HOME : リクィド・ファイア
 移行後のはてなブログ:izumino’s note

アニメ版『魔法先生ネギま!』第24話感想

06月16日 さっきのネギま

 ネギまに関してリアルタイムで思ったことをそのまま書いてみる。


 まぁ安い悲劇だなあ、と。監督の経歴的にファフナーの序盤を連想するのはまぁいいとして、あの棺桶の中の明日菜って冷静に考えると死体(遺体)画像なんだよね(笑)。コアな層にメガヒットしている可能性が! 「番組中に遺灰になるヒロイン」っていうのもなかなかのインパクトがあって、消し炭になったヒロインといえば綾波だけど、流石に火葬場で焼かれたヒロインは知らないなあ(笑)。


 安い悲劇は安い悲劇として冷めた目で見るんだけど(そこらへんはひねくれてるので)、「感情の積み重ね」や「感情レベルでのリアリティ」が破綻無く演出されていればそれなりに感情移入してドラマを楽しめるわけで、さてこの番組のスタッフはちゃんと描ききるつもりがあるのか。
 勿論、ちゃんと収集さえ付けられれば安い悲劇だろうがなんだろうが面白かったと感じられる道理なわけで。客の気を引く為だけのおふざけで、真面目に演出する気が感じられないようだったら容赦なく叩き落としますけどね。*1


 例えば、(原作既読者はともかく)ここまでの二十数話で「ネギ→明日菜」や「エヴァ→明日菜」の感情の積み重ねをちゃんと描けていたかといえばそうではなく、そこの説得力には欠けているとか。
 でも、いいんちょ木乃香を通した明日菜の描写は及第点なので「いいんちょ木乃香に好かれるキャラなんだからみんなに好かれてても自然だろう」という見方を23話の時点でできるようにはなってる筈だから、これは大目に見てセーフかな。
 あともう少し、夕映の行動に説得力を持たせてほしかったけど、そこは来週フォローされるかされないかで判断しよう。あの暴走は「友情の空回り」というラインに落ち着けてくれれば納得できるんだけど。でも刹那が木乃香の元を去る理由は激しく謎。



 「レギュラーの死」という、赤松ワールドではありえないシリアスさを持ち込んだ途端、恋愛関係までシリアス化するという現象は原作に対するカウンターとして見て面白いかもしれない。


 でもこういう「死」のモチーフやシリアスな三角関係っていうのはAI止まラブひなでも試みられていたことだから、実は赤松さん自身はこういう作劇も好きなんじゃないかな? と思わせる意味でも興味深かった。


 そういえば「死のモチーフ」自体は19話で既に前振りがされてたんだな。あの幽霊話はヒロイン死亡への布石としてちゃんとやる意味があったのかもしれない。
 ただ、幽霊が存在する世界なのに、あっさりと仏式の葬送をして「魂の行方」に注目しないのはちょっと違和感があったけど(西洋人のネギが異文化である仏式に触れて驚く演出も欲しいといえば欲しかった)。



 更にもうちょっと「商品」としてのレベルで見てみると、第23,24話の2話は


「それまでのスタッフがグダグダにし続けた番組イメージの負債を、終盤の数話だけを用いていかに挽回するか」


という、普通のアニメ制作とは全く異なる目的意識が芽生えるものでもある。
 ここで、シリーズの全体性を重視してトータルバランスの取れた無難な作品に仕上げるか、前体制をほぼ無視してゲリラ的な戦法すら用いて視聴者の度肝を抜くかの二者択一が迫られるのだけど、その際に「安い悲劇」「謎で引っ張る」というダーティなネタをあえて持ってきたスタッフ(羽原新監督の判断なのか、元々大河内脚本にあったのかは謎だけど、多分前者だろう)には、「手段を選ばない遮二無二さ」が感じられて、そこらへんの根性の良さやプロとしての熱意には好感が持てるかな。


 それはそれで「残り短い話数でなんとか視聴者を満足させるにはどうしたらいいか?」という問題に対する、緊急避難的ではあるけどギリギリの「客に対する誠意」がある、と見てもいい気はする(だから逆に言えば、最初っからこういう泣かせ展開、謎展開にするつもりでアニメ作ってたとしたらむしろ悪い印象になってただろうな)。

*1:余談ですが、「安い悲劇」を描く筈が、シリーズ全体を通して感情の積み重ねをまるっとすっとばしてドラマを台無しにしたのが『舞-HiME』、というのが自分周囲のアニメファンの間の定説になっていて、『舞-HiME』以降は「舞-HiMEより丁寧な演出なら許す」という評価基準が有効になったりしています(邦画界におけるデビルマン的扱い)。アレを下回る作品はなかなか出ないと思われるので便利