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2007-04-01

内藤朝雄さんスペシャルインタビュー その1

みなさま、大変お待たせいたしました。当ブログオリジナルのコンテンツである、内藤朝雄さんのロングインタビューがいよいよ公開です。インタビューでは、『いじめと現代社会――「暴力と憎悪」から「自由ときずな」へ――』の骨子や、昨今のいじめ報道についてお話を伺いました。「その1」では、内藤さんがなぜいじめ問題に関心を持ち始めたのかをお話いただきました。

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いじめ問題に関心を持つまで

荻上チキBLOG管理人。以下、荻上):2007年2月、双風舎より内藤朝雄さんの著書『いじめと現代社会――「暴力と憎悪」から「自由ときずな」へ――』が発売になりました。その本を出来る限り多くの人に読んでいただきたい、内藤さんのいじめ研究の内容を出来る限り多くの人に知ってもらい、いじめ問題に対する有効なアプローチを検討・実行していただきたいという趣旨で、本書の内容、およびいじめ研究の現在について平易に語っていただくためのロングインタビューを行うことになりました。よろしくお願いします。

内藤朝雄(以下、内藤):よろしくお願いします。chiki さんにはいつもお世話になっています。『いじめと現代社会』のあとがきにも書いたように、不器用だった吉田松陰とその弟子のように、一方で言葉の道具をつくる人がいて、一方で言葉をばらまく人や実践する人がいる。そういう風に、この本を読者の方にバトンタッチすることで、社会がよい方向にいってもらえれば、と考えています。


荻上:職人は、物をつくるプロではあるが、必ずしも宣伝や販売のプロではない。むしろ、専門ジャンルについては一流の職人でも、政治など他の領域について語りだすとうまくないというようなケースは数多くあるので、その分担はいい選択だと思います(笑)。内藤さんのいじめ研究を、アイデアや理論の宝庫として利用できるようにする。その役目として私が適任かはわかりませんが、このインタビューとブログがそのためのハブ(接続役)になれれば、と思います。

このインタビューは、『いじめと現代社会』をまだ読んでいない人や、あるいは内藤さんの著書『いじめの社会理論―その生態学的秩序の生成と解体』をやや難しいとお感じになるような方でも、「いじめ研究」についててっとりばやく理解するためのマニュアルとしても読まれるようにしたいですね。内藤さんのことを知らない人でも、このインタビューを読みさえすれば、いじめ問題に対する見方が変わる、URLを紹介しさえすれば本を送らずとも議論を広げられる、という形にしたいです。

それから、私としては内藤さんの著書である『いじめの社会理論』と『いじめと現代社会』の間の取り持つようなインタビューにもしたいと思います。内藤さんが2001年にお出しになされた『いじめの社会理論』は、かゆいところに手が届くようなほど丁寧に議論がされていて、とても読みやすかった。

内藤:読みやすかったですか。

荻上:はい。ただ、論文慣れしていない方には専門的な用語などがとっつきにくかったりすると思うんですね。対して『いじめと現代社会』は、文体などは読みやすいのですが、時事的な問題なども言及されている部分などは、「なぜこの議論がここで出てくるのだろう?」と思われる人も少なからずいると思うんです。ですから、この二冊を繋げつつ、出来る限り身近なところから、徐々に抽象度を上げていくというような形でお話を伺えればと思っています。

まず最初に、内藤さん個人がどうしていじめ問題に関心を持ったのかを、お聞かせいただけますか?

内藤:いじめの問題に関心を持ったのは、多くの中学生や小学生が関心を持つのと同じように、個人的に違和感を感じることから始まりました。例えば、強い人に叩かれたりして屈服している人が、強い人に対して怒りを持つのではなく、自分より弱い人のちょっとした不快なしぐさに対して怒ったりするようなことがあります。そういった現象について、小中学生の頃から関心を持っていました。これ自体は、群れの中にいると、小学生や中学生なら誰でも関心を持つようなことだと思います。

ただ、私自体は、中学生くらいまでは理系志望で、本は読んでいたけれど文系的なものに対して学問的な関心は高くなかった。転機としては、東郷高校*1に無理やり入れられたことが関係していると思います。

荻上:東郷高校ですか。それは、どうしてですか?

