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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

佐藤友哉の<色シリーズ>に関して2

 昨日(id:izumino:20040311#p2)感想をお願いした私小説日記(id:inovel)さんからお返事いただけました。わーいありがとうございます。

 ていうかどっかで見た意見なんですけど、若手作家の書いている話は、『自分が小説を書いていること』についてどうしても言及したがる癖がある、というか、どんな話でもそういう風にこじつけて読むことが出来てしまう、とか。西尾維新の書く『殺人』という行為を『小説を書く』という行為に置き換えて読むことが出来るとかなんとか。要するに、作家が書いているテーマを小説と読者の関係だけに置くのはちょっと抵抗があるなあ、と。

 言われてみれば確かにそりゃそうですね。
 ぼくは「膏薬と理屈は何にでもくっつく」を地で行ってるところがあって*1、こじつけられればお構いなしだったりするんですが。もう少し禁欲的でもいいのかも、と思ったり。


 大抵の物語っていうのは「完全にハッピーになって終わり」だったり「なんか暗いテーマのまま終わり」だったり(客も、そういう解りやすいオチを求めがちだったり。一度救われたら救われたまんまじゃなきゃイヤだ、みたいな)すると。でも人間はハッピーになったりダウナーになったりするのが普通であって、それらの「オチ」はその時々の瞬間を切り取ったものでしかないと。なるほど。だから黒色ポカリの「僕」も、日常では割と楽しい気分で生きてたりしてるかもしれなくて、たまたま落ち込む瞬間が間欠的にあるだけだ、みたいな。ふむ。


 舞城とのシンクロニシティ発生率の高さはぼくも気になっていて、たまに応答書簡かよ、とツッコみたくなる時もあります。まぁ妄想なんでしょうけどね。
 佐藤が「ゾーイーみたいな男が現実に現れても、実際に人を救えやしないんだ」的な話*2を書いたかと思えば、舞城は「いや、言葉で人救うなんて簡単なことやし」的な話*3を書くみたいな。
 佐藤が延々「小説の主人公のようになれない主人公(虚構と現実の差別化?)」の話を書いているかと思うと、舞城は『九十九十九』で「小説を読むことで、その主人公と完全に同化しちゃう主人公(無限に連続する虚構?)」を書くみたいな。
 佐藤舞城の繋がりについては、(妄想めいた)長めの考察をいつか書きたいなと思っています。

*1:理屈をこねて偉そぶってるわけじゃなくて、それが芸なんです。はい

*2:水没ピアノ

*3:『僕のお腹の中からはたぶん「金閣寺」が出てくる』

チャットネタ

結城: センセイ、こんな検索で来ている人が!!
http://search.yahoo.co.jp/bin/query?p=実琴×恵 プリプリ
いずみの: 読みてええ(笑)
結城: 全くだ(笑)
結城: 誰か作りやがれぇぇぇ
いずみの: しかも攻めがそっちかよ
いずみの: 逆転攻めですな!
結城: 何で実琴が攻なのか(笑)
結城: 何故革命の日ではないのか(笑)
結城: 謎だ〜

 いやあまったくですよ。