖母と別れた2年後に亡くなり、私の知人の叔母さんは、大金を失うので、失うか、寄付や人のためになる方法で使うように言われ、それに従わず、リーマンショックで破産、そういった事象を見聞きしてきたので、占いを信じてしまうのですよね。世界的にも成功しているHSBC(香港上海銀行)は、風水や占いで、立地、建物の構造などを決定しているのは有名な話。ただ、上記の占いは、人を12種類で分けて伝えた占いではなく、個々人のネイタルを見ての占いです。

日本で「占い」というと、12星座の占いになり、以前ゆかりさんが仰っていた、天気予報で「日本は晴れるでしょう」というような非常に漠然としたものとなります。それを理解したうえであれば、メディアに乗せられて、報道されること自体、私は問題ないと思います。でも本当の運勢を見たいのならば、やはりネイタルを理解しなくてはならないのかもしれません。


あと、個人的には、日本の占いの歴史は、台湾、香港、中国などよりもずっと浅く、西洋から輸入したもので、それをそのまま日本でも当てはめること自体、実は違和感があるのではという疑問を持っています。

GeminiGemini 2010/01/25 19:43 今日更新していただいた,ゆかりさんの『星読み』の金星の位置からみる占い,ズバリ当たってます.読み応えも有りました☆ありがとう!

水 2010/01/25 20:49 「もんだいなくない」を読んで。。。
これだから、石井ゆかりさんの占いが好きなんだな〜と思いました。
当たろうと外れようと、こうして様々な文章を通して
心に響く言葉を受け取れるから 私はゆかりさんの文章が好きです。
読んだ事で、ほんの少しでも私を動かしてくれる気がします。
いい音楽を聴いた時の感覚と似てるかもしれません。
読んで何かを感じたいんだろうと思います。
私は、それだけの理由でも読みたいと思います。
何だろう。本当の占いを教えられている気がします。
「いい音楽」と「いい占い」って同じ気がします。
全然関係ないコメントでごめんなさい。

フローレンスフローレンス 2010/01/25 22:39 ちょっと矛盾したお話かもしれないけど…。
『小説や音楽やお芝居がなくても死なない』というのはある意味(肉体レベル)ではそうかもしれないけど、
けれどそれらがなければ、魂が死んでしまうと私は思う。
それらがないと、LOVEが伝えられないし…いのちが感じられない…。
そんな肉体って、生きている感じがしない…。

だから地動説のこの時代、天動説の占いってほんとに大切だと思うし必要とされて自然なこと思う。

占いって、肉体からヒューマンライフ、そして宇宙までも貫くすごさを持ち合わせていると私は思う。
そんなところに、時代をこえて占いが存在する理由のひとつがあるかもしれないとふと思った。

廣 2010/01/26 00:35 こないだ 大事と大事じゃない について考えることになったとき
大事は 命に関わるもの とし、
大事じゃないものは なくても命の存在には関係しないもの
と定義づけてみた
(何のことはない 実はある人間についての考察なのだ)
ご飯は食べなくちゃ死ぬ
おやつは食べなくても死なない
でも、ごはんだけでは喜びが足りないんだ 潤いがないんだ
と苦しい言い訳をしてみた
全然違うものだ、とか ないと寂しい とか
言ってるうちにどんどんドツボにはまっていく
大事じゃないものを肯定すると大事なものはいったい何?になっていく
結局 自分の中で整理がつけられなかった
定義付けが悪かったのかもしれない
そもそもが正当化出来る話じゃないんだが
そういう 道徳の教科書には出てこないもの
のほうが世の中には多いのではないだろうか
「マスメディアが科学的根拠のない○○を取り上げても問題ない理由」
○○にはいらないものはなにがある?
てか マスメディアって科学的根拠が必要だったの?
傲慢だ 何様?
おまけに
科学的に根拠はない、と言うこと自体に根拠がなかったりする
事実はあるのに
(これは化学物質過敏症のことだけど)
科学とか法律って
共通語として等しく理解を共有するために生まれたものじゃない?
なのに
方言が、多くの人に通じないからと言葉としての存在を否定されたとき
あんた、何のために仕事してる?(ばか!)って怒る・・・
まぁ じぶんもやってきた道ではあるんだけれど
枠の中にいると思っている側から 外は切り捨てられてあたりまえという扱いをされると
青白い炎で怒りながら、自分の足下みれば?とおもう
これも、枠の内側からやったことではある
自分に疑いを持たないとカンチガイ人間になったりするんだ
昨日TV見てて おぼえとこ っておもったことば
分かったような気になるなよ
ドラマもたまにいいこというよね
正当性と偏見にはなやまされます
そうは思いません、て精一杯いうんだよね
自分の誇りのために
誇りは真珠の核みたいなもので ないと真珠になって輝けないんだって
この出典は イトイ新聞
矛盾なくそうなんだ と思うときまで迷ってるものなんだろな
そんなときがくるんかなぁ
ワタシの命題はまた星々とおしゃべりしにいってしまったよ
いつか説明がつくんだろうか

