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2011-11-24

仙台で。(その1:空港から、ゆりあげへ。)


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サッカーボール。


仙台から遠くない名取市、閖上の河口に落ちていた。




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先週末、仙台に行ってきた。

丸善仙台アエル店

http://www.maruzen.co.jp/corp/shop/aer.html

にて、トーク・サイン会を企画して頂いたのだ。

私は今、関西に住んでおり、イベントは昼すぎからで、

日帰りだとちょっと不安だった。

なので、前日から仙台に入ることにしていた。


年末のバタバタ忙しい時期とはいえ

せっかく仙台に行くのだから、なにかしたい

と、ずっと思っていた。

でも、いい案も思いつかないまま、

サイン会の日にちが迫ってきてしまっていた。



このブログでは震災からずっと、折に触れて、

被災地の情報や支援のニュースなどを拾い集めてきている。

そのなかに、しばしば

「名取市閖上(ゆりあげ)復興支援のブログ」

http://blog.livedoor.jp/coolsportsphoto/

の更新を取り上げてきた。

このブログを書いているのは、荒川洋平さん。

津波で被災した閖上地区で生まれ育った方だ。


サイン会のちょっとまえに、ツイッターで

荒川さんのブログの更新情報を見かけた。

そこで、ここNP日記の「メモ」のなかに

ご紹介させて頂いた。

http://blog.livedoor.jp/coolsportsphoto/archives/51786675.html

じつは、このエントリを見て私は悩んでいた。

11月20日午前中、閖上地区で、誰でも参加自由のゴミ拾いをするというのである。

サイン会は同日20日の午後。

午前中なら、参加できるんじゃないか?


私はグーグルマップや電車やバス会社のサイトをためつすがめつし

地理的に、物理的に、「行けるのか?」と模索した。

私には、運転免許がない。

そして、土地勘がない。

さらに、伝手もない。

公共交通機関を使ってなんとか入り込み、

サイン会に間に合うように仙台に戻ることが果たして、可能なのか。



グーグルマップで閖上地区の地図を見る。

公共交通機関は…調べても、ハッキリしたことは分からないのだが

どうも、動いている気配が感じられない。

一番近い駅から、歩いて53分。

ぬぬぬぬ。

行きたいんだけど…ムリかなあ。。。

仙台空港とそれほど離れていない。

ゴミ拾いはムリでも

前日、空港に着いたら、タクシーで、

閖上地区のほうを回ってもらって、とにかく見るだけ見てこようか…。

などと煮詰まっていた

ら。


期せずして荒川さんから、

このブログのコメント欄に

「ご紹介ありがとうございます」

のコメントが入ったのである!