内藤:父親が、ちょっと人並み以上に、自分の子どもが思い通りにならないことに対して憎しみを抱くような人だったんですね。

荻上:コントロール過剰な…。

内藤:そうです。しかも、思い通りにならないことに対し、「お前が思い通りにならないお陰で、オレの世界が壊れてしまった。どうしてくれるんだ」という憎しみで、完膚なきまでに復讐をするような人だった。そのやりかたなんですが、教育という名の下に行うんです。だから、本人も、本当は憎しみでやっていたとしても、自分が悪いことしていると思わないで済むんです。

父は私に「お前の将来はオレの気分しだいだ。東郷高校に入るか、中卒かのいずれかを選べ」とやりました。代々アッパーミドルくらいの家系で、親は大学の教授でした。今から約30年前の当時は、「中卒だったら、だいたいこの階層の人間になる」というライフコースが、今よりも固定されていたような時代でしたから、父はそれが脅しになることを分かっていたうえで言っていたんですね。


■発達が遅れていた幼少時代

荻上:なぜそのようなことをしたのでしょうか。

内藤:有史以来、子どもが生まれてから、発育が人より遅れていた子どもというのはいくらでもいたと思いますが、私もその類だったんだと思います。小学校一年生のときに幼稚園の子みたいで、小学校六年生くらいのときに小学校低学年の子みたいだった。つまり、精神年齢が低かったんです。小学校高学年のクラスに、小学校低学年くらいの子が紛れていたのだから、まともに振舞えないんですよね。靴下を履かずに靴を履いているとか、校長室に遊びに行ったりしているとか。

朝礼のときって、前に教員が横一列に並び、それに向かってぞろっと生徒が並ぶと、その間に大きなスペースが空きますよね。そのスペースを、全校で二人だけ「キャーッ」と叫びながら走り回っている子がいました。一人は、「精神薄弱児」と言われたあっちゃんという子。もう一人が、あの内藤朝雄君だった。

荻上あっちゃんが二人ですね(笑)。

内藤:そうそうそう(笑)。昔の村々とかなら、バカな子はそれはそれとして育てていって、思春期をすぎれば普通の子になりましたね、みたいな平凡な話で済んだんだろうけれど、おそらく親はそう思わなかった。それを知って、地獄に突き落とされたような顔をしていました。

両親は共にナーバスでしつこい人で、それは研究者としては長所だろうけど、親となると子どもにとっては悲惨な人格だったりするんですよね。幼児の頃までは、その仕草を「可愛いね」というやりとりをすること自体を喜び、喜びが響きあうような親子だったんだろうけれど、段々と「教育をしなければ、いい子にしなければ」という感じになり、コミュニケーションの喜びが響きあうという感じでは、おそらくなくなっていった。

荻上:「費用対効果」のようなレベルに変わっていったというか…。

内藤:というか、思い通りにならない子どもへの憎しみが、教育というかたちになって、生活を覆い尽くすんですね。

荻上:それは、教育が自分たちのステータスになるというような?

内藤:母親は専業主婦で、自分のアイデンティティが「子育て」でした。「こんな子どもに育ってしまった」というのは、自分の存在の否定だと思ってしまう。専業主婦と言っても、大部分の人はそうはならず、ダメならダメで楽しめるようなおおらかな人も多くいると思うんですが、そうではなかった。たかだか学校での振る舞いが気に入らないというだけで、「妹が弟がいなかったら、ガス管を咥えて心中しようと思った」ということを言っていましたから。

子どもの頃は、自分の親と他の親を比較するなんてことは出来ませんから、「大変なことだ」思い、重圧を感じ、自分が悪いのだと思っていた。でも、大人になって考えてみると、人より学校からの呼び出しが多いとか、授業中に貧乏ゆすりがすごいとか、友達と仲良くないとか、そういうことでガス管自殺無理心中)を考えるなんて最低の親だなと思うわけです。

荻上:学校的な評価を、あたかも人間として致命的な欠陥であるように思ってしまったわけですね。

内藤:そうそう。そんな風にちょっと不幸な育ちだったわけです。小学生のころ、母の日に、ささやかなお小遣いでケーキとプレゼントを買って母親にわたしたことがあります。すると母は仏頂面で、「こんなものはいらないから、いい子になれ」と。

