数寄者石山政義の時空遊泳その115 この茶碗が高台を観よ

この人を見よ!は哲学者ニーチェの言葉だった
当時の時代と思想と戦い、苦悶し、その経験と思索でもって一大著作物をつくった
この茶碗の高台を鑑よ、とは室町時代以来の所謂茶の湯文化と思想のこと

その茶の湯に凝りに凝った豊臣秀吉とその周りで智謀術数を駆使した町人、千利休
それらを囲む今井宗及、をはじめとする納屋衆、と逆に操られたところの織部、幽細等四天王
50年後、元禄華やかかりし時代の鴻池、三井等の町屋衆、
時代下って江戸後期にそれこそ全国の美術品を掻き集めた松平不味と嗾けた古美術商人
そして近代では益田鈍翁、畠山即翁、松永耳庵等、数寄者等をはじめとする近代数寄者
これらの茶人等が悩みに悩んだ最大の共通鑑賞事であり絶対的な審美眼の一致するところ
それは乾坤一擲、高台・・・・・
すべては高台にはじまり高台におわる
それは日本独自の土壌、文化とそこから発酵する審美眼の成せるところの用の美に対する哲学であった
そう、この高台がわからずして茶の湯は語れない
(本手ととや茶碗  碧雲山房於雲壌亭)