私はツイッターのダイレクトメール機能を用い

荒川さんに、無意識にものすごく厚かましいメッセージを送ってしまった。


すると数日して

荒川さんから、DMが返ってきた。

なんと、仙台で私をピックアップして

イベントに間に合うように、仙台に連れ帰ってくださるというのである。

荒川さんも現在は、仙台駅の近くに住んででいるのであった。


申し訳ないことしきりだったが

「閖上をみてほしい」と言ってくださったので

ありがたく、ずうずうしく、お言葉に甘えることにした。


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そして、イベント前日。


飛行機は、海側からぐーんと旋回して空港に下りた。

下りていく途中、海岸の様子が見えた。

何度も地図で確認した閖上の浜の地形もそのままに見えた。

防砂林が、櫛で梳いたような筋を描いて

一方向になぎ倒されていた。

わずかに生き残った松の木たちはくろくひょろひょろと

思い出話をするみたいに立っていた。



だが

あの、映像によって目に焼き付いた光景は

仙台空港には、あとかたもなかった。

仙台空港に津波が流れ込んで、車やセスナを押し流す様子は

テレビで何度も流れた。

しかしもはや

「なにごともなかったように」空港は清潔に規則正しく機能していた。

降り立った乗客達の多くは、

「なにか痕跡があるのでは」と、滑走路から空港中をキョロキョロ見ていたが

なにもなかった。

ほんとうに、なにもなかったようだ、と、思った。


当初のプラン通り、

仙台空港からタクシーに乗った。

「ゆりあげ」という地名を出したとたん、

タクシーの運転手さんは

「あんた、なんでゆりあげ知ってるの?」と声を上げた。

知人がいて、明日ゴミ拾いがあるので参加するのですが、

まだ行ったことがないので、どんな様子か知りたいんです

と言うと

すぐに了解してくれた。

白髪の、初老の運転手さんはとてもやさしい方で

できる限りゆっくり運転しながら、

風景の様子を説明してくれた。


空港を出てすぐ。

枯れ草がわずかに土を覆う更地が、限りなく広がっていた。

家々の区画の後が白く、残っている。

その区画は密集していて

その上に全て建物が建っていたのだということがわかる。

「ここには工務店とか、お店とか、いーっぱいたてものがあったの、

こっちはずーっと、メロン畑だったんだ。

なんもなくなっちゃった」

と運転手さんが言った。


限りなく広いように見える更地が続く、

その中に、ぽつんぽつんと家が残っている。

残った家の一階をよく見ると

玄関や窓が黒々と打ち抜かれた穴のように口を開けている。

二階には白いカーテンが掛かっていても

一階は、そうではない。

それでも、それもきれいにかたづけてなおして

元の姿を取り戻している家もいくつかあった。



五月に、私は炊き出し隊に混ぜてもらって

南三陸町を見てきた。

そこにはまだ瓦礫がありありと残っていて

建物の痕跡があった。

「ここに建物があったのだ」ということがハッキリ見て取れた。

でも、この限りなく続く更地は、どうだろう。

瓦礫は撤去された。

建物も、全壊、半壊、全て取り壊されて片付けられた。

短く枯れたしろっぽい草に覆われた、延々と続く「なにもない土地」。


私は、南三陸町に行ったときは

ただ度肝を抜かれて、呆然として、

悲しみも痛みも、よくわからなかったのだ。

あまりのことに、

どんな感情を感じていいのかも解らなかった。


だけどこの、仙台空港から海側をゆく道の

延々と続く「なにもない場所」を目にしたとき

どうにも、涙が出た。

当事者でもない私が泣くなんて

単なる感傷だと思った。

失礼ではないか、とすら思った。

でも、どうにも涙が出て、しかたがなかった。


映像も、写真も、四角い画面のなかに、風景を切り取る。

この「切り取る」ということの限界が

こうして自分でその地にきてみて

いやというほどわかった。

切り取った瞬間、この限りなく続くように思える「広さ」は

もう、表現できないのだ。

だから私は、こんなにも「なにもない」空間が

絶対的な広さで広がっているということがわからなかった。

私以外の人にはそれがわかっているのかもしれないけれど

私には分からなかった。

数字でいくら、何万とか何千とか言われても

この広さは私には分からなかった。

この広さに打ちのめされる思いがした。


道端に、ごろんと突然、船が出現する。

壊れた家屋は自治体が撤去したけれど

船は船主が自分で引き取らなければならない。

だから、更地の上に船がどかんと残っている場所があるのだ。

壊れた車が積み上げられている場所もあった。

明らかに普通の事故で壊れた車ではなかった。



20分くらい走っただろうか、

「ここが、ゆりあげ」

と、運転手さんが言った。

青い歩道橋を指さして

「私の友達が、ここの閖上に住んでいたんだけれども、

地震の時、津波が来ると思わなかったんだね

逃げないでいたら

ごごごごっという地鳴りみたいな音がしたから

津波だっ、と思って、奥さんと二人で車で逃げたんだって

でも、ここまできたら間に合わなくなって

車を降りて、この歩道橋にのぼって