荻上:それは、ツンデレ(笑)というか、強がりや照れ隠しというわけではなくて、素でそういうことを言うわけですか。

内藤:せかせかしていて、余裕や落ち着きが全然なかった。リラックスして楽しそうに笑っているという感じではなく、いつも仏頂面でせかせかしている。子どもを遊園地や動物園に連れて行くときも、一生懸命やっているという感じで、安定した余裕とかはないように思いました。夫婦関係がどうなっていたのかは今となっては分かりませんけど…。

荻上:夫婦関係や、例えば自分の親のセックス事情などは、子どもとしてはなかなか踏み込みづらいテーマですからね(笑)

内藤:そのようにして、思い通りにならない子どもにたいする憎しみはずぅーーっと蓄積していたみたいでした。私がいじめを研究していますが、子どもの頃は弟や妹をいじめていました。トンデモない話です。第二次性徴より前の自分はなんだか別の生き物のような感じで、イライライラっとしては、弟や妹をいじめていた。親もイライラ、子もイライラ。で、私が妹や弟をいじめると、親はそれを聞いてさらにイライラし、叱る。そうすると私は親の見ていないところでさらにいじめる。そうやって兄弟が仲良くなくなると、またさらに親が憎しみを持つ。

荻上:悪循環ですね。

内藤:そうですね。で、「昔、物がなかった頃はそれを分け合って食べていた。なぜ“かっぱえびせん”を袋で与えると奪い合うのか。本来であれば、分け合うべきだろう」ということを、過剰な仕方でねちっこく説教するんですよね。

荻上:そうやって「昔はよかった」は作られていくのか(笑)

内藤:貧乏な時代に助け合って生きる共同体主義のような、「心がうんたら!」という説教ばかり聞かされました。子どものころは、母親の憎々しげな説教にまみれた日々でしたね。

荻上:それが正当であるかはともかくとして、そういう手近な言葉に飛びつきたくなる気持ちはよく分かります。

内藤:第二次性徴以前の子どもに関しては、私のいじめ論は対象にしていないんですけれど、自分の子ども時代もよく分からないですね。小学校三年生のときにヤマダという担任の教員がいたんですが、その人とそりが本当にあわなくて。私も獣のように落ち着かない感じでしたから、おそらく恨まれていたのでしょう。あるとき、クラスで「内藤くんに皆で復讐をしましょう」という会が開かれたことがあって。で、前に立たされて、ヤマダが一人ひとり順番に私を殴らせいくわけです。で、最後にパンツを脱がされて、小さな掃除道具入れに何時間も入れられたりしました。「特殊学校に行け」とか言われたりもしましたね。

荻上担任!? 担任の教師が、「復讐しましょう」と言うんですか!?

内藤:そうですよ(笑)。

荻上:とんでもないですね。

内藤:そんな教員、いっぱいいるんだよ、世の中。いじめの研究していれば、うんざりするほど耳に入ってきます。

荻上:はぁー…。私にも似たような経験はありますが、いっぱいいるのか(苦笑)。サイッテーですね。最低だなぁ…。


■東郷高校に入るまで

内藤:そんなことがあって、親もダメだし、教師もダメだし、そんな中で、精神年齢が二段階ぐらい遅れているので、お友達とも仲良くできるわけがない。そんな中、科学の世界の方が自分には魅力的な世界に感じられた。「バクテリオファージュというのは細胞の中に入っていて、再生産の営みとして自分を創るのだ」とか、そういう話を親はよくしていて、そちらに深くコミットしていったんです。他の世界が貧しいからというのもあるけれど、サイエンスのほうに欲望を感じていきました。学校では何も出来ないけれど、全校生徒で自分用の顕微鏡を持っているのは自分だけだとか、分子模型を持っているのは自分だけどか、小学生だけど生物や化学の教科書なら高校のものでも読めるとか。自分のプライドのようなものにもなっていましたね。

荻上:小学生に頃って、「てっちゃん」(鉄道マニア)のように特定のジャンルに長けている人、特化している人はいましたけど、内藤さんもそうだったんですね。

内藤:そうですね。チキさんはミヒャエル・エンデの『はてしない物語』というのは知っていますか。

荻上:『ネバーエンディングストーリー*2ですね。

内藤:あの中に、「アッハライの涙」というものが出てきましたよね。非常に醜いみじめな虫なんだけど、その涙の池からは美しい宮殿がたちあがるという。そんな感じのことがおこるんです。

