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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

マリみてと母娘愛

 というわけで(id:izumino:20040617#p1)疑似親子関係という視点からマリみてを読み直していたわけですが、いやあ、面白い面白い。時々、百合視点よりもグッとくる描写もありますね。
 まぁ『愛の若草物語』にしてもそうなんですが長女メグは「母」として描かれ四女エイミーは「娘」として目に映るわけで、姉妹愛を疑似家族的に置き換えるのは自然なことかもしれません。そもそも成長期の子供は「養子空想」を遊ばせて「この両親とは違う別の親がいるかもしれない」と思い込むものですが*1それが投影される対象がグラン・スールであり、また、女の子の未発達な母性本能を満たしてくれる対象がプティ・スールであったりするのでしょう。
 うーん、こう書くと凄く普通の読み方なんだけど、百合的解釈がスタンダードなマリみてだと、かえって新鮮味のある解釈だなあ。


 しかしマリみてに特徴的なのは、ソロロフォビア(姉妹恐怖)が存在している*2のに対して、実の母親に対するコンプレックスは特に描かれていないっていうことでしょうか。通常の母娘関係も大抵はうまくいっていて、露骨にマザー・コンプレックスを表明しているのは聖くらいでしょう。あと、乃梨子が妙に「母性を必要としない子」として描かれていたりはしますが。


 では順番に確認していきますか。

 前も書きましたけど、祖母→母→娘そのまんま。蓉子=おばあちゃんは言わずもがなで、祐巳は聖母のイメージを祥子に投影しているし、祐巳を躾ることで満たされようとする祥子は人形で「お世話遊び」をして喜んでる子供みたいに見えます。んで正統派の仕方で紅薔薇の妹になるには祐巳を母親のように見る必要があるわけで、そういう意味でも可南子は有力候補なのかもしれません。

 江利子の母親っぽさも言わずもがなですが、痛ましくてしょうがないのが令。無理して男親を演じようと頑張っている女親にしか見えない……。しかも娘に「対等な関係になりたい」とか「強くなって欲しい」とか言われる情けなさよ。由乃にとっての令は、疑似母親である前に従姉っていう認識が強いから、そのズレがあるんでしょう。なかなか妹を作れないのは、由乃に母性が発達してないからかな。

 聖にとってのお姉さまは母親代わりとしてちゃんと機能してるんだけど、娘を溺愛/神格化しすぎて破綻した栞との関係や、「自分にそっくりすぎる娘とは親子のように付き合えない」っていう志摩子との関係は生々しくてもどかしいな。その代わりに祐巳で母性本能を満たそうとしているのがまた泣けるんですが(リアルに同性愛者っぽいなあ)。志摩子乃梨子は対等すぎてあまり親子っぽくない。やっぱ聖以降の白薔薇の血はちょっと変かもしれない。乃梨子は妹探しに苦労しそうだよなあ。


 新聞部姉妹の関係も「キャリアウーマンと手間のかからないしっかり娘」っていう感じで微笑ましいですね。
 んでこうして見ていると、聖蓉とか祥令といった同学年カップリングが妄想しやすい理由もわかってきますね。対等で親子っぽくないからか。反面、現二年をカップリングさせにくいのは志摩子由乃が対等な相手を別に作ってるからかもしれません。


 あと解ったのは「男性読者の母性本能」っていうのは、刺激されるとかなり反応しちゃうってこと。それは『愛してるぜベイベ★★』でも言えたことなんですが。

*1:ユングはこういう空想を「二親イメージ」と呼んでいた

*2:主要キャラの全てが「一人娘」あるいは「兄妹の紅一点」であって、実姉妹の存在が隠蔽されている。唯一の実姉妹として内藤笙子とその姉が出てくるのだが、こちらはうまく付き合えない姉妹同士がソロロフォビアを乗り越える話として用意されている

北米に咲いたYURI(Moonlight Fantasia)