星の王子さま☆星の王子さま☆ 2010/01/26 02:30 かなり以前の話…。
最期をむかえるときに、何がそばにあればいいと思うかいう話題になったことがあった。
確か3択で、おにぎりか、たばこか、一輪のばらの花か。
そんな話をふと思い出した。

まりあんまりあん 2010/01/26 03:45 駒沢大学のゼミ活動のブログなんですね・・・。
時間がないのでザーとしか読んでないのですが、
率直な感想。そもそも、

「マスメディアが科学的根拠のない占いを取り上げても問題ない理由」

という「お題」がまだ「問題」として成立するんだ!
とびっくりしました。「科学的根拠」と言った時点で
自分がある限定された「枠組み」から物事をみている
といういわゆる「メタ認識」をもつこと―それって
もう私たちが思惟する上では常識というか、
「お作法」に近くなってきているのかな?と大分前から
感じていたのですが、違うのかしら?よく分からない。
だってごく自然に考えても
「科学的根拠はない、でも普遍的価値がありそう」
といった類のものは太古の昔から沢山あることぐらい
誰も否定できなのではないでしょうか?だから
廣さんのおっしゃるとおり、残念ながら私も時々
マスメディアに身を置く方々のコメントを聞くと
独善的な正義感や傲慢さすら感じることがあります。
こうした近代以降(カント以降ともよく言いますね)
の知識人が陥りやすい科学至上主義的思惟の特徴を
「デカルトの呪縛」という―と若いころ哲学の授業で
習った記憶があります。言いたいことは山ほどあるけど、
「日本の高層ビルは地震対策のために、わざと揺れる
設計にしている」というのと同じで、考えるという
ことにおいても、我々の小賢しい理性には収まらない
「祭祀、宗教、儀式、占い、オマジナイ」といった
「はざま」の領域をあえてもつことこそ、本来の「学」
つまり「科学」に適う態度なのではないでしょうか?
ゆかりさん、興味深いお話をありがとうございました。

はなはな 2010/01/26 09:43 最近、占いはカウンセリングの一つの手法みたいだと思っています。
昔から、ある「神様」や「いたこ」なども、そんな意味で存在したのではと思います。
心理学の考え方は実証してつかえるようになっていますが、占いも似たようなところが
あります。
心理学の手法がだれにでも、効くというわけではないように、合う合わないがあるのでしょう。

他国の大学では占星術を学問として、教えているところもあるようですが
ゆかりさんもそこで、学位とかをとれば、占いを正当なものとして
受け止められるようになるのかな?なんて、思ったりしました。

しししし 2010/01/26 13:13 占いは情報と表現の中間にあると思っていたので、マスメディアの得意な白か黒かの二極化論にお題で出されるのは無理があると思いました。
情報がどんどん単純化され、わかりやすさばかりになるとつまらないものです。人に伝えるということに重きをおくならば、表現が大事だと思います。
表現の本質はメタファーらしいです。
たとえ話でその意味がわかったり、いくつかの言葉より、映画を見て「家族っていいなあ」とか「命は尊いよなあ」と思ったり。
体ごと感じる情報にはやっぱり表現が含まれていると思います。

ひかりひかり 2010/01/26 14:56 いろんなものがある世界で、自分が何を選ぶか、何を信じるか。
ほんとうに自由ですね〜。
でも、その自由を得るには、自分がそこそこしっかりしないとな!と思いました。
いつも迷いの中にいて、そこで心を尽くそうとしてくれるゆかりさんの占いは、わたしに自由と安心をくれます。
当たるから好きなんじゃなくて、優しいから好きなんですよ〜。