元々オタク的な家系ではあったんですが、偏ったところも続いているみたいでして、父も偏って育てられたようです。戦後の受験勉強はひどいといわれているけれども、戦前の受験勉強もすさまじいもので、父親もすさまじい受験勉強をやらされたという経緯がある。東郷高校に入る前までは、私は父親を理想化していたんです。ところが実際はダメな人で、自分の子どもをコントロールしようとする。小学生のときなどは、ベルトで滅多打ちしてくる。

荻上:む、鞭ですね。

内藤:それも、激情しているという風ではなく、眉一つ動かさずに、パブロフの話とかをしながらベルトでむち打つんですよ。「こういう風にして、悪いことをしないようにしているのだ」と説明しながら。もちろん、思い通りにならなくて気にくわないからやっているのですが、「教育」という自己正当化をするわけです。

たとえば、小学生のときのわたしは熱いのが苦手で風呂に入るのが嫌いでした。父親が風呂に入れと言いました。それに対して、わたしは汚れをとるためだけなら水風呂でもかまわないはず、と、水風呂に入って体を洗ってでました。すると、父親は風呂からでたばかりの裸のわたしを、革のベルトでめった打ちにしました。わたしの体は、全身みみず腫れになりました。

荻上:「これは社会的条件付けなのだ!」とか?

内藤:そうそう。で、体中みみずばれになる。今なら逮捕される…。警察はこういう親を、どんどん逮捕して、刑務所にぶちこまなければいけませんね。

荻上:内部で合理化されたトンデモ行動って、是正し難いですよね…。

内藤:本当は、ただ単に思う通りにならないから殴るということなんですけどね。今から考えるとトンデモないことで、いい年の大人が、第二次性徴以前の子どもに対して本気の憎しみを抱くというのは、ちょっと考えられない。

このように親が駄目な場合、家族以外のところと繋がって絆を深めていくのがいい育ち方なんだろうけど、私の場合それが出来なくて。逆に、家族以外のつながりがどんどん細くなっていた。そこで、父親の仕事を理想化していたんです。アッハライの涙のように、不幸な中で輝くものを見出そうとしたのでしょうね。

元々たくさん本を与えられていた私は、中学生くらいになると生意気な理屈を喋るわけですよ。そういう風に育ったから当然なんですが、そんな私に対して、父親は「朝雄は異常な人間だ。自我が強すぎる。こういう人間は自我を徹底的に叩き潰して、それから生き直すようにしなければならない」ということを頑強に主張していました。ただ、中学くらいになると父親よりも力が強くなっているので、肉体的な暴力は出来なくなる。ベルトで殴るというようなことは出来なくなる。そうすると、「お前の将来を断ち切ってやる。お前の運命は俺の気分しだいだ」というようなことを、もっぱらやりだすんですね。

荻上:その役割を担うのが、東郷高校ですか。

内藤:小学校のときは成績が1とか2ばっかりだった。中学校でも平均2くらいだったから、ろくな高校に行けない。

中2のとき、父親は、私学にはいかさない、国公立しかいかさない、と言い放ちました。そして、国公立ならどこでもいい、とわたしに約束しました。

当時の愛知県は、私立校は偏差値が低く、公立が偏差値が高かったんです。中でも、東郷高校以前に作られた高校は既設校と呼ばれ、東郷高校以降に作られた高校は新設校と呼ばれていたんですが、新設校は東郷高校をモデルにしていたので、全体主義収容所風でした。

私は豊かな高校生活を過ごしたいとかねてから思っていた。高校で遊び、浪人して大学に入って、大学に入ってから好きなことを勉強して学者になりたかった。そういう計画を立てていたので、既設校の中の下クラスに入れるぐらいを狙っていたわけです。そのため、受験を意識してから数ヶ月勉強して、成績を平均4くらいまであげました。

荻上:5段階評価で、ですか?

