HOME : リクィド・ファイア
 移行後のはてなブログ:izumino’s note

久しぶりにエロゲ論壇(なのか?)に参加するよ


 
# motidukisigeru 『携帯ゲーム通信および、TCG技術の完成時期の近さに、同時代性を見ることは自由です。それは確かに否定できない。しかし、だからといって「昔はデータベース的欲望がなかった」と結論するのは、馬鹿馬鹿しい限りだ。データベース的欲望は常にあって、それをブレークスルーする新たな技術を、市場は常に待ち望んでいるのです。』


# motidukisigeru 『コンピュータゲームと、現代ボードゲームって、成立時期がわりと近い(D&Dが1974年、アーケードのポンが1972年)し、ユーザーもかなり重なってるので、互いに影響を与えあって進化してるんですよね。だから、似たような技術革新が似たような時期に起きるのは必然とも言える。
 

 これは以前から考えていたことなんですが、ゲームラボの連載で佐藤心TRPGブームからギャルゲーブームへの流れをまとめているんですよね。そのことについて少し。
 それによると、TRPGは「世界観」を追求するものだったが、そこから(『To Heart』が代表するような)「コミュニケーション」を主軸にしたギャルゲーが求められ、その次に(人間関係に依拠しない)キャラ単体の萌えや記号的な「データベース消費」が主流になった、とかそんな主旨だったと思います。
 この話の上で、TRPGは過去のものとして流されちゃってるんですが、世間のブームがギャルゲーに移った後でも、TRPGはギャルゲーと似たような進化をしている。そこらへんが(批評にTRPGを持ち出す時にはいつも)取りこぼされてるなと。


 佐藤心が抽象化しているような「世界観主体のゲーム」というのは(ゲーマーの間では)第二世代TRPGと呼ばれているもので、「コミュニケーション主体のゲーム」は第三世代TRPGと呼ばれるものに当てはめていいでしょう。
 元々日本のTRPGというのはギャルゲー的な要素の取り込みに熱心で、「世界観主体」から「コミュニケーション主体」へのシフトが広く意識され始めたのが『天羅万象』あたり(これが『To Heart』と大体同時期で、「ときめき天羅学園」というギャルゲー再現用の同人ルールもあった)からですし、その後に流行したゲームは、つくづく記号的なキャラクターメイキングをウリにしたものばかりです(ポン刀+メイド+幼女、とかのキャラはどんなシステムでも割と簡単に作成できます)。
 だから、TRPGもきっちりポストモダン化してますよ、と言うこともできる。


 まぁ、ユーザーが重なっているばかりか、ギャルゲーのスタッフとTRPGのスタッフを兼任してる人が結構多かったりする事実もあるわけですが。
 同時代性(っぽく見えるもの)の具体例のひとつとして、提示しておきます。TRPGユーザー以外にはあんまり知られてないことみたいだし。

  • 妄言

 関係ないけど、月姫世界RPG講談社がスポンサーになって出版してくれねえかなあ。
 その後はネギま世界RPGを出して欲しいです。