 みやもさんに振られたので簡単に語ってみましょうか。
 とりあえず、外縁的にチェックしてみます。

  • 殆ど「男役×女役」の組み合わせが好まれてるんですね。そういやあケイも魎呼も「俺女」だし……って、英語圏で一人称や語尾の性差は認識されてるんでしょうか(吹き替えの芝居を男喋りにしてアピールはできるか)
  • するとやっぱりマリみてはフェム×フェム系(女の子らしい女の子同士)の組み合わせだったのが向こうにとっても新鮮だったのかもしれない
  • 女性ファンが「私レズかしら」「バイかも」とか一人ごちるあたりはアメリカ人らしい短絡思考。日本人的に「他人の恋愛を眺めているのが楽しい」という割り切った発想はしにくいのかも
  • すれっからしのアニメオタクにとってはあまりもの演出のイケてなさで不評だったアニメ版マリみてですが、なるほど原作小説が「半永久的に英訳されないであろう」状況ではアニメが一番「言語の壁を飛び越えやすいメディア」であって、その文化貢献度は評価していいかもしれません
  • アメリカのyaoi業界では「○○×●●」の「×」のかわりに「/」を使うんですが(だからyaoiの同義語としてslashとも呼ばれる)、それがyuriにも用いられている辺りyaoiとの同一視が進んでるみたい

 さて、今ではどうか知りませんけど、女友達が一緒に歩く時に手繋いだり腕くんだりしがちな日本の国風は割と珍しいそうで、そこが文化的な違いと言えばそうかもしれません。ぼくが思い付くポイントはそれくらいですかね。
 文化的格差なんてそうそう語れるものでもないですし、男性オタクも大体似たような楽しみ方(ウチで何度も指摘しているような「微笑ましい姿を眺めるだけ」の楽しみ方)してるなあっていう印象を受けます。もっと細かく観察すれば違いを発見できるかもしれませんが。例えば男女の棲み分け方の違いっていうのはあるでしょう。日本の場合はまず女性のコミュニティありきでしたが、アメリカは少し男性が先行で、後はほぼ同時成長? なのかな。日本人オタクにありがちな「女性の視点にすり寄る」的な態度も少ない気がします。


 あと、心に留めて置いた方がいいのは、日本人だろうがアメリカ人だろうがオタクがみんな女流文学を読んでるわけじゃないっていうことでしょう。*1
 日本人オタクにしたって、過去の少女小説エス小説の存在を知らなかった人達は「マリみては新しいっすよ」とかなんかの先走った感想で無知ぶりを発揮していたわけであり、それと同じことはアメリカ人オタクにも言えるんじゃないかなという気はしますね。その国における文学的背景が、そのまま若い消費者達に影響を与えているとは限らないわけですから。
 むしろハリウッド映画における「ナマモノ」の影響を見た方がいいのかも。例えばチャリエンはどう見えてたかとかですね。アメリカ人のセクシュアリティ意識っていうのは、多分、映画の歴史を追った方が理解しやすいと思います。
 それにしても、最近の百合ブームに対して小谷真理が沈黙したまんまなのがちょっと残念、こういう時こそあんたの出番なんだぜと思うのに。やおいエヴァの時ほど触手が動いてないんでしょうかね。*2

  • 余談

 個人的には「この全くノーマルなキャラ達の中で、最高のレズビアンになるのは?」のアンケートに対する「8位:鮎川まどかという結果がツボヒット。考えたことも無かったよ。相手役はやっぱりOVA版の春日あかねを想定してるんでしょうか(しかしそれで8位か……)。
 まぁ、ひかるや春日姉妹に対して姉御肌な所がウケてるのかもしれない。
 いかん、ちょっと興奮してきた。オレンジロードでそれは反則だ……。誰か同人誌作って下さい(無くもないような気はするが)。

*1:しかも向こうのオタクはアニオタが中心。せいぜい「アン」や「若草物語」程度じゃなかろうか(それもアニメから先に入ってるかもしれない)

*2:そういや水玉蛍之丞はまたなんか解ったような素振りで語ってたりするんだろうか? SFマガジン読んでないからなあ