内藤:そうです。それの約束を父親が一方的に破って、気にくわないという理由で東郷高校に入れさせた。私は父親に「何がいけないのか、それを改善するから言ってくれ」といったら、父親は「それがいけないのだ。何か条件を出し、それをクリアしさえすれば何かを得られるという態度が、高圧的である。そうではなく、黙っていても俺が気分がいいと思うようにしろ。」ということを言うんですよ。

荻上:対等に取引をしようとするな、顔色を伺い続けろ、ということですか。

内藤:そうです。この傲慢な男は、息子に対して、神とヨブの関係を求めたわけですね。。この時期、高校進学を好きなように妨害できる「親権」で生殺与奪件をにぎってどす黒い復讐をしてきた中学三年生から、親と教員が一体化して迫害してくる高校一年あたりで自分の中で変化が起こった。脳が幸福なしかたで動いてくれなくなってしまった。いつも不幸の反作用としてしか動いてくれない。今でもこれには困っています。

東郷高校のことは、「熱中高校って何だ」に書きましたが、親のことはまだ書いていませんね(注:『〈いじめ学〉の時代』(柏書房)では、東郷高校のことと両親のことが赤裸々に描かれている)。自分の思い通りにならない子どもに復讐するために、尋常でないしつこさ、ストーカー的ともいうべきしつこさで、東郷高校の教員と憎悪の同盟を組んで、ありとあらゆる「教育」の嫌がらせをし続けたのです。わたしが寝ていると、教員の手先になった父親が、バリカンをもって頭を刈ろうとおそいかかってくる。さらに、「こんなことでは大学にいかさないぞ、こんなことでは大学にいかさないぞ、おれが気分いいようにしないと、おまえはどうなるかわかっているのだろうな」、という憎々しげな脅し。

体が小さいときは暴力。大きくなれば将来を断ち切るぞという脅し。復讐のために東郷高校を最大限利用する。こういう父親。母親は。親しい友だちの親に、学校に逆らう朝雄とはつき合わない方がお宅のお子さんの身のためだという電話をかける。明らかに表情は憎しみでやっているとしか思えないのに、「教育のため」と泣きわめきながらつかみかかってくる。その両親の憎しみの熱い同盟者が、醜悪きわまりない東郷高校の教員たちだった。今、ひさしぶりに思い出してみたのですが、わたしの親は、両親とも、ほんとうに最低のクズでしたね。

自分が理想化していた科学者の父親が、突如としておぞましい怪物として現れるという逆転があっという間に起こる。古武術とかで、首をある角度に最初しておいて、次にある角度に変えてやるとカクッと首の骨が折れるような技があったりしますけれど、自分の中でそういう折れ方が起こった気がします。理想化の極と、おぞましさの極とが一気に反転するような。

荻上:「乖離性同一性障害」の説明の仕方に近いですね。

内藤:その頃から猛烈に人生が暗くなった気がします。今でも変わらないですね。友人には「内藤は恵まれている」といわれるんですよ。東大でて、六大学の一つで助教授やっていて、いい身分で羨ましいと。会社で朝から晩まで意にそぐわない仕事をやらされている自分よりもうらやましい。なのに、体感不幸がすごい、と言われる。

荻上:あくまで心的現実であって、客観的には恵まれている、ということを言われるわけですか。

内藤:ええ。でも、自分でも体感不幸が高いのは楽しくないですね。いいかげん楽隠居して、趣味的に生きていきたいのですが、なかなか仕事をさぼる踏ん切りがつかない…。

中学校の担任の教諭は私のことを面白がっていたので、内藤君だけは東郷高校にだけは絶対に入れてはいけない、絶対に合わない、行くような子ではないと主張していたんですけど、父親は頑として譲らない。担任は、親に黙って別の学校に願書を出しちゃえとアドバイスしてくれたんですけど、当時の自分は文章偽造はいけないことだからとやらなかった。やっておけばよかったな、と、今では思っていますけど。


いじめ研究の困難

内藤:身の回りの人を見ていても、人はなんでこれくらいでへこたれるんだろう、と思っちゃうことがありますよね。たしかに、わたしよりもひどい生い立ちの人は、世の中にごまんといます。

荻上:でも、人から承認されているという実感などは、どの程度供給すればどうフィードバックがある、というようなパターン化は難しいものだと思います。ただ、「教育」を掲げる人は、かくかくの愛情を注げば、かくかくの人格に育つ、というように、あたかも意図的に設計可能であるかのように語ってしまうことがある。

内藤:承認の問題ではなく、あるときに基本モデルがカクッっと背骨が折れるように折れちゃったんでしょうね。私の場合、今でもこの仕事をしているから、体感不幸が続いているというようなところはあるかもしれませんね。カクッと折れるときの時間が止まった記憶を流用して論理化する仕事をしていると、いけませんね。

荻上:チャンネルがずっと固定されるような環境なんですね。それに対し、「そのような体験があったから、今の自分がある」というような正当化は、自分ではしたりしますか?