そうして、たすかったんだって」

と言った。


集合場所の近くに連れて行ってもらうと

そこは、ただ広い広い土地だった。



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土地は小さく緻密に区画してあって

ここには建物がみっしりと建っていたのだ、ということが想像できるのだけれど

その光景は、旅行者には最早、わからないのだ。

住宅街だったのだ、ここは。

人の生活が密集してここに営まれていたのだ。



ぐるっとまわって、

それから、タクシーは仙台駅方面に向かった。


津波はここまでもきた、ここもやられた、

高速道路で止まったけれど、トンネルは抜けて、向こうにも行った

と、運転手さんはもう見えない津波を見るように説明した。

地震では、建物はほとんっど、壊れなかったんだよね、

ぜんぶ、津波。



そして、運転手さんは不意に、こんな話を始めた。


これが国道四号線、日本橋から青森まで行く道路。

全部で800キロだったか、750キロだったか

そのくらいあるんだよ。

そのちょうど真ん中が仙台で、350キロだな。

ここから盛岡、青森までは

ここから東京までと同じくらいあるんだよ。


運転手さんはそれだけ言って、また別の話をはじめた。

最初、なんのことかわからなかった。

でも、少しして

さっきの、どこまでも続くと思われる光景と

この言葉がつながった。

どしんと重い石がお腹に落ちたようだった。






仙台駅近くまでくると、雨が降り始めた。

「あんた、どこでご飯食べるの」

と運転手さんに聞かれたので

「え?いや、ぜんぜんきめてません」

と言ったら

牛タンの有名なお店を教えてもらった。


お礼を言って車を降り、宿に荷物を預けると

チェックインまでまだ間があった、

明日のイベントの準備をしなければならないのだが

部屋に入るまで時間をつぶすしかない。

まだ胸がいっぱいで、

あまり食欲もなかったけれども

朝からなにも食べてないし

せっかくだから、と

教えてもらった牛タンのお店にいってみた。

ちょうどランチの時間だった。



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「利休」の牛タン定食。極。


めっちゃおいしいのだが

麦ご飯と牛タンを食べると

なぜ人はとろろを食べたくなるのだろう…。

とろろ付きの定食にすればよかったよ!!(涙

口の中を肉で一杯にしながらそんなことを考えていたとき

すっと店員さんがそばを通ったので

脊髄反射で手を上げてしまった。

店員さんはすぐにきてくれた。


しかし

口の中がガチで、タンでいっぱいで

喋ることなど到底不可能。

もごもごしていると

店員さんは「とろろ?」と聞いてくれた。

うんうんうん

と頷くと

すぐに笑顔でとろろを持ってきてくれたのだった。



・・・・仙台って

親切な人ばっかりだよ・・・・・!


感動した。


食べながら、さっきの光景のことが頭から離れなかった。

どう考えていいのかも全然分からない。

こうして、普通にしているようにみえる人たちの心の中も

どんなふうになっているのか、想像もつかない。

どんな記憶とどんな物語があるのか、わからない。


店内の有線放送とおぼしきBGMで

エレカシの「悲しみの果て」が流れていた。


そのあと仙台の街を歩いている間中、

頭の中に「悲しみの果て」が流れていた。


----



続く。

http://d.hatena.ne.jp/iyukari/20111124/p2

みずがめざみずがめざ 2011/11/24 20:53 先日はどうもありがとうございました。とても有意義な時間を過ごすことができました。
このブログを読んで久しぶりに涙が出ました。胸が熱くなりました。あの日のこと、宮城県民である私自身も少し遠い過去のようになっていましたが、まだまだ傷は癒えてないんだなと気付きました。
仙台に来てくださって本当にありがとうございました。本当に嬉しかったです。またお会いできる日が来ますように!

廣 2011/11/25 13:05 東京と仙台の距離分続く てすごい説得力
それにしても
「利休」の店員さんナイス
さすがオススメのお店だけあるなあ(笑

pescipesci 2011/12/04 09:11 イタリアでたまたまこのブログにたどり着きました。。
閖上で生まれ、15歳まで育った者です。震災のことを整理したいという気持ちもあって渡航してみました。
ブログを読んでいて映像がありありと浮かび、わんわん泣きました。
あの歩道橋を毎日渡って小学校に通い、つまらぬ漁村だと毒づきながら愛憎入り交じった思いで中学時代を過ごしました。
それから数十年、時間的にも距離的にも遠ざかったはずなのに、今でもあの土地が夢に出てきます。フツーの顔して。

私は直接的な当事者ではありませんが、しかし、失われた地について思いを馳せてくださることに感謝せずにはいられません。
まもなく帰国します。そうしたら私も閖上の海を見に行こうと思います。ありがとうございました。

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