憲法Part4 「わかりやすい」は真実に届くか〜二者択一と民主主義

来る2月25日(水)13時〜16時半 徳正寺の「ブッダ・カフェ」の場をお借りして「バガボンド・カフェ」を行います。以下、テーマについて主催者からのコメントです。
ご参加希望のかたは「2015-02-22 - ぶろぐ・とふん」あるいはizai521#yahoo.co.jp(#を@に変えて)にお申し込みください。
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 昨年末の紅白歌合戦サザンオールスターズが演じたパフォーマンスが「物議を醸した」騒動を、朝日新聞が「表現のまわりで…」というシリーズのコラムで先日取り上げていた。
そこで、サザンの桑田が「釈明に追われた」ことについて、識者(萩原健太氏や増田聡氏ら)の分析を紹介していた。
作り手と聴き手の間に、解釈の多様さを楽しむ余裕がなく、作り手の政治的な「立場」を容赦なく要求する聴き手。
「あいまいな態度を許さない空気が強まっている」と記事は説明していた。
サザンの桑田さんは「戦争が起きないように仲良くやっていこうというメッセージを込めた」と説明したが、萩原健太は「お笑い芸人にネタの面白さを説明させたようなもの。粋なやりとりが失われているのを感じた」とコメントしていた。(朝日新聞2015年2月11日朝刊)
この騒動は、桑田さんがライブで褒章をぞんざいに扱ったことへの批判も呼ぶことになり、結果として桑田さんは公式にラジオで謝罪する。
これらの騒動は、いま、ある種のエリアの話題、ナショナリズムという範囲に触れる事項については、世間の「沸点」が異常に低く、意見がすぐ沸騰してしまうことを示している。と同時に、「どちらでもない」意見や「わかりにくいこと」を排除する傾向、「わかりやすい」対立した意見のどちらをとるか、相手や有名人に立場の表明を迫る風潮の蔓延を示していると思う。
朝日がこのシリーズ「表現のまわりで…」を連載し始めたのは、フランスの「シャルリーエブド」襲撃事件を受けてのことだった。だから日本だけでなく、世界中でこの傾向はあるのかもしれない。
日本についていえば先の3.11直後の原発に対する反応に両極端な意見の対立があった。
マンガ「美味しんぼ」における「鼻血問題」も、この朝日のコラムで取り上げられていた。原作者雁屋哲がブログで反論すると抗議が殺到し、結果として単行本発売の折り、その箇所を修正して発売しなければならなかった様子を紹介していた。
雁屋さんはこの記事でこんなコメントをしている。「福島は安全とする国への異論は、『風評』の一言で封じ込まれてしまう。批判することを許さず、何もなかったことにさせようとしているように感じます。大事なのは、議論すること。私の意見が間違っているというのなら、一緒に議論しましょうよ」。(朝日新聞2015年2月18日朝刊)
前回まで、長期にわたり三回、「憲法」についてこのカフェで話しあう場をいただいたのだが、やはりきっかけには、こうした風潮にいかに対抗できるのかを考えたかったということがあった。二者択一で尋ねるやり方、護憲と改憲の対立は、このような極端な「わかりやすさ」を求めた結果ではないか。
戦後70年を通じ、日本人を呪縛したような憲法をめぐるその対立は、「ジキルとハイド」のように心が分裂した病的な症状である、とフロイドの精神分析を応用し岸田秀は言った。「わかりやすい」対立の深い根っこに、「わかりにくい」「見えない」層が横たわっている。日本人の無意識の層にライトを当てた瞬間だった。
「わかりやすい」とは「見えている」ことだけを見ることだろう。
この岸田秀の見解を踏まえ、加藤典洋は、敗戦直後の憲法制定の際の、日本人の精神的《ねじれ》を考察し、一連の政治と文学についての論文を1995年から続けて数年発表した。
わたしは、それをなんとなく、意見の真っぷたつに割れた憲法問題を考えるとき大事なものとなる気がして、前の回はその話をしようとしたのだった。
いまから考えると、加藤さんが試みたことは、戦後社会の起源、憲法の成立の「見えない部分」《隠された次元》の話をしようとしていたことがわかる。すごく「わかりにくい」。だから話はあまり進まなかった。
だが、加藤氏は『敗戦後論』の刊行からおよそ15年後にあたる2012年に、ある講演で『敗戦後論』は戦争体験を自分達の世代がどう継承するかを考えたものだった、と言っていた。(加藤典洋『ふたつの講演』2013年岩波書店
つまり、体験を継承するとは、ある難解さを通過し、克服しなければならないことがわかる。そしてわたしたちはさらにいま試練にあり、そのさらなる継承を託され、試されているのだと思われる。
《隠された次元》とは、藤田省三が言ったとされる言葉だ。わたしはNHKのある番組で徐京植(そ・きょんすく)さんが紹介していて知った。藤田は1963年に道路建設のため次々と伐採され犠牲になった信州乗鞍の「ハイマツ」の姿を見て、「風雪に耐えるという《隠された次元》が人の認識から奪われた瞬間」と書いた。
以来、日本人は「安楽全体主義に陥った」と藤田は書いている。
「安楽」とは「わかりやすい」ものだろう。つまり、日本人は高度成長期以来、「見えるもの」「目にわかりやすいもの」を尊び、《隠された次元》「見えないこと」「難解なこと」を切り捨ててきたのではないだろうか。
その結果、大事な物事を考えるとき、表面的な対立の選択という安易な方法をとり、見えないわかりにくい次元から考える方法をとらなくなり忘れてしまったかもしれない。
それは選挙の際の「選択」や、「愛国」か「売国」かという二者択一に答えるというやり方でわたしに迫る。あの「イスラム国」のように。
それは民主主義のようで、やはりそれとは対極にあるなにかであると感じる。

わたしは、3.11を機にこのブッダカフェに参加し、こうして勉強会まですることができたのだが、おそらくそんな機会がなければこのような考え方はできなかっただろう。
また、おそらく、3.11によって、「見えないこと」があることに気付き、これまでの「わかりやすさ」に警戒をいだき、もっと深く考えようとする人が増えている気がしている。
そのいわば忘れられた道筋、雑草が一杯這えて見えなくなった道筋を、踏み固め広げはっきりさせるために、もう少し憲法や民主主義のことを考えたい。
ちょっと書きすぎたが、最後に、米田知子という写真家が自作の写真展のカタログに自分で翻訳し引用したとされるオーウェルの『1984』の一節を紹介して終わりたい。
「時は我々が何もしなくても流れて行く。(略)過去を支配するものは未来をも支配し、今を支配するものは過去をも支配する。(略)
それは見えているのだが、見えていないということと同じかもしれない。見えないということは見えているということと等しいかもしれない」
(「暗なきところで逢えれば」米田知子写真展・植松由佳記名記事より/京都新聞2014年10月25日朝刊)