内藤:いや、思えないですね。

荻上:そうですよね。芥川賞作家でもある、中上健次という作家がいますよね。彼は被差別部落出身でしたが、中上の友人でもある批評家の柄谷行人は、私が以前聴講した講義の際に、「部落差別があったから中上の文学が生まれたという人がいる。しかし、部落があったから中上が生まれたと語られるのなら、文学などいらない」ということを言っていました。それと同じく、内藤さんにそのような経験があったからこの本が書けた、という人もでてきそうな気がするんですが、こんな本は出なくてもよかったから、内藤さんは幸せに生きたかった、内藤さんには幸せに生きてほしい、そういうところはありますね。

内藤:当然ですよね。

荻上:どのように社会的承認があったとしても、自己承認がないと生きがたいというのもあるでしょうし。

内藤:わたしは承認というあやふやな概念を評価していません。この仕事のつらいところは、やめるにやめられないところですよね。私は確かに意味の体系や「世界」に着床するためのポイントが一度壊れてしまった。もしタイムマシンで当時の父親に遭遇すれば、まちがいなく殺します。殺して、からだをバラバラに切り刻んで、ぐちょぐちょ靴底で踏みつけるでしょう。今からおもえば、殺していればよかったと思いますが、未熟な少年にはなかなか、決断すべきことの本質がわからないものです。

もちろん、タイムマシンが発明されないかぎりは、わたしは犯罪者にはならないでしょう。というのは、現在80代の内藤という老人は、殺すべき者ではなく、殺すべき者の抜け殻ですから。抜け殻には、この大切な自分が刑務所に入ってまで破壊する意味はありません。殺すべき者は、今はすでに世界のなかに存在しない、という事実と、止まったままの時間が、残されているわけです。この止まったままの時間が今の生を貧困化する弊害とたたかいながら、なるべく楽しく生きていこうとおもっているのですが、なかなか・・・・ただし、これはわたしにかぎらず、虐待のサヴァイバーが一般的にもっている困難です。

おそらく、非常に歪んだ親のことがなければ、東郷高校の教員だけなら、たいした傷にはなっていなかったと思います。実情を知らずにうっかり東郷高校に入学してしまって、親が子どもを避難させるために転校させたケースもありましたが、わたしはそれを非常にうらやましく見ていたおぼえがあります。

わたしが一番好きなエッセイを挙げろといわれると、中井久夫の「ある少女」(『家族の深淵みすず書房、281〜283ページ)というものです。そのなかで中井久夫が、オランダに旅行に行って、当地の大学教授の家に遊びに行くと「何か美しいものが通り過ぎていった」と言っているんです。それは精神発達遅滞をもった娘さんなんだけれど、その教授は娘がそうだから、それをいかに快適で、心の産毛を大事にするように育てるか、と考えたらしい。わたしも、そういう家に生まれたかったなと思いましたね。

発達障害という概念にもちょっと問題があって、私の場合、小学校の半ばぐらいまでは本当に知恵遅れぎみだったのですが、思春期以降は人並み以上だったりするのですね。発育のペースの個人差程度のことだったのかもしれません。生まれつきの発育のペースが平均的でないということよりも、むしろそれに対する親の長年にわたる粘着的な憎しみと、「教育」というかたちをとった執拗な復讐が、落ち着きのない闘争-逃走的な子どもの人格になり、またその闘争-逃走的な人格に修飾された発育の遅れが、さらに親の「教育」という憎悪をエスカレートさせ、それがさらに子どもの闘争-逃走的な発育の遅れを拡大させる、という悪循環が、大きな損傷を残しました。そして、皮のベルトのめったうちからはじまって、最後には、あの東郷高校をおもいどおりにならない子どもの人格をたたきつぶすための凶器に流用するしまつです。