織姫織姫 2010/01/26 19:22 おもしろい記事を発見しました^^
http://www.myspiritual.jp/

hみずhみず 2010/01/26 19:54 占いとはなんぞや的なお題を見るとなぜ血が騒ぐんだろう…。
ゆかりさん関係以外の占いはあまり見てないし、占いについての知識も全然ないんですけどねぇ。
根拠はないですけど、「科学的根拠の成り立たないもの」の中に、実は本当に大事なものが紛れ込んでいるんじゃないかという気がするんです。
科学で説明できる事だけが真実じゃないと思います。
宇宙の星の運行を読むという形で占いをするという行為は自然への畏敬の念が下地としてあると思います。
それが星や動植物でなく、何らかの偶然から占うものであっても(タロットとか)、そこに人間を超えた存在(神というと宗教くさくなりすぎますが、特定の宗教とかいう意味ではなく)への畏敬の念があるんじゃないかと思うんです。
そういう自然や、人智を超えた存在へ教えを乞うというような。
人間個人が自分の意志で人生を切り拓くことはもちろんとても大切だと思います。
占いにどっぷり依存して自分の意志が弱くなってしまうのはあまりいいことじゃないと思います。
でも、人間が強い意志を持って全ての物事を動かしていく/いかねばならないっていう考え方だけを突き進めることが果たして良いことなのか?っていう考え方もあるんじゃないかと思うんです。
それってなんだか貧しい世界なんじゃないでしょうか?
占いというもの自体がいい物、悪い物という動かない性質を持っている訳じゃなくて、関わる人によるんだと思います。
アルコールなんかと同じで、扱い方によって奥深い体験を得られるものにもなれば、依存の道具にもなるという。
そういうものがマスコミに登場するのも、いいんじゃないでしょうかねぇ?
論理で裏打ちできないものを全て排除したマスメディアがあったら、すごく異常なんじゃないかなー。
占いは関わる人次第という意味では、いつもこの日記のように、占いに対していつも懐疑的な視線を持ちつつ、繰り返し検証し続けるゆかりさんの姿勢はすごくモラルがあると思います。
ゆかりさんの占いが当たるから読むのではなく、モラルある人の開けた窓から星のメッセージを見させてもらえて安心だなぁと感じています♪
話が終わった頃に長々と失礼しましたm(_ _)m

セロテセロテ 2010/01/26 21:39 大きくの人が、真摯な表現者が、自分のする事に恥ずかしさを持っていると思います。真面目に冷たく指摘されると、人間のする事は恥ずかしい事だらけです。
占いの理論に、まだ現代の科学が追い付いていないと考える方がワクワクします。

CC 2010/01/27 01:16 ゆかりさんは哲学者だなぁ、と思います。

哲学と宗教は似ているところがあって、切り口によっては同じ側面を持っているように見える。


でも、私同様、哲学を学んだことのある人が、

「宗教は信じること、哲学は疑うことだ」

と言った言葉が、とても端的で、真理をついているように思ったことがあります。


信じれないと宗教は成り立たないし、疑わないと哲学は成り立たない。

占いは宗教に近いけど、それを哲学者なゆかりさんが扱っている。

それはなんだかとてもユニークで、両者を備えた完全性があり、

それゆえ、魅力的な言葉が紡錘がれ、

それゆえ、その言葉に私も惹かれ、

安心して受けとめられるのではないか、
と思います。

イエローイエロー 2010/01/27 23:46 占いは好き。
当たる当たらないはいろいろだし
言ってほしいこと言ってくれる人を
信じたり好きになったりするものだと思う。

人や物、自分さえも信じられなくなって
真っ暗闇の中にいるとき
占いの言葉の中から
勇気や希望を与えてもらったこと何度もある。
いっときシャバを離れ
違う次元や視点を感じられれば
それで充分救われる

自分ひとりで楽しむ分には
何ら問題ないと思う
太古の昔から人々が魅了されてきたのには
まだ解明されていないだけの
それなりの理由があると思うな

みけねこみけねこ 2010/01/28 14:44 石に刻んだ文字は長い歴史にたえて残る。
砂に書いた文字は風や雨で流されてしまう。
水に描いた文字はすぐに消えてしまう。

わたしはどこにどんな文字を言葉にして残したいのか、ふと考える。

モヤギモヤギ 2010/01/28 22:18 ゆかりさんの占いが好きなのは、当たる当たらないじゃなくて、ゆかりさんが自分を切り開いて見せてくれているからです。
ゆかりさんの日記とか、インタビューシリーズなどを読むにつけ、ゆかりさんが「本当のこと」を追求してるんだろうな、と感じられるところがいいんですよね〜。
普通に悩んだり苦しんだりしてる等身大のゆかりさんが、鶴の恩返しのごとく身を削って織っている言葉だから、占い云々を超えて、人の心を打つのだと思います。

個人的に、テレビの占い番組が好きではないんですが、それは占いの信憑性云々よりも、出演者がしたり顔でアレコレ言うのが納得いかないからです。
恥を知らない人の言葉は信用できない。

むーむー 2010/01/29 03:35 科学もひとつの宗教なんだと、私は思います。方法論を信じているだけで、結局は人間が考えたことです。
絶対、永遠、普遍なんて人間の頭の中にしかないです。

