ツイッターはこちら。
2011-10-28
■おぼえがき、はしりがき
何か今週報やってて思いついた、忘れそうなのでメモ。
(思いがけずたくさんコメントを頂いたので、とりあえず残します、みなさまありがとう!)
人は、誰かに「好きだよ」と言われたとき
その誰かの向こうにある何か絶対的なものに
承認されたような気持ちになる。
ナカミを吹きこまれたような気持ちになる。
空気人形が人間に変わったみたいな感覚を味わう。
これは
相手の愛が自分を満たす
というようなことではない。
誰かが自分を見たときに初めて
存在するようになる意識、というものがあるのだ。
誰かが誰かに「好きだよ」と言うとき
そこで、一対一の対等な人間同士の関係が終わる。
それは相手に言われたことのようで
すでに、自分の中では、別のものに変わっている。
神様が「そこに生きていても良い」と名指しで言ってくれたのと同じ効果が
そこに生まれる。
自分の存在を自分で「ほんとうにする」ことができる。
誰かが自分に「好きだよ」と言うとき
そこで、相手の姿は宇宙に解けて消え失せてしまうかのようだ。
私たちはその向こう側にあるなにかに肯んじられ
ほとんど、世界を圧倒することができる。
親が子供にそういうことをしてあげられる。
恋人が愛する人にそういうことをしてあげられる。
たとえ片思いでも、相手に「好きだよ」と言ったなら
そこに、ちいさなその人の「存在」が
その人の空っぽの中に吹きこまれる。
だからこそ、恋人に振られたり、親に死なれたりしたとき
まるで、相手がいなくなったのではなく
自分自身が失われたように感じて
絶望してしまったりするのだ。
自分を愛した人を喪うということは
世界との繋がりを失うということであり
自分自身を失うということであり
全世界を失うようなものなのだ。
そこから立ちなおるということは
元の空っぽの自分に慣れていく、ということであり
一度はおそろしいほどの重みでこの世に存在した、というその経験を
忘れていくということなんだろう。
好意を伝えてくれた人の向こうに
私たちは何かしら絶対的なものの存在を感知してしまう。
これは人間関係じゃない。
一種の呪術のようなものだ。
魔法は宇宙の彼方から来る。
私たちは無意識にそれを汲み取るようにできている。
そんなものがあろうがなかろうが
私たちはそれを感知する。
おかしなことだ。