ADHDという概念の是非はおいておいて、そういう子どもを持つ親に対して、最近は虐待をしないように「うまれつきなのであって、親のしつけの問題ではない。無理なしつけをしようとせずに、この子なりに快適に暮らせるようにくふうしましょう」という指導をするようです。これは正しいやりかただと思います。

まあ、こういうひどいめにあう人は、世の中にめずらしくはありません。よい親もいれば、よくない親もいます。そして、そういう育ち方をした人は、自分の内側になにか壊れたところをもって生きるようになるのでしょう。これも、よくある話です。

壊れたところというのは、たえず流れていく時間のなかで歴史年表のように位置づけられて通常の物語のかたちをとる記憶とは、ちがったしかたで、時間が止まったしかたで刻印づけられた別様式の「記憶」が、いろいろな働きをするということを言うのでしょう。多くの場合は、壊れたところの働きは、さまざまな「損」をする行動化、リストカットとか暴力とかさまざまな嗜癖と結びつくでしょう。それは「損」なので、その「損」がいつも、壊れた部分が作動しないように、条件づけをし続けます。だれでも病気になったり、刑務所に入ったり、失業したりしたくないですからね。壊れた部分をもった人を補正する環境の作用です。

わたしの場合、症状の出方が特殊です。その別様式の「記憶」は、頭の中に浮かぶ知的なアイデアの論理形式と結合しているのです。これは特異体質といえるでしょう。中には、壊れた部分が音楽の形式や、画像の形式になって現れる人もいるかもしれませんが、わたしの場合は論理形式で現れます。

こういう場合、壊れた部分の働きが、社会的に成功することにもつながりかねません。大部分の人は、デムパを飛ばすパラノイア風のしつこいキチガイだったり、売れない芸術家だったりするのですが、なかには、それで飯が食えてしまうようになる人もいます。内側の壊れた部分の働きを、exploite(搾取・開発・利用)することで、世の中ひろしといえども、この人にしかできない特殊なパフォーマンスを生み出してしまうこともあります。

そして、その「仕事」によって、実際に人の役に立ち、社会をよりよいものにすることもできるし、また、社会的な地位を得、給料すらもらうようになることもあります。

内側の壊れた部分と、常習的な行動(わたしの場合は研究者として論理形式を生み出すこと)の結びつきが社会的な成功と結びつくと、症候は固定化してしまいます。ウィニコットという精神分析家は、病気は第二次疾病利得があると治らないといいました。人の役に立ち、感謝され、お金が入る。そういう利得があると治らない。環境からの「損」という補正作用が働かなくなってしまう。逆に不幸な人生のなけなしの「得」になってしまう。ほんとうはそんな「得」は、すこしも幸福ではないのにね。

荻上いじめひきこもりなど、特定のテーマに従事している人は、自分自身が深く揺らいでしまったような根幹をいつまでもほじくり返し続けるという、大変困難な作業を続けていらっしゃいます。実存と観察を分けることも大変でしょうし、実際にフラッシュバックに襲われることもあるでしょうから、つらいですよね。

内藤:ですね。最初の虐待よりも、長年にわたってほじくり返し続けること、そのことによって人生が貧しくなるという方がダメージかもしれない。

最近の鬱病の研究によれば、自己注視の傾向が強い人ほどは、鬱病の程度がひどくなるようですしね。

荻上:学問を志している人には、結構多そうですね。例えば一度傷ついた全能感を、論理を手にすることでアップデートするというようなパターンも。しかし内藤さんはそれを自覚してやっていますよね。

内藤:傷ついた全能感が出発点なのではなく、傷ついたから全能感という二流の餌をガツガツ喰うという構図です。全能感というのは、根本的にみすぼらしいものです。幸福に生きている人は、全能感のにおいをさせないものです。平凡で、ぱっとしない人生を喜んで生きているものです。逆に卓越したことをこれみよがしにやっている人はダメな人が多いですね。


[その2に続く]



“いじめ学”の時代

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いじめと現代社会――「暴力と憎悪」から「自由ときずな」へ――

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いじめの社会理論―その生態学的秩序の生成と解体

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