乙女鼠乙女鼠 2013/06/08 21:24 科学よりも歴史が古い占いを否定するなんて、
馬鹿なことだと思っています。
占いされるゆかりさんを「インタビューシリーズ」で、
恋愛感情を喚起されて好きになった私ですが、
ゆかりさんのお仕事の占いは、文字を使ったどんなものより、
古い歴史を持った伝統のあるお仕事なのだと思います。
太古、占いは、精神的な全方面の医学でもあり、
古い時代の科学でもあり、政治でもあったことがあります。
それを間違いであったということができるなら、
現在の占いを省いたこれらの方面が、本当に間違いのない、
正しいものだと、いうことができるでしょうか?
間違っていないものなんて、この世にあるのでしょうか?
正しいと信じるものしかないのでは?…と、思っています。
私は常識にとらわれないタイプの人間で、
この世界は、決して、確かなものではない、
ある意味、幻影、
水に映った影みたいなものだと思っていますので、
そういう世界を、どう見て行くかが、
人それぞれに問われているのではないかと思えて…。
占いについて、占い以外のものについてと、比べるほど、
そんなに違いはないような気がしています。
私が好きなゆかりさんの言葉に、「選ばれなかった、
もう一つの人生などない」というのがあって、
半世紀生きてみると、この言葉が確かなものだと解ります。
無数の分岐点を越えてきたけれど、今の私には、
この一本の道しか、最初から存在しなかったのだと、
今になって、しみじみ解ってくることがあります。
ゆかりさんを知って、敬愛して、心から好きになることも、
これ以外の道などなかったと。
今が答えです。
ですから、最初に戻って、もう一度、申し上げますが、
占いがある世界が正解だと思います。

本棚の小鳥本棚の小鳥 2013/06/09 10:35 これは、少し以前の記事ではありますが、ゆかりさんのお気持ちは、きっと、今も、変わらないと思います。
ゆかりさんが、ご自身の書いている「星占い」について、つらい思いをされている時もあること、時々ですが、いろいろなところで、拝見しています。
ゆかりさんのお気持ちも理解できます。
そして「ゆかりさんの星占い」を単純に受け止め、信じたり、あれ?と思ったり、とても今は受け止めきれないと思ったり、時間がたってから、こういうことだったのか、と思ったりする私が、います。
わたしは、
「ゆかりさんの書く、文章が大好き」なのです。
ドストエフスキーのカラマーゾフ兄弟を読んだ時のように、
「嘘のない救済」が、感じられるからだと思います。
カラマーゾフは小説ですが、私は、きっと、お話を読んでいるわけではなく、底に流れる、ドストエフスキー自身の、自分に、そして他者に対する、深い愛情と共感と、救済、を、味わっているのです。
生産者が精魂込めて作った食物は、味わったときに、何とも言えず、ココロが潤うのですが、
ゆかりさんの文章は、それにとても似ているのです。
「星占い」は科学的根拠はあるのか。という問いに対しては、
では、「科学的根拠」とは、正しいのですか?と聞きなおしたいです。
その時、正しいとされていた「科学的根拠」が、覆されている事例が、たくさんあるからです。
ただし。盲信、狂信とは、違うのだと、自分にも、他者にも、言い聞かせなくてはなりませんね。
「星占い」を信じない人に対して、攻撃をするつもりはありません。
「星占い」をベースにした、ゆかりさんの文章が、私は好きなのです。
それを、ゆかりさんに、お伝えしたかったのです。
今日、週報を読み、少し、呆然としました。そして、泣きました。
今週(6/10-6/16)の週報の中の
「自分の言動を自分で決めることと、心の中の想いを生きることは、別のことだったりします」に続く、やさしい励ましの言葉の中に、自分の生きる力を見出します。
その力は、ゆかりさんの、こころからあふれる、文章のチカラによるものなのです。
「星栞」が、ランキングに入り、本当にうれしいです。私の予約した本屋でも、即日完売でした。
でも、ゆかりさんは、ますます、周囲の目にさらされていくことが多くなると思います。
「科学的根拠」と「星占い」の結論なんかでない議論のうずに、巻き込まれていくことも、想像します。
私に、何が、できるだろう、と、いつも思っています。
わたしは、ただ、ゆかりさんの書く文章が、大好きです。
そして、「星占い」をベースにしてくださらなければ、出会う事ができなかった。
この出会いに、本当に感謝しています。
ゆかりさんの深い悩みを救うことはできないかもしれませんが、
ランキングに対しては、私の大切な人がいつも使っている言葉です。
「数字は全てをあらわす」
私以外にも、たくさんの、声高ではない「ゆかりさんの星占いの文章を大好きな人」がいることを、ランキングが物語っているのだと思います。
大きな声で反論することもなく、ゆかりさんは、ゆかりさんのままに、これからも、書いてください。
ゆかりさんの書く文章を読めるしあわせがいつまでも続く事を、切に願っています。
長文、失礼しました。
この記事に導いてくださった乙女鼠さんに、感謝します。

投稿したコメントは管理者が承認するまで公開されません。

スパム対策のためのダミーです。もし見えても何も入力しないでください
ゲスト


画像認証

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/iyukari/20100125/p1