おかざき真里『セックスのあと男の子の汗はハチミツのにおいがする』更におまけ
巻末短編の「アイスティー」は「女教師」と「男子生徒」の話であって、女同士の関係を中心に描いているこの本の中では異彩を放っているとも言える。
あらすじとしては、女の先生の部屋になぜかお邪魔することになってしまった少年の集団が、洗濯物の下着を目撃したり、わきチラなんかを見せられたりした上に、うっかり「先生、こないだ失恋しちゃってさあ」なんていうパドック情報を聞かされてしまい、自分達の未成熟さを思い知らされ縮こまってしまう、というシチュエーションの話。
ところで、この先生の失恋相手が「男」であるとはどこにも書かれていない。「失恋した」という断片的な事実が言及されているだけで、そして男子生徒達じゃあ恋愛対象にならないよ、ということが強調されるのみである。
この作品集の中に収録されているということは、ひょっとしてこれも「百合作品」として読んでもいいんじゃないかなあと、ふと思ってしまった。
流行にのるのがはやすぎたひとたち(水筒日記)
セカチューに泣いてたのは少女漫画慣れしてない男共だった、という話。
失楽園ブームの繰り返しですな。ぼくは『失楽園』を原作も映画も見てませんけど、あれって、要は「主婦が寝っ転がって煎餅食いながら見てるような午後の連ドラ」みたいな内容だったんじゃないですのん? という。
それから「鬱ゲーで泣くエロゲヲタ」の話。
自己弁護するようでアレですけど、ぼくは(少女漫画を読み慣れていたわけでもないのに)泣きゲーとか鬱ゲーにはピンと来なかったものでした。大塚&白倉の「少女性」戦略にもひっかからなかったし。
でも基本的には涙もろいので、漫画や小説で泣くことは普通に多いです。少年漫画でも少女漫画でもまんべんなく泣きます。
んで最近良く自覚するんですけど、「ラブコメ」というジャンルにもあんまり興味無いんだなあと思うようになりました。特に少年誌に連載してるラブコメは軒並み読んでない。美鳥の日々も読んでないし、スクランも興味無いし、ネギまはそもそもラブコメとして読んでない。少年漫画のキャラ萌えなら理解できるんだけどなあ(『壊し屋我聞』の國生さんとか)。漫画史におけるラブコメの存在は重要視してるつもりですけど。
『ファウスト』系列と「深夜放送センス」(narkoの日記)
ああ、うん、凄く的を射てると思います。
深夜放送のセンスは今ネットに奪われているわけで、だから西尾維新の「深夜放送っぽくなさ」はネット的だからと言い換えてもいいんじゃないでしょうか。
東浩紀は確かに伊集院聞いてなさげな印象がありますね。なんとなくですけど。
あと一昔前のオンガクの話。
オオケン/電気/パーフリあたりの流れが今途絶えているように、80年代パンクやニューウェーブのブームも今途絶えていて*1、例えば昔だと戸川純に救われていたような女の子が、今はコスプレ*2やゴスロリに向かってるのかなあ……っていうのは最近考えていることだったりします。
ここらへんの関係を詳しく分析してる人は居ないのかな?*3